『ごみ置き場』
地上に向かうエレベーターの前で、リュカは榊に声を掛ける。
もう少し行きたい場所がある、ここから上は誰にでも行けるから、付いて来てほしい。
それだけ言うと返事も聞かないまま、リュカは少女を抱えて来た道を引き返して行った。
エレベーターの扉を開け、荷物をみんなに預けると、何も言わずリュカの後に付いて行った。
小走りで追い付いて、リュカの隣に並ぶ。
「……所長が、ここに居る」
榊の足が止まって、また距離が出来る。
振り返らず、歩きながらリュカは続けた。
「この子が教えてくれたんだ。……まだ生きてる。ーーー……でも先生。急いだ方がいい」
向かおうとしている先にどんな部屋があるのかを、思い出す。
凍り付いたまま動きそうになかった足は、ゆっくりと前に出て、どんどん早くなる。
リュカを追い越して、先にたどり着き、その部屋の扉を開けたのは榊だった。
部屋には名前が無い。
ただ、研究所の職員の間では、『ごみ置き場』と呼ばれていた。
金属製の両開きの自動ドアは、手術室のように扉の横、床に接するスイッチを足で押すと開く仕組みになっていた。
榊はそこを壊す勢いで蹴り込む。
手前の部屋にはスチールの棚が並び、棚の間の通路は狭く、人ひとり通れるほどしかない。
照明が全部灯っているのに薄暗く感じるのは、天井に届きそうな棚の所為だけではないし、気分が悪くなるのも、薬品臭の所為だけではない。
棚にはガラス製の容器。
中には薬品に浸かった人体の一部、動物の一部、大きな容器には、図鑑で見るような本来の姿や形とは違う動物や、人の胎児が入っていた。
中の薬品が濁っていて、よく見えないのが救いで、それ以外は何ひとつ、本当に何ひとつとっても「最悪」の文字しか浮かばない部屋だ。
奥には牢獄と形容するしかない部屋が3部屋並んでいる。
一番手前のへやの金属の扉は、あちこち歪んでへこんだり曲がったりして、中途半端に開いた位置から床に当たって、そこから開きも閉まりもしなくなっていた。
壁には四角く切り抜かれた覗き窓がある。鉄の格子がついていて、下から食事が入れられる隙間が開いていた。
中には簡素な寝台と、便器がひとつ。
どれも元の形は成してなかった。
壁や床、至る所に赤黒いものが飛び散り、嫌な臭いが通路まで流れ出ている。
この部屋からアレが出てきたと嫌でもわかる有様だった。
奥の部屋の扉が少し開いていて、榊は迷わずそこへ向かって行った。
部屋の中には、少し前にリュカと史隆が戦ったものによく似たモノが居た。
ただそれを脅威に感じない。
異様に上半身は大きかったが、下半身は細く、筋肉なんてまるで無い。
脚は枯れ枝のように見えたし、肩の部分は弾けたように肉が外側にめくれて、わずかな筋だけで辛うじて繋がり、今にも太い腕は落ちてしまいそうになっている。
顔は小さく、頬はこけて目も落ち窪んでいた。
それはゆっくり目を開けると、吐き出す息よりも小さな声で、来てくれたのかと言った。
「兄さん……」
榊は寝台に腰掛けるそれに歩み寄ると、よく見えるように、向かい合って両膝をついて座り込む。
木の節のような膝に手を置いて、洞のような目を見上げた。
それは喘鳴と一緒に榊の名を呼んだ。
「ーーー間に合って、良かった。………美和。後のことは頼んだよ……」
そう言うと、まだ繋がっている方の腕を動かして、榊の手を撫でる。
「所長………」
目だけを動かして、戸口に立ったリュカを見た。
目を細め、他にはどこも動かないが、笑っているように見える。
「…やあ、ルカかい?ーーー大きくなったね。………ーーーその子の事を、君に頼んでも?」
「うん、……任せといてよ」
「良かった。……ーーー大事な事は、全部その子の中にある。………美和、分かるね?」
言葉は出なかった。
声が出ない代わりに、何度も頷いている。
最後に残った力を全部使い、榊の頭をそっと撫でると、許してくれると嬉しいと言い、わずかに息を吸い、少し吐き出して、所長は静かにひとり死に向かって行ってしまった。
この番号の付いていない研究所の創立メンバーは三人。
