第1話 墓前の決意
目が覚めると、見慣れない天井があった。
白い。やけに白い天井だった。
身体を起こそうとして、左こめかみに鈍い痛みが走った。思い出したように頭が重くなり、俺はそのままベッドに沈んだ。
点滴。白いカーテン。消毒液の匂い。
……病院か。
「目が覚めた?」
声のした方に顔を向けると、見慣れた顔があった。母さんの姉の美鈴さんだ。目が赤い。泣いていたのか、と思った。
「……俺、どのくらい寝てた」
「三日よ」
「そっか」
妙に冷静だった。自分でも不思議なくらい、頭の中が静かだった。
「父さんと母さんは」
聞かなくても、わかっていた。あの光景を見た後で、生きているはずがなかった。それでも聞かずにはいられなかった。
美鈴さんは何も言わなかった。ただ、唇をきつく結んで、小さく首を横に振った。
それだけで十分だった。
「……そっか」
また同じ言葉しか出てこなかった。泣けなかった。悲しくないわけじゃない。ただ、涙が出なかった。あの雨の夜に全部使い果たしてしまったのかもしれなかった。
「実生は……」
「隣の部屋で寝てるわ。大翔が目を覚ますまでずっとここにいたのよ。やっと昨日の夜寝かせたところ」
そうか。実生はずっとここにいたのか。
俺のせいで、実生は三日間ここにいたのか。
「……美鈴さん」
「なに?」
「……実生には、両親が死んだのは俺のせいだって、言わないでほしい」
美鈴さんが目を見開いた。
「大翔、それはーー」
「頼みます」
俺は点滴の刺さった腕をそのままに、頭を下げた。
「……俺のせいなんです」
「あの日、実生と母さんたちは出かける予定だったのに、俺が無理を言って試合に連れてきた。俺さえあんなことを言わなければ、二人は死ななかった」
「……でも、それを知らせたら実生は俺を恨むと思います。それだけは……、嫌なんです。たった一人の家族に嫌われるのはもうーー」
しばらく沈黙が続いた。
「……わかった」
美鈴さんの声は、少し震えていた。
「ありがとうございます」
俺はもう一度、頭を下げた。
ーー「罪を犯した者には皆、等しく罰が与えられる」
人を傷つけたり、騙したり、物を盗んだりすれば、それ相応の罰が与えられる。
ただ、それはあくまで、目に見える範囲の話にすぎない。
では——何もしなかった者は、どうだろう。
「あのとき、もっと早く帰っていれば」
「あのとき、無理に頼まなければよかった」
そういう後悔は、いつも事が終わったあとにしかやってこない。
そして、誰にも裁かれない罪ほど、深く、静かに、魂を蝕んでいく。
―――
退院したのはそれから一週間後だった。
卒業式の日。実生の通う中学と日程が被ってしまったため、美鈴さんには実生の方の卒業式に行ってもらった。
卒業証書の授与、来賓の挨拶、校長の長い話、在校生と卒業生の代表による答辞。卒業生の中には途中で涙をこぼしている人もいた。滞りなくスケジュールは進み、卒業式は無事に終わった。
各クラスの教室へと移動し、担任から改めて「卒業おめでとう」の言葉を聞いた後、各自解散となった。
すると後ろの席の優斗から肩をつつかれた。
「この後どうするよ」
「ちょっと父さんと母さんのとこに行ってくる」
「そっか。……確かこの近くだったよな。俺も行こうか?」
「いや、いい。それより俺の代わりにフットサル部の奴らによろしく言っといてくれ」
「おっけ、わかった」
「じゃあ」
「おー。……あ、ちょっと待て大翔!」
「?」
「これからもよろしくな! 相棒!」
気を使ってくれたのだろうか。地元から遠く離れた高校に進学する俺と、同じ高校を優斗は選んだ。「高校」という言葉を入れなかったのは、きっとこれからも長い付き合いになる、ということだろう。
「おう」
卒業証書の入った黒い円筒を、重ねた。
―――
教室を出てグラウンドを抜けようとしたが、生徒や保護者、先生たちで溢れ返っていた。みんな思い思いに言葉を交わしている。
……そういえば、あの子はどうしているかな。
何回か練習に顔を出してくれていたあの子。最後の大会のハーフタイムで少しだけ言葉を交わしただけの、一つ下の女の子のことを、俺はなぜか気にしていた。
まあでも、今さら声をかけたって遠くに行くんだから関係ないか。
そう思って、俺は人垣に背を向けた。
―――
神森康平、神森美咲。
並んで立つ二つの墓石に彫られた名前を、俺はしばらく眺めた。
在校生から受け取った花束を、線香の代わりに墓前に置いた。静かに手を合わせて、目を瞑る。
「……父さん、母さん。今日、卒業したよ」
声が思ったより小さかった。
「美鈴さんが来てくれたけど、実生の方に行ってもらった。さすがに卒業式の日に誰も来ないなんてかわいそうだからさ。俺は別にいいからって言ったよ」
「高校はそのままにした。美鈴さんが経営するアパートに住んでいいって話になって、実生も一緒に二人暮らしでって。結構強引だったけど、相変わらず優しかったよ。だからその言葉に甘えることにした」
「二人暮らし、最初は大変だろうけど何とかするよ。母さんが料理してるところも、家事してるところも全部見てきたからさ。一応料理には自信あるんだよ、俺」
「そういえば優斗も同じ高校に行くんだって。あいつのことだからもしかしたらとは思ったんだけど、まさか本当に同じ高校受けるとは思ってなかったよ。あいつはこれからも長い付き合いになりそうな気がする」
「もっともっと喋りたいことたくさんあるんだよ……」
「もっともっと聞いてほしいことだってある……」
「でも、それができないのは俺のせいなんだよな。俺があんなことさえ言わなきゃ、きっと父さんも母さんも死ぬことなんてなかった……」
声が詰まった。
泣くのはこれで最後にする、と決めていた。でも目の奥が熱くなるのはどうしようもなかった。
「父さんと母さんが注ぐはずだった実生への愛情、全部俺が何とかする。もう絶対に実生を悲しませたりなんかしない。約束する。だから……見守っててくれ」
涙が一筋、頬を伝った。
俺はもう一度深く手を合わせてから、背を向けた。
泣くのは、これで最後だ。
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