「7」 憎い(にくい)・醜い(みにくい)
「突然だけど、史也。君に話があるんだ」
表情が変わった。いつも、ニコニコしている橙星の、美しく儚いとも捉えがたいあの顔が豹変した。
橙星は、真顔だった。
例えば、真剣な話をしている時。これから大事な用事があるときの様に、橙星は真剣な顔つきで横を向きながら、俺に話しかけてきたんだ。
目が泳いでいるのが俺の立ち位置からでもわかった。これは……とても真剣な話なんじゃないか?
さては、家族の話か。優秀な一族とか言ってたよな。
俺はいつになく、真剣になり、平静を装った。心の内は真剣だった。
捉えかたにもよるが、真顔がすっとぼけているように見えるやつもいれば、俺みたいに直感で真剣に見えるやつもいる。あくまで主観だがな。
直感が、脳からの指令だってことは、わかってる。
だけどよ、わかってるのに、それをわかったうえで、俺は、戯言を言いたくなった。
自分でも今がどんな心理状況か、察しがつかないが、その直感を無視できるほど、俺は融通が利かない。
とんだ馬鹿野郎なんだぜ。俺ってやつはよ。まったく。
でもって、その直感を信じてみることにした。別に馬鹿が馬鹿って言われてもいいじゃねえか。当たり前のことだ。事実を言ってるに過ぎねえ。別にこうべをたれてるわけじゃねえが、それぐらいしてもいいくらいに俺は橙星の事を考えていた。
にしても、考えすぎちまったか………ここは、自然にいくしかねえよな。
「――なんだよ」
何かもっと言うべきだったか。
どんな話なんだ?
面白いのか?
真剣な話か?
話?おいおい、自己紹介してないだろ。
お互い名前しか知らねえ……そうか。俺は知ってるのか。
無条件で、俺は自分が糞だと思った。理由を語る必要はない。
俺のやってることは、ネタバレと同じじゃねえか。至
極つまんねえ。生き甲斐がない。だから、この期に及んで「なんだよ」の一言しか出てこなかった。
それは、あまりにも軽率で浅はかな発言だった。俺は、後悔するだろう。話を進めてしまったことに……そうだ。時間を永遠に止めてやればよかったのさ。
まあ、誰も気づかねえし、喜ばねえが、一回やってみるか。
《やめておけ》
わかったぜ。従うぜ。あんたに。それしか方法はねえよ。
「君さ、ヒーローKって知ってる?」
そうか、やはりそうか。そうなんだな。そうだよな。この時間では、俺は自己紹介をしていない。
つまり、橙星は、俺があの『ヒーローK』を好きなことを知らないんだな?そういう認識であってるよな?
うん。間違いないはずだ。
で、なんだって、『ヒーローK』を知っているかだと、もちろん知っていると言いたかった。
だが、橙星が、俺の顔を見たとき、どうもこれから楽しい話が始まる予感がしなかった。俺の返答を待たずに、橙星の口は開こうとしていた……
「――憎いんだよね。」
「え」
なんて言った?
まさかよ、そんな訳ねえけどよ。
俺が憎いのか?
いや、ちげえよな。ヒーローKのことだ。
憎い?なんで?なんでだよ。かっこいいじゃんか。
あの人が憎い?なんでだよ。教えてくれ橙星。その気持ちを俺にぶつけてくれ。
「そうなのか?くわ……」
「癪に障るよ。なんで、彼が、彼なんかが正義のヒーローなんだ……!」
『しゃくにさわる』の意味がわからねえが、ちょっと待てよ。
俺たち人類はあの「ヒーローK」に何度も救われてるじゃねえか。
あの時も、あの時も、あの時も……おかしいぜ。橙星、それは言っちゃいけねえってもんだぜ。
どういった心理で、「なんで」って言ってるんだ?
俺には、理解できなかった。
俺は猿じゃねえが、まるで猿が本を読む行為に近いものを感じた。
理解できないのに、理解しようとする。
だが、それを理解するには、まず言語を理解しなきゃならない。順番が違うんだ。そうだ。順番だ。俺は、人生の順番を無視できる。
でもそれって、間違いなんじゃねえか?
俺は、思ったことを口にするタイプだ。だから、この時も軽率で、率直な発言をした。
橙星という油に火を注いでいるとも知らずに………………
「え? それは、至極単純に強いからじゃねえのか……」
「どんな悪にも勝る。絶対は存在しない。でも、ヒーローKは、絶対勝つんだぜ」
絶対を、可能にした人物、それがヒーローKじゃねえのか?
少なくとも俺は、そう考えていたんだぜ。でもよ、橙星は、違ったらしいな。
その、鋭い眼光が俺を睨みつけたからだ。
「……へぇ、じゃあさ、その絶対正義が負けたら? どうなっちゃうの?」
負けたら?
