月まで行っちゃう?
「まぁ、都はギリセーフだな。ーーーでも、お前はダメだ」
何でだと顔をくしゃくしゃにさせて抗議する史隆の横で、都がやった!と手を伸ばしている。
この間9歳になったばかりの都は、体重が軽い。
背の高さもリュカの身長の半分より少し大きな程度。
まだ子どもだからリュカは抵抗なく都を抱きかかえた。
大木にしがみつくように、都は両脚をリュカの腰に回している。
準備は万端だと言いたげに目は期待で輝いている。
首に回された両腕に、苦しいよと笑い返す。子ども特有の甘くて丸い匂いにリュカの頬が緩む。
とくとくと、自分よりも速いリズムの心臓の鼓動に、幼い弟の姿が瞬間よぎる。
懐かしさと切なさで上手く息が吸い込めない。
過去にふと引き込まれそうになるリュカを、強引に史隆が引き戻す。
「でもでもでも!俺の体重だって、別にルカには余裕だろ⁈」
「ーーーだったら何だ。お前、自分の年考えろよ」
「ふみくんはまだ16しゃいでしゅ!」
「……お前、もういいから下がってろよ、邪魔だ」
「何だよ‼︎俺も抱けよ、ルカ‼︎」
詰め寄って来る史隆と相対するリュカの背丈はそんなに変わらない。
リュカは一歩後退して、史隆の頭の天辺からつま先までを視線が何往復かする。
体重も体格も似たり寄ったりな一つ年下の同性と向かい合わせになって抱きかかえるなんて、気持ち悪い。
しかもそんな姿誰にも見られたくないし、想像すらしたくない。
「俺を抱いたら、絶対イイぞ!俺はスゴいから‼︎スゴいことになるから‼︎」
史隆の能力を考えれば、言わんとしている事は充分に分かる。
分かるが、だから、じゃあ、やってやるとは1ヨクトメートルも思わない。
そんな事より、さっきからこの16しゃいは何を言っているのかと、リュカの眉間の皺の数が増えていく。
「ーーーお前……、さっきから自分が言ってる事、冷静に思い出してみろよ……」
「………ーーーアラヤダ気色悪いったらない‼︎」
安っすいBLが始まったのは、夜とリュカが一緒に特科に戻ってきた時。
最近、理事長からの要請が増えてきたリュカは、しばしば呼び出されてひとり単独で出かける事が多くなった。
リュカが留守の間放置されている夜は、同じように暇を持て余している史隆と学園内をうろつくようになった。
出先から大急ぎで矢のように真っ直ぐ戻ってきたリュカは、教室にいなかった夜を、まだかまだかと待っていた。
夏の来る前から日課のように続いている『お買い物』に出かけて行った夜と史隆がなかなか帰ってこない。リュカは広い学園内で入れ違いになる事も構わないと、本校舎近くの売店まで迎えに行く事にした。
遠い売店まで、ふたりはアイスクリームを買いに行く。
店の前でアイスを食べ、スナック菓子を分けあって食べる。
秋になってもそれは習慣として続いていて、リュカにとって何ひとつ面白いところのない話だった。
理事長に呼び出され、人に言えない内容の要件を片付け、面倒ごとに巻き込まれている間、愛しの君とアイスを食うヤツがいる。
ただの嫉妬だと分かっている。だからといって冷静に構えられるのでもなければ、腹が立つ事に変わりない。
一緒にいられる時間が削られている上に、改良を加えた腕輪のおかげで夜の能力はほとんど無い状態に抑えられている。
今まで近くにいるだけで手に取るより簡単に確認できていたお互いの想いは、言葉にしないと伝わらないし、聞かないと分からなくなってしまった。
夜は自分で自分の能力をコントロール出来ない。
相手の心の中身がいつでもどこでも聞こえてきたり、物に触れるにも細心の注意がいるこの能力は、夜自身を痛めつける事が圧倒的に多い。
その能力をほぼゼロの状態に抑えられるなら、夜にとってこんなにいい事はない。
普通の人と変わらないなら、その方が夜の精神衛生上、良いに決まっている。
ただ能力ゆえに避けていた人との関わりを気にすることが減ってきた。
持ち合わせていた好奇心も手伝って、積極的に学園内のいろんな場所へ出かける事が増えた。
夜にとっては良い事だと思っている。
濁った感情や曇りきった心の取り払われた夜の世界は、綺麗な色に変わってどんどん広がっていく。
