クイズです。
部屋はそれほど広くはない。
学園の長の付く人の立派な机の後ろの窓にはカーテンが引かれていて、照明は灯ってはいても薄暗い。
アンティークの重そうな家具や、緻密な柄の絨毯、革張りのソファに部屋の明るさはこの上ない程よく似合い、嫌味なく上品に感じる。
ふたりは座れそうなひとり掛けのソファには新谷が座り、その肩を軽く叩くと夜はローテブルを挟んだ反対側のソファ、都の隣に腰を下ろした。
新谷は身じろぎしたのか、ソファの皮がぐぐっと擦れ合った音を立てる。凭れていた姿勢が前のめりになって、そこでやっと新谷は目を開けた。
おはようと声を掛けた都は背もたれに体を預けきり、そのままずるずると床に落ちてしまいそうな態勢をしている。
「……良く寝てたけど、どう?日々のお疲れもすっかり取れたんじゃない?」
「……ここは」
「理事長室だよ……さっきまでいたんだけどね、なんせ忙しい人だから」
「どうして……こんな部屋に……」
「やだなぁ、忘れちゃったの?」
なんかした?と都は夜の方をちらりと見る。
夜はちょっとだけ両肩を持ち上げると、まだ寝ぼけてるんたよと都と同じように背もたれに身を沈める。
「あんまり甘く見積もってるもんだからさぁ、ちょっとイラっとしちゃったよね」
「……何の話だ」
「やめてよ、新谷さーん。彼女の前で分からないフリとか意味無いからさぁ」
都は床に届かずぶらぶらさせていた足を折りたたんでソファの上で胡座をかいた。
新谷は途切れる前の記憶を取り戻そうと自分の膝の前に指を組んでしばらく絨毯の柄を目で追っている。
「……外に、居たはずだ。そこで意識が途切れたぞ、この女が私に触った途端に……」
夜を見上げるように睨み付ける。組まれた指先は力がこもり白っぽくなっていた。
その視線を夜は平然と受け止めると、ふふと小さく笑いを漏らす。
都もあれあれと口を動かした。
「どうしちゃったの?もっと紳士っぽかつたのにキャラ変わってんじゃん。怒ってんの?イライラしないでよ、体に悪いから……あ、そうか」
ごめんごめんと笑いながら都はソファを下りて、壁際のチェストの扉を開ける。その中の小ぶりな冷蔵庫から、ペットボトルの水を取り出すと新谷の前に置いた。
「……そりゃお腹が空くとイライラもするよね、でも急に食べちゃ胃がおかしくなるから、とりあえず水……あ、その前にトイレ行っとく?」
薄く水滴の付いたペットボトルを見つめる新谷は、分かり易く困惑の表情を浮かべていた。
周りを見回した時に気にはなっていた。
この部屋には時間の経過が分かるものは時計ぐらいしかない。それもはるか昔から時間を刻んでいそうなアナログ式の時計がひとつ壁に掛かっているだけだった。
部屋の薄暗さや、窓のカーテンから考えて日暮れの後だという事は分かった。
時計は8時を少し過ぎた辺り。新谷は数時間ほど気を失っていたのだろうと推測していたが、都の言動でそれも改めなければいけないのかと思い始める。
差し出されたこの水にも何が入っているのか分かったものではない、そう考えていた。
「大丈夫だよ、なんなら毒味でもしようか?」
にやにやと薄笑いを浮かべてこちらを見ている少年を侮ってはいけない事を思い出した。
冷静に対応しなくては食われて飲み込まれてしまうと、姿勢を正すとペットボトルに手を伸ばす。
「……いや。……いただこう」
中身の半分以上をひと息に飲むと、やっと気分を落ち着けてボトルをテーブルの上に戻した。
そりゃ喉も乾くよねと都はそれまで座っていた元の位置に戻って先程までと同じように座りなおす。
「……他に、一緒に来ていた者は」
「ああ、新谷さんのお友達?……大丈夫、心配しないでもいいよ。ちゃんと帰ってもらったから」
「帰ってもらった?」
「うん、十二人全員ね、ちゃんと生きてるからご心配なく。ただ……帰ったっても、どこに帰ったかはよく分からないんだけどね」
「……どういう意味だ」
都が隣にいる夜に視線を向ける。夜は面倒くさそうにのろのろと背もたれから背中を離した。
「……『帰りたい』と思わせただけだ。……どこに帰りたいってなるかは、人によって違うでしょ……だからどこに行ったかは知らないし、わかんない」