負けるはずがない。
俺がそう信じているからだ。
この世の悪を全て殲滅するまで、ヒーローKは、決して負けない。
もう一度言う。俺はそう信じている。
「……え、考えたことなかったな。世界に悪が蔓延るとかか? すまねえ、あんまり上手く言えねえんだけど、絶対に勝てる者は存在しないんじゃねえか?」
俺たちの会話は、初対面の気まずい会話みたいに間があった。どもるんだ。俺は違うのにな。なんで、どもるんだ。
「わからないよ」
『わ か ら な い よ』
橙星の喋り方から、その「わからないよ」は、俺の言ってることがわからない訳ではないと、すぐにわかった。橙星は、可能性を感じているんだ。何かを知っている。まさか、あのヒーローKに……
「今からする話は、黙って聞いてくれないか?ごめん。口が悪いね。とりあえず、口を挟まずに聞いてほしい」
俺は頷いた。
「いいかい? ぼ、僕はね、ヒーローKの弊害を受けた一人なんだよ。彼の事をとても見過ごすことはできないんだ。それがもし、君の家族だったら……」
弊害?
家族に不幸でもあったんじゃねえだろうな?
嘘だろ……俺の脳内には父さんの顔が浮かんだ。
「――誰かに殺されたら? すまないね、今のは比喩さ。例えそれが、死じゃなくてもいい。もし、その絶対が、絶対正義が悪を善として正当化して、悪が正義を名乗っていたら……? 不愉快極まりないよね? 僕の話はわかるだろう? 君の意見を聞かせてほしいんだ。史也」
「わかるけどよ。それって、つまり……」
ヒーローKを……
「ヒーローKを倒すだけさ、簡単な話だよ」
「でも、最強だぜ? 無敗なんだぜ? 倒すって、そんな簡単に言うけどよ。」
「簡単さ。彼を消せばいい」
「消すって……まさか殺すのか?」
「あっはっはっ。そんなことしなくていいよ。フミヤ面白いね。君は本当に面白い」
「じゃあ、どうやって?」
「なかったことにするのさ」
「どいういことだよ」
「存在そのものを消すのさ。僕ならできる」
「どうやって?」
「それは、言えない」
「なんでだよ」
「いつか、言う日が来るよ。必ず」
「わかった。……え、でもよ。そんなことしたら」
「大丈夫さ。僕らが代わるんだよ」
「俺ら?」
「ねえ、フミヤ。どこまで、知ってるの?」
「なにも知らない」
「え、なんだって?」
「だから、なにも知らねえよ……」
語尾に近づくほど、俺の声は薄くなっていく。
「知らない――かあ。おかしくないかい? 君はおかしかった。これはまさに、You know me. I know you. じゃないのかい?」
「すまねえ。英語はわからないんだわ」
「わからない――へぇ。おかしいね。君が、本当に歴史也なのかい ?それに、本来なら何が? と、言うはずだ。」
「・・・」
「君にはっきり言っておく。君は……」
「・・・」
「君は死んだことになっている」
え、じゃあ……あの交通事故は、本物?
俺の、背中を冷たい風が走る。
その風は、死を予感させた。とても恐ろしかった。
悪寒がした。寒気がした。嫌気がさした。これ以上ないくらいに。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
「――え?」
「いずれわかるさ。僕の言っていた意味がね」
じゃあ、俺は死んで……全身から、汗が噴き出る。はあ。はあ。はあ。うぐっ。はあ。
《精神が不安定だ、別の時間軸に移動しろ》
はあ。はあ。気持ちが安定しない。
まるで、心臓を握られているみたいだ――どうやって?
どうやって、やったんだよ。
なんで、俺は生きてる?
「僕が醜いかい? 誰がやったと思う? 誰が僕を作ったと思う?」
俺とでも言うのか。
会話は覚えてる。
もう一度やり直す。
何度だって……
やり直す。
『戻れ』
◁TURN BACK▷
やり直す。そう思っていた。俺は、時間を操らずに、過ごした。あのオレンジ色のロボットの攻撃はなかった。なぜかって?
分からない。
だが、たったひとつ気になることがあった。橙星がいないんだ。
奇しくも、それもなぜかはわからなかった。
クラスのやつに聞いても、そんな人はいない。聞いたことない。からかってる?
