冷たいカンショク
「ガルルルルルル」
「……」
今、私はスバルの家にいます。
狂犬となった知世とそれを無視する紫。
2人はそんな風にしてソファに座っています。
そして、その2人をスバルと卯月がダイニングチェアに座りながら見守ってくれています。
では、私は今どこにいるのか。
「……オロシテクダサイ…」
私は今、蚕の繭みたくぐるぐる巻きに固められて、ウィンドチャイムのバーのように吊るされています。
「二股だから。」
「ガルルルルルル」
みんな綺麗に私を避けながら視線を送り合っている。
私の言葉に返してくれたのは紫だけだった。
しかし、それは解決に至らない言葉でもあった。
紫は手を太ももの上に置き、じっと私を見ている。
──まるで被害者かのように。
知世は紫が言葉を発してもしなくてもずっと威嚇するように毛を逆立てていた。
……ルナよりも獣をしている。
〈なんか言ったか?〉
ルナぁ!
私にはルナだけだよぉ……
〈む?〉
「ふふっ、紫ちゃんって面白いんだね。」
「それのせいで最初は大混乱だったがな。」
「……ボクたちが早く来てなかったら奏ちゃん大変だったもんね。」
「うっ……」
***
「……」
「……」
「……」
圧倒的な情報量の多さで思考が全休符していたあの時。
紫の爆弾発言によって私たちに静寂が訪れた。
冷たい風が頬を殴り、その様子を木々が笑う。
極まったカオスのようで、穏やかな静謐が漂うこの世界の中。
……そんな中で、私は一足先に聴き取ってしまった。
「お姉ちゃん!」「知世!」
──さらなる危険因子のご覧席を。
次から次へとぉ…!
なんでみんなここに集合してるの!?
なんでわかったの!?
このままじゃ私……
い、いや…焦っちゃダメだ。
ここで先に状況を説明すれば、まだ助か──
「また浮気相手?」
「紫は黙っててぇ!!」
***
「可哀想だし、そろそろ降ろしてあげよっか。」
「そうだな。」
卯月の心優しい提案により、スバルはロープを切ってくれた。
吊るされて30分。
地面の感覚というものに感動を得る……
「うぅ…卯月…スバル…ありがとう……」
「よしよーし。」
卯月のあたたかい手が私の背中をゆっくり撫でる。
慣れた手つきで撫でるもんだから涙がポロリと落ちてきそうだった。
いや一滴落ちた。
「卯月ぃ!アタシにも!!」
「お姉ちゃんはもうやったでしょ?」
「それは昨日の話じゃんかぁ!」
「私もされてみたい。」
「ガルルルルルル」
前から居たかのようにすんなり会話に入ってくる紫と多重人格者のような温度差を披露する知世に驚愕と困惑を覚えてしまう。
この2人…くっつけちゃダメな気がする。
「ま、まあまあ…お姉ちゃ──」
「ぐうぅ…卯月ぃ!」
仕方なく背中を撫でに来た卯月へ知世は飛びつき、泣きべそかきながら顔をうずくませる。
「……今はわからないだろうけどさ、絶対スバルに近づけちゃダメだからね?」
「え、えぇ?」
案の定、卯月は困惑していた。
しかし、どこか様子がおかしい。
困惑しているのは本当だろうけど、なんか当然かのように知世の頭を撫でている。
なるほど…困惑しているのは言葉ということか。
……これがプロかぁ…
「……ねえ。2人とも。」
「はい?」「ガルル」
くっついている姉妹に向け、紫は表情一つ変えず口を開いた。
「どんな関係?」
「…ふふっ、姉妹だよ!」
一つ遅れて、卯月は満面の笑みで答える。
「卯月に手ぇ出したらコロス……」
「お姉ちゃん!そんな言葉使っちゃダメだよ!」
「……うん…わかった…」
「よしよーし、いい子いい子。」
「えへへへへ」
どっちが姉か分からなくなってきちゃった。
「ふーん。」
紫は足を組み、頬杖をついて2人を観察していた。
……いや、2人もそうだけど…
「……?なんか用か?」
視線を感じたスバルが紫に話しかけた。
それでも紫は無言で、疑問に思った様子のスバルは睨めっこを仕掛け始めた。紫もそれに乗っている。
な、なんか、ソファとダイニングテーブルの間で空間が歪んでいるのを感じる。
姉妹はじゃれ合っているので気づいていない様子だった。
……ナニコレ。
〈ワタシも見てみたい。〉
ルナはまた今度ね。
ややこしくなるから。
〈……ピエン〉
ルナはぎこちなくそう言い残して眠りについた。
ルナは夜型だから昼間はよっぽどのことがない限り寝ているのだ。
ちなみに映画鑑賞は『よっぽどのこと』に入るらしい。
「……さ、さっきからなんなんだよ。」
にらめっこの中、最初に口を開いたのはスバルだった。
