出立
○
巨獣の王都強襲から、三日後の早朝。
僕は王都内の軍の施設――各都市へ物資を輸送する際の集積、発着場にいた。
目の前では今まさに、荷馬車数台への物資の積み込み作業が行われている。
これに相乗りさせてもらう形で、僕はこれから王都を出立する。
そのための身支度も、すでに済ませている。
目的はもちろん、朋矢たちとの合流。
ひいては僕の【弱体化】で、みんなの魔王討伐に助力すること。
とはいえ、彼らのいる最前線の都市へ直接向かうわけではない。
ちょうど中継地点にある通称“迷宮都市”――ひとまずはそこが目的地となる。
理由は大きく二つ。
上手く決まれば大番狂わせが叶う【弱体化】の力だが、
残念ながら、どんな相手にも必ず効く、という保証は今のところない。
『かの地の地下迷宮では多種多様な魔物が発生します。そこで一通りの戦闘を経れば、貴方の力が如何な相手に通じるのかが見えてくるのではないかと』
一昨日、指令室を訪ねた際の、第一王女エリカさんの助言。
効くかもわからない力をぶっつけで試すよりは、まず有効性を見極めるべきなのは確かで。
また僕自身が【弱体化】の扱いに慣れるための、訓練の意味合いも多分にある。
訓練というと、かつて利用した王都近郊の迷宮のほうも思い起こされるが……
そちらはもはや使えない。この点が、もうひとつの理由に関わってくる。
あの日、結局王都に侵入したのは亀の巨獣だけ。あれ以上の被害が出なかったのは幸いだが、
ではその巨獣は、いったいどこから来たのか。
王都の地下には下水道が張り巡らされている。巨獣が路面を破って現れたのは、その地下道を伝ってきたからだというのが、その後の調査で明らかになった。
しかし巨獣は、下水道で直接発生したわけではない。
下水道の、王都の端のほう。その壁に地下から掘り抜かれたような跡が見つかった。周囲の荒れようからも巨獣のせいなのは明白。壁の穴は崩落しかかっていたらしく、入りこんでの調査は断念されたようだが……
見つかった穴はちょうど、郊外の地下迷宮の方角。
調査に赴いてみれば、迷宮もまた完全に崩落しているのが判明する。
迷宮は、ただの洞窟や遺構ではない。
“魔力が溜まって生じた異空間”――
それがこの世界で迷宮と呼ばれる場所の正体、とされている。
そう、迷宮とは基本的に“魔の領域”だ。
溜まった魔力により異常化する構造、生じる仕掛けや罠……それから魔物。
ここで仮に、
迷宮を維持する魔力がすべて“魔物の発生”のために注ぎ込まれたら、どうなるか。
『迷宮の存在そのものと引き換えに、単一の強力な魔物を生成する……理論上は、可能です。ですが我々人類にその術はありません。迷宮とは“魔の領域”。その在りようを故意に捻じ曲げられるとすれば、それこそ魔族をおいて、他には――』
王都やその近郊での、魔族の目撃情報は今をもって、ない。
けど状況からして、推測どおりの魔物の生成が行われたのは間違いないだろう。
正体を掴ませず王都近郊まで這入りこみ、迷宮への工作を行った、魔族。
それがもし人類圏最大の迷宮を抱える“迷宮都市”に目をつけたら……
『事ここに至れば、かの迷宮は廃棄せざるをえないでしょう。迷宮より出ずる財貨に支えられているのが“迷宮都市”。されど、民の命には代えられません。かの迷宮は、こちらのものとは比べられない規模。その魔力のすべてが注ぎ込まれれば、どれほどの魔物が生じるものか――』
僕が“迷宮都市”へ向かう理由。
ひとつは【弱体化】の試用。ひいてはその性質の見極め。
そして可能であれば迷宮最深部に到達し、その機能を停止――廃棄すること。
『迷宮深部にはいわゆる“核”が存在し、破壊すれば迷宮は通常の空間へと戻る――すなわち廃棄されます。――かの地の兵には私が命を出します。現地の兵士、あるいは滞在する他の勇者様との連携をもってどうか、かの地の安寧をお守りくださいませ、ミナモト様……!』
身震いを自覚する。
恐怖は、ある。
最初朋矢たちと組んでいたとき、戦いの余波だけで大怪我を負ったのはまだ記憶に新しい。
けれどもこれは、レガスへ来てから初めての勇者らしい活動でもある。
そのことに対する高揚が、僕の中にあるのもまた、確か。
