拝啓、少女より
「ス〜バ〜ル〜!えっへへへふへへへ」
「……」
「スバルっ!どうしたの?ねぇねぇ〜」
ここ最近。
卯月の様子がおかしい。
いつ頃からだろうか?
…もうそんなこと忘れてしまった。
白い壁に、明るい照明。
たくさんの写真が置かれているこのリビング。
一人で住むには広すぎるこの家に俺と卯月は住んでいる。
そして今、俺はソファに座ってテレビを見ていた。
肩に腕を回す卯月を背にして……だ。
一緒に生活を始めてはや2ヶ月。
昔の卯月と今の卯月。
比べてみりゃわかるはずだ。
……別人です。
いや、同一人物だ。絶対そうだ。じゃなきゃ大ごとだ。
きっと昔の卯月はあまり自我を出さずに生活していたんだろう。
あの環境で生きていれば誰でもそうなる。
だから、今の卯月が『素』なのだろう。
別に昔のほうが良かったとかそういう意味で語っているんじゃない。
……してもだ。
「お前…人懐っこいんだな。」
「そう?」
すまん違うかもしれない。
人懐っこいんじゃない。
これは…『人懐っこすぎる』だ。
「その…ちょっとでいいから離れてみないか?」
「やだ。まだ始まったばっかりじゃん。」
「……バックハグ2時間目がな。」
「ふふっ。」
別に最初は嫌だった訳では無い。
こうしてくれるのは嬉しいし、心があったかくなる。
だがそれは、最初の20分だけだ……
…2時間……2時間だ。
立っても座っても…
料理しても歯磨きしても…
皿を洗っても掃除しても…
トイレ……はさすがに引き剥がしたけど……
ずっと肩に腕を回されているせいで、動けないし、寝れないし……
何より肩が痛え!!
下がるわ!首長族にでもなるのか俺はぁ!?
「どうしたの?」
「ああ、ちょっとどっかの卯月さんが私の肩を痛めつけているもんで……」
「わかった!体重かけるのやめとくね!」
「そこは離れようぜ……」
…俺はどうすればいいんだ?
「まあ、離れろって言ってくれるなら仕方なく離れるけど……」
「し、仕方なくって…」
「しょうがないじゃん!だってスバルの言うことは絶対でしょ?」
……は?
「ふふっ、ボク、スバルのためなら何でもできるよ〜!あ、話変わるけど今年の夏ま──」
「お、おいおい…!待てって!お前さっきから何言ってんだ……よ…?」
俺は卯月を見上げた。
そして、見上げた卯月の顔は恐ろしく笑顔だった。
何も変わらないありきたりな表情だ。
でも、そのはずなのにどこか底しれない……
──狂気を感じてしまったんだ。
「…ん?スバル?」
「あっいや……なんでもない。」
逃げるようにして、視線をテレビに向ける。
一瞬、番組から映った黒い画面。
その一瞬の反射に卯月と俺がはっきりと写っていた。
そして、その一瞬で見えた卯月の視線はテレビの方じゃなく……
ずっと……俺……
…いや、気のせい……だろう……
「な、なあ、そんな俺にこだわらなくてもいいだろ?確かに指示とか頼み事とかするけどさ…そんな奴隷みたいなこと……」
「無理だよ。」
「…え…は…??」
「だってスバルはボクのこと助けてくれたんだもん。ボクの人生を救ってくれた。だからその人生はもうスバルの──」
「お、おい!まてまてまて!」
再び卯月の顔へと視線を上げる。
それでも卯月の表情はさっきと変わらず…笑っていた。
「お前の人生はお前のものだろ!?俺のものでも、誰のものでもない、『お前』自身のものだろ!?お前ためにお前はいるんだよ!」
言葉と連動するように身体が反射的に立ち上がってしまい、それによって卯月の腕が肩から離れていった。
卯月は困惑した表情で俺を見上げている。
「ボクは…ボクのために……?」
あっけらかんと俺を見る卯月。
少し黙りこくった後、卯月は口を緩めた。
「いや〜、そんなこと──」
「あるよ!大アリだって!」
「…っ……」
さっきまで背もたれに頬杖をしていた卯月は立ち上がる。
「……そっ…かぁ……」
卯月は気まずそうに笑って頬をかいた。
「…お前それじゃ前と変わらないぞ?」
「……そんなこと……ない。」
卯月の笑顔が崩れる。
少し俯いて拳を握ってしまった。
その拳は小さく震えていた。
「…っ…ごめん卯月。余計なこと言った。」
ハッと我に返ったように顔を上げた卯月。
嫌な思い出を思い出させてしまったこんな俺に向かって、卯月は覗き込むようにして笑ってくれた。
「ううん…大丈夫。感謝してるよ。」
「感…謝……?」
「うん!…スバルの言ってること分かった気がする。確かに、今のボクって昔のボクみたいに流されちゃってるな〜って。怖くて何もできない昔と安心して何もしない今。……あはは、なんか考えば考えるほど、そんな気がして、ちょっと恥ずかしいな……」
「……」
「よし、わかった…これからはボク、自由に生きる!」
卯月は胸を張って、きらめく瞳で天井を見つめた。
胸の前で握りこぶしに強い希望を感じられる。
…良かった……なんとか踏みとどまっ──
「っていうことで、ボクがスバルに何をしようとも自由ってことだね!」
…え?
