長く短い祭(4)
深い夜。音が流れる桜花川。
その付近に一つ、囃子を奏でる炎があった。
それは声と一緒に揺れ動く。
ともに揺れる火影を知らずに。
「ルナちゃん、もう大丈夫!」
「ヘヘッ、助けに来たぜ!」
2色の原色は、混ぜられ変色した『紫』をじっと視界に捉える。
「スバル、ウズキ……!」
2人の名前を呼ぶルナの声から、安堵を感じる揺らぎがあった。
「はぁ……」
「っ…」
しかし、蝶はそれをかき消す。
仰け反った身体。上を向く頭。
長い銀からポタポタと『赤』が滴り落ちている。
それでも向けられる真っ黒の瞳。
ぞっと、スバルと卯月に寒気が走る。
「おいおい……脳天だぞ?刀だぞ?貫通してんだぞ?」
スバルは冷や汗を垂らしながも、ニヤリと笑う。
しかしそれは余裕の笑みではなく、合点がいったことによる笑顔と、焦りを誤魔化すための笑顔であった。
「はぁ…そうだね。」
そう紫はため息をつく。
そして、何ら特別なことではないと錯覚してしまうような、恐れず、慣れた手つきで刀身を掴み、額の刀を抜き始めた。
ドバっと『赤』が流れ出るも無表情。
そして抜ききった後、赤く染まった刀を右へ放り投げる。表情は変わらずも、スバルを見つめるその瞳の奥から何か黒いものが感じられた。
「っ……」
それを間近で見た、いや、見ることしかできない狼は思わず息を呑み、悟る。
(ワタシじゃ、勝てない。)
生物として逸脱している彼女に、恐怖をも覚えた。
全身から力が抜ける。
意識が途切れる。
瞳の色が変わっていく……
「いや…まだ……だ……」
虚ろな瞳は、ただ一人、鈍く銀色に光っていた。その、誰の耳にも届かないような小さな声が……
合図となった。
─シャッ!
赤い軌道とともに、紫の首に深い切り傷が刻まれる。
その刹那。
拘束されていたルナの左手が解放された。
「まだ代わってなかったんだ。」
解放された右手によって、首を斬りつけることにより癒着した左手を解放させたのだ。
それが最後の抵抗だった。
せめてもの挽回だった。
ゆっくりと力なく、身体は右へ倒れていく。
倒れざま、ルナの口は動いていた。
紫を出し抜いた喜びではなく、紫に対する負け惜しみでも、暴言でもない。
とても小さかったが、ハッキリとそれは動いていた。
「すまない、奏。ワタシが……」
再び静寂に包まれる世界。
何も聞こえなかった。
誰かの話し声も、木の葉のざわめきも……
──彼女が倒れる音さえも。
「っ!?」
紫は瞬間的に、後ろへ下がる。
無表情を貫き色の変わらない黒い瞳の奥から、小さな困惑が漏れ出ていた。
「ルナちゃん…本当に頑張ったんだね。終わったらさ、一緒に映画館に行こうね。」
ルナに視線を送った、その間。
卯月はルナを抱える距離まで近づいていた。
走れば届く距離。驚くことはない。
しかし、何も聞こえなかった。まるで始めから動いていないかのように。
その矛盾が黒を揺らす。
追い打ちをかけるように、ダダダッと素早い風が、紫の背後に回った。
「焦ってんじゃねぇか、卯月が怖いか?」
「チッ」
紫は蹴りと同時に後ろを向く。
動揺のせいか、それとも別の原因か……
蹴りは虚空を切り裂くだけだった。
赤い"鬼"は、それを見ながら笑みを浮かべる。
「もうちょっと前だな。こんな風にっ!」
お手本を見せるかのように、スバルは紫の左側頭部向けて回し蹴りを放った。
紫は反射的に腕でガードするも、押し負け飛ばされる。
重く大きい直撃の音と同時に、バキッと骨が砕かれる音が河川敷に響き渡っていた。
蝶は数m移動し、転がり落ちる。
「手加減ないね。」
スバルは卯月達のいる場所を通せんぼするように、紫と睨み合った。
「ヘヘッ、そりゃそうだろ。だって──」
「ゔぁああああああああ!!!」
突如、叫び声が夜の街に響き渡った。
人が感じる痛みの全てを一身に受けているかのような、辛く、荒れた、余裕のない叫び声。
「か、奏ちゃん!?大丈夫、大丈夫だから!」
