第9話 百一人目の死者
勇者を育てる名門「王立勇者学院」。
そこで最低評価を受ける落ちこぼれの少年には、誰にも言えない秘密があった。
彼にだけ、死んだ英雄たちの姿が見える。
剣聖、賢者、大魔導師、聖女、軍師。歴代最強と呼ばれた百人の英雄から教えを受け、最弱だった少年は仲間との友情や恋、冒険を通して成長していく。
しかし、百人の中には一人だけ「英雄ではない者」が紛れていた。
その正体は、かつて世界を滅亡寸前まで追い込んだ初代魔王。
なぜ英雄たちは少年を選んだのか。
そして、魔王の本当の目的とは。
これは落ちこぼれの少年が、百一人目の英雄を目指す物語。
サブタイトル
百人の英雄が敵と呼ぶ男を、なぜか俺だけは怖いと思えなかった
「ゼル」
男はそう名乗った。
黒髪。
若い。
年齢だけなら二十代半ばくらいにしか見えない。
穏やかな目。
穏やかな声。
そして。
どうしてか分からないが。
とても寂しそうな笑い方をする男だった。
「僕のことは、ゼルと呼んでくれればいい」
差し出された手。
悠真はその手を見る。
半透明。
やはり死者だ。
百人の先生たちと同じ。
だったら。
握手くらい。
そう思って手を伸ばした。
その瞬間。
『触るな!』
ガルディオの怒声が洞窟へ響いた。
「うわっ!?」
悠真は反射的に手を引っ込める。
「何だよ!」
『そいつに触るな』
ガルディオ。
剣を構えている。
その横ではエレノア。
クロウ。
リリア。
さらに。
背後にいる英雄たちまで。
全員。
武器を構えていた。
百人。
一人残らず。
「……え?」
悠真は。
ゼルを見る。
ゼルは。
困ったように笑った。
「相変わらず嫌われているな、僕は」
『黙れ』
ガルディオ。
低い声。
今まで。
悠真が聞いたことのない声だった。
怒っている。
いや。
違う。
怒りだけではない。
警戒。
そして。
ほんの少し。
恐怖。
あの剣聖ガルディオが。
この男を。
恐れている?
「先生」
悠真は小声で聞く。
「この人、誰?」
『……』
「ガルディオ?」
答えない。
「エレノア」
『私に聞かないで』
「クロウ」
『知らん』
「嘘つけ!」
明らかに知っている。
全員。
顔がそう言っている。
「百人もいるんだから、一人くらい説明してくれてもよくない!?」
沈黙。
「役に立たねえ!」
『誰が役立たずだ!』
「今のお前ら全員だよ!」
「悠真?」
後ろから。
セレスの声。
振り返る。
焚き火の横。
彼女は壁へ身体を預けながら。
こちらを見ていた。
「さっきから、誰と話しているの?」
「あ」
忘れていた。
セレスには。
死者が見えない。
だから当然。
ゼルも見えない。
「えっと」
「また人生?」
「……今日は人生の登場人物が一人増えた」
「あなたの人生、登場人物が多すぎない?」
「俺も困ってる」
ゼルが。
ふっ。
笑った。
「面白い子だね」
「聞こえてるからな」
「僕に言ったの?」
「そうだよ」
セレス。
首を傾げる。
「誰に?」
「人生」
「人生と会話できるようになったの?」
「もう何でもいい!」
ガルディオが。
剣先をゼルへ向けた。
『悠真。そいつから離れろ』
「でも」
『離れろ』
「理由は?」
『いいからだ』
「それ一番納得できないやつ!」
ガルディオが。
言葉に詰まる。
ゼルだけが。
静かに悠真を見ていた。
その目には。
敵意がない。
殺気も。
怒りも。
何もない。
むしろ。
初めて会ったはずなのに。
なぜだろう。
悠真は。
この男を。
怖いと思えなかった。
1 百人全員が嫌っている男
「一つ確認していい?」
悠真が聞いた。
ゼルが頷く。
「もちろん」
「あなたも英雄なの?」
その瞬間。
空気が変わった。
百英雄。
一斉に。
表情を硬くする。
「え?」
悠真は周囲を見る。
「何?」
誰も答えない。
ゼルは。
ほんの少し。
目を細めた。
「英雄か」
「違うの?」
「昔」
ゼルは言った。
「そう呼んでくれた人もいた」
「じゃあ英雄じゃん」
「化け物と呼んだ人もいた」
「差がすごいな!?」
ゼルが笑う。
「人間の評価なんて、そんなものだよ」
『ふざけるな』
ガルディオ。
「ガルディオ」
悠真は振り返る。
「知ってる人なんだろ?」
『……』
「久しぶりって言われてたじゃん」
『知っている』
「じゃあ説明してよ」