「んまぁ、そういうこと。よっぽど新谷さんに忠誠心がなきゃもう戻って来ないよね……今頃実家でお母さんのごはんでも食べて、ゴロゴロしながらテレビでも見てんじゃない?……って、そんな事どうでもいいしって顔しないでよ。こっちもかなり良心的な対応させてもらったんだからさ」
「……私はどの位気を失っていたんだ」
「いくら寝るだけだっても、お腹空いてヤバいんじゃね?ってくらい?」
三日はムリだと吐き出すように苦笑を浮かべる夜に、だよねぇと可愛らしく首を傾げて都が答えた。
自分の体の調子や、精神の状態が万全ではない事はなんとなく感じていた。それこそ作っていたキャラを保てない程には疲弊して、頭が回っていない事も自覚していた。
三日、と思わず口からこぼれ出て、それすら自分ではコントロールが難しいという状態に動揺もしている。
「そうだよ、ずっとその椅子に座りっぱなしだったんだけど、大丈夫?体痛いでしょ?」
にこにこ笑顔を浮かべながら、天気の話でもする調子でさらに都は続ける。
この三日の間に何が起こったのか考えてみてよと。それは自分の身に起こった話だけでは済まない。冷静に状況を読んで話を進めなくては、ここに居る理由は無くなってしまうからね、とさらりと言ってのけた。
手の中が湿っている。
気を紛らわせる為に目の前の水を飲み干してしまいたくなるが、体は動こうとはしない。
新谷は手の中だけではなく、額や背中に汗が滲み出している感覚に、せわしなく動いている心臓に、落ち着きなくあちこちに飛ぶ思考に顔が歪んでいく。
この子どもの言う通りだと思う他ない。
人を操ることの出来る人間が目の前に居る。
体だけではなく、精神までも思うままに出来る。
簡単にやってのけるのに眠らせるだけにとどめ置かれている理由はそれほど多くないはずだ。
「私の研究を……一ノ宮に持ち帰れということか?」
「ぶ・ぶー。ざーんねーん」
都が両腕で大きく×の字を作る。楽しそうに、笑いながら。
「簡単に寝返るような人間は一ノ宮にはいりませーん。それにマルクスの研究には一切興味がございません。ていうか、そっちの研究データなんて手に入れるくらい簡単にできるの。これ、ヒント1ね。ハイ次!」
「……ビーストから手を引けということか」
音もなく夜がすらりと立ち上がり、少しだけ頭を傾げ手のひらを新谷に向ける。
「それは?……だれのことか言ってみろ」
喉の奥に何かが詰まった感覚がして、呼吸が止まる。同時にひどい耳鳴りが始まり、地面から急激に這い上ってくる恐怖に足をばたつかせて、新谷はソファに座ったまま後ろに下がろうとしている。
お前ひとりくらいこの世から消し去るなんて簡単だから、いつもより数段低い声でゆっくりと言葉を紡ぐ夜のスカートの裾を、まぁまぁと都が引いている。
「……そういうとこ気を付けて。まぁ、結果的にそうなるんだけど、それは答えじゃない。……帰っちゃったお友達の事も思い出してみてよ」
これで最後、さすがに次は止めないよと都が言って、ようやく夜は手のひらを下げ重力に任せて都の横に腰を下ろした。
今なお後ろに下がろうともがいている新谷は、とても人の話が聞ける状態ではないはずなのに、頭を激しく上下に振り、空気を肺に取り込もうと必死で喘いでいる。
顔にある穴という穴から液体を流しているのを見かねて、ティッシュいる?と都がへらりと笑う。
「答えはとてもシンプルだよ。……さぁ、考えて。あんたの口から答えを聞きたいんだ、新谷さん?」
カーテンを開いてそれから窓を開け、その外側にある木製の鎧戸を史隆は押し開く。
机や椅子のカーブに艶のある白い光が反射している。
「……どうすんの、これから。……あと、その人」
「言ったろ、遠慮なく楽しんだら良いって。……後で本当に暗くなってから病院の前にでも放り投げに行こう……それより電話、電話」
古めかしく作り込んである電話の受話器を持ち上げ、数字を押していく。
「とりあえずどこ行く?最終日だし、もっかいほのかさんのカフェに寄ろうか?」
受話器から小さく聞こえていた呼び出し音が途切れると、都は二言三言話すと受話器を置いた。
はい。
学園祭最終日の午前中の出来事でござーい。
クイズの正解は、…………は、いいか。
とりあえず新谷さんは不正解でした。
焦らせて追い込んだ上に答えを引き出したくて、三日経過したと思わせたかった都さんでした。
なぜ三日かといえば、特に理由はありません。
残念ながらみんなが思ったような結果にはなりませんでした。




