表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

第6話 また明日

 翌朝。


 目覚ましが鳴る少し前に目が覚めた。


 ベッドから起き上がり、カーテンを開ける。


 窓の外には澄み切った青空が広がっていた。


 時計を見る。


 いつもと変わらない時間だ。


 軽く背伸びをして部屋を出る。


 洗面所で顔を洗い、キッチンへ向かった。


 冷蔵庫から食材を取り出し、朝食と弁当の準備を始める。


 フライパンに火を入れ、味噌汁を温め、ご飯をよそう。


 二年以上続けてきた朝のルーティンだ。


 今さら手順を考える必要もない。


 体が勝手に動いてくれる。


 一通り準備を終えたところで、実生の部屋の前まで歩く。


 軽く扉をノックした。


「実生、朝だ」


「んー……」


「起きろ」


「あと五分ー……」


「毎日それ言ってるぞ」


 返事の代わりに布団の擦れる音だけが聞こえてくる。


「朝飯できてるから」


 そう言い残し、キッチンへ戻った。


 数分後。


 眠そうに目を擦りながら実生がリビングへやって来た。


「おはよー、お兄ちゃん」


「おはよう」


 二人で席に着き、手を合わせる。


「いただきます」


「いただきます」


 昨日は四人で囲んだ食卓。


 今日はいつも通り、実生と二人だけだった。


 少し静かになったリビングに、不思議と寂しさはなかった。


 味噌汁を一口飲んだ実生が、何かを思い出したように顔を上げる。


「あっ」


「ん?」


「たまちゃん待ってるんじゃない?」


 箸を持つ手が止まる。


 昨日の帰り道。


『明日から、その……一緒に学校へ行きませんか』


 そう言われ、俺は了承した。


「そうだったな」


「忘れてたでしょ」


「忘れてない」


「怪しいなぁ」


 実生は楽しそうに笑う。


「女の子を待たせたら駄目だからね」


「分かってる」


 朝食を食べ終え、弁当を鞄へ入れる。


「じゃあ行ってくる」


「いってらっしゃい!」


 マンションのエントランスを出ると、植え込みの横で珠季が静かに立っていた。


 制服姿の珠季は、俺に気付くと小さく頭を下げる。


「おはようございます、大翔先輩」


「おはよう」


「すみません。少し早く来てしまいました」


「待ったか?」


「いえ。私が少し早く来ただけです」


 そう言って、柔らかく微笑む。


 その笑顔を見ると、不思議と肩の力が抜けた。


「じゃあ、行くか」


「はい」


 二人並んで歩き始める。


 昨日歩いた道。


 同じ景色のはずなのに、今日はどこか違って見えた。


 朝だからなのか。


 それとも、隣に珠季がいるからなのか。


 その答えは、自分でもよく分からなかった。


「……」


「……」


 会話はほとんどない。


 けれど、不思議と気まずさは感じなかった。


 しばらく歩いていると、珠季が小さく口を開く。


「昨日は、本当にありがとうございました」


「礼なら昨日も聞いた」


「もう一度言いたかったんです」


 珠季は照れくさそうに微笑む。


「すごく楽しかったです」


「実生も喜んでた」


「はい。私も嬉しかったです」


 それだけ聞ければ十分だった。


 実生が楽しそうに笑っていた。


 珠季も楽しかったと言ってくれた。


 昨日誘ったことは、間違っていなかったらしい。


「実生ちゃんとは、前から連絡を取ってたんです」


「そうなのか」


「はい。学校のこととか、この辺のお店とか、いろいろ教えてもらってました」


 ようやく腑に落ちた。


 だから昨日、二人はあんなに自然だったのか。


「実生、人懐っこいからな」


「すぐ仲良くなってくれました」


 珠季が穏やかに笑う。


 その笑顔を見ていると、昨日の帰り道を思い出す。


 名前で呼んだだけで、あんなに慌てた。


 ……我ながら情けない。


「どうかしましたか?」


「いや、なんでもない」


 危うく顔に出るところだった。


 学校が近づくにつれ、生徒の姿が少しずつ増えていく。


「あれ……」


「神森じゃない?」


「隣の子って一年生だよな」


「一緒に登校してるじゃん」


 すれ違う生徒たちの視線が自然とこちらへ向く。


 この学校は学年ごとに制服のネクタイの色が違う。


 一年はえんじ色。


 二年は紺色。


 三年は深緑色。


 だから珠季が一年生だということも、一目で分かる。


 珠季も気付いたのか、少しだけ歩幅を緩めた。


「……ごめんなさい」


「なんで謝る」


「私のせいで目立ってしまって」


「気にするな」


 俺は前を向いたまま答える。


「どうせ今日だけだ」


「……はい」


 珠季もそれ以上は何も言わなかった。


 校門が見えてくる。


 今日も一日が始まる。


   ーーー


 昇降口へ入ると、珠季は軽く頭を下げた。


「また放課後」


「ああ」


 珠季は一年生の下駄箱へ向かっていく。


 えんじ色のネクタイが、人混みの中へ溶け込んでいった。


 俺も紺色のサンダルへ履き替え、二年の教室がある階へ向かう。


 教室の扉を開けた瞬間だった。


「おい神森!」


「朝からやるじゃねぇか!」


「一年の子と一緒に来てたよな?」


 席へ着く間もなく、クラスの男子数人が俺の周りへ集まってきた。


「付き合ってんのか?」


「違う」


「じゃあなんで一緒なんだよ」


「家が近いだけだ」


