圧倒
人を殴打する鈍い音が、断続的に響く。
厚美朋矢と皆元利の、それは殴り合いの音。
「ぐっ、ガッ……!」
否、殴り合いというには、いささか一方的な光景だった。
打ちつけられる拳はほとんどが利のもので、朋矢のほうはそれを凌ぐばかり。
いや、凌げているかどうかも、実際のところ怪しい。空いている右腕でどうにか防御し、反撃の機会を窺ってはいるようだが、
利はそれを的確にいなし、透かし、掻い潜って、殴打を積み重ねていく。
「……」
必死な朋矢とは裏腹に、利の動作は淡々としている。
表情からも、なにも窺えない。
喜悦も、怒気も、嘲弄も、
優位な立場に終始しているのに、感慨などなにもないと言わんばかりに。
その様に、会場も静まり返っている。
自分たちの知る利、その豹変に怖気づく勇者たち。
レガスの者たちも。勇者同士がいがみ合うのは本意ではないが、彼らの行動は妨げられない……
というのは建前であり、
実際は恐れていた。
“加護”を持つ者たちの争い。常人が手を出せば、どんな目に遭うか。
容赦のない殴打の連続。
それが不意に、弛む。
「どうしたんだ? 朋矢。やられっぱなしじゃないか。昔馴染みだからって遠慮することはないんだぞ。――こんな風に」
「グガッ?!」
相手がみせた余裕。その隙をどうにか突こうと動く朋矢だったが、
それも織り込み済みとばかりに、打撃で機先を制される。
ぐらつきながら、朋矢は歯噛みする。
なぜだ?
本来、この場で無様を晒しているべきは利のはず。
実際、勇者としての実力も栄誉もこちらが上。おまけに彼女すらこちらの手の内。
なのにどうして、こんなことになっている?
最強の勇者であるはずのオレが、
なぜこんな、ただの人の力しかないやつに殴り負けている……?
「……く、そっ、【神槍】さえあれば、こんなの、屁でもねーのにっ」
「まだあんなものを僕に向けるつもりなのか。なら、ますますこの手を離すわけにはいかないな――!」
「うぐっ」
そうだ。【弱体化】――
こいつのこのチンケな力さえなければ、自分がやられることなど万一にもない。
ならばこの手を振り払えばいいと、朋矢はひとまず方針を切り替える。
が、それも上手くいかない。器用さではもとより利に敵わず、かといって力任せに動けばその力を流され、そもそも捕捉から抜けるのに専念するとこちらが隙を晒すことになり、容赦のない殴打をまともに受けるかたちとなり……
「……ハァッ、ハァッ」
「……」
気づけば、疲労と痛みで朦朧とし、項垂れる朋矢。
利もまた手を止め、ただそれを見下ろしている。
「…………クソッ」
ややあって、どうにかひねり出せたのは、
息も絶え絶えの悪態。
「……そーやって、オレを見下しやがって! いつもいつもそうだ……オレがどれだけ頑張っても、お前はそれをいつも、涼しい顔で追い抜いて……! ――そーやって見下して、上から目線で得意気になって、さぞかし気持ちがいいだろぉよぉッ!! なぁ、トール!!!」
積年の恨み節が、その後に続く。
親友? 笑わせる。
お前を気にくわないと思わなかったことは、今までの人生で一度だってない。
ありったけの負の感情を込め、朋矢は利を見上げ、睨めつける。
「上から目線もなにも」
返す視線は、
「事実、僕のほうが上だろう。今までなにかひとつでも、僕に勝てるものがあったか? 朋矢」
温度のない、どこまでも無感動なもので。
「どれだけ頑張って、か。そのあいだ、僕がなんの努力もしてこなかったとでも? だいたいその頑張りも、わりと投げ出しがちじゃなかったか? お前は。なにかと、いかに楽するかばかりに流されて、」
「――ッ、黙れ!! それでも今のオレは、勇者としてテメーの遥か高みにッ!」
「ただの借り物の、無意味な力がか? それにこうして殴ってみてあらためて実感したけど、朋矢、お前はこのレガスに来て、一度だってまともに戦ったこと、ないだろ。“加護”の力を適当に振るって、勝負にもならない勝負をただ反復してきただけなんじゃないか?」