「スバル!背中かーして!」
「……終わった。」
─ピンポーン
「「ん?」」
△△△
***
アタシの名前は朝日 知世。
……そろそろか…
「行ってきまーす!」
「あっ、はいはーい。」
と、このように私の犬ころが、決まった時間、決まった日にちで外に出掛けることが多くなった。
そして必然的に一人で過ごすことも多くなったのだ。
帽子を見つけた日以降どうも奏の様子がおかしい。
示唆するように問いかけたら口笛吹いて逃げてくし、ついていこうとしたらいい感じに断られる。
しかもなんか楽しそうっ!!
…これ……
──女だな…?
感じ取れる、微かに匂う。
これは女だ。野郎じゃねぇ。
一体何をしているのか問い詰めれば奏はきっと口を開いてくれるだろう。
だがアタシはしないさ。
秘密にしようとしているんだ。
無理やり口から喋らせるというナンセンスな行為はしない。
奏の気持ちを尊重すべきだろう。
ならどうするか……?
***
…そのためにアタシはその道のプロの元へと訪れたのだ。
相手を夢中にさせるという神業を持つあの2人のプロのお家に…
お幸せそうなプロに……
そのプロに…アタシは……
「だずげでぇ〜〜!!うずぎぃ〜〜!!浮気ざれだよぉおおおおお!!」
「お、お姉ちゃん…お、落ち着いて…」
そんなこんなでアタシは今、ソファで座る卯月の胸にいます。
…卯月の華奢な身体がアタシのことを受け止めてくれている。とてもあたたかな手がアタシの頭に置かれている。
あぁ…乱れた心が癒されていくぅ……
隣になんか赤いのいるけど。
「そ、そんなに泣きじゃくんなって…卯月の服びしょ濡れに──」
「うずぎ〜〜〜〜!!!」
「聞けよ……」
「まあ、仕方ないんじゃない?浮気されたって言ってるし……」
「まずそこだぞ!お前ら付き合ってたのか…?」
「ひっく…ひっく…うぅ……」
「お、お姉ちゃん……大丈夫?」
「奏がさ帽子見つけたの……それで…ひっく…」
「うんうん。それで?」
「奏が…その日から…ひっく…決まった時間に外出るようになってぇ…ひっく…」
「うんうん。それでそれで?」
「奏がぁ…笑顔でぇ…楽しそうにぃ……うぅ……バイバイってぇ……」
「よしよーし、白花ちゃんはお姉ちゃんこと大大大好きだよ?そもそも浮気だなんてさ、相手を見たわけじゃないし、まだ決まったわけじゃないでしょ?」
「…『まだ』……」
「「あ。」」
「…アハハ…『まだ』…かぁ…アハハハ……奏が浮気したらアタシまた独りかぁ……ハハ……アタシ、もう誰かの知世で居られないんだぁ…アハハハハ……………。アタシの名前は嘘之知世…」
「(…おい何やってんだよ卯月。泣き病んじまったじゃねえか)」
「(ごめん…ボクのせい……)」
「…かげぐち…?ひっく……」
「よしよし。お姉ちゃん、大丈夫だよ〜?お姉ちゃんはボクにとって大切なお姉ちゃんだからね〜。だから独りじゃないよ〜」
「うず……きぃ……!」
とてもあたたかい卯月の手のひらは、よしよしとアタシの背中をゆっくり優しくさすってくれた。
こんなアタシを突き放さないかわいい身体にどこか母の面影を思い浮かべる。
「うぅ……卯月ぃ……頂戴……」
「へ?」
「卯月ぃ……こんな男捨ててアタシの所に──」
「行かせるかアホ。」
「ま、まあまあ…」
「んで、まあ状況はなんとなく解った。」
「ちょっとお姉ちゃんが可哀想になってきたもんね。」
…『ちょっと』……
「そんじゃまあ…作戦会議といこうか!」
△△△
「……来た。」
「来ました!」
相変わらずの青い空と相変わらずの冷たい彼女。
木の上にいる紫に、見上げて挨拶するのなんか慣れちゃったな。
「ねぇねぇ、ずっと日陰にいるけどさ、暑いならパーカーとか脱がないの?」
「……脱がない。」
「マフラーは?」
「……とらない。」
「そんじゃあアイスとか水とかは?さ、さすがに──」
「食べない飲まない」
「水は飲もうよ!?」
会話のキャッチボールっていうか、木の上から落ちてくるボールを拾ってるっていうか……
「あ、紫!ちょっとそこで待ってて!」
「……?」
少し伸びをして、数歩後ろへ下がる。
目の前には木。
距離は十分!