「準備、整いました。お乗りください、勇者様!」
「――わかりました。よろしくお願いします」
呼びに来てくれた兵士に応えて、そのあとに続く。
……優愛。朋矢。もうすぐだ。
僕は僕の役目を果たし、必ず追いつくから――
〈side:others〉
王都を離れる馬車の列。
それを王城の窓から見送るのは、人形のように整った顔立ちの金髪の女性。
「上手くやれるでしょうか、彼は……」
王国第一王女エリカその人である。
ここは対魔王戦における最高指令室。自身の務める総司令の席に着いたまま、彼女はその椅子を傾け窓の向こう、眼下の街道を見やっている。
気づかわしげな、問いかけとも独り言ともつかない呟き。
「どう、ですかね。“加護”が本人の申告どおりのものなら、我々にとっちゃ頼もしい限りですが」
執務机を前にして立つのは、王都城門警護、東方部隊長の男。
朝の定期報告のため、彼はここを訪れている。
自身に向けられた問いであるか確証はなかったが、呟きには一応答えを返しておいた。
「貴方は信じていないのですか? 彼の力を」
「信じがたい、が正直なとこですな。なにせ前代未聞ですから。災害級の魔物を常人と同程度にまで弱める、など」
椅子ごと振り向き、部隊長を見すえるエリカ。
蒼穹のごとき輝きを宿す瞳にやや気圧されながらも、口にするのは素直な所感。
レガスにも元より、他者の力を弱める魔術は存在する。
だが実戦で用いられることは稀だ。効力や対象範囲が小さく、安定性にも欠ける。そのうえで習得難度が高く使い手が少ないとなれば、それも止む無しであった。
ゆえに利の【弱体化】は驚異的と言わざるをえない。
実際に斃されていた魔物。そして部下の報告がなければ、虚偽を疑いすらしただろう。
しかし勇者云々を抜きにしても、手元に置いておきたい人材ではあった。
仕事ぶりは勤勉かつ的確。やや真面目過ぎるせいか部下たちとの折り合いはいまいちだったが、それを差し引いても有益というのが、部隊長の率直な評価。欲を言えば副官に置きたいくらいだったが、それはどのみち叶わなかっただろう。“加護”があつらえ向きならばその限りではないが、勇者を将官に置くことは国を問わず禁じられているからだ。
「ま、王都守護を預かる身としては、引き続き残っていてもらいたかったってのもまた正直なとこです。なにせ他の勇者様がたは、いまだ帰らずの身なもんで」
内心諸々、軽口に止める部隊長の男。
しかし現場はあまり悠長にもしていられない状況ではある。こちらも別の意味で兵たちとの折り合いが悪かったが、実力自体は確かだった勇者たちの失踪。現状魔物の襲撃は小康といっていいが、それもいつまで持つかわからない。
『きっとまた、戻ってくると思います。今はまだ……ちょっと気まずいんだと思います、みんな』
これは利の言葉だが、しかし……
「……それこそ、信ずるよりほかないでしょう。私たちはどこまでいっても、勇者様がたにはすがるより他ない立場なのですから」
結局は、エリカの言葉がすべてなのだった。
“勇者の御心のままに”
かつての過ちを繰り返さぬための、この世界の是。
もっともエリカにしても部隊長にしても、勇者の庇護をただ享受するだけのつもりはない。
天は自ら助くる者を助く――この世界にもそういった考えはあるのだ。
再び、だいぶ遠ざかった馬車の列へとエリカが目を向ける。
憂いを含むようなその横顔は、不思議といつになく年相応に映る。
「そんなに気がかりですか? ミナモトのやつが」
「え? そう、ですね。本音を言えば……ええ」
「まぁあの男ぶりですからなあ。ウチの部隊でも女どもが連日黄色い声を上げてましたし」
「!? ちが、そういう意味では! そもそも彼はモリナガ様と交際なさっているという話で、だから私がそういう想いを抱くわけには、! いえそうでなく、……もぅっ」
なんとなしに部隊長が口にすれば、思いの外新鮮な反応が。
なかば冗談のつもりだったが……ひょっとすれば、ひょっとするのか、と。
剣と魔術、双方の比類なき腕前により聖騎士とも謳われる才媛。
そんな彼女が軽く頬を膨らませる様に、なんとも微笑ましいものを感じるのだった。