『できん』
「なんで?」
ガルディオ。
黙る。
エレノアが。
珍しく視線を逸らした。
クロウまで。
何も言わない。
一番困った顔をしていたのは。
リリアだった。
「リリア?」
『悠真』
「うん」
『今は』
言葉を選ぶ。
『彼から距離を取ってください』
「リリアまで?」
『お願いします』
悠真は。
もう一度。
ゼルを見る。
百人全員。
信用していない。
なのに。
ゼル本人は。
その反応を見ても。
怒らない。
「ゼル」
「何?」
「あなた、この人たちに何したの?」
「うーん」
ゼル。
考える。
「たくさん」
「そこは否定してくれ!」
「百年以上の付き合いだからね」
『付き合いなどと言うな!』
「ガルディオ」
『何だ!』
「百年以上経っても短気だね」
『斬るぞ!』
「もう死んでいるよ」
『もう一度殺す!』
「できるのかな?」
『試すか!?』
「先生!」
悠真が間に入る。
「初対面の人と喧嘩するな!」
『初対面ではない!』
「じゃあ余計に仲良くしろ!」
『できるか!』
「面倒くさい同窓会か!」
セレス。
少し離れた場所から。
「悠真」
「何?」
「人生と喧嘩してる?」
「人生の人間関係が複雑なんだよ!」
「大変ね」
「他人事!」
ゼルが。
また笑った。
その笑顔。
どこか。
懐かしそうだった。
百人の英雄を。
一人ずつ。
見ている。
ずっと。
会いたかった人たちを見るように。
だから。
余計に。
悠真には分からなかった。
どうして。
この男を。
全員が。
これほど嫌うのか。
2 君のお姉さんを
「悠真」
セレスが立ち上がろうとした。
右脚。
まだ痛むはずだ。
「待って!」
「もう休んだわ」
「だからって!」
「ミアを探さないと」
その名前。
悠真も。
表情を変える。
そうだ。
忘れてはいない。
ミア。
仲間たち。
この十三階層のどこかにいる。
さらに。
《零番目》。
英雄を回収する謎の存在。
そして。
消えかけているリリア。
時間がない。
「……行こう」
悠真は頷いた。
「でもセレスは歩くな」
「歩ける」
「第8話からそれ何回言った?」
「第8話?」
「何でもない」
セレス。
一歩。
踏み出す。
「っ……」
顔。
歪む。
悠真。
無言。
「……」
「……」
「地面が悪いのよ」
「まだ地面のせいにするの!?」
「少しだけよ」
「顔!」
「何?」
「痛い顔してる!」
「そんな顔してない」
「してる!」
「どんな?」
「こう!」
悠真。
顔を思い切り歪める。
セレス。
見る。
「……もっと綺麗だったと思う」
「そこ前にもやった!」
セレスが。
小さく笑った。
第8話で。
悠真の肩に額を預け。
泣いていた少女。
そのあとから。
少しだけ。
何かが変わった。
まだ。
学院首席。
《聖剣姫》。
強い少女。
それは変わらない。
でも。
悠真の前では。
ほんの少しだけ。
無理を隠さなくなった。
悠真は。
セレスの前へしゃがんだ。
「乗って」
「嫌」
「即答!」
「自分で歩ける」
「歩けてない」
「歩ける」
「じゃあ今の何?」
「地面」
「地面かわいそう!」
セレス。
黙る。
悠真。
背中を向けたまま。
言う。
「ミアを助けに行くんだろ?」
「……ええ」
「だったら、ここで脚を悪化させた方が困る」
「でも」
「乗って」
少し。
沈黙。
やがて。
背中へ。
柔らかな重み。
セレスの腕が。
悠真の首へ回る。
「……重くない?」
「こういう時に男が重いって言ったら終わるって、日本で学んだ」
「どこで?」
「漫画」
「何、それ」
「人生の教科書」
『違うぞ』
ガルディオ。
「うるさい!」
「また人生?」
「今日も人生がうるさい!」
セレスの髪。
頬へ触れる。
距離。
近い。
ものすごく。
近い。
悠真の心臓。
忙しい。
背後。
ガルディオ。
親指。
立てる。
エレノア。
両手で丸。
作る。
リリア。
微笑む。
クロウですら。
少し。
頷いている。
「見るな!」
「誰に?」
「人生!」
セレスが笑う。
その時。
ゼルが。
セレスを見た。
笑顔が。
消えた。
悠真は。
気づく。
さっきも。
そうだった。
ゼルは。
セレスを見る時だけ。
悲しそうな顔をする。
「ゼル」
男が悠真を見る。
「何?」
「セレスを知ってる?」
ゼル。
答えない。
「さっき」