などの水掛け論であり、俺は、頭をぶつけたんじゃないか。
だったり、疑心暗鬼を疑心暗鬼生じているんじゃないかと、難しい日本語を言われたりもした。
意味はわからなかっが、俺がやるべきことだけはわかっていた。
どうも不思議だった。
その異常さが、心にぽっかりと穴を開ける。
でも、歪だから、蓋はできないし、それに底が見えないくらい深いから、何かで、埋めることもできなかった。
そんな比喩ぐらいしか思いつかなく、その比喩は俺の心情を表すのに、ピッタリでもあった。
あれから、一年が経ち俺は宣言通りT大学に合格する。
だが、心に穴は空いたままで、クラスのみんなとも英雄に入って、悪を倒したりしたが、アクシオムは現れなかった。俺は……おそらくだが「アクシオム」と「皇橙星」とあの五人の留学生は、なんらかの鍵を握っている。と、踏んだ。
というか、もはやそうとしか考えられない。全ては必然の上に成り立っている。違うか?
今では、ヴァイヴァロスの声も聞こえねえ。不思議だな。今でも思い返してみると、あれは現実じゃなかったんじゃねえか。と、考えることがある。
たまに、あの日の夢を見ることがある。
『――憎いんだよね。』
『僕が醜いかい?』
『簡単さ。彼を消せばいい』
橙星の言っていたように存在を消されることがあるのか?それとも、時間軸の違う。平行世界に生きているんじゃないか?
今の俺は、一体……どこにいるんだ?
これは、現実なのか。
それとも存在しなかったはずの時間なんじゃないか・・・?
時折、そんなことを考えては脳内にあの一言が反芻する。
『君は死んだことになっている。』
そうなんだよな。俺は死んだんだ。うっ、頭痛がする。
死んでから、世界が変わった。いなかった人が存在し、いたはずの人がいなくなった。
それの影響かもしれない。
橙星がいないのは、俺のせい?
俺が時間軸を変えたから?
だから、橙星がいないんだ。
橙星は……
皇橙星は……
俺の友人である、皇橙星は……
死んだことになっている……?
そういうことなら、助けに行く。
誰かがじゃない。俺が助けにいく。
俺がやらなくちゃ……
俺にしかできないこと……
待っててくれ。
今は、まだ四月だ。
ならば……
『一年前に戻れ。』
番外編
「7.5」思考・意向
俺は、夢でも見ていたのか。現実が、嘘だったみたいだぜ。
実は、T大学と別で、気になる大学があった。K大学だ。源高校は、去年から有名になった。なぜなら、昨年は、つまるところ先輩達は少人数教育を受けていたからだ。
しかし、今年からガラッと方針が変わり、もちろんAMTの力もあるんだろうが、1学年につき、5つのクラスを設けるとしたんだ。
俺は、学年では、トップだった。筆記テストも毎回1位だったな。
だが、実技のテストだけは、最下位だった。そこで、俺は英雄所属の権利を剥奪される。
なぜなら、公にはなっていなかったが、実技のテストは英雄の関係者も関わっており、身体能力の高い者や、第六感の優れた者や、超人的な能力を持つ者達が、必然的に選ばれた。
そのなかでも、特に目立つ奴はいたが、大学生となった今、もう顔も覚えていない。俺は、勉強ができるという脳みそと引き換えに忘れっぽさを獲得したらしい。
こんなことになるなら、勉強するんじゃなかったな。大学でも、勉強面や賢さで凄いやつは、沢山いた。俺は、孤独だった。友達は、できなかったな。高校で、何をしたかと言えば、勉強。勉強。勉強。それしかやってこなかった。正直、何もかもどうでもよかった。父さんを喜ばせたい一心で、勉強してた。アルバイトは、してなかったな。父さんから、小遣いが貰えたからな。
そんなことより、アイツは…………何してるんだろうな。ここで、俺が言う「アイツ」は、誰を考えてもいい。そいつに会って、500円分のプレゼントを渡してやるんだ。たったそれだけでいい。不思議に思ったか?その脳みそで、よくT大学に行けたなってか?
まあ、思うよな。当然だ。俺は、勉強しただけじゃない。勉強法の勉強もしたからな、まずそこからだろ、備えあれば憂いなし、念には念を、用意周到。俺は、決して賢くはない。ずる賢いだけだ。
そこで、聞きたいことがあるんだが、本当の賢さってなんだと思う?
頭の回転?記憶力?地頭の良い人間?もしくは、学力?
さあ、どうだかな。
俺は、普遍的な信用が欲しい。
で、考えたんだが、本当の賢さは、脳に由来するのではなく、目に由来するんじゃねえかと思ったわけだ。
なぜなら、鋭い観察眼が、なければ、人間をまとめあげることはできないからだ。歴史の偉人たちは、信用を勝ち取った。どんな偉人も賢こかった。
例外はあるが、俺はどうなるんだろうな。ふふ。時間を遡りながら、俺はそんなことを考えていた。
見えた。あれは……