day 10
10日目辺りのプチ騒動。
「うそーーーーーん‼︎おれかいいぃぃぃぃぃぃいい‼︎‼︎‼︎‼︎」
それほど広くはない空間で響き渡る声は、構造上の作用もあって、耳を覆いたくなるほど反響する。
外側で待機していた人たちは細かく肩を震わせて笑を堪えていたが、悲鳴に近いその声で、悲鳴をあげた本人に負けないくらいの大声で一斉に笑いだした。
事の始まりは2時間ほど前に遡る。
教室で全員で夕食を取り終え、皿洗いじゃんけん大会が開催される。
一番負けが食堂に返す食器と、飲み物のカップを全員分洗う、その名の通りの大会。
本人からの申告で、一時は大会の開催が危ぶまれたが、他人の心がその耳に音声として聞こえる夜は、聞こえなくなる程度に物理的に距離を取る事で解決する。
更に公平にしようという都の提案で、動体視力と身体能力が尋常ではないリュカは後ろに向き、表情や視線、その他諸々で高精度な分析ができる都自身は、目を閉じて大会を開催する運びになった。
この特科に来て初めて、それもつい先日に覚えたばかりのじゃんけんの手の形と、何が何に勝つのかを確認するように呟きながら、夜はみんなから離れて教室の端の壁際に歩き出す。
夜とは反対側の壁に向かって、都も歩き出す。
特に離れたからといってどうという事はないのだが、今度は自分が一番有利な気がして、少しでも公平になればと距離を取った。
リュカがその場で回れ右をする。
これで割と運任せに、純粋に近い感覚でじゃんけんが出来る。
ただじゃんけんをするだけなのに、これだけ用意がいるのも仕様がない。
特科だから、仕様がない。
ひとつひとつ考えてクリアにしていけば良いだけの話。
そのひとつひとつが楽しいなら、それで良い話。
史隆の掛け声で始まった大会は、準備の割にあっけなく終わった。
盛り上がる前に、2回で勝敗が決する。
皿洗いは夜に決まった。
罰ゲームのはずなのに、にこにこと笑いながらキッチンに入って行く。
その後ろをこれまたにこにことしながら、リュカが付いて歩く。
皿洗いじゃんけん大会と同時に開催された、風呂の順番決めじゃんけん大会で、自分の順番まで余裕のあるふたりの楽しそうな会話の端々がキッチンから聞こえてくる。
その声を聞きながら、一番風呂の権利を手にした琴野は、少しだけ不安を覚える。
不安というよりは心配に近いのかもしれない、あるいは嫌な予感。
それもほんの少しだけ。
なので特に気にしないようにして、コッティを自分の座っていた椅子に座らせると、着替えを部屋に取りに行き、そのままお風呂に向かった。
早くしないと後がつかえている。
そちらの方に気を取られて、予感のようなものは、この時には煙のようにふわっとそこら中に散らばって、空気に溶けて消えてしまっていた。
教室に入ってくる、ペタペタいう足音に、次は自分の番だと顔を上げた都は、足音の主に、こらこら待ちなさいと思わず声を上げた。
同時に角度的にそれを目の当たりにした和隆から、わーお、と感情の込もらない声が上がる。
この時文字通り目にも止まらぬ早さで動いたのがリュカで、夜に覆いかぶさるとそのまま抱きかかえて2階に走り去った。
何?と振り向いた史隆に見えたのは、リュカの背中越しの宙を歩いているような夜の足だけ。後から話を聞いて、悔しさを滲ませる。
少し前に感じていた予感が現実になって現れた琴野は、その予感を無視してしまった事に、大いに反省する。
当の本人は何がなんだか分からないままに運ばれて、部屋の中にひとり放り込まれてドアを閉められた。
驚いて、ただダメだと繰り返していたリュカに、勢いよく閉められたドアに、急に不安になって夜は声を上げる。
「リュカ?なに⁈」
とりあえず服を着てとドアの向こうから聞こえてくる。
自分を見下ろした夜は、眉を八の字にして首を傾げた。
そういえば、昨日もそんなことを琴野に言われたのを思い出す。
琴野が使っているシャンプーや、ボディソープや色々を教えてもらって、お風呂に入り、そのまま出てきた時にがっちり腕を掴まれた。
買い揃えてもらったうちの、寝る時に着ると教えてもらった服を選ぶ。
これはパジャマという名前、と確認しながらそれを着る。
そっとドアを開けて外を覗くと、リュカはうんと苦いものを食べたような顔で、腕を組んで廊下の窓枠にもたれていた。
リュカのシャツが所々濡れて、色が変わっている。
自分の洗ったばかりの髪の毛を握り、ポタポタ落ちない程度に水分を拭き取りはしたものの、それが原因だとまた夜の眉が八の字になる。
「……リュカ、シャツが濡れて、ごめんなさい」