それに続くようにして紫も口を開く。
「……名前。知らないなって。」
突然このリビングすべての時が止まった。
皆口を開けている。
私もそうだった。
「「「「自己紹介してないじゃん」」」」
###
「と、いうことで、自己紹介しよっか!」
ポンと手と手を合わせた卯月が首を傾げて、紫に微笑んだ。紫は依然、足を組んでいる。
それでも聴いている姿勢だと思う。
「まず、ボクからね。春桜高等学校普通科1年 神美 卯月 だよ!よろしく!」
卯月は手を出し、笑顔を向けた。
それに返事するよう、紫は立ち上がる。
しかし、ポケットに手を入れたままで、少し気不味い時間が流れてしまった。
「……え、えっーと…じゃあ、次の人だね!ボクに抱きついているソファの人が──」
「朝日 知世。同じく春高。」
「お姉ちゃん……そ、そんなに睨まなくても……」
「ふんっ!」
知世は相変わらずだった。
それでも紫は無反応だった。
何も変わらないいつもの紫。
ただ…一つを除いて……
「じゃあ、次は──」
「よろしく。」
「え?」
冷たく姉妹を通り過ぎ、紫は吸い寄せられるようにして静かに手を伸ばしたのだ。
羽田スバルへと……
***
「えっ…ちょ……え???『羽田』?」
「…そう。私の苗字。」
日が暮れ、風が帰る山の中。
ポツンと2人で街を見下ろしていたあの日。
そんな日に、私は初めて紫の苗字を知ることができた。
『羽田』っていう馴染み深い苗字を……
「どうしたの?」
「あっいやぁ……私のえーっと…イトコに羽田っていう人が居──!?」
突如、ぼーっと街を見ていたはずの紫が距離を詰め始めた。
彼女の額が鼻に直撃してしまうぐらいに顔を近づけて……
「っ…!」
冷ややかで深い真っ暗な瞳に一瞬、微かな光が灯った気がした。疑うように瞬きをしたが、その後にはもう純粋な黒しか残っていなかった。
「名前は?」
いつもとは違い食い気味に質問する紫に困惑しながらも、新鮮な反応を見られたことに嬉しさを覚えた。
それで私は調子に乗って……
「す、スバル!スバルって言うの!」
スバルの名前を公言してしまった。
その直後の私は信用をなくしてしまう行為をしてしまったと後悔していた。
……後でスバルに色々相談しなければいけない。
そう思った瞬間──
「私のこと。絶対に話さないで。」
釘を刺されてしまったのだ。
珍しく波のある声で。はっきりと。
「え!?で、でも……」
「いい。」
紫の近かった顔はゆっくり離れ、さっきの体勢に戻っていった。
そして、何事もなかったかのように、また街を見下ろしていた。
波のある声を最後にして、冷たい揺れは…もう、感じなくなってしまった。
***
「あーっと……」
だから、分からないのだ。
紫とスバルの関係というものを。
もしかしたら犬猿の中かもしれないし、生き別れの兄妹かもしれない。
同姓の他人だ、と考えることもできる。
スバルは分かりやすく困惑していた。
私は緊張している!遠くで!
「………………」
卯月は複雑な表情で2人を見ていた。
知世はというとキョロキョロと卯月と紫に視線を移している。そしてしばらく経った後、何かを察したように、安堵と同情の表情を浮かべて卯月の背中を軽くさすった。
「春高の羽田スバルだ、よろしく。」
スバルは伸ばされた手を握る。
じっとお互いを見つめて……
驚くほど無表情で、それ以上でも以下でもなく。
──何かを探るように。
「うわっ!?」
少し重たい空気の中、突然、スバルの腕に卯月が飛びついた。握手が解け、スバルは一歩下がる。それでも、卯月は離れようとしない。ガシッと腕を掴んでいるのだ。
その間、卯月の視線はじっと紫を見ていた。
「……がるるる…」
あぁ…染まってしまった……
ぎこちなく威嚇をする卯月は頬を膨らませ、自分の物かのようにスバルを身に寄せた。
いや、寄せに行った。
「……安心して。奏じゃないから。」
「ちょっとぉ!!」
「……喋った。」
君に言われたくないよ……
し、しかし、思わず立ち上がって声を出してしまった。
そうしてしまうと、この後一体何が起きるのか。
そんなの簡単だ。
それは…視線が一気に集まってしまうってことだ……
私は視線を集めることに慣れてるし、注目されたいと思っている。(音楽のことだけど。)
──でも今は都合が悪い。
「奏…答えて……アタシいらないの……???」
「浮気者。」
「奏ちゃん、説明しないと!」
「……まだ挽回できるぞ…!」
こうなるからだぁ!!
