野犬
「じゃあ行ってくる」
「留守番頼んだわよ」
「良い子にしてろよ」
「ハイハイ、お土産よろしくね」
晴行が出て行ったあと、ドアがパタンと閉まった。よっしゃ一人になった! あたしは嬉しくてテーブルをバンッと手のひらで弾く。
現在夏休み中。父さんは出張、ママは高校時代の親友と旅行、晴行兄は国外にテニスの試合しに行った。一番早く帰ってくるのは恐らくママだけど、それでも二週間はかかるだろう。一応あたしは高校生なので、一人で家事ができることをみんな分かってくれているのだ。
「ふふ、桜エビ入りのお好み焼きが何回作れるかなあ」
うちはあたし以外海老アレルギーなので、海老を使った料理なんて滅多に食べられない。だからみんながいなくなった時こそチャンスなのだ。
「そうだ、まずは今日の昼食べようっと」
そうなったら善は急げ。あたしは台所へダッシュした。で、冷蔵庫を開けようとしたら、
『夕莉へ。海老料理作るのは良いけど、私たちが帰るまでに買った分はちゃんと食べ切っておきなさいよ』
このメモは多分ママだな。ハイハイわかりましたよ。ふて腐れたような声を出し、あたしは冷蔵庫を開けた。
「んで、と。たしか中力粉はあったな。卵ある、キャベツある、青ネギある、豚肉と紅生姜…はないか」
買いに行こう。あ、いや待て待て。念のためにテレビをつけてみよう。またアレが出ているかもしれない。
テレビをつけたら、眼鏡に紺色のワンピースのお姉さんが出てきた。この人ってことは…。
『ただ今、・・・にて野生動物注意警報が出ております。◯◯山から野犬が出没。現在、△△市西区に潜伏した模様です』
やっぱりね。というか西区は私の居住区だ。まあ野生動物注意警報なんてしょっちゅうだから今更驚かないけど。
『直ちに野生動物保護隊が出動しました。現在捜査中です。西区の皆様はなるべく外出を控え、やむおえず外出する場合は右図のような武器を携帯し…』
テレビを消して二階に向かった。一階は台所とお風呂とトイレと父さんとママの部屋。あたしと晴行兄の部屋は二階にある。中学生になった時に初めて自分の部屋をもらった。それまでは晴行兄が二部屋とも使ってて、あたしは未来の自分の部屋で居候状態になっていたという。ベッドも一つしかなかったから二人で一緒に寝てた。
「夜中に『お兄ちゃ〜ん』とか言って抱きついてきたよな。どうだ、寂しかったらまた一緒に寝てやるぞ」
晴行兄はよくこう言ってあたしをからかうけど、今はそんなの願い下げだ。一人の方が落ち着いてていい。
ま、それはさておき。
机の引き出しに手を入れ、愛用の武器を取り出す。あたしの足(脚じゃない)くらいの大きさのピンク色の麻酔銃。小学校に入学した時、父さんに買ってもらった。
外見は百均で売っているようなオモチャの拳銃と変わらない。だけど、威力は本物。直径5ミリの麻酔弾を込め、相手に向かって引き金を引いて弾が体のどこかに当たれば、それだけで相手を眠らせることができる。なんでも、弾が衝撃と生体反応を同時に感知した時に弾から麻酔ガスが出て相手の筋肉を痺れさせて動けなくするらしい。まあ、手入れのための知識さえあればいいから、科学的な仕組みがどうとかはあまり関心がないんだけど。
「よしと」
すでに六発弾が入っている銃をキュロットスカートのポケットに入れ、小さなプラスチックのケースに予備の弾を詰め込む。どんなに動き廻られようが一発で当てる自信はあるけど、まあ念のために一ダース持って行こう。
昔…本当に昔は、こんな気楽に銃を持ち歩くことなんてできなかった。市販の、麻酔銃だと分かっていてもだ。的じゃなくて人を撃つのが怖かったから。もちろん今ではそんなことなんてない。不審者に遭遇したら迷わず撃てる。