「……うるせぇ、うるせぇうるせえっ!! おま、お前だって! “加護”頼りなのは一緒じゃねーか! 【弱体化】がなきゃオレに手も足も出ねーくせに、エラそうに言うんじゃねぇっ!!!」
淡々とした物言いが癪に障り、朋矢はますます声を荒げる。
図星をついたはず、だというのに。
「そうだな。僕も所詮、借り物の力頼りだ。だからそれをやめて元の世界へ帰ろうって、要はそういう話なんだけど」
「っ!」
「やっぱり嫌なのか? 現代の快適な生活より、ちやほやされる勇者生活のほうをお望みか? 御両親――おじさんやおばさんだって心配してるだろうに」
「! ……るせぇッ」
いささかの動揺も、苛立ちすらも感じさせず、利は言う。
現実に引き戻すようなことを、言う。
それで逆に、すこし頭が冷えた。
「るせぇ、るせぇッ、――あー、さっきからヒトの神経逆撫でするようなことばっか……彼女取られたのがそんなムカついたか? なぁ、トール」
「――」
「いやぁ、オレも正直、わりーとは思ってんだぜ? けどなあトール、お前にだって非はあるんじゃねーかな。大切な人だったら、どんなんなってもそばにいねーと。いくら自分がチンケな勇者で、見劣りするのがみっともないからって、離れるのはどーなんだ? 守永さんだって寂しがってたんだぞ?」
「……」
朋矢は切り口を変える。
口でもケンカでも敵わない。百歩譲ってそれは認めよう。
だが利が、彼女をまんまと寝取られた情けない野郎だ、というのは変わらない事実だ。
キスやその他は知らないが、処女を奪ったのはまぎれもなく自分。それも事実。
こちらが多少、汚い手を使ったのもまた事実だが、
結局は結果がすべてだ。
男としてどちらが上か――それを自覚することで、徐々に朋矢は自尊心を取り戻していく。
「お前から離れてったくせに、取られたらキレるなんてムシがよすぎるだろ。んであげくオレに八つ当たり……ハッ、正直今のお前、かなりダセーぞ。そのへんちゃんと自覚してんのか? なぁ、ト・ー・ル・くん、よ?」
そうだ。なにがどうあろうと、こいつはただのフラれ野郎。
お前の負けだ。
オレの勝ちだ。
優越感に嘲弄の目を向ける。
恥辱に耐える利の表情、それを期待して。
だが、
「……はあ」
実際に、朋矢が目の当たりにしたのは、
呆れたような、飽きたような目の利が、乾いた溜息を吐く様で。
「八つ当たり。たしかにそこは否定できない。どうしようもない鬱憤をお前にぶつけに来た。それはまぎれもない事実だから」
「は、ハハ! やっぱ、」
「けどそれは優愛との、守永さんとの関係についてじゃない。そのへんのことはもう僕の中で折り合いがついてるというか、まあ、勝手にしたらいいよもう。お幸せに」
「――っ!」
利の台詞の終わりしな、響いた息を呑む音は、優愛からのもの。
見れば蒼白の表情、その口元を両手で押さえている。
利の心がすでに自分のもとにない――その衝撃を隠せない様子。
「はじめにきちんと言うべきだったかな? 僕が怒っているのはな、朋矢。他でもない、お前の勇者としての在りかたについてだよ」
「なにを……」
「竜のような魔族と戦っただろう。あの場――あの街にいたんだよ、僕は」
「!」
知らなかった、気づきもしなかった事実を告げられる。
視界の端で、優愛の顔がますます蒼褪めていくのを朋矢は捉える。
それを気にする暇もなく、グイッ、と手首を捻り上げられ、利の顔が間近に。
「なんでわざわざ、街の上空で戦った?」
「ッ」
「ああ、べつに答えなくていい。目立ちたかったんだろ? 自分の戦う姿を街の人の目に焼きつける、そのためだけにあんなところで、街の周囲にいくらでも広がってる草原のほうには移動せず、街への被害など欠片も考慮せずに――!」
「ぐ、ぁ……っ」
怒りに染まった目。
胸倉を締め上げられ、苦しみに呻きを上げる朋矢。
「どれだけの人が死んで、傷ついたと思ってる! お前のくだらない自己顕示欲のせいで、失われなくてもいい命が失われた……それでなにが使命だ! なにが勇者なんだ!! お前が、おまえがそんな馬鹿だったから――……くそっ!」
