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10/12

届いていた祈り

 数日後。

 私は、ヴァルグレン王国の神殿に呼ばれていた。


 白い石で造られた小さな鑑定室。

 十五歳の時、アルディアの神殿でスキル鑑定を受けた時と、よく似た部屋だった。


 違うのは。

 私の隣に、レオン王子が立っていることくらい。


「では、始めます」

 神官が鑑定石へ手をかざした。

 薄青い光が、石の表面を走る。

 私も手を置く。

 一瞬。

 光が強くなり。

 そこへ文字が浮かび上がった。


 《星導》

 ――迷わず、望みの場所へ。


 私は、その文字を黙って見つめた。

 十五歳の時と。

 一字一句。

 何も変わっていない。


「……やはり同じですね」

 神官が首を傾げた。

「鑑定そのものが誤っていた可能性も考えましたが……少なくとも、記述は正常です」


「つまり」

 レオン王子が腕を組む。

「最初から、この説明で正しいということか」


「そうなります」

「だが、この説明を読めば普通は道案内と考える」

「私どもも、そう判断するでしょう」

 神官も困ったように眉を寄せた。


 私は鑑定石に浮かぶ文字を見た。

 迷わず。

 望みの場所へ。

 何度見ても。

 やはり道を示すスキルにしか思えない。


 レオン王子だけが、まだ納得していない様子だった。

「過去に《星導》を持った者の記録は?」

「当神殿にはございません」

「王国全体では」

「確認しましたが、残っておりませんでした」


 王子は少し考える。

 そして。

「国外には?」

 神官が顔を上げる。

「聖庁国へ問い合わせてみましょう」


 聖庁国。

 世界各国の神殿を束ねる、小さな宗教国家。

 歴代の神官が集めた膨大なスキル記録が保管されているという。


「数百年前の鑑定記録まで残っていると聞く」

 王子が言った。

「そこにもなければ、それまでだ」

「承知いたしました」

 神官が頭を下げる。


 私は。

 再び鑑定石を見つめた。

 道案内以外の何かが。

 本当に。この短い一文の中に隠れているのだろうか。



 ◇

 返事が届いたのは、五日後だった。

 神殿から急ぎの知らせを受け。

 私とレオン王子は、その日のうちに神殿へ向かった。


 案内されたのは、前回の鑑定室ではない。

 古文書や記録を扱う、小さな書庫だった。


 中央の机に。

 一通の封書と、一枚の写しが置かれている。


 神官は、私たちが席につくのを待ってから口を開いた。

「ございました」

「……本当に?」

 思わず声が出た。

「はい。ただし、極めて古い記録です」


 神官は写しをこちらへ向けた。

「今から四百年ほど前。聖庁国の前身となった神殿に、一人だけ《星導》を持つ者がいたとの記録が残っていました」


 紙には。

 古い言葉を現代語へ直した文章が書かれていた。


 私は。

 ゆっくりと読み始めた。


 《星導》

 望みを抱く者を、その望みの果てへ導く祝福なり。

 導かれし者は才を得、機を得、己が望む場所へ至る。


 そこで。

 指が止まった。

「……望む、場所」


 隣で。

 レオン王子が小さく呟いた。

「……そうか。“場所”とは、そこへ行けば辿り着ける土地のことではなかったのか」


 私はもう一度読む。

 望み。

 場所。

 導く。

 道を示す。

 全部。


 知っている言葉なのに。

 意味が。

 まるで違って見えた。


「続きがあります」

 神官が言う。

 紙の下段を指す。


 《星導》を授かりし者が他者の望みを認め、その行く末を願う時、導きは与えられる。

 また、導き手自身も一人の旅人なり。

 己が望みを抱き、己を導く者として認める時、その祝福は自らにも及ぶ。


 息が止まった。

「……私にも?」


 神官が頷く。

「記録をそのまま解釈するならば」


 レオン王子が。

 ゆっくり私を見る。

「エレナ」

「はい」


「あなたがこちらへ来てから、妙なことが続いています」

 農村の水路。

 壊れた製粉設備。

 復興物資の再配分。

 新しい交易路。


「あなたが訪れた土地ほど、復興が早い」

 王子は言う。

「逆に、まだあなたが訪れていない地域では、以前とほとんど変わらない」

 私は何も言えなかった。


「私自身もそうです」

 王子は少し苦笑した。

「以前より、明らかに頭が冴える」

「そんな……」

「偶然だと思おうとしました。でも、一致するものが多すぎる」


「エレナ」

 王子は静かに尋ねた。

「あなたは、あの人たちへ何と言いました?」

 老職人。

 農民。

 行政官。


 思い出す。

『良い町を作ってまいりましょうね』

『私も、ご一緒させてください』

