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優柔不断




〈side:others〉




 いったいなにが起きているの……?

 目に映る光景を、上手く呑み込めないでいる守永(もりなが)優愛(ゆあ)


 炎の中を、利が歩いている。

 その格好は酷いもので、安っぽい旅装束はほとんど襤褸くず同然。

 両袖と右脚の裾など完全に吹き飛んでおり、剥き出した肌も傷だらけの血まみれ……


 そう思われたのに、


「!?」


 一歩、歩むごとに、傷はみるみる塞がっていく。

 優愛はなにもしていない。たしかに【聖女】の力であれば、あの程度の傷はすぐに治せる。利が立つのは会場の端のほうだが、このくらいの距離ならないも同然。


 だけど優愛が動くまでもなく、彼の傷はもはや跡形もなく。

 その体はむしろ、あの奇妙な炎に焼かれているように見えたにもかかわらず。


(ううん、あの炎は、まるで……)


 そう、炎は傷をこそ撫でるかのように、

 利の体を癒すかのように――?


「……トール、おまえ、なんだよそれ……な、なんなんだよこの火はっ?!」

「そんな、怯えなくても。これは誰も傷つけない、優しい炎だよ。ほら――」


 利が視線で示す先。


「う、あ……?」

「これ、ケガが……」


 気づけば炎は会場全体に広がっていて。

 その揺らめきに撫でられる端から、傷は癒え、気を失っていた者も次々目を覚ましていく。

 それはあたかも、【聖女】の癒しの力に似て。

 けれどもそれよりもずっと、

 どこか柔らかく、そしてどこまでも優しげな現象で。


 呆然と会場を見まわし、

 そのまま視線を再び利へと戻して、


「――っ?!」


 優愛は愕然とする。


「ありがとう、ミコ。お疲れさま」

『……っ』


 利の傍らに、それはいつのまにか現れていた。

 炎と同じ、燃える赤の髪と衣装。

 小柄な体躯はしかしふわふわと浮かび、目線が利よりひとつ分高く。

 否、それよりも、

 どこか見覚えのある顔立ちと、なにより利が呼んだその名は――


「なに……なんで? なんでその子が、そこにいるの……ッ?!」


 掠れた悲鳴のような声を、上げずにいられない。

 ミコ。

 優愛の知らないところで利と出会っていた、貧乏くさい小娘の名、そのもの。


「なぜって、どうしてそれを君に教えなきゃいけない?」

「っ!」


 ここへ来て初めて、利の両目がこちらを確と捉える。

 我知らず、血の気が引く優愛。

 端正な眉目はしかし見たことがないくらいに険しく、

 そこに宿る光は、激しい怒りと、蔑み。


「いや、意地の悪い言いかたをしたね。そういえば守永さん(・・・・)は、以前この子に会っていたんだったか。ただ生憎だけど、今ここにいるミコは、厳密には君の会ったミコとは違う。君が見殺しにした(・・・・・・・・)ミコは、」

「?! ぁ、ぅ」

「たしかに一度完全に死んだけど、――奇跡的にこうして、精霊として新生した。僕と共にあることを、選んでくれたんだ」


 努めて冷静さを取り戻したかのような、利の調子。

 しかし言葉の途中、ふと雰囲気が和らいで。

 浮遊少女を見つめるその目は、慈しみに溢れていて……


 わなわなと、優愛の口元が震える。

 やめて。

 どうしてその目を、そんな子に向けるの?

 彼の穏やかな視線は、優しさは、私のものなのに――!


「――ハハッ、なぁんだ」


 不意に、下卑た笑い。

 【神槍】を担いだ朋矢は、不遜な立ち姿で。


「彼女寝取られたくせにイヤに冷静だと思ったら……ハハハッ、もういたんじゃねーか、新しい女が! そのコが慰めてくれたから優愛はもういらねーってかッ?」


 利に言い返す絶好の機会とでも捉えたのか、嬉々として囀りだす。

 下種な勘繰りに満ちた声音。優愛でさえ胸が悪くなるが、

 台詞の一部は、同時に自身の気持ちの代弁でもあった。

 あの小娘が、トール君を誑かしたんだ。

 彼の気持ちが私から離れてしまったのは、だから、あの子のせい……!