やっと息を潜めきれたのに……
い、いや…まず全て誤解なんだ。
なんで私は隠れ潜んでいるんだ?
堂々としていればいいじゃないかぁ!
「どう……なの……?奏。」
きゅ、急に闘志が湧いてきたぞぉ…
い、いいよ。言ってやる!
初めて会った時は言えたんだ。ならできるはずだ。
オーケストラの時はは言えなかったけど……
深く深呼吸をして、ぎゅっと心臓を抑える。
…私は……
「……私は!知世が…知世が一番大切なんだぁ!だ、だ……だい……大…大好きなんだぁ!!!」
「…………」
「…………」
「……ふーん。」
「〜〜っ!!」
「あーっもう!誤解されまくってるから言うけどさぁ、私、男とか女とかカッコイイとかカワイイとか、そんなのもともとどうでもいいんだって!ただ、『声』がすべてなのっ!ただ、それだけなのっ!分かる?だから知世なの!!知世しかいないのぉ!!!…あと紫ぃ!人のことをおちょくりすぎなんだってば。これ以上私を悪者に──」
「かーーなーーでぇえええええ!!」
「ぐはぁっ!」
ヒートアップして口がひとりでに動く私に、突然知世がものすごい勢いタックルをしてきた。
ぐぐぐっと知世の頭が横腹にめり込んでくる。
み、ミシミシと骨が軋んで…
うっ、ダメだぁ…っ……地面が私の頬に寄ってきてぇ……
いし…きがぁ……っ……
###
……………
「はっ!!」
目が覚め、暗かった世界に光が灯った。
急に目が覚めてしまい、状況がうまく飲み込めない。
とりあえず上半身を起こし、周りを見渡す。
知らない天井に知らないベッド。
そして……
「……起きた。」
暇そうに私を眺める紫がいた。
「ここ…は……?」
「彼の家。」
紫は視線を斜め下に向ける。
その先は夕日に照らされたナイトテーブルだった。
スバルの隠し撮りと、驚いた顔しているスバルと無邪気に自撮りをする卯月のツーショットが写真立てに入れられている。
「ああ…スバルの……」
少しぼんやりとする頭を抱え、さっきまで起きていたことを振り返る。
「あっ…知世……知世は!?」
「下。泣いてる。」
「え!?ちょっと行ってく──」
ベッドから立ち上がってその場から離れようとした私の右手首を紫はぐっと右手で掴んだ。
……やっぱり…冷たい……
見えない表情とありえない体温が、赤く暗い夕日と相まって、今までに感じたことのない不思議な感情を浮かび上がらせる。
それは強く冷ややかに手首から身体へと巡り始めた。
「……ど、どうしたの?」
「座って。」
「えっと……」
「……お願い。」
その声は震えていた。
ベッドに腰掛け、紫と向き合う。
髪で見えなかった表情は少しずつだが浮かび上がった。
さっきの声が嘘かのように顔は変わらず動かない。
「…奏。」
これは感情じゃない。
そう聴こえる。私には分かる。
「……っ…」
濃い赤に紫は目を細めていた。
「どーしたの?なんか迷いごと?」
「……」
「うーん、私にはよくわかんないけど……でも、よくわかるよ。」
「………そ…っか…」
「そこは『何言ってるの?』でしょ?」
「……『何言ってるの?』」
「うぅ…」
いつものようなぎこちない会話だ。
こんなの聞いたら知世また怒るだろうな。
「でも大丈夫!ずっと待つから。」
「っ……いや……いい。」
「え、あっ…」
引かれた……
「待たないで。今、話す。……そして忘れて。」
気づけば部屋に赤はなかった。
細めていた黒い瞳が私を真っ直ぐ見ている。
そっと手を覆った冷たい『寒色』。
紫は唇を震わせる。
ふと、脳裏に浮かび上がった。
この体温の原因、理由。
それは冷酷で、信じられないバカげた話。
私の勝手な想像で、作曲中によく起きるおかしな妄想。
でも…その『妄想』は、震えるほど似合っていたんだ。
──1つ、何かが割れる音が聞こえた。
それは小さく……木霊する。
「私、死んでるの。」




