第5話 四人の食卓
「ただいま」
「お邪魔します」
玄関で靴を脱ごうとした、そのときだった。
見覚えのある男子用の革靴が一足、きちんと揃えて置かれている。
……まさか。
嫌な予感がしてリビングのドアを開ける。
「お邪魔してまーす」
案の定だった。
ソファに座ってテレビを見ていた優斗が、俺たちに気付き、ひらひらと手を振る。
「なんでお前がいるんだ。それに人の家でくつろぐな」
「まーまー硬いこと言うなよ」
「部活はどうした」
優斗は肩をすくめる。
「今日はミーティングで終わりだよ。帰ろうと思って校門を出たらさ、お前が見知らぬ美少女と歩いてるのが見えて」
「……」
「さすがに気になるだろ? だからちょっとだけ後ろを歩いてみた」
「尾行したのか」
「人聞き悪いこと言うな。途中でスーパー入っていったから、『これは邪魔しちゃ悪いかな』って思って帰ろうとしたんだよ」
そう言いながらスマホを取り出す。
「そしたらちょうど実生ちゃんからLINEが来てさ。『今日、お兄ちゃんの進級祝いするから、ご飯食べに来ませんか?』って」
「だから先に来てたってわけ」
「なるほどな……」
納得しかけた、そのときだった。
「あれ?」
優斗が俺の後ろに立つ珠季を見て目を丸くする。
「珠季ちゃんじゃん!?」
「お久しぶりです。宮後先輩」
「うわ、本当に珠季ちゃんだったのか」
驚きながらも、どこか嬉しそうに笑う優斗。
優斗と珠季が言葉を交わすのを見ながら、ふと思う。
実生以外の女子が、この家にいる。
そんなことは一度もなかった。
「たーまーちゃーん!」
リビングの奥から飛び出してきた実生が、そのまま珠季へ抱きついた。
「久しぶりー!」
「実生ちゃん、久しぶり」
珠季は少し驚きながらも、優しく微笑む。
「待ってたよー!」
「……え?」
俺だけ状況についていけなかった。
「おい実生」
「んー?」
「久しぶりってどういうことだ。それに待ってたって……」
「まあまあ、お兄ちゃん落ち着いて」
「落ち着けるか」
「久しぶりってことは、お前ら顔見知りだったのか?」
珠季が小さく頷く。
隣では実生も、得意げに頷いている。
「いつからだ?」
そう尋ねると、実生は人差し指を唇に当てて笑う。
「秘密」
「……秘密?」
「そのうち分かるよ」
それ以上は何も答えない。
珠季が申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、大翔先輩。隠していたわけじゃないんです。ただ……」
一瞬、言葉を探すように視線を落とす。
「先輩がスーパーへ行くって聞いて、私も一緒に行きたくて……」
「珠季は悪くない」
俺はすぐに首を横へ振る。
「言わなかった実生が悪い」
睨み付けるような視線を送ろうとすると、実生と優斗がニヤニヤしながら俺と珠季を見ていた。
「な、なんだよお前ら」
「いつから名前で呼び合うような仲になったんだ、大翔?」
「いつから名前で呼んでいるのかな、珠季ちゃん?」
珠季は困ったように俺を見た。
その視線だけで、何を期待されているのかは分かる。
「……」
「だんまりか」
「怪しいねー」
実生が面白そうに笑う。
「違う。別に大した理由じゃない」
「じゃあ話せるよね?」
「……」
「吐け」
「誰が吐くか」
俺は黙ったまま、静寂を貫いた。
「……よし」
実生がぱんっと手を叩く。
「立ち話はこのくらい!」
「今日はたまちゃんの引越し祝いなんだから、ほら、お兄ちゃん早くご飯作って!」
「結局そこか」
「もちろん!」
そう言って笑う実生に背中を押されるようにして、俺はキッチンへ向かった。
ーーー
冷蔵庫を開ける。
朝のうちに下ごしらえしておいた食材を見て、小さく息をつく。
四人分か。
……まあ、なんとかなるだろう。
「お兄ちゃん、私手伝う」
「皿だけ出しといてくれ」
「はーい」
実生は慣れた様子で食器棚へ向かう。
「あの……」
珠季が遠慮がちに口を開いた。
「私も、お手伝いします」
「いや」
俺は首を横に振る。
「今日は珠季の引っ越し祝いだ。座って待ってろ」
「でも……」
「料理ならすぐ終わる」
珠季は少しだけ迷うような表情を浮かべたあと、小さく頷いた。
「……はい」
「たまちゃん、こっちこっち!」
「うん」
二人がソファへ向かう。