「んだよそしたらオレも始めから遠慮することなんかなかっ、」


 嘲弄に満ちた朋矢の軽口。

 それを聞くともなしにしつつ、ふつふつと怒りを募らせる優愛は、しかし、




 ゴリッ




 という、嫌な異音で、我に返る。


「……もう喋るな、朋矢。僕はどう言われようと構わないが、ミコを侮辱するなら容赦しない」

「お゛、あ゛ぐ……っ」


 利が朋矢を殴打した音。

 すぐにそうとわからなかったのは、利の動きがまったく見切れなかったから。

 口元を押さえている朋矢。【神槍】はすでになく、出で立ちも鎧から平服へ戻っている。

 【弱体化】と殴打の、ほぼ同時行使――

 そう気づいたのは後になってからだが、いえ、それよりも、


 今までとは明らかに違う、殴打の音の質。

 思い返せばこれまでの打撃は、せいぜいが打ち身で済む程度の威力だったのだろう。

 けど、今のは……


「が、ぉ……ォレの、がお゛が……!」

「聖女様にでも治してもらえよ。どうってことないだろう、取り返しがつくものならさ」


 不自然に崩れた朋矢の顔面。

 頬骨を完全に砕いた証。容赦をしないというのは、つまりはそういうこと。

 人を痛めつける打撃から、

 人体を壊す打撃へ。


「なんの話だったか……そう、ミコは黄泉から戻ってこれたんだ。精霊として」

『……』

「そう、あくまで精霊として(・・・・・)だ。あの日、あの街で、お前たちの心底どうでもいい戦いのせいで、この子はたしかに死んだ。人としての生(・・・・・・)を、否応なく奪われたんだよ」


 朋矢と優愛への、怒りと侮蔑。その理由。

 どこまでも沈痛な表情で、利はそれを語る。


「人として生きる、そのうえで得られるはずだった喜び、幸せ……そういうものも、もうこの子には永遠に訪れない。人の世にありながら、人には触れられず、言葉も交わせず……それがどれほどのことなのか、想像はできても、真にわかってはあげられないだろう」

『……』

「それでも精霊になれたミコは、まだ幸いなのかもしれない。普通の人は精霊になれない。あの街でも、何人も死んだだろう」

「! わ、私はっ、戦いのあと街に下りて治療を、」

「けど救えなかった人もいる、だろう? そもそも再三言うけど、街の上で戦わなきゃ被害なんか出なかった」

「――ッ」

「いや、後からならなんとでも言えるか。本当のところ、なにも出来なかった僕に、なにを言う資格もないんだろうね」


 最後は独り言ちるように。

 他責から自責へ。

 本当に許せないのは自分自身、とでも言うかのように。

 そんな利を、


『――』


 労るように、傍らの浮遊少女がその肩に触れる。

 否、よく見るとその手は利を透過しているらしく。つまり本当に、触れられないのだ。

 それでもその仕草には、慈しみの真心が見て取れ、

 それを受ける利もまた、ほんのすこし安らいだように見えて――


 再燃する嫉妬を、抑えられない優愛。

 どうして?

 自分には力も栄誉もあるはずなのに。

 利の格好は浮浪者同然。もう片方も死人も同然なのに。

 なのにあんなにも、満たされているよう。


 一方でどうして私は、

 こんなにも渇いているの?


「さて、ちょっと脇道に逸れすぎた。いい加減、これで最後の確認にしよう。二人とも、


 ――元の世界に帰るのか。あるいはこのレガスに残る気か」


「っ……」


 もう何度目かの問いかけ。

 淡々と告げる利の表情は、この場に現れた時のような感情の窺えないもの。

 いつだって察しの良かった彼が、優愛の今の苦悩に気づいていないはずがない。


(トール君はもう、私の気持ちなんかどうでもいいの……っ?)


「お゛、ぐ……」

「……そろそろ治してあげたら? 出来ないってわけでもないんだろう?」

「あっ」


 不意に指摘され、ようやく顔面が崩れたままの朋矢のことに思い至る。

 同時に自身の傷もズキズキと痛む。朋矢の暴挙、そのとばっちりだ。

 慌てて【聖女】の力を行使する優愛。……思えば周囲の者たちを癒したあの炎は、優愛と朋矢にだけは及んでいない。


『……っ』


 見ればミコが、こちらを睨むようにしている。

 優愛たちを治さなかったのが、故意だとわかる。

 半死人の、幽霊のような分際で、なんて生意気なのだろう。


「治った? じゃああらためて、答えは、」

「――残るぜ。オレは【神槍】。レガスの、対魔大戦の要。お前みたいにチンケな力を掴まされて、あげくイヤになって使命から逃げるようなヤツとはちげーんだよ」


 くり返される問いかけに、かぶせるような朋矢の返答。

 おまけとばかりに辛辣な嫌味もつけ加えて。


「そう。今帰らないと、二度と帰れないかもしれなくても?」

「ッ?!」


 けれども利はそれも意に介さず、

 どころか、ついでのように初耳の情報を加えたうえでの、念押し。


 さすがに朋矢もうろたえた様子。優愛も、そう。

 家には帰れない? もう、二度と……?