スバルは気になり、チラリと卯月達を見る。
赤い瞳に、奏が卯月の膝の上で、呼吸を荒くしながら必死に胸を押さえている状況が映る。
その隙を蝶が見逃すはずなく。
ダッと踏み込み、距離を一気に詰めた。
それに気づいたスバルはカウンターの構えをとる。
紫の右掌が大きく広がる。
姿勢は低い。
スバル程ではないが速度はあった。
(狙いはなんだ…?なぜ手のひらを広げる。卯月の投げのようなもの…?それか掌底?…いや、発勁か?……まあ、とにかく…)
しかし、それはスバルにとっては亀も同然。
伸ばされた右手首がぐっと掴まれ、スバルは素早く紫の右側面に回る。
「手のひら警戒すればいいだけの話だろ!」
紫の左手は、スバルには届かない。
たが、紫の標的はただ一つ。
紫はそれ以外のためならどうでもよかった。
それぐらいの覚悟があった。
自分の右腕を捨てられるぐらい、平気でやれるほど。
─バキッ!
「なっ!?」
突如、重い音が響いた後、スバルの掴んでいた右腕が自由になった。
赤い鮮血が滝のように流れ出る。
紫は何事もなかったかのように、姿勢を低くし、卯月の元へ走り出した。
「まてっ!」
身長差が仇となったのか、スバルの伸ばされた指は、紫のフードを掠めただけだった。
「よーいドンか?やってやるよ!」
残された腕をぱっと離し、紫を追いかける。
間もなくして距離は縮み、手を伸ばせばフードを掴める間合いまで詰めることができた。
その瞬間……
鬼の視界から蝶が消え去った。
しかしそれは単純なもので、ただ地面に伏しただけだった。
地面にそっと掌をつき、前を向く紫。
じっと固定する左手に力が入った、その直後。
──地面が揺れた。
「わっ!?」
「おいおいおいおい!」
震度5強にも及ぶ、瞬間的な衝撃がスバルの手を地面につかせる。
川が暴れ、草が逃げようと震源地の反対側へと身体を傾ける。
一瞬の出来事だった。
再び、紫は立ち上がって走り出す。
半径15センチの深いクレーターを残して。
「卯月!」
地面に跪くも、負けんとばかり走り出したスバルの声に、卯月はなにか意図を感じ取った。
「奏ちゃん、待っててね。」
「……う…ん…」
紫は瞳を固く閉じている知世を左腕で回収し、そのまま逃げ出そうと土手に向かい始めた。
しかし突然、紫の顔めがけ、地面が吸い寄せられる。
その勢いは早くも遅くもない一定の速度。
欠損した右腕を下に、紫は倒れたのだった。
蝶は気づく。
自分は転ばされたのだと。
「紫ちゃん。」
「っ……」
倒れる紫を側に卯月は見下ろす。
「諦めろ。二対一じゃ分が悪いはずだ。」
スバルは真っ赤に染まった刀を握って、紫を見下した。
「……それで?消耗するのがオチだって言いたいの?」
「ああ、そうだ。」
脅すように刀をを地面に突き立て、じっと紫を睨むスバル。
ただ仲間を取り戻すだけとは思えない瞳が紫に向けられる。
「似てないね。『羽田スバル』。」
「は?」
紫が知世から左手を離す。
仰向けになり、知世を左腕に寝かせる構造になった。
地面に掌をしっかりつけて。
「っ、まずい離れろ!」
スバルと卯月が跳ぶように素早く後ろへ下がる。
それと同時に……
地面が再び揺れる。
2人は着地するも、あまりにもの大きな衝撃にやむを得ず手をつくしかなかった。
揺れが終えた後、紫は知世を置いて立ち上がる。
2人もそうだった。立ち上がって、知世を取り返そうと、駆け出す。
ほんの僅かな距離を埋めるため。
ほんの少し時間を消費して。
その消費を紫は待っていた。
板挟みにされる紫。
それでも迷わず左手を伸ばす。
その先には、スバルの右腕があった。
紫は彼の右手首を掴み、右側面へと回り込んだ。
先程の体勢のように。
しかし、目的は拘束ではなく、受け流しだった。
自分よりスバルが前に出たのを確認した後、スバルの右腕を離し、前へ押し出すかのように、素早く背中に触れる。
「っ!」
スバルは振り向こうとするが……
「歯には歯を。」
─ザシュッ!