それでも…と時々思う。もしあたしが持っているのが麻酔銃ではなくて、本物の、人を殺せる実弾の銃だったらと。
もしそうなら、あたしは迷わず銃を放り投げて逃げてしまうんだろうな。例えどんなに危ない状況でも、人を殺すのは絶対にごめんだから。
まあそんな危ない事件が身近で起きるわけがないか。
例えどんなに危ない状況でも。
危ない事件が身近で起きるわけがない。
正直、あたしの願望でもあった。間違っても本物の銃で撃ち合いなんてしたくない。そんなのは映画の中だけで十分だ。
ーー
暑い。肌焼けちゃいそう。運動靴を通してアスファルトの道路からも熱気が立ち上ってくる。チラリと見た太陽は全てを焼き尽くす火の玉みたいに見えた。
こんな暑い中買い物なんて冗談じゃない。恨めしげに左右の新興住宅を見る。道路の両脇の家の皆さんが、道路にズラッと扇風機並べてくれたらいいのになあ。
「そんなこと、あるわけない。あるわけない」
さっさと買い物済ませてお好み焼き作って、リビングのクーラーつけてテレビを見ながらランチタイムを満喫しちゃおう! そう考えると自然と脚が早まる。
幸い、今のところは野犬と会わない。このまま何事もなければいいんだけどな。
新興住宅地を抜けた先に十字路がある。それをまっすぐ行ってしばらくしたら商店街だ。十字路まで歩いてまっすぐ…。
ん? なんか叫び声が聞こえる。
うわー! ガウガウ! ヒー! ガウガウ!
とっさにポケットに手を突っ込んだ。アレは単なる叫び声じゃない。悲鳴だ。恐らくは野犬と遭遇して…。
襲われてる!
銃の代わりに財布とエコバッグをポケットにしまい、あたしは走り出した。
ーー
悲鳴が聞こえたのは十字路を右に曲がってしばらく行った人気のない寂しい場所。ここら辺は野生の山に近いから、住人なんてほとんどいない。昔は住宅地が建っていたらしいけど、今は取り壊された跡だけ。しかも草が伸び放題。さびれた町ってのはこんな感じなのかもしれない。
んで、どこ?
麻酔銃を構えたまま、油断なく辺りを見回す。こんな場所じゃあたしも野犬のターゲットになりかねない。まあ、それでもどうにかなると思うけど…。
なんども言うけど寂しい場所だ。ここじゃあ助けを呼んでも誰も来てくれないんだろうな。さっきの悲鳴だって、そこそこ耳のいいあたしだから辛うじて聞こえたんだろうし。
今襲われている人はもう噛まれただろうか。もしそうなら、犬がが狂犬病を持っていないことを祈るしかない。あとはその人がワクチンを打っているかどうかも気になる。
あたしはできれば噛まれたくない。噛まれずに仕留めるにはどうする?
やっぱり狙うのは首もとかな。
「く、来るなぁー! 来るなぁ!」
ヴーヴー。
パンパンパン。
すぐそばの瓦礫の溜まり場から死に声と野生の唸り声が聞こえた。あと、銃声? 襲われている人は一応武器は持っているらしい。
空き地に積み上げられた瓦礫の山に駆け寄る。いや、壁かな? とにかく、それを登って空き地の中を覗き込んだ。
いた。
牙を剥いた灰色の野犬と空き地の隅っこに追い詰められた人。三つ編みの女の子で、ぱっと見あたしと同い年っぽい。
「来るな! 来るな!」
右手の銃をやたらめったら撃ってるんだけど、野犬には全く当たってない。危なっかしい手つきだ。こっちに弾が飛んでこないかが怖い。
ここで自分の銃に弾がちゃんと詰まっているかを確認。引き金もスムーズに引けそうだ。
女の子はあたしにまるで気づいていない。ありがたいことに野犬も。
よし、いける。
「やめて! やめて!」
野犬が牙を剥いた。口の端からよだれが溢れる。
今噛まれたらやばい!
一発で仕留めてみせる。
あたしは、野犬を狙って麻酔銃を構え、一気に引き金を引いた。