悠真。
少し声を落とす。
「お姉さんって言ったよね」
セレスの身体。
悠真の背中。
少し動く。
「お姉さん?」
「あ」
セレスには。
ゼルの声は聞こえない。
悠真が。
思わず口にした。
「悠真」
セレスの声。
さっきまでと違う。
「何の話?」
「……」
ゼルを見る。
ゼルは。
苦しそうに。
目を伏せた。
そして。
小さく言う。
「知っている」
悠真。
息を止める。
「セレスのお姉さんを?」
「……ああ」
「どうして?」
沈黙。
「何があった?」
ゼルが。
答えようとした。
その瞬間。
ガルディオの剣が。
ゼルの首へ向けられた。
『そこまでだ』
「ガルディオ!」
『話すな』
「なんで!」
『今は駄目だ』
「だからなんでだよ!」
ガルディオ。
悠真を見る。
言いかける。
だが。
飲み込む。
ゼルも。
何も言わない。
やがて。
静かに。
「今日は話さない」
悠真が。
睨む。
「逃げるの?」
「そう思ってもいい」
「……」
「ただ」
ゼルはセレスを見る。
「これは」
静かな声。
「僕一人が話していいことじゃない」
その言葉だけは。
嘘には聞こえなかった。
悠真の胸に。
新しい疑問が残る。
セレスの姉。
幼いセレスを庇って。
魔物に殺された。
そう聞いた。
だが。
その場所に。
ゼルがいた?
どうして。
百年以上前に死んだはずの男が。
セレスの姉を知っている?
分からない。
分からないことが。
また。
一つ増えた。
3 君は、なぜ勇者になりたい?
しばらく。
暗い通路を進んだ。
悠真。
背中にセレス。
周囲には。
百人の死者。
そして。
その少し後ろ。
ゼル。
不思議な一行だった。
「ねえ」
ゼルが言った。
「悠真」
「何?」
「君は勇者になりたいの?」
「……今それ聞く?」
「今だから聞きたい」
悠真は。
歩きながら考える。
「なりたいよ」
「なぜ?」
「え?」
ゼル。
笑っている。
「なぜ勇者になりたい?」
「それは」
悠真。
即答する。
「強くなりたいから」
「なぜ強くなりたい?」
「……」
一秒。
止まる。
「人を守りたいから」
「誰を?」
「え?」
「誰を守りたい?」
悠真。
口を開く。
「みんな」
ゼル。
少し笑った。
「便利な言葉だね」
胸に。
刺さる。
「感じ悪いな!」
「責めていないよ」
「絶対責めてるだろ」
「本当に責めていない」
ゼルの声から。
笑いが消える。
「ただ」
悠真を見る。
「『みんなを守りたい』という言葉は、とても優しくて、とても危険だ」
「危険?」
「誰も選ばなくていい言葉だから」
悠真の足。
少し。
遅くなる。
背中。
セレスは。
何も知らず。
静かにしている。
「選ぶって何を?」
悠真が聞く。
ゼル。
少しだけ。
目を細めた。
「誰を救うか」
一拍。
「そして」
もう一拍。
「誰を救えないか」
悠真の胸。
ざわついた。
「そんなの」
声が。
少し強くなる。
「全部救えばいい」
「そうだね」
「強くなれば」
「うん」
「全部守れる」
ゼル。
歩みを止めた。
悠真も止まる。
振り返る。
男は。
笑っていなかった。
「昔」
ゼルが言った。
「僕も同じことを言った」
「……え?」
「もっと強ければ」
遠い何かを見る。
「誰も失わなくて済むと思っていた」
声。
寂しい。
「誰より強くなれば」
「……」
「選ばなくて済むと思っていた」
「違うの?」
ゼル。
悠真を見る。
「違った」
短い。
答え。
それだけだった。
けれど。
その言葉の重さが。
悠真には。
分かった。
この男は。
誰かを。
失った。
たぶん。
一人ではない。
「何があったの?」
悠真が聞く。
ゼルは。
首を振る。
「今は僕の話じゃない」
「じゃあ誰の話?」
「君の話」
「俺?」
ゼル。
指を伸ばす。
悠真の胸。
その辺りを。
指す。
「君は」
静かに言う。
「どうして勇者になりたい?」
「だから」
「強くなりたい、ではなく」
「……」
「人を守りたい、でもなく」
ゼル。
微笑む。
「なぜ」
その問い。
悠真の中へ。
沈んでいく。
今まで。
考えたことがなかった。
異世界へ来た。
能力がない。
笑われた。
悔しかった。
百人の英雄と出会った。
強くなれると言われた。
だから。
勇者になろうと思った。
でも。
その前。
俺は。
何をしたかった?