榊の兄、その友人、そしてひとりの女性で立ち上げられた。
彼女は能力者で、もともとその能力の研究の為に作られたような研究所だった。
立ち上がって間もなく、友人とその女性は所内で起こった事故で亡くなってしまう。
困り果てた研究者達は、彼女の体を保存し、何人かの彼女を再び作り直した。
何人かは生まれる前か、生まれてすぐになくなった。
残った数人も、大きくなるにつれ、能力に耐えきれず、亡くなった。
最後に残ったふたりは順調に大きくなっていったが、ひとりの暴走に、所員と残りのひとりを巻き込んで、何人もいた彼女達はこれで全員亡くなった。
はずだった。
実際はひとり残っていたが、残ったひとりを失う訳にはいかなくなった所員達は、彼女を自由にしてしまいかねない榊が邪魔になる。
事故で彼女は亡くなったと事実を隠し、見事に榊を研究所から立ち去らせた。
所長である榊の兄は、親子ほど年の離れた妹をこれ以上傷付けたくはなくて、それだけの理由で、事実を伏せたまま、去って行く妹を見送った。
そして数年後、フランスからひとりの少年が連れて来られた。
少年は驚くべき身体能力と、回復力を持っている。
研究者の興味は徐々に残った少女から、少年へと移っていった。
データを取り続けサンプルを取り続けて、しばらく後に所長の行方が分からなくなった。
唯一の寄る辺だった所長がいなくなった時点で、もう誰も少年を手懐けも御しも出来なくなった。
少年は親を捨てた時のように研究所を捨て、もう二度と来ることは無いと思っていた。
その少年は数年後、生き残った少女を抱え、来るはずのなかった研究所で立ち尽くす。
研究所を追われた元所員は、行方不明と思っていた兄の前で、その命が消えていくのを最後まで見届けた。
泣くのは後だと、決意する。
反省も、過去を掘り起こすのも、それも後だと立ち上がる。
うんと頷いて、どこかに心を飛ばしたままのリュカに声を掛ける。
「さあ、帰りましょうか。……ーーー騒がしくなる前に」
所長の手にそっと手を重ねて、ふたりの良かった思い出をひとつ思い出す。
ぼんやりしているリュカをぐいぐい押して『ごみ置き場』を後にした。
地上に戻り、来た通路を逆に辿り、外に出れば太陽は燃えている。
いやでも夏だと思い出した。
暑くて堪らないのに、駐車場の芝生の上で皆が待っていた。
植えられている木の下にできた小さな影に、これで全員が揃った。
時刻は午後を過ぎている。
何日も地下にいた感覚がしていたが、実際は半日ほどしか経っていなかった。
榊は一ノ宮に連絡し、他の人間が到着するまで誰も研究所に近付けないように指示され、結局は2時間ほどぼんやりしていた。
来たのは数人の男達で、誰もこなかったかと確認すると、もう帰っても構わないと言って研究所の中に消えていった。
あの男達が何をしに来たのかは知らない。
向こうも特科が何をしたのかは知らないだろう。
これから何が起こるのか、もう特科がどうする問題ではない。
さっきまでの研究所を、この男達ではどうする事も出来ないように。
どれだけの人間が方々へ走って手を回すのか。
それはもう特科には何の関係もない話だった。
一ノ宮は人の使い方をよく知っている。
だから一ノ宮の周りにはとんでもない数の人間が集まる。
特科もあの男達も、その中の一部だろうが、お互いに何も知らなくても、己のやるべき事は知っている。
一ノ宮は有能な人間をこの上なく大事にする。
大切に扱うから、誰もが一ノ宮の期待に応えようとする。
期待に応えた後の特科は、もう邪魔になるらしい。
ただ誰ひとりとして、くたくたに疲れきった特科を学園まで送ってくれようとしないのが、残念でたまらない。
またあの距離を車で移動するのかと思うと、それだけで疲れ果てる。
一ノ宮は人を大切にするくせに、使うときは信じ難いほど、荒っぽい。
改行で何となく文量を演出。
本当なら前話に収録予定でしたが、長くなるのと、入力画面喪失事件にヘタれたしょっぱいシゲルさんは、お話を分割しましたとさ。




