出会い
ついてない。目の前の動物を見ながら思った。目をぎらつかせ、牙を剥き、後ずさりしても少しずつ間合いを詰めてくるそれを。
野犬だった。聞いたことはあるが、スピッツが野放しの犬を実際に見たのはこれが初めてのことだった。フェアーナでは全ての犬はきちんと管理されて飼われている。リードに繋がれていた飼い犬を見るだけでも怖かったけれど、彼らは襲ってはこなかった。しかし、目の前の野犬は…。牙の間からよだれがこぼれ落ちた。
(噛まれるだけかな。いや、私を食べるんじゃ…)
犬はものすごく嗅覚がいい。変身しているスピッツの正体がウサギだと悟ったのかもしれない。
(逃げなきゃ)
分かっていても恐怖で体が動かない。
(なんでこんなことに…わ、私は一体何を間違えたのさ…)
スピッツは震える手を肩掛けカバンに入れた。
◻︎◻︎
グリーン星を出発して二日。今日の朝ごろにスピッツは地球にたどり着いた。
真空レールから降りてまず思ったこと。それは、
(人が全然いない!)
だった。フェアーナ空港のような賑やかさはわずかもなかった。どこもかしこもガラーンとしていた。入星手続きをしたのはスピッツのみ。他の星の乗客はいなかった。おまけにチケットと兵士証を見せた手続き所の男性ときたら、不躾にも目を剥いてスピッツを頭からつま先まで凝視したのだ。
なんか変だなと思ったものの、彼を見て地球人がグリーン星人とほとんど外見が変わらないことがわかってただ単にホッとしたのだ。その時は。
それから空港から出るまでの間、スピッツはすれ違うスタッフというスタッフにいちいち凝視された。うっとうしいほどに。
「地球には、ウサギの兵士がいないんですか?」
そのうちの一人にこう問いかけたら、そのスタッフは飛び上がって驚いた。そしてすぐに、タブレットのようなもの(それよりは小さかったが)を取り出し、
「お願いします、もう一回喋ってください!」
なんて、浮ついた声でぬかしたのである。
(何浮ついてんだか)
興ざめしたスピッツは彼女を無視して空港を出た。
そして、地球人とぶつかるや否や彼らと話す間も無く、いきなり驚かれたりカメラを向けられたりしたのである。
「いやあの、お話があるのですが…」
「すっげえ、このウサギしゃべってら!」
「しかもなんか立って歩いてるし」
「え、あのここはどこ…」
「みーちゃん、こっち来てみー。珍しいものがあるよ!」
「ホントだ! ねえこっち向いて〜。ビデオ撮るから」
それでようやく分かった。自分は見世物にされているのだと。
次々に集まってくる群衆を自慢の脚で巻き、どうにか逃げ込んだ公園のトイレで変身して今の姿になった。
もうそれで人目をひくこともなかったが、スピッツの中で蓄積されていた苛立ちは消えることはなかった。
真剣な話をしようとして、面白がられた。
(こっちは自星のために地球に来てるってのに、なんで話も聞かずにからかいやがるんだか)
着いてすぐカメラを向けられ見世物のように扱われた。
(人気のない空港といい、私のことを珍しがったことといい、地球ってのは他星を進んで受け入れようとしないから、私たちのことも何も知らないんだな)
宇宙会議に出席するのは10回に1回の割合。
(なるほどね、さすがは宇宙会議にほとんど参加しないだけのことはある)
他星との共同宇宙開発をしない星。
(協力っていう発想がまるでないんだな。まあ分かってたけど)
「まあいいや、任務を果たさなきゃ。んで、こんな星からはとっととおさらばしよう」
隊長の命令通り、適当な地球人を「誘拐」しなければならないのだ。なぜかはわからないけれど、グリーン星のために。
それから、すれ違う人という人に
「ちょっとお願いがあるのですが」
と声をかけ続けた。だがそのたびに、
「お嬢ちゃん、変なこと言っちゃいけないよ」
だとか、
「あっち行って」
だとか、ひどい時には無視されるという結果に終わった。
(地球人の格好だからいけないのかなあ)
時々思ったが、カメラを向けられたことを思い出すと、なかなか本性を明かす気にはなれなかった。
そして十分ほど前、疲労困憊したスピッツはこの廃材置き場に倒れこんだ。人気のないところで立っていられないほど疲れた足と、折れた心を休めるために。
そして、野犬に出会ったのである。
ウサギの耳には何かが近づいてくる音が聞こえていたが、心身ともにくたびれたスピッツは顔を上げる余裕がなかった。
危機感を覚えたのは、脚に鋭い痛みを覚えた時。
何かに噛まれた。
恐る恐る顔を上げると、そこには灰色の犬がいた。首輪がない。近くに飼い主の気配もない。
(野犬だ…)
スピッツの顔から血の気が引いた。
ーー
噛まれた足が痛い。どうにか引きずって走るも、いつも野犬が先回りする。すぐに飛びかかろうともせずゆっくり獲物が疲れるのを待つような足取りに、とてつもない恐怖を覚えた。犬のくせになんて野生の生き物なんだろう。
自由行動中の仲間が数羽、狼に食い殺されたことがあった。その時は幸いラーシルとイチアールが駆けつけて狼を撃ち殺し、それ以上の被害は免れた。それでもあの時のことを思い出すと今でもゾッとする。
目の前の犬は、まさしくその狼の目をしていた。
震える手で、ウサギ兵士用に支給された実弾入りの銃を構える。力が入らない。
悲鳴は出し尽くした。誰もこない。また、「助けて」とは言わなかった。スピッツはあえてその言葉を喉の奥に封じ込めたのだ。
(私を見世物にした星の人間に助けを求めるなんて絶対にいやだ!)
どうにか手先に力を込め、連続で銃の引き金を引く。
パンパンパン!
「ヴーヴー」
野犬には一発も当たらない。三流兵士ぶりがこんなところで出るとは思わなかった。
「来るな! 来るな!」
肘が硬いものに当たった。行き止まりらしい。
(嘘でしょ…)
その時、瓦礫の山からかすかな音が聞こえた。耳だけはよく働くようだ。別の野犬が獲物を狙いに来たのだろうか。今の状態で二頭いっぺんに相手するのは不可能だ。
(お願い、当たって!)
パパパパン!
弾は見事に外れ、野犬は余裕の表情で舌なめずりした。その脚に力がこもる。いよいよ飛びかかって来る気らしい。
(隊長! ラーシル! メイサ! イチアール! )
もちろん今は誰もいない。分かっているけれど誰もいない。
(助けて!)
悲鳴が心の中で虚しく響いた。
「やめて! やめて!」
野犬の体が跳躍し…。
バン!
大きな銃声がすぐ近くでした。そして…野犬は脚から崩れ落ち、倒れて動かなくなった。
(え…)
「殺してないよ。眠らせただけ」
瓦礫の山から声がした。ビックリして振り向くと、一人の少女が瓦礫の山の麓に着地したところだった。
「一旦、野生動物保護隊に連絡しとく。この麻酔は三十分間有効だから、保護隊が来る方が早いかな」
「えっとあの…」
「ああごめん。大丈夫? 怪我はない?」
背中まで伸びた黒髪の少女は銃をキュロットスカートのポケットにしまい込み、にっこり笑って手を差し出した。
運命の出会いってとこですかね




