放置ズのデエト。
静かな教室に聞こえているのは、鉛筆が紙の上を叩く音。
気に入らない形の文字を消す、消しゴムをかける音。
プラスティックのボタンを叩く軽い音が休みなく小さく続いている。
目線を上げると大きな円卓の向こう側にいる史隆はゲームに相当集中しているらしい。
椅子の上で胡座をかき、前傾姿勢でコントローラを抱え込むように握っている。
自分の手元に視線を落とす。
練習帳に並んだ文字はお手本よりも少し違って見えた。線の数も曲がり方も間違ってはいないのに、琴野の書いてくれた字と比べるとバランスが悪いと感じてしまう。
それでもびっしり書き込まれたノートに満足感を得て、両方の口角は知らずに持ち上がる。
お手本を書いてくれた琴野は、姉の結婚式で2日前から実家に帰省中。同じタイミングでリュカも理事長の要請に応えるために出掛けてそのまま帰ってきてはいない。
都も昨日の昼に呼び出されて出て行ったきり。
この教室にいるのは夜と、今もゲームに集中しっぱなしの史隆のふたりだけだった。
キッチンで電話の呼び出し音が鳴り、夜は席を立った。史隆はヘッドフォンをしているので電話が鳴っているのに気が付いていない。
電話は榊からで、少しだけおしゃべりをすると夜はキッチンから一歩だけ出て、史隆に見えるように手を振る。
「なーにー?」
ヘッドフォンを素早く外す。それでも目はゲームの画面に戻っているし、コントローラも両手に握られたままだった。
「美和ちゃんがかわってって」
「んー。……ちょっと待ってよ……」
会話が聞こえていたのか、様子を察したのか、受話器の向こうから催促らしい声が漏れ聞こえてくる。待つのが苦手な保健医をこれ以上待たせても何の得もない。史隆はキリのいい所まで進むのを諦めてコントローラを置いた。
受話器を渡すと、夜は元の位置に戻って、次のページをめくる。マスの一番上には琴野のお手本の文字。買ってもらった漢字ドリルで書き順を確認して、お手本をよく見ながらその下に同じようにゆっくりと書き写していく。
背後に気配を感じ、自分の手元を覗かれている感覚がして夜は手を止める。
「はは……めっちゃ『鳥』だな……」
「20個は書くからな」
「……俺より字が上手だわ」
「ほんと?!」
「夜、『飛行機』って書ける?」
「ひこうき……とぶがむずかしい……き、も」
卓に広がっている漢字ドリルの表紙を見て、可愛らしい猫のイラストの横に印刷された小学二年生の文字に、史隆はああと声を漏らす。
「2年生じゃまだ習わないか」
「まだ……だな」
読めはしても書き取ることが困難なのは、字を教わり始めてすぐに分かった。
鉛筆やペンで何かを書くという作業に慣れていない夜は、それこそ小学二年生が使うようなマス目の大きな練習帳に大きな字を書いている。
「夜……さ。飛行機、見に行かね?」
「ひこうき?!行く!!」
夜はノートを勢いよく閉じて、その上にドリルを重ねる。
漢字を練習したくて練習したくてしていた訳ではない。みんなのようにゲームが好きではないし、楽しさもよく分からない。暇を持て余してやる事が無いので、それならとお勉強していたのだ。
史隆の提案はこの上なく素敵に思えた。
「あー……。先生はここで留守番するか、保健室に来るかって言ってたけど」
「やだ!ひこうきがいい!!」
「保健室だったら、先生も……あと、都もいるってさ」
筆記用具をふでばこに片付けていた手を止める。
「……史隆は、つれて行きたいのか、行きたくないのか」
「いや、俺はひとりで行くのはつまんねーから、一緒に行きたいんだけど」
「もう!だから行くっていってるでしょ!」
「……ルカに怒られるのかなとか思ったり」
「おこられるようなコトしなきゃいいでしょ!」
「……うん、すでにふたりきりの時点で怒られ要素満載なんだけどね」
「じゃあ、リュカの前にわたしがおこるからな!」
「……じゃあってナニ?……夜はかわいいなぁ……」
「……そのかわいいが、妹と同じかわいいだと、どうしてリュカに言わないのか」
「ふへへ……その方がイロイロ面白いからでしょーーー……行っちゃいますか?」
「行っちゃいます!!」
「ようし!そんじゃ、かわいい服に着替えて出発だ!!」
「でーとの時のやつか!!」
「もちろんでしょ!!」
車内でのおしゃべりは尽きない。
見える景色のひとつひとつにあれは何だと夜の質問があり、それに答えたり気になった所に寄り道したりと楽しいデートはもう二時間以上続いていた。
