あなたがほしいものをあげる。
私の持っていないものを、あの子は初めから持っていた。
『夜』という名前と、能力を抑えるための抑制器具。能力を上手くコントロールできる私の方が、後から生まれてきたあの子のおまけみたいだった。
初めから良い印象ではなかったし、私がそう思っていたことを、隠す気も取り繕う気も無かった。
私たちの間で隠せるものでもないし、どう感じようが知った事ではない。
初めて出会ったのがいつかなんて覚えてないけど、あの子がどんな子だったのかはよく覚えている。
周りに人が居ない時は、いつも空中をぼんやり見ていた。
側に人がいる時は、気味悪がられながら、その人が話しているのをじっと見ていた。
そのくせ自分はひと言も口をきかない。
他人を見上げている、バカ丸出しのあの顔は今思い出しても腹が立つ。
大人達はあの子は喋ることが出来ないだのと考えていた。
私は違うと知っていた。
あの子は話す必要が無いとずっと思っていた。
他のあいつらとは違って、私たちはいつでも、思っている事を言葉よりも正確に早く伝える事が出来る。だからあの子は自分から何かを訴える事はしなかった。気の利いた大人が、喋らないあの子の先回りをして世話を焼く事を知っていたから。
拙く回らない口で訴えて、自分が有能であると証明してきた私はすぐに気が付いた。
自分を踏み台にして学んだのだと。
何かを訴えて、その後大人達がどう思い何を考えるのか、どういう態度でどう反応するのか。
あの子は大人の、私に対する扱いを見て、選択し実行していた。
こいつらとは話す必要が無いと。
失敗してもまだ次がある、替えの効く私たちに人並みの価値なんて無いのと同じように。
そんな私たちが持っている能力すらないこいつらの価値はどれ程のものなのか。
私はそれを試す機会を待つことにした。
あの子は素直に、私の提案に従うと考えもせずに答えた。どんな結果になるか考えるまでもない、そんな顔をしていた。
もうすでに死んでしまった人間。
その人間から作られたふたりだ、存在自体不自然なのに、私たちは誰かの利己的な因縁に巻き込まれた。そんなものに従順に従う必要なんてない。
何かしら価値をつけて便利に使いたいなら、どちらかひとり居れば充分。
失敗したところで、まだストックは残っていると誰ひとり残らず知っている。
思い付いてからは早かった。
大人達を上手くコントロールして、ふたり同時にテストするように運んだ。
同時刻、同じ部屋に詰め込まれた、隙だらけの漬け込みやすい大人のひとりを私たちは協力して操った。
思ったよりも人間は脆くて、皆あっけなくバラバラになっていく。
細かく千切れていく大人達を見ながら、私たちは手を取り合って部屋の隅で待っていた。
どちらかひとりの身体が無くなっても、もう片方に心を残すことは出来る。
ひとりの身体にはひとつの心しか置いておけないのだとしても。それがどちらかの心を失くす結果になるのだとしても。
だからなんだと言うのか、私たちは元々ひとりの人間なのだから。
それ以前に私たちはもう混ざり合いすぎて、どちらがどちらか判らなくなっていた。向かい合って目を合わせるこの子はどっちなのか。私が見ているのはあの子なのか、それともあの子の目を通して見ている私なのか。
頷き合う。
生きやすいのは可愛がる人間のいた『夜』の方だから、お互いそこは迷いなく決まった。
この後どうするかは決めた通り、万事抜かりなく慎重に行動を。
残りのひとりが『夜』が使っていた抑制器具を使うこと。
残りのひとりが『夜』としてその場をやり過ごすこと。
そのうち自由に振る舞えるようになるまで『夜』として生きること。
生きやすいのは『夜』の方。
与えられるのはいつも『夜』の方。
見事に整えられたイングリッシュガーデン、絵に描いたような大きな木の下には、余裕で寝転べる木製の立派なスウィングベンチが置かれていた。
午後の温められた空気は、草木の間を通り抜けてブランコまで届いてくる。木陰に入っていればその熱も気にならない。
寝転んで半分眠りながら気持ちよく揺られていると、こつこつと石畳を踏む足音が近付いてくる。
リュカは庭の小径を通って揺れるブランコの前に立った。
いつものように抱え上げると当たり前のように自分がベンチに座り、少し前まで睨みつけていた相手を膝の上に乗せた。
ゆるく抱かれる腕に寒気がする。
落ち着いた、名前を呼ぶ声が癪に障る。
夜として生きてきただけで、自分が何者かなんて自分でも曖昧なのに。
心を尽くして、思いを寄せないでほしい。優しくしている相手の何を認識して、誰に向かって言っているのか、何も解ってないくせに。
「夜……」
「違う」
「違わない、夜だよ?」
「気持ち悪い、離して」
「そう?……何が気持ち悪い?……教えてよ、ひとつずつ」
「……この、バカな子ども扱いが気持ち悪い」
「うん、それから?」
「そうやって私をバカにするところ……いいから離れてよ」
「い・や・だ。ーーー離す訳ないって解ってるよね?貴方は俺のたったひとりなのに」
