猛獣ショーへようこそ。
何故、どうやってあの生き物が怪物になったのか。
誰のせいであんな生き物が生まれたのか。
どんな風に所員達の命を踏みにじったのか。
その全てが無音の記録映像になって、目の前で再生される。
ダイジェスト版のように急に場面が切り替わったり、時に画面が大きく揺れ動いたり、未編集の映像作品だった。
映像の端にちらちら見えているのは、白い服、黒い髪の毛、銀色の手錠……。
ピントがずれて、ぼやけて見える自分よりも小さな手や足。
誰かの目を通して物語は続いた。
あの光景を見ていたのは、あの子だ。
そして、あの光景をつくったのは。
こんなに醜いものを見せたのは。
あんな醜い生き物が生まれたのは。
俺がいたから。
何かを憎いと思った事は何度もあった。
世界を呪った事も、自分なんていなくなればいいと思った事も、数え切れないくらいだ。
最初は熱が体を駆け巡る。
すぐに目の前が真っ赤に染まり、自分の周囲に一気に広がっていく。
自分を燃料にして発火点になると、周りを燃やし尽くしてもそれでもまだ燃やそうと大きく膨れ上がる。
それはいつも炎のイメージ。
憎しみや怒りは、炎でできていた。
今までは。
でもそれはろうそくを吹き消すように、ふと消えるレベルのものだ。その時は業火の如くくらいに感じていたけど、今なら解る。
本当の憎しみは、炎に例えられるようなものじゃない。
今までこんなに憎いと思った事はなかった。
こんなに世界を呪った事も。
心の底から自分なんていなくなれと思った事も。
今は炎なんてない。
周りはとても静かで、自分はこんなに冷静で。
礼拝堂で膝をついて手を組んだ事がある。
なにかに祈ったんじゃなく、周りの人の真似をした。
たくさん通ってはないけど、でもあの場の空気は独特で忘れられない。
神様がいるかどうかは知らない。
でもあそこには確実に何かが存在していた。
あの時の敬虔な気持ちに似ている。
乞い願い、祈るような。
怒り。
気分は悪くない、むしろ良いぐらいだ。
この世界を壊すための大義名分ができて安堵すらしている。
何もかもなくしてやろう。
全部殺して、
自分も死のう。
大きな部屋の真ん中に立っていた。
窓はひとつもない。
壁も床も天井も、全部が真っ白な部屋にいた。
部屋の大きさはわからない。
全部が真っ白で、距離感は全くつかめない。
どこまでも広く見えるし、手を伸ばせば壁に触れそうな気もする。
目の前にはあの子が立っている。
大きな目からぽろぽろ涙をこぼし、あとからあとから溢れて止まらない。
ほっぺたを手のひらで拭う。
止まるかもと触れてみたけど、止まらない。
手の上にも涙の粒は落ちてくる。
同じように俺の顔に手を伸ばす。
この子の両手は自由になったのかとぼんやり考えた。
泣かないでと声が聞こえる。
泣いているのは、君の方。
だいじょうぶ。
こわくないよ。
何も壊さなくていい。
誰も殺さなくていい。
世界はなくなったりしない。
誰もいなくなったりしない。
あなたもいなくなったりしない。
わたしもここにいるよ。
ねえ、あれは?
あれは何?
あれは、
クリスマスツリー。
お父さんが、森から木を切ってきた。
飾りは弟と付けた。
あれは、初めて買ってもらった車のおもちゃ。気に入ってたけど弟にあげた。まだ弟は小さいからね。
あれは、革の手袋。自転車に乗るときに寒いからってお母さんがくれた。
目と鼻と、耳がついていて、手を握ると犬みたいに見えるんだ。
川の近くで拾ってきた石。
白くてつるつるで、ずっと月の石だと信じてた。
初めて弟がくれた手紙。
字じゃなくて、何かよくわからないものが書いてある。
お母さんは、お兄ちゃんを描いたのよと言ってた。
絵本。
ウサギの家族がみんなで協力してリンゴのジャムを作る所が好きだった。
カチコチ音がする大きな振り子時計。
ネジ巻きはお父さんの仕事で、ぼくはさせてもらえなかった。
部屋の壁。
こっそり見えない所に、弟とふたりで落書きした。
ギシギシ音が鳴るソファはジャンプ台、宇宙や海の中に出掛けられる。
暖炉には弟を近づけないように、よく見てないといけない。火かき棒も触らせちゃダメなんだ。
台所からしてくる晩ごはんの匂い。
お父さんの煙草の煙。
遠くから聞こえてくる鐘の音。
窓から見る日が暮れかけた街。
弟のネコの人形、押さえたら音が鳴る。
ツリーの下のプレゼントは、まだ開けちゃいけない。
緑のリボンはジョセので、青いリボンがぼくのほう。
ただ白かった部屋は、音と色と、匂いを取り戻して動き出す。
あたたかくて、いいにおい。
きれいなものがたくさんあって、どれもみんな大好きなものでできていて。
こんなにきれいな部屋に来たのははじめて。
このきれいなものは、ずっと持っていたほうがいい。
こわさないように、なくさないように、ぜんぶ持っててね。
あの子が抱えたネコの人形が、きゅうと変な音で鳴く。ネコはこんな声で鳴かないといつも思っていた。
柔らかくてくたくたで派手な縞模様の、耳と尻尾のある何か。
あのにやけた顔がネコに見えたのかな。
今見ればぜんぜんネコじゃない。
そのきゅうと鳴く声に丁寧に返事をし、話しかけて頭を撫でている。
あの子の涙は止まったみたいだ。
俺のも。
大丈夫だと、怖くないと言った。
綺麗なものを無くさないでと言ってくれた。
ひとつも怖れることなく、俺に触れる。
誰もそんな……今までそんな人はいなかった。
今は何も無くなってしまったものを、無くさないでと彼女はにこにこと笑いながら言う。
もう何ひとつ残ってないけど。
無くさないように、落とさないようにと全部をもう一度抱えなおした。
満ち足りる、というのを知った。
体の細胞全部が、新しく入れ替わった感覚がする。
新しく生まれなおしたんだと、そんなふうに思える。
子どもの頃移動遊園地のサーカスに連れて行かれた。
空中ブランコが一番かっこいいと思った。
猛獣ショーは気に入らなかった。
叩かれているのがかわいそうだったから。
でもそうだったかと思い返す。
動物たちは叩かれてなかったような気がする。
あれは、命令されて、でも自ら進んで台の上に飛び上がり、人の背丈を越すような高さの輪をくぐっていた。
嫌々ではない。
本当に嫌ならしないだろう。
自分を猛獣に例えるとか、自虐も極まったって感じだ。鞭で誘導されて、芸ができればエサを与えられ、この上ないほど褒められた。
彼女の思うまま操られたのかも知れなくて、でもそれはひとつも嫌な感じがしない。
「……うーん?ムチでシバかれたの?」
「──あー。………雷が落ちてきた感じ?」
「……へぇ。そりや、キョーレツだね」
シャワーを浴びながら見えたリュカの太腿は、ついさっき半分ほど無くなったようにはもう見えない。
肉は元通りに盛り上がり、皮膚は新しく張られ、少し色が違っていて薄く傷が残っているだけだった。
「まぁ、良かったね。元に戻って」
史隆はそう言って蛇口をひねると、鼻歌を歌いながら先にシャワー室から出て行った。
ひとり残って、本当に良かったとこぼす声は、落ちる湯の音で誰にも、言った本人にさえ聞こえる事はなかった。




