魔導炉事故
「エレナ様!」
朝一番。
教室へ向かおうとしていた私は、また呼び止められ、振り向く。
「北講堂へ行きたいのですが、《星導》をお願いできますか?」
「ええ、もちろん」
付与する。
生徒は礼を言って走っていった。
その十分後。
「エレナ様、研究棟を」
「はい」
また一人。
さらに。
「すみません、第三実技棟まで……」
「ええ」
午前中だけで、何人に《星導》を使っただろう。
五人。
七人。
十人。
昼前には数えるのをやめた。
「今日は大人気ね、私」
思わず一人で呟く。
普段でも、転移魔法陣の調子が悪い日は何人かに頼まれる。
でも。今日は多すぎる。
昼休み。
食堂へ向かう途中にも、また呼び止められた。
「エレナ様、食堂の南入口へ行きたいのですが」
「……あなたも転移陣を?」
「ええ。朝から三回も違う場所へ飛ばされてしまって」
「三回?」
私は眉を寄せた。
一度誤転移したら、それ以降は使用を控えるよう学校から通達されているはずだ。
「どの転移陣?」
「第一と第三です。友人は第五も駄目だったと言っていました」
第一。
第三。
第五。
複数同時。
胸の奥に嫌なものが広がる。
私に道を尋ねる人が増えている。
つまり。
学院中の転移魔法陣で異常が起きている?
「……まさか」
中央魔導炉。
学院中の魔導設備へ、魔力を送り続けている古い設備。
戦前から使われ。
設備だけが増え続け。
いつもぎりぎりだと言われている。
もし。
今日は単なる「機嫌が悪い」程度ではなく。
本当に――。
――ズゥゥン。
低く、腹の底に響く音がした。
耳で聞くというより、床を伝って骨まで震わせるような音だった。
足元の石床が、かすかに跳ねる。
「……え?」
周囲の生徒たちも足を止めた。
何か重いものが、学院の遥か地下で軋んでいる。
そんな嫌な音。
一瞬の静寂。
次いで――
ズ……ズズズズズ……。
地の底から巨大な獣が唸るような振動が、学院全体を這い上がってきた。
窓硝子が細かく震え始める。
壁に掛けられた額縁がカタカタと音を立てる。
そして。
――ドォォォォンッ!!
今度の音は、音ではなかった。
衝撃だった。
足元から突き上げられ、身体が一瞬浮く。
窓硝子が一斉に砕け散った。
廊下の壁が軋み、天井から白い粉塵が降り注ぐ。
遅れて、学院の奥から腹を震わせるような轟音が幾重にも重なった。
悲鳴。
何かが崩れる音。
その直後。
学院中央部から、黒煙と炎が空へ噴き上がった。
「魔導炉……!」
誰かが叫んだ。
照明が消えた。
廊下を照らしていた魔導灯が、一瞬で全て暗くなる。
続いて転移魔法陣も沈黙した。
「外へ!」
教師の声。
「全員、校舎外へ避難しなさい!」
しかし。
爆発で廊下の一部が崩れている。
煙。
悲鳴。
大勢の生徒。
皆が一斉に動き出し、たちまち廊下は混乱した。
「こっちだ!」
「違う、そこは崩れている!」
「階段が!」
「誰か!」
私の頭の中が真っ白になる。
どうすれば。
その時。
一人の生徒が私の腕を掴んだ。
「エレナ様!」
泣きそうな顔。
「どこへ行けばいいんですか!」
あの時の、図書館への道を聞いてきた新入生だった。
――どこへ。
私は息を呑んだ。
そうだ。
それなら。
「外へ出たいと思って」
「え?」
「安全な場所へ行きたいと、強く思ってください」
私は彼女へ《星導》を付与する。
生徒の目が変わった。
「……こっち」
「分かる?」
「分かります!」
彼女は走り出した。
「こっちです! 西階段は駄目! 中庭へ抜けられます!」
何人かがその後を追う。
私は次の生徒へ手を伸ばした。
「あなたも」
「はい!」
「外へ。安全な場所へ」
一人。
また一人。
次々に《星導》を付与する。
「南回廊へ!」
「そこは火が回ってる!」
「大丈夫、こっち!」
煙で視界が悪くても。
崩落で普段の道が塞がれていても。
《星導》を受けた生徒たちは、不思議なほど迷わなかった。
私は校舎の状況を知らない。
なのに彼らは。
今、この瞬間。
安全な道を知っている。
「急いで!」
何人送り出したか分からない。
途中、外から声が聞こえた。
「王太子殿下が中央棟へ向かわれた!」
ルーク殿下。
魔導炉のある地下へ。
教師や魔導技師をまとめ、二次爆発を防ぐために動いているらしい。
また別の声。
「負傷者は中庭へ!」
「リリア様が治療を!」
リリア。
きっと。
今も大勢を救っている。
なら。
私も。
「大丈夫です」
震えている新入生の肩へ手を置く。
「あなたには、道が分かります」
少女が泣きながら頷いた。
「行って」
少女は走り出した。
その背中が煙の向こうへ消える。
◇
事故は数時間後、ようやく収束した。
中央魔導炉は完全に停止。
原因は、老朽化した魔力供給機構の破損だった。
各設備へ送り出されるはずだった魔力が炉内に滞留し。
安全装置でも処理しきれないほど蓄積。
最後には、炉そのものが耐えきれず破裂した。
学院の一部は大きく損壊した。
負傷者は大勢出た。
けれど、不思議なことに死者は一人も出なかった。
崩落に巻き込まれる直前で別の廊下へ曲がった者。
炎が回る寸前に階段を降り切った者。
煙に包まれながら、迷わず出口へ辿り着いた者。
誰もが、あと一歩遅ければ命を落としていたという。
中庭では、リリアが最後の負傷者を治療していた。
「腕が……!」
失われた腕が戻る。
歓声。
「女神様だ!」
「リリア様!」
また。
少し離れたところでは、ルーク王太子殿下が教師や技師たちに囲まれていた。
殿下の判断で、魔力供給路を切り離したことで、二度目の爆発を防げたらしい。
「殿下のおかげです!」
「さすが王太子殿下!」
私は。
校舎の壁際で座り込みながら、その光景を眺めていた。
良かった。
皆、無事だった。
それで十分だ。
そう思った。
◇
「エレナ」
事故から少し経った頃。
ルーク王太子殿下が私の前へ来た。
少し気が立っている様子だった。
きっと事故のせいで、興奮状態が続いているのかもしれない。
「はい。殿下」
私は立ち上がる。
「ご無事で何よりでございました」
「君もな」
短い返事。
殿下は私を見る。
そして。
「君は、何をしていた?」
「避難される方々へ、《星導》を」
「……そうか。やはり道案内か」
胸が少し痛んだ。
「はい」
殿下は息を吐いた。
「例えば、また戦争が起きたとしても」
私は顔を上げる。
「我が婚約者殿は、逃げ道だけを探して皆へ教えて回るのか」
言葉が出なかった。
「はい。申し訳ございません」
殿下は私から視線を外した。
その先には。
まだ負傷者へ声をかけ続けるリリアがいた。
疲れているはずなのに。
血で服を汚しながら。
それでも人を救っている。
「私は、此度の件で」
ルーク殿下が静かに、だけどハッキリと言う。
「窮地にあっては、共に前を向き」
リリアを見ながら。
「共に立ち向かってくれる女性にこそ、私の隣にいてほしいと、そう感じたぞ」
胸の奥が。
冷たくなった。
殿下は学院を救った。
リリアは人を救った。
私は?
ただ、逃げる人たちに道を教えただけ。
「申し訳、ございません」