「……分からない」
悠真。
正直に言った。
ゼルは。
嬉しそうに笑った。
「それでいい」
「いいの?」
「分からないものを、分かったふりするよりずっといい」
「でも」
「悠真」
ゼルが言う。
「君はまだ十五歳だ」
「うん」
「世界を背負う理由なんて」
少し笑う。
「まだなくてもいい」
悠真。
目を見開く。
先生たちは。
強くなれと言った。
剣を覚えろ。
魔法を学べ。
生き残れ。
逃げろ。
鍛えろ。
でも。
この男だけは。
違う。
「別に」
ゼルが言う。
「勇者にならなくてもいいんじゃない?」
悠真。
完全に。
止まった。
『貴様……』
ガルディオが。
低く唸る。
だが。
悠真は。
ゼルだけを見ていた。
「勇者学院にいる俺に、それ言う?」
「学院へ入ったから勇者にならないといけないの?」
「いや」
「転移者だから?」
「……」
「誰かに期待されたから?」
「……」
「笑われたから?」
胸。
痛い。
それも。
ある。
無職。
才能なし。
落ちこぼれ。
笑われた。
見返したい。
たぶん。
確かに。
そう思った。
ゼル。
微笑む。
「見つければいいよ」
「何を?」
「君自身の理由を」
悠真。
何も言えない。
「その答えが見つかるまで」
ゼルは。
悠真を見た。
「君は、まだ勇者にならなくていい」
その言葉が。
なぜか。
今まで。
どんな剣技を教わった時より。
胸に残った。
4 先生じゃない先生
「変な人ね」
突然。
背中のセレス。
「え?」
「さっきから静かだったでしょう?」
「聞いてた?」
「何を?」
「いや」
聞こえていない。
でも。
「悠真が」
セレスは言う。
「ずっと考え込んでる」
「そんな顔してた?」
「してる」
「怖い?」
「少し」
「えっ」
「馬鹿な顔よりは」
「そっち!?」
セレス。
くすっと笑う。
「でも」
少し。
声。
柔らかくなる。
「何か分かった?」
悠真は。
考える。
「逆」
「逆?」
「分からなくなった」
「それは困ったわね」
「うん」
「でも」
セレス。
少しだけ。
悠真の肩へ。
顔を寄せる。
「分からないって分かったなら、一歩進んだんじゃない?」
悠真。
止まりそうになる。
「……セレス」
「何?」
「たまにすごくいいこと言うね」
「たまに?」
「いつもです」
「遅い」
背後。
百英雄。
ざわざわ。
『いい』
『いいぞ』
『青春』
『距離が近い』
「先生たち!」
セレス。
「人生?」
「人生!」
ゼルが。
声を殺して笑っている。
悠真。
振り返る。
「笑うな」
「ごめん」
「だいたい」
悠真は。
ゼルを指さす。
「あなた、先生なの?」
「僕?」
「百人と一緒にいたんだろ?」
ゼル。
少し考える。
「先生か」
「違う?」
「僕は」
悠真を見る。
「何を教えればいいか分からない」
「剣は?」
「ガルディオの方が上手い」
ガルディオ。
少しだけ。
胸を張る。
「魔法」
「エレノアの方が詳しい」
エレノア。
髪を払う。
「治療」
「リリアに敵わない」
リリア。
微笑む。
「逃げ方」
「クロウだね」
クロウ。
無言。
だが。
少し。
満足そう。
「じゃあ何ができるんだよ!」
悠真。
思わず叫ぶ。
ゼル。
笑う。
「質問」
「質問!?」
「得意だよ」
「一番いらない先生!」
『その評価は正しい』
ガルディオ。
「お前は嬉しそうにするな!」
ゼルは。
くすくす笑う。
悠真は思う。
この人。
変だ。
百人の英雄とは。
まったく違う。
技を教えない。
答えを教えない。
ただ。
質問する。
なのに。
不思議と。
もっと。
話したいと思った。
5 百人が知らない道
通路。
その先。
二つに分かれた。
右。
左。
どちらも。
暗い。
「……どっち?」
悠真。
止まる。
クロウが。
目を閉じる。
『右から魔物の気配』
「じゃあ左」
『左にもいる』
「詰んだ!」
ガルディオ。
『なら突破する』