ドアの隙間から見える夜が、今度は服を着ているのを確認すると、小さく安堵のため息をこぼした。
「……うーん。そこを謝るのかぁ……」
同じように眉を下げるリュカは再びうーん、と唸って、おいで、と手を差し出した。
繋いだ手を見下ろして、伝わってくる思考に、リュカの顔を見上げる。
「リュカ……『がっかりした』?」
この表情も、ごちゃごちゃ聞こえてくる感情も思考も覚えがあった。
大概このごちゃごちゃが落ち着いた頃に続く言葉は、がっかりのひと言。
今まではいちいち気にしなかったし、そう思われても平気だった。
自分をもののように扱う人たちがどう思おうと、ものには関係なかったから。
「え⁈そんなことないよ‼︎……そうじゃなくて……どう言えば夜に分かってもらえるのかって、考えてたんだけど……」
協議の結果、夜には恥ずかしいと思う気持ちが欠けているという結論に達する。
なぜこんな協議が必要かというと、本人に自覚が無いから。
風呂上がりに裸でいる事の何がいけないのか、夜には分からない。
どんなに言葉を尽くして説明しても、周りにどんな風に思われるか一般論を述べても、不思議そうな顔で、首を傾げるだけだった。
みんなに裸を見られてどう思うのかと聞かれても、夜はどう答えていいのか分からない。
本当に何とも思っていないから、別に、と答える。
じゃあ良いんじゃね?と言った史隆の頭をリュカがはたいて黙らせる。
このままでは埒が明きそうにないので、本人を抜きにして協議を再開する。
その本人は、少し前から、言葉が飛び交い、思考や感情が渦巻いている状況に耐えられず、遠く離れた壁際で様子を見ていた。
その場の雰囲気に、神妙な顔つきで椅子の上に正座をしている。
では、と次の議題に移る。
どうすれば、夜に恥ずかしいと思う気持ちが生まれるのか。
次の議題を始めようとした時、都が風呂から帰ってきて、順番が回ってきた史隆が着替えを持って立ち上がる。
冷蔵庫から冷たい飲み物を取り出してきた都が、さっきまで史隆が座っていた椅子の上に立つと、どっこらしょと胡座をかいた。
とりあえず挑戦してダメだったので、無言で一番近くにいたリュカにペットボトルを手渡した。
プシュッと封を開ける音をさせると、少し蓋を緩めて都に飲み物を返した。
ひと息で飲めるだけごくごくと飲み込むと、息を吐いて、おまけに小さくげっぷを吐き出す。
その間も続いているやり取りから、今までの会話の内容を思い巡らせ、何をそんなに悩む必要があるのかと、都はさらっと答えを導き出した。
言葉で伝わらないのなら、実際に恥ずかしい思いをさせたらいい。
恥ずかしく思えないなら、恥ずかしい思いをしている人の近くに行けばいい。
夜にはそれで解るはず。
充分に伝わるんじゃないのかと事も無げに言った。
次に誰かが質問する前に、都は答える。
そんな場面が訪れるまで待つ必要はない。
今、適任者が風呂に入ってるだろと、片方の口の端を上に引き上げた。
勢いよく開いたドアに驚いてそっちを見ると、そこに立っていたのは夜だった。
恥ずかしいを教えて下さい、と史隆に詰め寄ると、言われた通りに上から下までゆっくりとひと通りよく見てから、史隆の肩にぽむと手を置いた。
そして冒頭の叫び声である。
どうして俺なんだとぶすくれる史隆に、内容を理解した自分達では純粋に恥ずかしがれないだろうと、納得し難い説明をする。
俺はむしろ嬉しくなるかもしれない、とリュカが付け加えると、あ〜、俺もそうかも〜、と気の抜けた和隆の同意があった。
変態どもめと吐き捨てて、史隆は面白くないと全身から湧き立たせ纏わりつかせている。
納得いかないと顔に貼り付けて、感情を隠そうともしない。
そんな史隆だから適任者なんだと、本人は気付かない。
夜は真っ赤な顔を両手で包んで、味わった事の無い感情を堪能していた。
背骨が落ち着かない感覚や、体の表面がさわさわ、むずむずする感じ、どこかに行ってひとりになりたい衝動にじっとしていられなくて、時々、言葉にならない声を上げてはその場にしゃがみ込んだりしている。
夜の行動を見た史隆は、同じように顔を赤くして、心から湧き上がる叫び声を素直に口にする。
「……ふわーーー…て。………叫びたいのは俺の方なんですけど‼︎‼︎‼︎」
『恥ずかしい」を体験したところで、夜の中から同じような感情が生まれてくるのかは、別の話。
夜がその後、風呂から出る時は服を着て出るようになったのは、リュカを困らせた上に、部屋に放り込まれて、結構な勢いでドアを閉められたのがショックだった事も、誰にも知られない、別の話。




