第4話 二人で歩く帰り道
校門を出ると、春らしい暖かな風が頬を撫でた。
つい数日前まで肌寒かったはずなのに、季節はもうすっかり春になっていた。
俺と神原は並んで歩き始める。
朝は突然の再会に驚いてそれどころではなかったが、こうして改めて見ると、神原は中学の頃より少しだけ大人びて見えた。
肩まで伸びた茶色がかった髪。
制服もまだ着慣れていないのか、スカートを気にするように何度も裾を整えている。
それでもどこか嬉しそうに歩く姿は、中学の頃とあまり変わっていなかった。
「高校、一日目どうだった?」
俺がそう尋ねると、神原は少し考えてから笑った。
「すごく緊張しました。でも、神森先輩に会えたので安心しました」
そう言って照れくさそうに笑う。
その笑顔に、一瞬だけ言葉を失った。
「……そっか」
それしか返せなかった。
気まずい沈黙が流れる。
嫌な空気ではない。
ただ、お互い何を話せばいいのかわからないだけだった。
そんな沈黙を破ったのは神原だった。
「あの……」
「ん?」
「実生ちゃん、元気ですか?」
「元気だよ。相変わらず朝は寝起き悪いけど」
神原が小さく笑う。
「実生ちゃんらしいですね」
実生の話になると、自然と会話が続いた。
転校して最初は友達ができるか心配だったこと。
今ではバスケ部にも入って毎日楽しそうにしていること。
俺が家事を担当していること。
「神森先輩って、毎日ご飯作ってるんですか?」
「まあ毎日かな」
「お弁当もですか?」
「うん。」
「毎日ですか?」
「土日除けばな」
神原は目を丸くした。
「すごいです……」
「別に大したことじゃないよ。」
「そんなことありません。」
神原は首を横に振る。
「私なんて、一人暮らし始めて一週間ですけど、昨日もご飯炊くの失敗しました。」
「失敗?」
「水、多すぎました……」
思わず吹き出してしまった。
「そんな笑わなくてもいいじゃないですか」
少し頬を膨らませる神原。
「悪い悪い。」
久しぶりに自然と笑った気がした。
神原もつられるように笑う。
さっきまで感じていたぎこちなさが、少しだけなくなっていた。
「そういえば神原」
「なんですか?」
「今日は晩飯の買い出しに近くのスーパー寄るんだけど」
「あっ……」
神原が何かを言いかけて口を閉じる。
「どうした?」
「あの……私も、一緒に行ってもいいですか?」
「……いいよ」
「ありがとうございます」
ぱっと表情を明るくする。
本当に嬉しそうだった。
俺たちはそのまま歩き続け、いつものスーパーへ向かった。
―――
スーパーへ入ると、夕方前ということもあって店内には多くの買い物客がいた。
入口近くでは特売の野菜が山積みにされ、店員の声が店内に響いている。
俺は買い物かごを手に取り、慣れた足取りで野菜売り場へ向かった。
神原はそんな俺の少し後ろを、小走りで付いてくる。
「神森先輩って、いつもここで買い物してるんですか?」
「ああ。一年前からずっとここ」
「じゃあ、お店の人とも顔見知りなんですか?」
「たまに話すくらいだけどな」
そう答えながら、特売のほうれん草をかごへ入れる。
続いて玉ねぎ、じゃがいも、人参。
今日の献立を頭の中で組み立てながら、自然と手が動く。
「すごい……」
隣で神原が感心したように呟いた。
「何が?」
「全然迷わないんですね」
「もう慣れた」
「私なんて昨日、醤油を買いに来たのに、気付いたらめんつゆ買ってました……」
「なんだそれ」
思わず笑ってしまう。
「笑わなくてもいいじゃないですか」
少しだけ頬を膨らませる神原。
「悪い」
そんな何気ないやり取りが、不思議と心地よかった。
気付けば、朝よりずっと自然に話せていた。
肉売り場へ向かおうとした、そのときだった。
「神森先輩」
「ん?」
神原は少し俯きながら、小さな声で言った。
「一つ、お願いがあるんですけど……」
「お願い?」
「はい」
神原は深呼吸を一つすると、ゆっくり俺を見上げた。
「その……神森先輩のこと」
「……」
「名前で、呼んでもいいですか?」
一瞬、時間が止まったような気がした。
名前で呼ぶ。
たったそれだけのことなのに、胸が妙に落ち着かない。
「……でいい」
「えっ?」
「大翔でいい」
そう言うと、神原は目を丸くした。
「いいんですか?」
「ああ」
少し照れくさい。
でも、中学の頃から知っている相手に、いつまでも名字で呼ばれるのも、どこか違う気がした。
神原は何度か口を開いては閉じる。
そして、小さく息を吸った。
「……大翔先輩」
その呼び方が耳に届いた瞬間、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
「……うん」
短く返事をすると、神原は嬉しそうに笑った。
今まで見たどの笑顔よりも、柔らかかった。
「その……」
神原が少し遠慮がちに続ける。
「私のことも、名前で呼んでほしいです」
「え?」
「私だけ名前で呼ぶのって、なんだか不公平な気がして……」
そこまで言われて断れるはずもない。
「……珠季」
「はい」
珠季は花が咲いたような笑顔を見せた。
その笑顔につられそうになった、そのときだった。
「あらあら」
「青春ねぇ」
「初々しいわねぇ」
後ろからそんな声が聞こえた。
振り返ると、買い物に来ていたご婦人たちが、微笑ましそうにこちらを見ている。
……聞かれてた。
珠季も同じことに気付いたらしい。
「…………」
「…………」
二人とも顔を真っ赤にしたまま、しばらく動けなかった。
結局、それ以上まともに会話もできず、必要な食材だけを買い物かごへ入れてレジへ向かった。
店員からレシートを受け取り、店の外へ出る。
スーパーを出ても、しばらく気まずい沈黙が続いた。
「……恥ずかしかったですね」
珠季が小さく笑う。
「ああ」
俺も苦笑するしかなかった。
あんなやり取りを、大勢の人に聞かれていたのだから当然だ。
少し歩いたところで、ようやくお互いに笑い合う。
さっきまでの恥ずかしさが、少しだけ和らいだ気がした。
「あのさ……飯、うちで食っていくか?」
「えっ?」
珠季が驚いたように目を丸くする。
「あ、いや……引っ越し祝いもまだだったし」
慌てて付け加える。
「…………」
珠季は少しだけ俯いたあと、ゆっくりと顔を上げた。
「……行きたいです」
その笑顔は、春の日差しよりも眩しく見えた。
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