「夜って街に出るの初めてじゃないよね?」
「……でもいつもバイクだからな……」
「ルカ兄さんに今度から車で行けって言っといてあげような……」
「車はたのしいな!」
「こんなにハイテンションおしゃべりモンスターだって知らないだろうねぇ」
リュカと学園外に出掛ける時は、行き先はすでに決まっていて、目的地まで寄り道もしない。いつも身軽で便利だからとバイクで出掛けていた。
バイクだとおしゃべりを続けるのは難しい。
「飛行機は?見に行ったことある?」
「ない!くうこうも、ひこうきもはじめてです!!」
「空港?……あー。ごめん……ちょっと夜が思ってるのとは違うかも」
「なにが?」
「今行ってるの、飛行場なんだよね」
「ひこうじょう……?ひこうきがとぶ所でしょ?」
「まぁそうなんだけど……そんな……」
「史隆!たこ焼きアイスってなに?!」
「なんだそれ?!」
今までの話はその場で綺麗さっぱり無くなって、ふたりの頭の中は初めての単語でいっぱいになっていた。興味しか湧かない赤いのぼりが風にたなびいている。史隆は迷いなくその方向にハンドルを切った。
街は遠ざかって、徐々にいつも見ているような緑色が増えていく。
違うのは高い山の上ではなく、周りを山に囲まれた開けた台地のような景色。
結局4時間の道のりで辿り着いたのは、それほど頑丈そうには見えないフェンスが張り巡らされた、広い土地が寒々しい民間の飛行場。
滑走路のアスファルトはひび割れて、その間から雑草が寂しげにひらひらと手を振っている。
土地の端っこには小さな二階建ての事務所に見える建物があり、どうやらそこに管制室だったり、ターミナルだったりが詰まっているらしい。
建物横の申し訳程度にある駐車場に車を停めて、バスの待合室のようなラウンジを通り抜け、何かの跡地のような滑走路に出ていく。
寄り道せずに真っ直ぐ来ると半分の時間で到着する場所にふたりは立っている。
もともと時間に余裕はあったし、暇を持て余していた史隆と夜には良い時間潰しだった。
「車しかない……」
「あー。……ねぇー?……もう少ししたら飛行機来るから」
「……そう、わかった!!」
広場の中央に向けてなんとなく走り出した夜を、史隆が呼び止める。
「ああ、これこれ。そこは飛行機が走る場所だからこっちにいなさいよ」
「む……そうだな!わかった!」
史隆は自分の腕時計で指定の時間まで10分弱なのを確認する。走って戻って来た夜が史隆の腕時計を覗き込んだ。
「ひこうきに乗って、だれが来るの?」
「それは聞かなかったな……運ばれたモノを受け取って、俺たちがまた別の場所に運ぶの……今度は車で」
「ふーん……なにをはこぶの?」
「さぁ……それも聞いてない。まぁあの車で運ぶんだから、そんなに大きなものでもないんじゃない?」
「そうか。……来てからのお楽しみだな!」
「だなー。俺らに任せるくらいだから、そんな危ない感じでもないんじゃない?」
「だなー……」
夜は聞いているのかいないのか、気持ちのこもらない返事をし、少し前からしゃがみ込んで、足元の草を引っこ抜いては投げてを繰り返していた。
1メートル四方の雑草がきれいに無くなった頃、形のくっきりとした雲がぷかりぷかりと浮かんでいる薄水色の空から、エンジン音が聞こえてくる。
夜は立ち上がり、どこから音が聞こえているのかと空を見上げてくるくると回り出した。
間もなく、太陽の光を小さく反射させた白い機体が現れる。
夜は嬉しそうな声を上げて、史隆の側に駆け寄った。
目の前を通り過ぎた流線型の機体にくっきりと青いラインが入っているのが見えた。
一度ふたりを通り過ぎ、大きく旋回して滑走路に降りてきた飛行機は、鼻の先に青いプロペラが付いた軽飛行機と分類されるもの。
人は多くても10人も乗れそうにない。
乗れたとしてもそれはそれは窮屈な思いをしそうなほどの大きさだった。
乗っていたのは操縦士ともうひとり。
史隆の知っている顔だった。
たこ焼きアイス……もっさり感のあるB級グルメ(創作)を出したつもりが、ググってみたら……実際あるもんですね。
しかも種類も割とあったりして。
どんなでも史隆と夜なら喜んで食べたのではないでしょうか。
さて。
この章のタイトルはアヴリルさんの曲から引用しております。
今はまだそんな感じは微塵もないですが。
そのうちじわじわタイトルと歌詞の内容が滲み出て来たら良いなぁとね、考えております。
Avril Lavigne『Avril Lavigne』収録曲




