王立貴族学院
王立貴族学院は、王都の北東に広大な敷地を構えている。
元々は王家の離宮だった場所を、何代にもわたって増築して現在の姿になったと聞いている。
中央にそびえる本館を中心に、講義棟、実技棟、魔導研究棟、礼法棟、図書館、食堂、それにいくつもの庭園。
さらに少し離れた場所には学生寮まである。
端から端まで徒歩で移動しようとすれば、学生の足でもかなりの時間がかかる。
だからこの学院では、敷地内の主要施設を結ぶ転移魔法陣が日常的に使われていた。
「第三転移陣から図書館前へ。そこから西回廊を抜ければ、午後の講義には十分間に合うわね」
私は次の予定を頭の中で確認しながら、中庭へ続く本館の廊下を歩いていた。
王太子妃教育の一環として、通常の授業に加え、午後には外交史の特別講義が入っている。
その前に図書館へ寄って、先日借りた資料を返しておきたかった。
学院の転移魔法陣は非常に便利だ。
ただし。
「あーあ。また中庭だ」
少し先にある転移陣から、一人の男子生徒が姿を現した。
彼は周囲を見回すと、盛大にため息をつく。
「図書館へ行きたかったんだけどな」
「あら。今日も魔導炉の調子が悪いのかしら」
続いて、その友人らしい令嬢が姿を現して、笑いながらそう言った。
学院の転移魔法陣は、ときどき目的地を間違える。
図書館前へ飛ぶはずが、その途中にある中庭へ出てしまったり。
実技棟を指定したのに、一つ手前の講義棟へ出たり。
原因は、学院の地下にある中央魔導炉だと言われている。
戦前から使われている旧式の設備。
終戦後は王都や地方都市の復興が優先されたため、学院設備の更新は後回しになった。
けれど、生徒数も増え、魔導実験器具も増え、冷暖房や照明など魔導力を使う設備は年々増設されている。
だから時折、魔力の供給が不安定になるのだそうだ。
誤転移が一度でも確認された日は、その転移陣を使わず徒歩で移動するよう学院から通達されている。
皆もすっかり慣れたものだった。
「まあ、中庭ならまだ近いじゃない」
「そうだけどさ。歩くの面倒だろ」
そんな会話を横目に通り過ぎようとした時。
「あの!」
別の声が後ろからかけられる。
振り返ると、まだ制服の着こなしにも慣れていない様子の少女が立っていた。
どうやら新入生らしい。
「エレナ・アシュベリー様、ですよね?」
「ええ」
少女は、どこか期待に満ちた顔で私を見た。
嫌な予感がした。
「図書館へ導いてください!」
……やっぱり。
「あなた、誰から私のスキルを聞いたの?」
「誰からというか……」
少女は少し困った顔をした。
「皆知っていますよ?」
胸の奥に小さな何かが刺さった。
そう。
有名なのね。
道案内として。
「分かったわ。図書館へ行きたいと思って」
「はい!」
私は少女へ《星導》を付与した。
目に見える光が出るわけではない。
何かが変化したようにも見えない。
けれど少女は一瞬目を閉じると、すぐにぱっと顔を上げた。
「あっ!」
「分かった?」
「はい! 第三回廊を抜けて、右。それから大階段を降りて――」
少女は指を折りながら、すらすらと道順を口にした。
「すごい。本当に分かる!」
近くにいた、先ほどの生徒たちが笑う。
「今日は転移陣が怪しいから、エレナ様が大人気だな」
「こういう日は便利だよね、《星導》」
「学院一の道案内役だ」
悪意は、ないのだろう。
だから私も笑った。
「お役に立てて光栄です」
そう言えば、皆さらに楽しそうに笑った。
少女は何度も頭を下げて、図書館へ向かって走っていった。
それを見送ってから、私は自分も歩いて図書館へ向かうことにした。
◇
「エレナ」
途中、聞き慣れた声に呼び止められ、振り返ると、ルーク王太子殿下が、二人の友人を連れて廊下を歩いてくるところだった。
背が高く、ベアトリス王妃陛下によく似た整った顔立ちをなさっている。
学院の制服すら、殿下が身につければ王族の正装に見える。
幼い頃から優秀な方だった。
けれどここ数年の成長は本当に目覚ましい。
剣術大会では上位。
学科でも常に首席争い。
外交や政治について教師と議論する姿など、私ですら感心してしまうほどだった。
学院内で人気が高いのも当然だと思う。
「午後の外交史には出るだろう?」
「はい。そのつもりでおります」
「東方諸国との交易が議題になるらしい」
「はい。でしたら、殿下のお得意な分野でございますわね」
「まあな」
殿下は当然のように頷いた。
私は微笑む。
「殿下でしたら、きっと良い議論をなさいます」
「もちろん、そのつもりだ」
その一言で会話は終わった。
いつものことだった。
殿下は自信に満ちている。
そして実際、それに見合う結果を出される方なのだから、何もおかしくはない。
「では、後ほど」
「はい」
殿下と別れ、私は図書館へ向かった。
◇
図書館で用事を済ませ、午後の講義へ向かう途中。
私は中庭を横切った。
学院の中心にある大きな庭園で、昼休みや空き時間にはいつも多くの生徒が集まっている。
そこで。
見慣れた二人を見つけた。
ルーク王太子殿下。
そして、妹のリリア。
「神殿での活動は大変ではないのか?」
殿下が尋ねている。
「大変ではありますけれど、救える方がいるのなら続けたいと思っています」
リリアは微笑んだ。
その周囲には何人かの生徒たちがいた。
「さすがリリア様だわ」
「本当にお優しいのね」
「もうすぐスキル鑑定でしょう? やっぱり《神癒》かしら」
「そうだったら素敵ね」
会話が聞こえてくる。
リリアは少し照れながら笑っていた。
「まだ何のスキルか分からないのですから、あまり期待しないでくださいませ」
「でも今でも欠損まで治せるのでしょう?」
「ええ」
「それならもう《神癒》みたいなものじゃない」
楽しそうな声。
そして、校舎と中庭の境にある柱の陰から、こんな声も聞こえてきた。
「あのお二人、本当にお似合いよね」
私は、足を止めてしまった。
「王太子殿下とリリア様?」
「ええ。華があるもの」
「リリア様が《神癒》だったら、王太子妃としても申し分ないでしょうね」
「国民人気も高いし」
少し間を置いて。
「エレナ様の《星導》も……まあ、便利ではあるけれど」
クスクスと笑い合う声。
私は視線を落とした。
――ごもっともだわ。
殿下は立派だ。
リリアは人を救える。
二人が並んでいる姿は、確かに絵になる。
私は。
その間に入って、何ができるのだろう。
「……行こう」
二人には声をかけなかった。
気づかれないように、その場を離れた。
◇
放課後。
昇降口へ向かっていると、生徒たちの会話が耳に入った。
「第五転移陣、今日また第二庭園につながったらしいよ」
「また?」
「最近多くない?」
「古いんだから仕方ないだろ」
「明日には戻るんじゃない?」
皆、笑っている。
私も特に気に留めなかった。
学院の転移魔法陣が少し間違う。
そんなことは日常だったから。