リュカもそれは分かっていても、他人の目に、特に他の男どもの目に触れると思うと腹を立てずにはいられない。
そんな最近の状態も相まって、夜と無事に合流した帰り道、リュカは特科に帰り着いた途端にふとした思い付きに体が動き出した。
と、言いたいが『ふとした思い付き』では全然なかった。
しばらく我慢していた夜をべたべたに触りたいという欲で、体が勝手に動いていた。
深い森の中、特科の校舎が木々の間から見える位置に来ると、リュカはほんの少しだけ手を引く力を強めた。
リュカにとってはほんの少しでも、夜は充分に体を引っ張られてバランスを崩す。
転ばないように正面から体を抱きとめて子どものように抱え上げると、そのままリュカは走り出し、森を抜けた瞬間、体を沈ませると両足で地面を蹴り飛ばした。
前方、斜め上に向かって。
2階建ての校舎の赤銅色の屋根に届くか届かないかの高さまで、ふたりは跳ねた。
最初なので加減していた力を少し強めて、2回目の跳躍。
次は屋根の高さを軽々と超えて、周囲の木々の高さに届く。
出来るだけ柔らかく着して、3度目のジャンプでやっと夜は状況を飲み込めたのか、驚きより楽しさが勝ったのか笑い声を上げた。
頂点まで上がりきる力が落下する力に変わる少しの時間。
一瞬体がふわりと宙に留まるあいだ。
屋根に上がって雨樋にひっかかったままのボールや、きれいに並んだ針葉樹のとんがりが見える。
ただ上に飛び上がるだけではなく、体をひねったり、後方に回転してみたり、屋根を足場にさらに上に行ってみたり、空中で方向を変えると、空に浮かぶくっきりと白い雲が目の前を横切っていく。
その度に楽しそうな声を上げ、しがみつく夜の腕や脚に力が入り、お互いの密着度はどんどん増していく。
耳のすぐそばで聞こえる声と、柔らかい体の感触で、最近の夜不足は解消の方向にいく気がして、リュカは口元のにやにやが止まらない。
力任せにものを壊したり、誰にも追い付けない速さで移動したり、他人よりケガの治りが早いこの能力の生み出すものは、暴力的な要素を含んでいる。
むしろそれが主成分だ。
自分の能力にこんな使い道があったのは大きな発見で、大収穫を収めたといえる。
それでもそろそろ夜も飽きてきただろうと地面に着地して、リュカは抱えた腕の力を緩めた。
緩めると同時に、逆に下ろされまいと夜の腕の力が強まる。
「ーーーまだ?」
「まだする‼︎」
ただつかまっていた夜の方が、跳んでいたリュカよりも息が上がっている。
ぎゅっと自分に抱きついてくる夜がかわいくて愛おしくて、リュカは背骨から力が抜けていきそうになる。
大切な我が愛しの君を壊れないように、落とさないように、そっと抱えなおす。
「夜のためなら何度でも跳ぼう。……ーーーあの月にだって手が届く‼︎」
空には濃い水色の中に、雲と同じくらい白い月がぽかりと浮かんでいる。
そこを目指して助走を付け、足元の芝生がめくれ、その下の土に穴が開くほど地面を蹴った。
校舎の前にはいつの間にかギャラリーが増えていた。
史隆が教室にいた都と、琴野とコッティを呼んできて、跳び回るふたりを見上げては歓声を飛ばしている。
いつもならくだらない、といった態度で誰よりも大人びている都が、珍しく俺もやりたいと近寄ってくる。
そこらに居る普通の子どもと同じ様にはしゃぐ姿はあまり見ない。
その都を押し退けて史隆も、俺も俺もと近寄って、話は少し前のやり取りに続く。
とにかく男と抱き合うのは絶対にごめんだと史隆の希望は即時に却下されて、都の順番が来る。
いじけた史隆は校舎の壁に寄りかかってふてくされていた。
その横には芝生に座った琴野がコッティを膝に乗せ、順番待ちをしている。
一番手だった夜はその横で疲れ切ってぐにゃぐにゃになった手足を伸ばして座っていた。
1ヨクトメートルは10の−24乗mとかいう想像も出来ない単位です。(ウィキ調べ)
このエピソードがいちばん好きです自画自賛です手前味噌ですスミマセン。
おおっと‼︎
そうです。
そうでした……。
よつばが来た時から、夜が特科に来てから、ほぼ一年後のお話です。




