side 夜
灰色。
ただ灰色。
濃いか薄いかだけで出来た部屋は、その部屋自体がとても広くて。
広すぎて、とても部屋と呼べるような大きさじゃない。
見渡す限りに壁も天井もない。
遠くに見えるのは壁ではなく山の連なり。
灰色の山は、灰色の霧にかすんで存在を隠そうとしている。
それでも山は、霧より色濃く、ここにあると主張している。
真上に見えるのは、天井ではなくて、渦巻く灰色の雲。
部屋が大きいのか、ありんこよりも小さくなったのか、自分はちっぽけな存在だという事だけはわかる。
ここが何で出来ているか。
憎しみ。
正確には憎まれているはずだという予測。
何かに憎まれる自分という存在を憎む気持ち。
まるで自分自身に呪いをかけるよう。
足元の地面がずるずると動いている。
何千何万という蛇が地面を埋め尽くして蠢いているような、地殻が絶えず移動しているような。
その振動が大気を揺らして、部屋全体を低い音で満たす。
絶えず続いている振動は足を細く震わせて、体を這い上ってくる。
体に響いているのは、振動なのか、それとも何かの声なのか分からない。
今はもう無いもので出来ていた。
今まで壊したもので、この世界は出来ている。
大切だったおもちゃ。
かわいがった小さな猫。
初めて買ってもらった自転車。
史隆の宝物。
友達。
失くしたものでこの部屋の土台を作り、失くしたはずだと思っているものでこの部屋を構築する。
リュカ。
リュカ、どうしよう。
私。
どうしたらいい?
「……ふぅ。……どうしたの?こんな所で、こんな時間に」
和隆は両手に持っていた大きなバックをふたつ、芝生の上にゆっくりと置く。
背中に回していた鞄も肩から外すと、よいしょと置いた。
校舎前のカフェテーブル。
時間は真夜中をとうに過ぎていた。
「みんな…とっくに寝てると思ったんだけどな〜」
参ったなと笑いながら、椅子に手をかけ、隣に腰を下ろす。
ていうか、バレたと思って予定を早めたんだけどねと、返事を期待しない言い方で、苦笑いを浮かべている。
腕輪を古いものから、新しいものに付け替えようとしている時。
なにかあった時の為に、和隆は私の後ろに立って、その様子を覗き込んでいた。
私の座る椅子の背もたれに手を置いて、その手は私の背中に触れていた。
ほんの少しだけ。
「それ……どう?『良いもの』?」
「…うん。軽いし、静かになったから、とても『良いもの』」
「そう、良かったね。前のよりも似合うよ、かわいいし。……ああ、俺も腕輪、ありがと。史の分も、ホントにもらっていいの?」
和隆の左手首には、太めのバングルがはまっている。
ラインが入っただけの、薄くて軽い感じのもの。
史隆も同じようにバングルをしていた。
和隆のよりも少し細くて、ごつごつした感じの重そうなもの。
「美和ちゃんは元々、みんなが使えれば良いと思ってたから」
「そうか……そうだったんだ」
私には細かったり、太かったり何本も腕輪がしてある。両方の腕に。
両手はカフェテーブルの上、その全部が金属の机に当たっていて、カチカチとずっと音がしている。
「……寒いの?それとも俺が怖い?……心配しないでも夜には何もしないよ?」
「……こわい、のは。私じゃない」
「ふ〜ん。……難しいこと言うな……こういうのなんて言うんだっけ。……禅問答?」
まぁ、いいやと和隆は立ち上がった。
腕時計の時間を確認して、人を待たせていると鞄に手をかける。
「……琴野さんは?」
「……ああ。それ言っちゃう?」
鞄を持っていた右手を離し、その手で私の首元に触れた。
私の脈が打っているのを、お互いが感じるほどに、手に力がこもる。
「聞かなくても、知ってるでしょ〜?いじわるだな〜」
「私に触るとどうなるか、和隆…」
私は、和隆の心をコントロールしようと集中し始める。
その端からふわふわと能力がほどけていくのが分かる。腕輪のせいで。
「分かってるよ……夜だって、俺に触られる事がどういう事か、解ってるでしよ?」
自分の持てる武器を振るう。
人を死に至らしめるに充分な、立派な武器。
どちらも本気じゃないのを知っていて、力比べの様に、じゃれ合うみたいに。
静かに見つめ合う。
「さっき何もしないって言ったけど、前言撤回〜」
分が悪いのは私の方、腕輪は今までのただ大きなザルではなくて、薄くて硬度を増した大きな壁で私の力を押し返す。
和隆の力が壁ごと私をさらに押す。
痛みで真っ直ぐになっているのが難しくなってくる。
精神と身体、両方ともに。
「……で?どう、夜。俺の能力は『良いもの』?『悪いもの』?」
和隆はふふふと笑いながら、私から手を離すとその手で荷物を持ち上げて森の方へ消えていく。
琴野さんに伝言を残しながら。
声は笑っているのに、
泣きそうな顔をしていた。
和隆は今まで壊したもので自分の部屋を作り上げた。
自分にはそれがお似合いだと、思い込んで、灰色の世界を作る。
本当に壊したとか、本当にもう無いものだとか、そんな事は関係ない。
世界の主が無くなったと思っているから、そんな自分は恨まれるべきだと思っているから、灰色の世界を作る。
色も匂いもなく、吐く息も灰色に凍る世界。
私が怖いと感じるのは、この部屋の主が怖がっているから。
怖がっているのは、この部屋の主が優しいから。
とても。
とても。
誰よりも。
リュカ。
リュカ、私には。
どうにもできなかった。
私は、リュカのように、和隆のように、誰かに優しくなんてできない。
だって何もない。
本当に何も無くなってしまった。
「そんなことないよ」
だって、見て?
なにもない。
「俺も、何もないと思ってたけど、ホントはあったよ。夜が教えてくれた」
リュカはキレイなものをいっぱい持ってた。
「夜も持ってるよ」
なにもない。
「『良いもの』いっぱい探してたでしょ?好きなものは何?」
リュカ。
「俺が一番か‼︎嬉しいな。……ほかには?木登りは?」
うん、木登りも。
「それから?」
金魚のタオル。
チョコレート。
美和ちゃん。
塩ラーメン。
虹の星。
リュカ。
私の部屋に来たことは、誰にも言わないで。
特に美和ちゃんには。
誰かの部屋に行く事は、しないって、だいぶ前に美和ちゃんと約束したから。
和隆の部屋のことも誰にも内緒にしてね。
リュカ、ありがとう。
心配させて、ごめんなさい。
美和ちゃんに腕輪を返してもらって。
夜が抱っこされ、リュカがくっ!ってなった瞬間、この度の出来事をふたりで共有しました。便利だなぁ。
夜の好きなもの、虹の星、は本のタイトルです。素敵な写真集。
リュカからのプレゼントなんでしょうよニクイネコノヤロウ。