『きっと良くなります』

『皆様ならできます』


 何気なく言っただけ。

 ただ頑張ってほしいと思っただけ。

 そこでさらに古い記憶が浮かんだ。


 幼い頃戦場へ向かう父に。

『お父様なら、きっと大丈夫です』

 母へ。

『お母様ならできます』

 ルーク殿下へ。

『殿下なら、きっと立派な王になられます』

 そしてリリアへ。

『きっともっと多くの人を救えるわ』

『あなたの願いが叶うよう、私も祈っている』


 次から次へ。

 記憶が戻ってくる。

「……まさか」

 声が震えた。

 私はずっと、そんなことばかり言ってきた。

 レオン王子の声がした。

「あなたはずっと、人の望みを肯定してきたのでしょう?」

 私はゆっくり頷いた。

「頑張って、と」


 喉が詰まる。

「大丈夫、と」

 何度も。何度も。

「あなたならできる、と……」


 目の奥が熱くなった。

 私は何もしていないと思っていた。

 誰かの成功を横で見て、すごいですね、と。

 立派ですね、と。

 言っているだけだと思っていた。

 自分には何もないのだと、ずっとそう思っていた。

 でも違った。


「私の言葉……」

 声が震える。

「届いていたのですね」

 何の役にも立たないものではなかった。

 ちゃんとその人たちを、望んだ場所へ、導いていた。


 涙が一粒。

 頬を伝った。

 悲しい涙ではなかった。

 こんな涙があるのだと。

 初めて知った。




 ◇

 それでも。

 一つだけ。

 分からないことがあった。


「では」

 私は古文書を見つめたまま尋ねた。

「私自身への《星導》というのは……」


 レオン王子が。

 少し考えるように私を見る。


「覚えていませんか?」

「何をでしょう」

「こちらへ来る前に」

「……」

「あなた自身が、望んだことを」


 胸の奥に。

 馬車の窓に映った自分の顔が浮かんだ。

 王妃様のお茶会から帰る途中。


 あの頃まだルーク殿下の婚約者だった。

 私は確か。

 思ったかもしれない。

 ――私は、誰に必要とされているのだろう。

 もし。

 どこかに。

 私でなければ困る場所があるのなら。

 私を必要としてくれる場所があるのなら。

 そんな場所へ行けたらいいのに。

 ――迷わず。


「……あ」

 息が漏れた。

 今度は隣国へ向かう馬車の中。

 今度こそうまくやりたい。

 必要とされたい。

 自分の居場所を作りたい。

 そう願った。


「でも」

 私は首を振った。

「婚約を破棄したのはルーク殿下です。リリアが殿下を望んだのも。王家が私をこちらへ嫁がせると決めたのも」


「ええ」

 王子はすぐに頷いた。

「《星導》が彼らを操ったわけではないでしょう」

 その言葉に。

 少し安心した。


「彼らは、自分の意思で選んだ」

「……はい」

「ただ」

 王子が微笑む。

「彼らの選択によってできた道の中から、あなたが望んだ場所へ続く道を、あなた自身の《星導》が見つけた」

 そういうことなのかもしれない。


 婚約破棄も。

 国外への婚姻も。

 決して嬉しい出来事ではなかった。

 今でも思い出せば胸は痛い。


 でも。

 その先にこの国があった。

 この人がいた。

 私は。

 知らないうちに。

 自分自身にも。

 ずっと。


「頑張れ」と言っていたのだ。




 ◇

 その頃。

 アルディア王国では。

 ヴァルグレンとはまったく逆の方向から。

 同じ謎へ近づき始めていた。


 ◇


「異常はございません」


 神官の言葉に。

 リリアは、しばらく意味を理解できなかった。

「……何が?」


「リリア様の《聖癒》でございます」

 白い鑑定室。

 リリアの目の前では、鑑定石が淡い光を放っている。

 そこに浮かんでいる文字は。

 何度見ても。

 《聖癒》。

 それだけだった。


「正常って……」

 リリアの声が震える。


「それでは、どうして私は以前のように治せないの?」

 神官たちは顔を見合わせた。

 その中で。

 年配の神官が慎重に口を開く。

「逆なのです」

「……逆?」

「現在のリリア様のお力は、《聖癒》として極めて優秀でございます」

 傷を治す。

 病を癒す。

 骨をつなぐ。

 深い傷跡さえ薄くする。

 それだけでも。

 《聖癒》は、十分すぎるほど希少で優秀な力だ。


「しかし」

 神官は言葉を選んだ。

「過去の記録をどれほど調べても、《聖癒》で失われた四肢を再生した例はございません」

 リリアの顔から血の気が引いた。


「では……」

「はい」

 神官は。

 静かに告げた。

「弱くなったのではございません」

「今が、《聖癒》本来のお力なのです」


 室内が。

 ひどく静かになった。

 リリアは。

 自分の両手を見た。

