だるまさんがころんだ。
少し離れた小さな無人の部屋に入って、大きな箱型の機械の横にふたりで身を潜めた。
史隆は部屋にあった液体の入った小瓶をケースごと集めて目の前に積み上げると、やっとひと心地ついて、ふうと息を吐いた。
「いや、それがさ〜」
急に小声で話し始めた史隆は、リュカの元に馳せ参じる前に出会った女の子の話を始める。
自分達とそんなに年の変わらない女の子がいた事。
その子は白いワンピースを着ていて、膝の下まであるスカート丈と変わらない程、長い髪の毛の持ち主だった事。
ここから出なさいと命令口調で言うと、すぐにいなくなってしまって、追いかけたけど見失った事。
色白で正面からは見なかったけど、結構かわいい女の子だった事。
「……貞子?」
「ちがうでしょー?貞子は可愛くないでしょー?」
「え?だって顔は見てないんだろ?」
「チラっと見たんだって!」
「ていうか、透けてなかった?」
「……透けてねーよ!ちゃんと生きた人間だったっつーの!」
「ーーー……この中に、俺たち以外に、生きてる人間がいると思うか?」
「……あれ?」
「幽の霊じゃない?」
「……いやいやいやいや、それは俺の専門外だし、そもそも見た事ないし、今まで。……え?……そういうチカラが俺にも?いやいやいやいや……そうなの?」
相手の回復力を考えれば、もうそろそろ動き出してもおかしくないはずなのに、その気配が全然無い。
離れた部屋の中にいるにしても、声や動き回る音が聞こえていいはずだ。
史隆は背中を預けている大きな機械から顔を出し、来た方向を見てみる。
この部屋からは、さっきの場所が角度的に見えにくい。よく見える位置に移動しようとすると、リュカが襟元を引っ張った。
「見付かるなよ、あいつ早いから」
相手に気付かれれば、一瞬で間を詰められる。こちらから間を詰めるのと、向こうから詰められるのでは、天と地程の開きが出る。
「わーかってるって、苦しいから離せよ」
身を屈めて壁際まで走ると、ガラスの部分まで頭を出した。
相手が倒れていた方向を見ると、その位置に立っていたのは、さっき見た女の子だった。
彼女は下を向いて、そこから動く様子はない。
「……マジでか。ーーちょっと、ルカ!こっち来てみ!」
史隆の横で同じように向こうをのぞくと、リュカは、貞子、とつぶやいた。
下を向いていたその女の子が小さく一歩、後ろに下がった。
指のなくなった手だけが見えて、その子を払うように一度空を切った後、その手で腰高の壁を掴む。
そいつの頭が、次に肩が見える。
ゆっくりと立ち上がろうとしていた。
その子はさっき下がっただけで、そこから逃げる気はないらしく、立ち上がるのをただ見下ろしている。
今度は反対の手が彼女を掴もうと伸ばされるが、数歩下がってぎりぎりの距離で躱される。
今までとは打って変わって動きは緩慢で、うまく彼女を捕らえられない。
女の子は落ち着いた様子で相手を見据え、逃げ出しもせず、かといって数歩分ほど離れた位置から近寄ることも無く、今何をしているのか、これから何をする気なのか分からない。
彼女が危険に晒されているのかその逆なのかも判断できない。
「ーーー行くぞ、準備しろよ」
「え、どうすんの?」
「……俺達と目的が一緒だったら良いけどな」
「違ったらーーー?」
「それはその時考える」
リュカは立ち上がり、部屋の入り口に歩き出す。
史隆は、慌てて薬品のケースを取りに戻るとリュカの後を追って部屋を飛び出した。
相手を挟む形になるように回り込んで、女の子の前に立った。
その子はリュカに気が付くと表情を険しくして何か言おうと口を開く、が、先に言葉を発したのは、リュカの方だった。
「……ホントだ。ーーー可愛い」
「だろ?だから言ったじゃん!!」
遅れて走ってきた史隆が、得意げに何も持ってない方の手を腰にやる。
「ーーー出ていけと言ったのに、じゃまをするな」
女の子の言葉が終わるのと同時に、相手は束縛が解き放たれ自由になったかのように両腕を振り上げた。
渾身の叫び声、耳を塞ぎたくなる怒りの声は、周囲の何もかもを震わせる。