もう遅かった。
スバルの胸から血が飛び出す。
刀で突き刺されたように、彼の右胸に穴が空く。
「スバルっ!」
目の前で刺されたスバルを見て、卯月の胸から黒い感情が広がり始めた。
「くっ…そ!」
スバルはもうすぐ倒れる。
しかし、倒れざまに卯月から距離を取らせようと、もう一度回し蹴りを放った。
しかし、それを知っていたかのように後ろへ身体をずらす。
「もっと前だね。」
バタンと音を立て地面と接したスバルへ紫は蹴りを入れた。胸の傷口に紫の爪先が食い込む。
「うぐっ…」
スバルは力なく転げ落ちた。
「次。」
紫は、卯月がいるはずの方向へ身体を向ける。
しかしそこには、倒れる知世しかいなかった。
(いない…)
その瞬間、後ろからザッと土が踏まれる音が聞こえる。
紫は気づく。
卯月は既に、足元へ接近していたのだ。
瞳から黒い感情が渦巻いているのが見て取れる。
隠す気もない、アマチュアな殺意。
しかし、卯月の行動は"殺し屋"そのものだった。
紫は咄嗟に卯月の足払いを避け、着地と同時に地面に触れる。
卯月と紫は向かい合う。
──そして、地面が揺れる。
「っ…」
卯月は手をつき耐える。それを確認した後、真後ろにいる知世を回収し、川の方向へ滑っていった。
「え…?」
卯月は困惑する。
(なんで逃げないの?)
誰もが取るべき行動を紫はしなかった。
紫だってそれを理解していた。
それ故、不思議に感じていた。
なぜ自分は逃げないのだろうかと。
しかしそれも、すぐに解った。
「むら……さき…!」
ボロボロの奏が立ち上がる。
「なんで…こんなこと……」
紫は知世をそのまま抱えて、奏に近づいた。
その距離は手を伸ばせば届く距離。
痛みで震える奏の頬に、無傷の紫は手を伸ばした。
冷たい感触が奏を冷やす。
「私はね、貴方達の敵なの。死んでいながらもこの世にへばりついている死体なの。だから、一緒にいれない。相反する。そう決まってる。……私はそれに従うだけ。」
「違う…違うよ……紫は生きてるんだよ。」
「……っ」
「こうやって、言葉を交わせる。音楽も聴ける。私が聴いてきた紫は、ずっと冷たくてもどこか温かかった。本当に楽しそうで……」
「もういい。」
「っ…」
冷たい風が吹き抜ける。
重い緊張がその場を支配する。
「私は、お別れを言いに来た。ただそれだけ。」
「嘘…だ。」
「違う。」
「ううん…嘘。そう、聴こえる。」
紫は一歩近づく。
そして、自分の胸を指で突き刺した。
「何して…!」
そうして身体から何かを取り出した紫は、困惑する奏を抱き寄せる。
「さようなら。」
「え……?」
奏のチクリと首に何かが突き刺さった。
彼女の瞼が重くなっていく。
「なん……で………」
力なく、奏はその場に倒れた。
「奏!」「奏ちゃん!」
「ああ、安心して。ただ、眠らせただけだから。これで…集中できる。」
紫は眠る奏の側に、知世を置いた。
「神美 卯月。もう、連れて行っていいよ。」
「…え?」
紫は歩く。
その方向は、スバルだった。
「……あーあ、頭が痛い。奏の言葉を聞くと、壊れそうになる。」
紫の拳が強く握られる。
「でもね、本当に頭が痛い原因は誰だと思う?」
黒い瞳の深みが増していく。
「羽田スバル。一番最初から貴方が嫌いだった。」
スバルは構えを取った。
紫は構わず前へ進む。
「だって貴方、本当に似てないから。」
スバルの眼の前に、掌が広がっていた。