〈side:others〉
時と場所は変わり、利が王都を発った日の夕刻、辺境の都市にて。
滞在のために宛がわれた領主の館。そのベランダで守永優愛は、今まさに沈もうとする夕日を眺めている。
「トールくん……」
我知らず、呟かれるのは恋人の名。折に触れて想いを馳せるその人と、けれどももう久しく言葉を交わせていないし、触れられてもいないことを、否応にも思い起こさせる。
「トールのこと、考えてたの? 守永さん」
「厚美君……」
不意にかけられた声。
振り向けばそこには恋人の親友、厚美朋矢の姿。彼の部屋と、優愛と風子の使っている部屋は、ベランダ部分で繋がっているのだった。
「やっぱ心配だよね、彼氏のことってなるとさ」
「……厚美君は心配じゃないの? トールくんのこと」
「まー、うん。守永さんほど心配はしてないかな。あいつがなんだかんだヤルやつだってのは、よーくわかってるから。いやホント」
努めて明るく、それから妙にしみじみ言う朋矢の調子に、くすりと笑みを浮かべる優愛。
それからいいなあ、とすこしだけ思いもする。男同士の友情、その信頼。女子には割って入れないような空気は、どうにもちょっぴり羨ましい感じがして。
なんとなく、会話が途切れる。
すこし距離を置いて並んだ朋矢と、もうほとんど沈んだ夕日を二人、眺めつつ。
「……守永さんは、さ」
ぽつり、と。
「あいつの、トールのどこがいいと思ったの? ――あ、や、ごめんなんでもない! なに聞いてんだかな、オレ……あはは」
朋矢から投げかけられた、不意の問いかけ。
きょとんとする優愛に、慌てて取り消すようにして、ばつが悪そうな顔に。
いまいちよくわからないながらも、なんとなく聞かれたことについて考えてしまう優愛。
利とは、高校入学の日に初めて出会った。
こんなにも顔立ちの整った男の子がいるんだ、とびっくりしたのをよく覚えている。
衝撃を受けたのは優愛だけではなく、学年の、ともすれば学校中の女子たちが彼の存在に色めき立っていたくらいだった。
それに留まらず、普段の授業では利発さを垣間見せ、
スポーツテストで好成績を収めたかと思えば、入部したサッカー部では期待のルーキー扱い。
けれどもそれらを鼻にかけず、人当たりよく物腰柔らか。
文武両道、非の打ち所のない好青年。
ドラマかなにかから出てきたんじゃないか、とさえ思えてしまう、そんな男の子が、
だから自分に告白してくれた時には、優愛は今度こそ本当にびっくりした。
でもその時にはすでに、優愛もまたどうしようもなく彼に惹かれていて……
そうして二人は、晴れて恋人同士となった。
(ううん、でもあらためてどこって聞かれると困っちゃうかも。というかいいところばっかりで答えきれないっていうか……)
見た目や成績などのスペックを挙げるのはなにか違う気がするし、優しいとか気が利くとかもありきたりで、彼自身を指す言葉ではないような気がする。
そんな風に、優愛が変に悩んでしまっていると、
「……そこまで考えこむってことはさ、」
また、ふと、
「やっぱ本当に大事に思ってるんだな、トールのこと」
「! そう、だね……うん」
朋矢はしみじみとそんな一言を。
優愛が黙りこんだのを見かねたのだろうか。なんにせよ、確かなことをあらためて自分以外の誰かから言われ、噛みしめるように頷いてしまう。
気づけば夕日は、今まさに果ての稜線に沈みゆくところで。
「――っし! 大事な親友を大事に思ってくれる人を、あらためて気合い入れて守んねーとな、オレも!」
軽く目を伏せた朋矢は、顔を上げるなりそんなことを。
いつでも明るいムードメーカー。そんな利の評を思いだしつつ、優愛はくすりと笑みを浮かべ――
「まぁ、オレにとっても初恋の人ってのもあるし」
ぼそっと、小さな呟き。
「――おやすみ! 守永さん。明日からもまた頑張ろーぜ!」
え? と聞き返す前に、声の主はそそくさと自室に引っこんでしまう。
ドキリ、ドキドキと、自身の鼓動を自覚する。
さっきのは、いつものただの軽口なのか、それとも……?
いや、真偽や真意はともかくとして、
朋矢の呟きに、思いの外揺れてしまっていた自分自身にこそ、優愛は動揺を隠せなかった。