「そんな偶然あるか?」


 次々と質問が飛んでくる。


「別に珍しくもないだろ」


「いや珍しいわ」


「神森が女子と登校してる時点で事件だから」


 周りから笑いが起きる。


 すると、一人だけ呆れたような声が聞こえた。


「朝から騒ぎすぎだから、お前ら」


 優斗だった。


 前の席から振り返り、苦笑している。


「宮後、お前知ってたのか?」


「まあな」


「なんで教えねぇんだよ!」


「教えたら面白くないじゃん」


 にやりと笑う優斗。


 俺は小さくため息をついた。


「余計なこと言うな」


「だって事実だろ?」


 昨日のことを思い出したのか、優斗は意味ありげに笑う。


 どうやら、まだ名前の件をいじる気らしい。


「大翔、顔赤いぞ」


「赤くない」


「図星か?」


「違う」


「はいはい」


 優斗は肩をすくめ、自分の席へ腰を下ろした。


 ようやく教室が少し静かになる。


 そのときだった。


 教室の扉が開き、石鏡先生が入ってくる。


 出席簿を教卓へ置くと、教室を一通り見回した。


「全員いるわね」


 そう確認してから、いつものように連絡事項を淡々と読み上げ、黒板へ予定を書いていく。


 教室は静まり返っていた。


 すると石鏡先生がチョークを置き、ふと思い出したように振り返った。


「あ、そうそう」


 教室の視線が集まる。


「来月、中間テストだから」


 その一言で教室の空気が変わった。


「げぇ……」


「あっという間じゃね?」


「まだ始業式からそんな経ってないだろ……」


 あちこちからため息が漏れる。


 前の席では優斗が机へ突っ伏した。


「終わった……」


「まだ始まってもないだろ」


「大翔はいいよなぁ。勉強できる奴は」


「普通にやってるだけだ」


「その普通ができねぇんだって……」


 優斗は深いため息をつく。


 そんな様子を見ていた石鏡先生が口を開いた。


「毎回言ってるけど、一夜漬けでどうにかなるほど甘くないわよ。ちゃんと計画を立てて勉強しなさい」


 教室が静かになる。


「特に君たち二年生は進路を意識し始める時期だからね。今の成績がそのまま三年にも響くと思って勉強するように」


 いつもより少しだけ厳しい口調だった。


 チャイムが鳴った。


「以上。ホームルーム終わり!」



 先生が教室を出ていくと同時に、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。


   ーーー


 放課後を告げるチャイムが鳴る。


 教室では部活動へ向かう生徒たちが慌ただしく動き始める。


「大翔」


 前の席の優斗が振り返る。


「ん?」


「今回も頼むわ」


「わかってるよ」


「じゃあ部活行ってくる」


「ああ」


「またな」


 鞄を肩に掛け、そのまま教室を出ていく。


 俺も荷物をまとめ、教室を後にした。


   ーーー


 昇降口でサンダルを履き替え、校門へ向かう。


 校門を出ると、見覚えのある後ろ姿が目に入った。


 珠季だった。


 俺に気付くと、小さく頭を下げる。


「お疲れ様です」


「お疲れ」


 二人並んで歩き始める。


 朝とは違い、少しだけ肩の力が抜けていた。


「学校はどうだった」


「みんな優しくて安心しました」


「よかったな」


 珠季はほっとしたように笑う。


 しばらく歩いたところで、その笑顔が少し曇った。


「あの……」


「ん?」


「一つ、相談してもいいですか」


「相談?」


 珠季は少し俯き、指先をぎゅっと握る。


「来月、中間テストがありますよね」


「ああ」


「私、高校の勉強についていけるか少し不安で……」


 高校の授業は中学より進むのが早い。


 特に珠季は引越したばかりで、新しい環境にも慣れなければならない。


 不安になるのも無理はなかった。


「だから、その……」


 珠季は意を決したように俺を見上げる。


「勉強を教えていただけませんか」


 俺は少しだけ考える。


 教えること自体は構わない。


 それに――。


「テスト前になると、毎回優斗がうちへ勉強しに来るんだ」


「宮後先輩が?」


「あいつ、一人だと勉強しないからな」


 珠季はくすっと笑った。


「なんとなく分かる気がします」


「だから珠季も来るか?」


「実生もいるし、気を遣わなくていい」


 珠季は驚いたように目を丸くした。


「本当に、いいんですか?」


「ああ」


「ありがとうございます」


 ぱあっと花が咲いたような笑顔だ。


 最近になってよく見るようになったこの笑顔にはいまだに慣れそうもなかった。


「じゃあ、テスト前になったら実生から連絡してもらうようにするから」


「あ……」


 珠季が何かを思い付いたように声を漏らす。


「どうした?」


「……連絡先交換しませんか?」


「え?」


そう言いつつ、珠季は無言の上目遣いでこちらを見ていた。


「……わかった」


 断れるはずがなかった。


 そもそも断る理由もなかった。


 お互いのスマホに連絡先が新たに追加されたのを確認し、二人並んで夕暮れの住宅街を歩いて帰った。


「……また明日」


「はい。また明日」


 帰り際の珠季は昨日よりも上機嫌な気がした。

第6話を読んでいただき、ありがとうございます。

よろしければ感想やご意見など、いただけたら励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