「じゃあ、以前の私は……」


 声が震える。

「何だったの……?」



 ◇

 同じ疑問は。

 王宮でも生まれていた。


「時期が同じだ」

 宰相の言葉に会議室の空気が変わった。

 ルークは顔を上げる。


 机の上には。ここ数週間の報告書が並べられていた。

 王太子の判断力低下。

 行政処理速度の低下。

 復興計画の遅延。

 騎士団の育成効率低下。

 商人たちの判断ミス。

 そして。

 リリアの治癒能力。


「何が同じだ」

 ルークが問う。

 宰相は一つずつ日付を示した。

「リリア様が欠損再生を行えなくなった時期」

「公爵閣下が、領地経営に違和感を覚え始めた時期」

「王太子殿下ご自身が、政務に以前ほどの冴えを感じなくなった時期」

 さらに。

「我々もです」

 会議室が静まり返る。

「多少の差はございますが」


 宰相は最後の一枚を置いた。

「すべて、エレナ様がアルディアを離れた時期と重なります」

 ルークの眉が動いた。

「……エレナ?」

 その名をこんな場所で聞くとは思っていなかった。


「偶然だ」

 誰かが言った。

 しかし誰も、強くは同意しなかった。

 何か、嫌なものが会議室の中に形を持ちはじめる。


 宰相が言う。

「殿下」

 ルークを見る。

「エレナ様の《星導》について、再調査を行うべきかと存じます」



 ◇

 アルディアの神殿で調べても答えは出なかった。

 記録にはただ。


 《星導》

 ――迷わず、望みの場所へ。


 それだけ。


 エレナが十五歳の時に受けた鑑定と一字一句、何も変わらない。

「道案内のスキルではないのか」

 ルークが苛立った声を出した。

 神官は首を横に振ることしかできない。


「少なくとも、我が国に残る記録からは、それ以上のことは……」

 そこで神殿から提案が出た。

「聖庁国へ照会を出しましょう」

 世界中の神殿記録を保管する国。

 アルディアからも。

 《星導》についての問い合わせが送られた。


 ◇

 そして数日後。

 アルディアにも、ヴァルグレンがすでに辿り着いていたものと同じ答えが届いた。

 四百年前、たった一人。

 《星導》を持つ者がいた。

 そしてその力は、道案内ではなかった。



 ◇

 古文書の写しを読み終えたルークは、しばらく何も言わなかった。

 《星導》

 望みを抱く者を、その望みの果てへ導く祝福なり。

 導かれし者は才を得、機を得、己が望む場所へ至る。


 ルークは何度も文字を目で追った。

「……望む場所」

 その言葉を呟く。


 そして一つの記憶が浮かんだ。

『殿下なら、きっと良い議論をなさいます』

『殿下なら大丈夫です』

『きっと立派な王になられます』


 何度も。何度も。

 エレナはそう言っていた。

 自分が成功した時いつも。

 あの女は嬉しそうに笑っていた。


 当たり前だと思っていた。

 婚約者なのだから。

 王太子を支えるのは当然だと。

 そう思っていた。

 だがもしあの言葉すべてが。


「……そんな」

 声が漏れた。


 ◇


 リリアも同じ古文書を読んだ。

 そして真っ先に思い出したのは、姉の部屋だった。


『もっとたくさんの人を救えたらいいのに』


 そう言った自分へエレナは微笑んで、

『きっともっと多くの人を救えるわ』

『あなたの願いが叶うよう、私も祈っている』

 そう言った。


 ――祈るだけ。

 あの日自分は、心の中で姉をそう笑っていた。

 実際に人を救っているのは自分。

 姉は屋敷の中で祈るだけ。

 そう思った。


 でも。

 違った。


「……姉様」


 声が震える。

 姉の祈りは。

 本当に自分へ届いていた。


 ◇

 アルディア王宮ではさらに、過去の記録が調べ直された。


 エレナが生まれた年、戦況が好転し始めた。

 幼いエレナが父や軍人たちと接するようになった頃、騎士団の戦果が急激に伸びた。

 エレナが五歳になる頃、外交交渉は奇跡的な好条件でまとまった。


 戦後、エレナの周囲にいた者たちは、次々に成果を上げた。

 公爵。

 公爵夫人。

 宰相。

 行政官。

 商人。

 王太子。

 そして。

 リリア。

 あまりにも一致する。


「我が国は……」

 国王が。

 重い声で言った。

「十七年間」

 続く言葉を誰も聞きたくなかった。


「知らぬ間に、あの娘に支えられていたのか」

 誰も。

 答えなかった。


 ◇

 それから。

 ヴァルグレン王国へ。

 アルディアから正式な使節を送りたいという申し入れが届いた。


 目的は。

 エレナとの面会。


 その知らせを受けた時。

 私は何のための使者なのかすぐに分かった。


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