「! ゲホッ、ゴッボ……ッ」
怒り任せに放り出される。
咳きこみ、喘ぐ。尻もちをついた朋矢は、しばらくそれしか出来なかった。
ややあって、
「……僕らはこの世界に、来るべきじゃなかった」
ぽつりと、
先程までとは打って変わった、弱々しい利の語気。
「もともとがそういうものなんだよ、勇者は。レガスには居るべきでない、居ても仕方がない存在。――だから、帰らなきゃならない。本当はお前の犯した罪も、ここの法律に則って裁かれるべきなんだろうけど、……だけどこれ以上、もうこの世界に余計な混乱を招かないためには、やっぱり僕らは帰るべきなんだ。そうじゃないか?」
泣きそうな顔での、訴え。
彼は、皆元利は、
このレガスで、これまでいったいどんな経験をしてきたのか。
いったいなにがあれば、この懸命な訴えに至るのか。
優愛も、他のクラスメイトも、
おそらくは、この場のレガスの者のいくらかも、そう思わずにはいられず。
そしてそれは、朋矢にとっても正直なところであった――
が、
「――知らねーよ」
白金の闘気。
「キレてむざむざ手ェ放しやがった! “シャイニングネビュラァッ”!!!」
同色の全身鎧に姿を変えた朋矢が、
やはり同じ白金の槍、その穂先を無造作に、荒々しく振るう。
それだけで、
「ッ!?」
巻き起こる、光り輝く暴風。
吹き荒れるそれは会場の半分近くまで広がり、
「きゃああ!!」
「うがっ?!」
「ひぃいいいっ!!?」
勇者たちを、貴族たちを、テーブルを料理を、容赦なく吹き飛ばしていく。
もちろん、暴風の最も近くにいた、利も――
「――……」
嵐の中心。
しゃがんたまま槍を振るった朋矢が、やおら立ち上がる。
「……は」
その表情は、
「はは! ハハヒャハハハッ!!! 油断しやがってバァカがッ!! これが勇者だ! これが最強だッ!! 法律? 罪? ――知らねーよんなモンよぉ!? 一番強ぇえオレが正義だ!! 文句あんならオレを倒してみせろってんだ! できねぇーだろぉーがなぁーーーぁあははハハハッ!!!」
哄笑。
この世のすべてを見下し、笑い飛ばす者の。
「ひどい、よ……」
「ァア?」
弱弱しい、涙声。
鬱陶しそうに、朋矢が振り向いた先には、
「私、なにもしてないのに……じゃまにならないように、黙ってたのに……っ」
衣装のあちこちが裂け、同じくらい擦り傷も負った優愛の姿。
怪我を負っているのは他の勇者も同様で、中には気を失っている者もいる。
勇者でさえ、そうなのだ。地位はあれど一般人でしかないレガスの貴族たちは言うに及ばず。重傷そうな者も多く、かろうじて命の危険はない、といった具合。
「うるせーなぁ、怪我なんか治しゃいいじゃねーか」
「ッ!?」
しかし、事もなげに、
「てか優愛、とあと雑兵どもも、タルんでんじゃね? この程度の攻撃、防ぐなりなんなり咄嗟にでもしてみろよ。いつ魔族が襲ってくっかわかんねーんだぜ? この世界はよ」
「そん、な……っ」
「まーレガスの貴族お歴々がたには、あー、悪かったって言っとくよ。けどこいつらも所詮、オレが魔族どもぶっ倒してなきゃいつ死んでたっておかしくねーやつらだよな……なら守られたことに感謝こそすれ、多少のおいたくらいは笑って許す度量をみせてくれてもいーんじゃねぇ? おエラさんなら、そんくらいはよぉ」
「っ……」
ヘラヘラ笑みさえ浮かべる朋矢は、まったく悪びれず。
絶句し、途方に暮れた様子の優愛。
その表情が、不意に、
なにかに気づいたかのように、大きく目を見開いたものに。
直後、
赫々と、激しく燃え上がる、炎が。
「なあっ?!」
朋矢も気づき、驚愕に振り返る。
視線の先は、会場の壁際。
そちらはちょうど――
「……痛いなあ」
そう、
【神槍】による衝撃波で、利を吹き飛ばした方向。
「十年来の幼馴染に、ずいぶんな仕打ちじゃないか。なあ朋矢」
燃え盛る炎を中心に、
創痍の利はしかし平然と、こちらへ歩んできていて……