史隆の抱えた小瓶がぶつかり合い、カチカチと音を鳴らす。手で押さえてもケースの振動は収まらない。
指の無い手を振り回し彼女の体を抉り取ろうと一歩を踏み出す。先ほどの緩慢さはなく、風を切る音が耳に届く。
今度は本当にぎりぎりで避けた彼女は勢いで数歩下がるが、すぐにもう一度手が出れば、確実に届く位置にいる。
逆の手を出そうと肘を引いたのを見る前に、リュカは相手を飛び越えて女の子の前に着地する。
彼女を背にかばって、抉り取ろうと下からくる相手の手首を掴んだ。
リュカの方が明らかに力は優っていた。相手の腕は中途半端な位置でそこから少しも動かない。
女の子を振り返り、危ないから下がっていろと言うつもりだったのに目にしたものにひどく動揺した。
「その手……なに?それーーー」
女の子の両手首は、その細い腕には不必要に頑丈な手錠があり、罪人と同様に拘束されている。
完全に相手から気をそらして、リュカは女の子の方しか見ていない。
史隆が危ないと注告する前に、抑えているのとは逆の手でリュカは横腹を殴打される。
体が弾かれて壁にぶつかり、薄っぺらな壁ごと部屋に飛ばされる。近くの作業台を押して大きな機械の乗った台にぶつかり、そこでやっと止まった。
悪態を付いて立ち上がる。
ふとリュカの姿が消えたと同時に、相手の体と一緒に反対側の部屋の壁を突き破っていった。
すぐに片膝をついたリュカが元の通路に滑り出て来る。相手に押し戻され、床の血に足を取られ、膝をつかされていた。
もう史隆は目で追うのも難しくなっていた。この状態で手を出す行為はリュカの邪魔にしかならない。
それでもいつでも手助けできるように、ケースから小瓶を何個か取り出して手に握り、いつでも放てるよう準備する。
「ーーー……ざけんな。ーーークソが‼︎」
いつになく言葉を荒げるリュカに、史隆は嫌な予感がする。
たぶん今、声をかけても聞こえはしないだろう。
きっともう、相手の事しか見てない。ただただこれ以上、怒らないでくれと願う。
相手に向かってゆっくりと歩き出した。
姿勢が低くなって、またリュカの姿が見えなくなる。
同時にぶつかり合う音がして、部屋の奥へと相手は作業台や机と一緒に床を滑っていく。
跳ね飛ばされ、天井にからだをぶつけ、床に着地すると、その勢いのままもう一度相手に向かっていった。
力は優っていても、体が軽いリュカの方が飛ばされてしまう。
またひどい衝撃音がして、今度は史隆の後ろのガラスを突き破って天井にぶつかり、壁をつたって、床に足から落ちるとそのまま跪いた。
重力に従って、血が床に大小の水玉模様を作った。
太腿をひどく抉られて、大きめの茶碗ぐらいの肉がなくなっている。
そこから溢れた血が床に落ちる音がいやに大きく響いて聞こえる。
短く息を吐いて無くなった部分を両手で押さえ、体をぎゅっと丸めると、吐いた空気の何倍も取り込んで体を起こす。
こめかみの血管が浮き上がり、完全に顔つきが変わっている。
ぎりぎり引き絞られる音が聞こえそうな程、筋肉や筋に力が篭っていく。
吸い込んだ空気の全部が獣の咆哮に変わって空気を振動させる。
今まで聞いていた唸り声とは比べ物にならない、本物の、咆哮。
「ーーーーやばい。……ーーーキレた」
だるまさんが転んだの要領で、史隆は動きを止める。
ぐっと息を殺す。
こうなってしまったリュカは、動くものみな見境なく攻撃してくる。そして動くものがなくなるまで、それは終わらない。
女の子が気になってちらりとそっちを見れば、その子も動きを止めていた。
そのままでと声をかけたいけれどとてもそんなこと言える状況ではない。
どうか動かないでと、心から願うしかない。
今までいた場所にリュカはもういない。
音も立てず居なくなり、離れた場所でぶつかり合う音がする。
何かが倒れたのか、金属の擦れる音。
ガラスの割れる音、見えない速さで動いてはぶつかり合い、何かが壊れてを繰り返しているが、どちらがどうなっているのかは、もう史隆には分からない。
もうしばらく続きます。




