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私立一之宮学園〈特科〉  作者: ヲトオ シゲル
これは14日間のおはなし。
26/83

day 9 朝とか、昼とかの。








目を覚ましてから2日目。

お気に入りのカフェテーブル。

時刻は午前9時を少し過ぎたあたり。


その日はいつもと違って、少女の隣にもうひとり座っていた。

おはようと声をかけてきたリュカに、自分の事を覚えているかと聞かれ、頷いた。


「良かった!俺の名前はリュカ。………君の名前は?」




そう聞かれ、自分に名前なんてあったかだろうかと考える。所員からは、あれとかそれとか、良くてあの子ども、と呼ばれていた。


当て付けがましく嫌悪の感情を丁寧に織り込んで、「女神さま」と呼ばれたこともあった。




所長や、榊には名前を呼ばれていた気がするけど、それもぼんやりとしていて、本当に呼ばれていたのか、はっきりしない。





もっと前、榊と出会うもっと前に、誰かが自分の名を呼んでくれたような気がするけど、それがどんな名前だったか、思い出せるだろうかと考える。


思い出せる一番古い記憶が、自分のものか、他人のものか、注意深く内側に入り込む。






覚えているのは、温かくて柔らかい手の感触。


小さな手には信じられないほど小さな指に、ちゃんと全部爪がついていて、それをとても畏ろしく、とても愛おしいと感じた。


思い出せたのは他人の記憶だけど、それは間違いなく自分を産んだ人の記憶だった。




『見て、この子の目を。真っ黒で、その中に小さな星が輝いているみたい。………決めたわ。この子の名前。………この子の名前はーーーーーー』


「…………よる」



「よる、って、朝とか昼とかの?」



「……そう、夜」






涙が溢れて止まらない。


リュカが良い名前だと褒めたからなのか、名前を思い出した自分よりも、リュカの方が喜んでいたのが伝わって嬉しくなったのか。

すぐに会えなくなってしまう赤ん坊に名前を付けた、母と呼ばれる人の想いに引きずられたのか、どうでもよくなる位、後から後から涙が出て止まらなかった。



もういいから止まるまで泣いてしまえと考えている夜の上に、榊の声が降りかかる。


「ああぁぁぁああ‼︎ルカ‼︎‼︎私のかわい子ちゃんに何してくれとんじゃ、コルルルルァァァァアア‼︎‼︎」

「はは。先生何言ってるのか分からないよ」


襟元を掴まれて持ち上げられ、揺すぶられているリュカも、揺すっている榊も、どちらも顔は仏様のような柔和な顔をしている。





榊は生徒達に夜の能力以外、何も教えていなかった。

よつばには名前を口に出さないように、キツく言い含めておいた。




全ては夜のために。




様々に人から呼ばれ、思われて、それを受け止めて生きてきた。

自分の記憶の中に人の記憶を取り込んで、他人との差がはっきりしない。

『自分』というものの境界があやふやな状態である夜に、ひとつずつ、少しずつ輪郭をはっきりさせていく事が必要だった。


良いこと、悪いこと、好きなもの嫌いなもの、自分を構成していけば、夜の中の他人は剥がれ落ちていく。





当然のように与えられるはずのものを、夜はほんの僅かにしか与えられなかった。






ずっと前から榊は考えていた事がある。

最初からは無理でも。

できれば初めの方から、やり直したい。








生まれなおしたのは、リュカも、夜も、一緒だった。










カフェテーブルの周りには、騒ぎを聞きつけた特科の生徒が集まっていた。

うるさいほど降ってくる言葉の数々が、『悪いもの』ではないと、初めての知った。

ひとりひとり名前を教え合い、自分の境目を少しずつはっきりさせていく。


ここで、これからみんなと一緒に暮らしていくと言った榊の言葉の意味が、何となく分かったような気がして、それはとても『良いもの』に思えた。





木々の葉から漏れてくる光は白く眩しく揺れている。


その名前のあらわす通り、深い闇色の髪は小さな星々と、細い月が煌めいている。

榊に切り揃えられた前髪が額をくすぐる。

耳の横で風をはらんで少し髪が膨らんだ。

木立を抜ける風は、そこに居る皆の髪を優しく撫でて通り過ぎる。



「今日は良い天気だが、どうだろう、皆で外で食事をしようじゃないか」


夜の事を考えると、今の状態で食堂に連れては行けないと、ここまで食事を運んで、教室で食べていた。

が、それも少々飽きてきた頃だった。

赤毛をふわふわと揺らしながら言う、可愛いフランス人形の提案に一番に飛びついたのは、史隆だった。


「それがいい!やったね‼︎都、ピクニックシートどこにしまったっけ⁈‼︎」

「……そうやってすぐ俺に聞くなよ。頭使え。考えろ。思い出せ」

「はーい。………んで、どこ?」

「倉庫の棚‼︎右から2個目の上から3番目。マッチョな兄貴の写真が印刷された、あやしい健康器具の箱の中に、水色の紙袋、その中‼︎」

「ん?………んん。……オッケイ☆」


校舎に向かって走り出そうとする史隆の手を引っ張って呼び止める。


「その前に、ご飯もらって来いよ。今日はフミとカズが当番だろ」


都は倉庫にしまい込まれた細かなものを全て把握し、食事当番まで嫌でも覚えている。

疑いもせずそうかと即時に納得した史隆は、和隆を引っ張って今度は反対方向に走り出した。

少々お待ちあれと言う声がどんどん遠く離れていく。


いつものように都は片方の眉を吊り上げて、斜に構えて腕を組み、溜息をついた。


「ピクニックシート、僕が取りに行きましょうか?」


よつばの提案に賛成すると、定位置に回り込んでよつばの手を握る。


「俺も行く。探すの大変だろ?」




ぶら下がって体重をかけたり、ダンスみたいによつばの手を基点にくるくる回ったりしながら校舎に向けて歩いて行く。


「…あんなふうに時々でいいから可愛くしてくれないと……都がまだ8歳だって、忘れちゃうのよねぇ、私」

「私もだよ、榊」


親子のような後ろ姿を見送りながら、コッティを抱える琴野も頷いている。



やり取りを聞いていた夜も同じように視線を向けていた。

涙の流れた頬を指の背でなぞり、肩にかかる髪を後ろに流して微笑みかける。

リュカひとりだけが、我が未来の妻に御執心だった。


されるがままにしていた夜も、微笑みかけてくるリュカに手を伸ばすと、ふわふわと軽そうな金の髪に指を通した。



頭をかくんと横に倒すと、榊に言われた通り、知りたいことを声に出して聞いてみる。


「きすって、なに?」

「……ーーー先生も聞きたいわぁ?……教えてくれるかなぁ、そこの金髪小僧」





都とよつばがシートと飲み物を抱えて帰ってきても、史隆と和隆がバスケットに入った大量の食事を持って帰ってきても、椅子から引きずりおろされたリュカは芝生の上に正座させられたままだった。








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