公爵令嬢の使い道
学院の魔導炉事故から数日後、リリアは十五歳の誕生日を迎えた。
神殿で正式な鑑定を受けた。
結果は、《聖癒》。
《神癒》ではなかったが、けれど《聖癒》も十分に希少な上位スキルだった。
そして妹は、実際に《神癒》としか思えないほどの治療を何年も続けている。
だから誰も疑わなかった。
「名称は《聖癒》でも、あの方は特別なのだ」
そういう話になった。
妹の人気はさらに高まった。
兵士。
神殿。
学院。
貴族社会。
そして。
王太子殿下。
◇
王家から正式な達しが届いたのは、春の終わりだった。
父の執務室に呼ばれた時、私は何か悪い予感がしていた。
そこにはお父様、お母様、リリアがいた。
机の上に、王家の紋章が押された書状。
お父様はそれを見つめて、長く沈黙した。
「王家より、正式な決定が下った」
「はい」
お父様は書状を開き、重い声で読み上げた。
「《聖癒》を得たリリア・アシュベリー公爵令嬢は、長年にわたり戦傷者の治療に尽力し、民や兵からも厚い支持を得ている。王家において今後の王太子妃に求められる資質、ならびに王国の将来を慎重に協議した結果、現在の婚約を見直すことが適当であるとの結論に至った」
お父様の声が、一度止まった。
「よって、ルーク王太子殿下とエレナ・アシュベリー公爵令嬢との婚約を解消する」
一瞬、意味が分からなかった。
「……はい?」
「新たな婚約者には、リリアが立つ」
リリアを見る。
リリアは目を伏せた。
けれど否定しない。
私の胸の奥底にある、自分ですら触れたこともない何かを、突然断ち切られた感じがした。
「……なぜ」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
「なぜ、私が」
誰もすぐには答えない。
私は震える手を握った。
「リリアが人を救ってるからですか? でしたら私だって、何もしてこなかったわけではありません!」
声が大きくなる。
こんなふうに家族へ声を荒らげたのは、生まれて初めてだった。
「私はずっと、王太子妃になるために生きてきました!」
王妃様に何を言われても我慢した。
学校で笑われても笑顔で返した。
殿下がリリアと親しくされても、婚約者として恥ずかしい真似はしないようにした。
事故の後に何を言われても。
全部。
全部。
自分が至らないからだと思って飲み込んだ。
「歴史も、外国語も、外交も、作法も、毎日欠かさず勉強しました! 学院でも殿下の婚約者として評判を落とさないよう、誰に対しても礼を尽くしました!」
涙が出そうになる。
「殿下が成功されたら嬉しかった。リリアが人を救えば誇らしかった。お父様も、お母様も、皆様のことをずっと――」
言葉が詰まる。
「ずっと、微力ながらでも、お支えしていると、……思っておりました」
リリアが顔を上げた。
「そんなこと、当たり前じゃない」
私はリリアを見た。
「……え?」
「王太子妃になるなら、歴史を学ぶのも、外国語を学ぶのも、殿下を支えるのも当然でしょう?」
リリアの声には、苛立ちがあった。
「私は毎日のように神殿へ通って、人の命を救ってきたわ」
「……」
「姉様がしてきたことは、王太子妃になる人なら誰でもすることじゃない」
それは。
私自身がずっと思っていたことだった。
だからこそ。
他人から言われると、こんなにも痛い。
「殿下は?……」
口から、かすれた声が出る。
「殿下は、このことを」
リリアは頷いた。
「もちろん、直接お話ししたわ」
胸が冷たくなる。
「殿下も、私の方が隣にふさわしいと仰った」
ああ。
そうなのだ。
あの学院事故の時から、もう答えは出ていたのだ。
私は立っていられなくなり、椅子へ座った。
何も考えられない。
その時。
お父様が口を開いた。
「……まだ、続きがある」
「……え?」
「王家は、お前の今後についても話を進めてくださっている」
お父様のその言葉を聞いた瞬間、背筋が冷えた。
まだ、あるの。
婚約を失って。
十七年間思い描いていた未来を失って。
殿下からも、妹からも、自分が必要ではなかったのだと思い知らされて。
それでもまだ、私から何かを取り上げるつもりなの。
「もう……」
声が震えた。
「もうこれ以上は聞きたくないわ、お父様。お願い、やめて……!」
私は両手で耳を塞いだ。
子供じみた仕草だと分かっていた。
王太子妃になるため、どんな時も取り乱さないよう教え込まれてきた。
背筋を伸ばしなさい。
声を荒らげてはいけません。
感情を顔に出してはいけません。
そんな教えを何年も守ってきたのに。
もう、できなかった。
椅子の上で身を縮める。
聞かなければ。
耳を塞いでしまえば。
これ以上、何も失わずに済むような気がした。
「エレナ」
お父様の声が聞こえる。
聞きたくない。
「お願い……」
涙が頬を伝った。
「今日はもう、何も聞きたくないの……」
けれど。
お父様は告げた。
「隣国、ヴァルグレン王国の王族との婚姻だ」
頭の中が、真っ白になった。
耳を塞いでいた手が、ゆっくりと落ちる。
「……嘘、でしょう?」
自分の声なのに、ひどく遠くから聞こえた。
ヴァルグレン王国。
十二年前まで、私たちが戦っていた国。
我が国を敗北寸前まで追い詰めた軍事大国。
和平は続いている。
交易もある。
外交使節も行き来している。
けれど、今もなお我が国より強大で、王宮では決して警戒を解いてはならないと教えられてきた相手。
「王家としては、この婚姻によって、両国の和平をより確かなものにしたいと考えておられる」
お父様の説明が続いていた。
けれど、ほとんど耳に入らなかった。
和平。
婚姻。
友好。
聞こえの良い言葉ばかり。
でも、それが意味することくらい、四年間も王太子妃教育を受けてきた私には分かる。
人質だ。
私は、和平を保証するための人質として差し出される。
「……私、が?」
喉がひどく乾いていた。
「私でなくてはいけないの?」
誰も答えなかった。
そしてその沈黙が、また答えだった。
王太子妃としてはいらない。
国内に置いておけば、元婚約者という立場が邪魔になる。
でも公爵家の娘という血筋には、まだ使い道がある。
だから。
妹へ王太子妃の座を譲った、その足で。
今度は旧敵国へ嫁げという。
「私……何だったの?」
気づけば、そんな言葉が零れていた。
「今まで、何だったの……?」
王太子妃になるために学んだ。
殿下のお役に立てるよう努力した。
王妃様に笑われても耐えた。
学院で何を言われても、未来の王太子妃なのだからと飲み込んだ。
全部。
全部。
その未来があると思ったから。
なのに。
その未来を妹へ渡した同じ書状に。
私の次の使い道まで書かれている。
「私の人生なのに……」
涙が止まらなかった。
王太子妃になるために生きてきた十七年が終わった、その日に。
次の人生まで、とっくに決められていた。