「……っんで、そんな話が出てくんだよっ? 魔王を倒したら帰れるって、それは王家との約束で――!」

「だね。僕も聞いたから知ってる。けれども僕は、帰れなくなる可能性は十分あると思っている。あるいはこれは杞憂で、僕も知らないような画期的な帰還方法を、王国が独自に持っている可能性もないとはいえないけど……」


 朋矢と同時に、優愛もイリスのほうを見やる。

 思いもよらない、といった表情。レガストップクラスの魔術の知識を持つ彼女が思い至らないのであれば、利の発言も信憑性は薄れる。

 けどその信憑性は、どこまで保証される?

 利の言葉のすべてが嘘だと、本当にそう言い切れるのか。

 だって彼は、今まで一度だって嘘などついたことがないのに……


「でも朋矢、お前は残るんだよな?」


 なにげなく、

 とくに含みもなさそうに、利はぽつりと。


「僕とは違って使命から逃げず、勇者としての責務を全うする――そう言ったな」

「あ、ああ! 男に二言はねぇ!!」


 やはり淡々とした、裏表もなさそうな確認としか思えなかったが、

 自身の発言をくり返すようなそれを、皮肉とでも捉えたのか、

 なかば売り言葉に買い言葉のように、朋矢はついにそう言い切る。


「わかった。おじさんやおばさんには僕からなんとか言っておくよ。で、守永さん、君は?」

「ッ……わ、私?」

「うん。残るか、それとも帰るか」


 すると必然、最後の問いかけは優愛にも。

 どうしたらいい?

 二度と帰れないと言われると、どうしても悩んでしまう。家族は恋しいし、現代社会の便利さはやはり何物にも代えがたい。いつか買おうと思っていた服、駅前のおいしいスイーツ、一生かかっても消費しきれないほどの娯楽……


 けど、たとえ帰ったとしても、

 優愛の隣に、利はもういない。


 元の世界でも一生に一度逢えるかわからないイケメン。

 あらゆるスポーツを格好よくこなし、優秀な学業成績から将来性も抜群。

 というか異世界(レガス)でさえ、利ほど魅力的な異性と出会うことなど、ついぞなく。

 そんな男子が自分の彼氏だったことは、優愛の自尊心をおおいに満たしていた。


 ……満たしていた(・・)し、彼氏だった(・・・)

 不幸な行き違いにより、別れることになってしまった。


 元の世界に帰ったところで、優愛はもう利の元カノ(・・・)

 しかも原因はこちら側の浮気――優愛自身はそんなつもりなどなかったが、少なくとも勇者(クラスメイト)は皆そう思っている。

 あるいは帰るのが自分と利だけだったなら、まだ誤魔化しようもある。

 けどこの場にいないクラスメイトは皆帰ったという。これでは優愛に対して、口さがない噂が立つのはもう避けようがない。


 帰ったところで、針の筵だろう。身勝手に彼氏を振った、最低女として。

 だけどこのままここにいれば、

 聖女様として、人類守護の象徴として、

 あるいは最強の勇者の、一番の恋人として――


「――わ、わたしっ、」


 みじめな思いはしたくない。

 私は、私を大切にしてくれる人たちに囲まれていたい。


「私も! ……レガスに、残ります。それが【聖女】の、務めだからっ!」


 守永優愛は、決断する。

 精一杯見栄えのするような宣言は、利に対する決別の意志も込めて。


「そっか」


 けれど、それを受けた利のほうは、


「わかった。二人の決断を尊重するよ。じゃあ用事も済んだし、僕は行くね」


 酷くつまらなそうな顔で、

 台詞とは裏腹に欠片の思いやりもない声で、それだけ言ってあっさり踵を返してしまう。


 不意に優愛の内に湧き起こったのは、

 なにか、決定的に道を踏み外してしまったのではないかという、猛烈な不安。


「――ッハ」


 かすかな嘲笑。

 見れば再び【神槍】を構える朋矢。

 この期に及んで、背を向けた利にまた不意打ちでも仕掛けようとしているらしい。

 もうやめて! 余計なことしないで! とっさにそう叫びそうになる――

 直前、


 会場を覆わんばかりの炎が、赫く。


『……――ッ!!!』


 見れば利を背にし、あらん限りの怒りの眼差しでこちらを睨みつける、浮遊少女(ミコ)が。


「っ?!」

「ぐ……!」


 度肝を抜かれる優愛。

 怯んだ朋矢も、攻撃の意思は砕かれた様子。


 炎に脅威を感じた、わけではなかった。

 間近に迫るその熱に、炎の本質を垣間見たから。


 単純な燃焼という現象とは、おそらく違う。

 これはそう、怒り――

 あのミコという少女の、純粋な感情そのものの発露。


 なにより、なぜだろう……

 ミコの放つこの力には、もっと根本的な畏れ(・・)を覚える。

 それこそ勇者の“加護”など及びもつかない、大いなる、なにかを――


 そうして、会場のことごとくが静まり返るなか、

 利は悠然とこの場をあとにし、

 しばし睨みを利かせていたミコもまた、ほどなくフッと姿を消したのだった。

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