そこから一気に…駆け出す!
「よっ!」
助走の勢いを抱えたまま跳び上がり、木に直撃しないよう片手をちょうど近くにある枝に添える。
その添えた片手をちょうどいい方向へ力を加えられれば…
「じゃじゃ〜ん!最速木登りの成功なのです!」
真横にいる紫は無表情ながら呆けたような顔をしていた。
「なにそれ」
「…ごめん。」
ひんやりした風が私と紫を横切っていく。
右隣にいる紫の蝶はずっと私のことを見ていた。
「でも、これでキャッチボールはできるでしょ?」
「……は?」
……あはは…
「い、いいよね〜ここ!風気持ちいいし、街も見える。紫がずっとここにいるのも頷けるよ〜!」
少し伸びをして、山の空気を一気に味わう。
「……」
「ねぇ、紫!紹介したい人達がいるんだ!みんな優しいから仲良くできるはず!」
私は紫と向き合い、笑顔をみせる。
人に知られようとしない紫のため、私は安心できるよう、手を握っ──
……あれ?
「…っ……」
「手、冷た──」
─ガサゴソ…
「えっ!?」「っ!?」
突然、前方にある草むらから音が聴こえた。
人一人分の音…しゃがんでて、こっちを見てる。
呼吸のペースと吐息をみるに……って…
「ちょぉっとまったぁあああああああああ!!!」
「知世!?」
「……」
突如として、頭に葉っぱが刺さている知世が両手に葉付きの木の枝を持って、大きな声を出しながら威嚇するように飛び出してきた。
急に出された大きな声にびっくりしてしまい転倒しそうになる。
どうしてここにと目を擦ってしまいたい状況だが、とにかく何か誤解している様子だったので、疑いを晴らそうと木から降りて知世に歩み寄った。
近くに寄ると、知世の呼吸が荒いことに気づく。
「え、ええっと紹介するよ!あの木の上にいる子は紫って言って……」
「木の上じゃない。隣。」
「わっ!?」
いつの間にか背後に居た紫は私の肩を掴んで、じっと顔を覗き込んできた。
む、紫の声がぁ…み、耳にぃ…!
「よぉしわかった!『む ・ ら ・ さ ・ き』だな?顔と名前覚えたからなぁ?あと離れろぉ!!」
「……ち、知世…そんなに攻撃的じゃなくても……」
「奏!その赤と青混ぜた原色の1色になれないただの中途半端なColorから離れなっ!」
「え、えぇ…?」
知世は右手の木の枝を紫に向けた後、よくゲームに出てくる双剣使いがやるような構えを取り始めた。
…知世…木の枝だよ……?
「そこの『む ・ ら ・ さ ・ き』!アタシの奏からはよ離れなっ!一丁前に木の上でお喋りして、手も繋ぐだなんて……!そしてぇ?何さ、みんなに紹介しようだってぇ?あげねぇよ?お前に奏はやらねぇよ??あとちけぇよ???はよ離れろ????」
「……ち、知世、勘違いしてるよ……!」
「…………奏。」
そ、そうだよ!こんな状況、紫も黙ってはいられないはず!
ちょっと距離近いのが引っかかるけど……そ、それでも紫がなんか言ってくれれば……
「浮気…したの?」
???????
「ム、ムラサキ……サ──」
「私とあの人で…二股?」
「………」
「………」
「………」
青く晴れた雲一つのない晴天の日。
小鳥はさえずり、花が生い茂っている。
風が遊んで、木々がお話をしている。
そんな生命の鼓動を感じるこの夏の日。
拝啓
猛暑の候。
先生、見ていますか?
ママ、パパ、お元気でしょうか?
私は元気でした。
多分もうすぐそちらに向かいます。