その様子を横目に、俺はエプロンを身につけた。
「優斗」
「なんだ?」
「お前も座っとけ」
「おっ、珍しく俺もお客様扱い?」
「違う。ただ邪魔だからだ」
「ひでぇ」
慣れた手つきで夕飯を作っていく。
リビングから聞こえてくる笑い声に耳を傾けながら、黙々と包丁を動かした。
しばらくして料理を並べ終える。
唐揚げ。
筑前煮。
ポテトサラダ。
味噌汁。
それぞれの前へ茶碗を置き、最後に炊飯器の蓋を閉める。
「できたぞ」
「やったー!」
実生が真っ先に席へ着いた。
「いただきます」
4人の声が重なった。
「うまっ」
一口食べた優斗が、目を丸くした。
「やっぱ大翔の飯はうまいな」
「毎日食べてるとありがたみなくなるけど、久しぶりに食うと分かるわ」
「失礼だな」
「褒めてるんだよ」
「そうそう!」
実生が唐揚げを頬張りながら大きく頷く。
「お兄ちゃんの唐揚げ、世界一!」
「大げさだ」
「大げさじゃないもん」
実生はもう一つ唐揚げを口へ運ぶ。
その様子を見ていた珠季が、小さく笑った。
「大翔先輩、お料理が本当に上手なんですね」
「毎日作ってれば慣れる」
「毎日食べられる実生ちゃんが羨ましい」
「いいでしょー」
実生が得意げに胸を張る。
食卓に笑い声が広がる。
他愛のない会話ばかりだった。
それでも、不思議と居心地が悪くない。
こうして四人で囲む食卓も、悪くないと思えた。
こんな賑やかな夕飯は、いつ以来だろう。
最後の一口を食べ終え、四人で手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
食後のひとときは、あっという間だった。
俺が食器を洗っている間、実生と珠季は楽しそうに話し、優斗も時折その輪に加わる。
そんな賑やかな時間も終わりを迎え、気付けば外はすっかり夕暮れに染まっていた。
「私、そろそろ帰りますね」
珠季が小さく頭を下げる。
「もう帰るのー?」
「明日も学校あるから」
実生が名残惜しそうに口を尖らせた。
俺は珠季を玄関まで見送るため、立ち上がった。
「今日はありがとうございました。料理もすごくおいしかったです」
靴を履き終えた珠季が、俺に向き直る。
「こちらこそ。急に誘って悪かった。久々に賑やかで楽しかった。よかったらまた……」
「また来てもいいですか?」
また来いよ。と言う前に先に言われてしまった。
「ああ。その方が実生も喜ぶ」
「……ありがとうございます」
珠季は嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見ていると、自然と口元が緩みそうになる。
「それじゃあ」
「あっ……」
帰ろうとした珠季が、小さく声を上げる。
「どうした?」
「あの、一つお願いがあるんです」
「お願い?」
珠季は少しだけ俯き、指先をもじもじと動かした。
「明日から、その……一緒に学校へ行きませんか」
「一緒に?」
「……はい」
俺は少しだけ考え、
「いいよ」
俺がそう言うと、ぱあっと笑顔を輝かせた。
「ありがとうございます。じゃあまた明日」
そう言って珠季は頭を下げ、帰って行った。
どうやら珠季の家はうちから近いらしい。
送って行こうかと提案したが、「さすがにそこまでは悪いです」と断られてしまった。
珠季の姿が見えなくなるまで見送った後、俺はようやく家に入った。
玄関の鍵を閉めてから、大きく一息ついた。
今日は怒涛の展開だった。
俺にとっての初恋の子と、また再会できるとも思っていなかった。
中学の頃は、こうしてまた近い距離で話す日が来るなんて想像もしていなかった。
珠季はあの頃と変わらず、物静かだが表情がはっきりしていて穏やかで優しさがあり、可愛らしかった。
なんで珠季がこっちに引っ越してきたのかは知らない。
もしかして、なんて幻想は無意味だ。
そもそも俺が人並みの恋愛をすること自体、許されるわけがない。
実生が受けるはずだった両親からの愛情を奪ってしまった俺が幸せになっていいはずがない。
俺にそんな価値などありはしない。
俺に残されたたった一人の家族。
実生を幸せにすることだけが、俺に残された役目だ。
第5話を読んでいただき、ありがとうございます。
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