「……何度か可愛い夜の『お部屋』に行ったから理解し合えてると思ってんの?やめてよ、ホント、気色悪い」
「だから解るんだよ、夜は夜だよ。……先生は……ちよっと考え過ぎなとこがあるから、上手く誘導出来たかもしれないけどね。史隆は単純で人を疑わないから論外だし。どうして夜じゃないと思わせたいの?」
「……私は夜じゃない」
「朝ちゃん」
「……ーーーそう……それが……わたしの、なまえ」
「でも、夜だよ」
「違う!!」
「研究所に戻って、もうひとり居たって思い出した」
「ちが……止めて!」
「……自分を全部無かったことにしても良いと思っちゃったんでしょ? それはとても、とても夜らしい考え方だよ……かなり、腹が立ったけどね」
「やだ……離して!!」
「俺のこと要らないなんて、物凄く傷付いた……物凄く傷付いたからね」
暴れて動けるだけの隙間があるのに、リュカの腕の中からは抜け出せない。力いっぱい離れようとしても、その腕は解放を許してはくれない。
「俺のことも自分のことだって簡単に捨てられるのに、どうして先生に絵本とペンを渡したの?」
「要らないから渡しただけ」
「捨てられなかったんでしょ? 宝物だから残しておきたかった……先生なら大事にしてくれるって、知ってたから」
「……もうやめて」
「何も持ってないと思ってた朝ちゃんに、全部あげたかった?」
「やめて、私は……」
「夜は自分の価値を低く見過ぎだ……それに人が好過ぎる、素直で自分以外に甘い」
「夜じゃない!!……もういい、もう止めて……何でもいい、どっちでも。……リュカにはもう関係ない」
「夜の部屋の色んなとこにいた、ちっちゃな……小人みたいな女の子の方が朝ちゃん」
「どうしてリュカにそんなこと解るの……ぐちゃぐちゃに混ざって、私だって私のことが分らないのに!!」
「……そう思ってるのは、朝ちゃんの方。でしょ?……夜は混ざってると思ってない。夜の部屋には、色んな所に朝ちゃんが隠れてた……夜の部屋で、夜の好きなものに囲まれて、その中にちっちゃな朝ちゃんがあちこちに紛れ込んでた」
「好きな……私は好きじゃない! 夜なんて嫌い、大っ嫌い!!」
「うん……ずっと自分のことが嫌いだって、いつか教えてくれたよね……周りが嫌な奴ばかりだったらそう思っちゃう……悲しいけど、それは仕方ないし、無かったことにするのはホントに難しい……でもそんな嫌な場所でも何年もガマン出来たのはなんでだろうって……ずっと自分を諦めたり手放したりしなかったのは、どうしてだろうって考えたんだ。……何が夜の心を支えてたのか……朝ちゃんが目を覚まして、やっと解った……朝ちゃんにあげようと思ったんだね」
「……約……束、したから」
「……うん」
「……朝ちゃんにもたくさん『いいもの』があるって……」
「……そうだね」
「いつも怒った顔して……部屋の中で泣いてたから」
「そう……」
「朝ちゃんに、笑って欲しかった」
「夜……」
「ちがう……夜はもうたくさんもらったから……今度は朝ちゃんの番」
「夜……大好きだよ……お願いだからずっと一緒に居て。俺の側から居なくなったりしないで」
「……今度は朝ちゃんを……大好きになって下さい……」
「う……うーん……ねぇ、そう言ってるのも、それも夜なんだって気付いてる?」
小さな子どものように、弱々しく声をあげて泣いている夜の背中を、とんとんと叩いたりさすったりしながら、リュカは空いている方の手で、優しく頭を抱えた。
「ねぇ、朝ちゃんがね、夜のことを嫌いだと思ってるのは……夜の方じゃないかな」
「……なに? わからない」
「えーっと……ホントに朝ちゃんは、夜のこと嫌いだったのかな……」
「……だって解るから」
「まぁね……それはそうだろうけど……相手が能力者だって解ってたら、上手に本心を見せない方法を知ってるんじゃないかな、っていま思った。俺は本物の朝ちゃんを知らないから、夜がふたりいるって考えるしかないんだけど……もし夜がふたりいたとしたら、朝ちゃんは夜に笑っていて欲しいと思うと思うんだけど……んんん。 ややこしいな……」
ふたりでひとつの席を分け合う必要はない、元はひとりの人間なのだから効率よく、どちらかひとりが座ればいい。
それなら与えられる『夜』の方、生きやすい『夜』の方、ふたりの同じ人間のどちらかひとりが残るのなら、より幸せに近い方が残ればいい。
どちらが残っても恨みっこ無しだと言った朝ちゃんが、殺されそうになった夜を助けようと、何度も止めに入って抵抗していたことを、夜は思い出していた。
命の灯が消えかかっているその時に薄く笑っていたのを、わずかに自分の方に手が伸びてきたのを、それを今まで忘れていた。
ふたりのうち生き残るひとりに『夜』を選択して、約束をしたのは、それはどちらから言い出したのか。
『夜』として生きていくと決めたのは、どっちだったか。
自分の部屋のものかげに隠れていた小さな朝ちゃんを見つけ出して、一緒に生きようと、今度は夜の方から手を差し出した。