「セレス背負ってるんだけど!」
『戦いながら運べ』
「人間を何だと思ってる!」
『弟子』
「便利な言葉!」
エレノア。
壁を見る。
『待って』
「何?」
『風』
「風?」
『壁の向こうから流れている』
悠真。
石壁へ手を当てる。
分からない。
「何もないけど」
その時。
ゼル。
壁を指す。
「そこ」
「どこ?」
「三歩先」
悠真。
歩く。
「ここ?」
「もう少し右」
「ここ?」
「少し下」
「注文多いな!」
「そこ」
腰の高さ。
小さな。
石。
周囲と。
ほとんど同じ。
「押して」
悠真。
眉をひそめる。
ガルディオ。
すぐ。
『触るな』
「なんで?」
『そいつの言うことを聞くな』
「でも右も左も敵なんだろ?」
『……』
「他に案ある?」
沈黙。
後方。
音。
何かが。
近づいている。
魔物。
複数。
セレスが。
悠真の背中で。
剣へ手を伸ばす。
「私を下ろして」
「駄目」
「戦うわ」
「脚」
「このままじゃ」
「だから」
悠真。
壁を見る。
そして。
ゼル。
「信じていい?」
ガルディオ。
息を呑む。
ゼルも。
一瞬。
驚いた顔。
それから。
静かに。
笑った。
「その質問を」
少し。
寂しそうに。
「僕にするんだね」
「答えは?」
「……押して」
悠真。
石を押した。
カチ。
音。
「え?」
直後。
ゴゴゴゴゴゴ。
壁。
動く。
「嘘」
セレス。
目を見開く。
隠し通路。
現れた。
「入る!」
悠真。
セレスを背負ったまま。
飛び込む。
百英雄。
続く。
ゼル。
最後。
中へ。
直後。
壁が閉まる。
外。
魔物が。
壁へ衝突。
轟音。
でも。
入ってこない。
悠真。
その場へ。
座り込んだ。
「……死ぬかと思った」
「悠真」
セレス。
「何?」
「下ろして」
「なんで?」
「あなたが死にそう」
「お願いします」
セレス。
降りる。
悠真。
床へ。
大の字。
「もう無理……」
ガルディオ。
『体力が足りんな』
「今それ言う?」
『帰ったら走り込みだ』
「生きて帰った直後に死ぬ!」
エレノア。
『筋力もね』
「聞きたくない!」
クロウ。
『持久力』
「増えた!」
リリア。
『食事も見直しましょう』
「包囲された!」
セレス。
笑う。
「人気者ね」
「助けて!」
「嫌」
「即答!?」
少しだけ。
空気が。
軽くなる。
だが。
悠真は。
一つ。
気づいた。
「ゼル」
「何?」
「なんで」
壁を見る。
「ここに隠し通路があるって知ってたの?」
百英雄。
静かになる。
ゼルも。
笑わない。
「昔」
やがて。
言った。
「使ったことがある」
悠真。
固まる。
「ここを?」
「うん」
「十三階層は」
悠真。
先生たちを見る。
「英雄たちの時代にはなかったんだよね?」
誰も。
答えない。
「じゃあ」
ゼルを見る。
「なんで?」
ゼル。
通路の奥を見る。
「それは」
小さく。
「僕も知りたい」
6 名前のない墓
隠し通路。
古い。
十三階層より。
さらに。
古く見える。
黒い石。
壁。
ところどころ。
見たことのない文字。
エレノア。
目を細める。
『読めない』
「大魔導師でも?」
『初めて見る文字よ』
クロウ。
壁へ触れる。
『俺も知らん』
「ガルディオ?」
『……知らん』
百人。
誰も。
知らない。
でも。
ゼルだけが。
迷わない。
曲がる。
階段。
さらに。
奥。
まるで。
昔。
何度も。
ここを歩いたことがあるように。
「ゼル」
「何?」
「本当に何者?」
「死者」
「それは知ってる」
「百一人目」
「それも知ってる!」
ゼル。
笑う。
「じゃあ」
悠真。
じっと見る。
「英雄?」
ゼル。
答えない。
少し。
間。
そして。
「それを決めるのは」
悠真を見る。
「僕じゃない」
意味。
分からない。
さらに進む。
やがて。
広い空間。
現れた。
悠真。
息を呑む。
墓。
並んでいる。
だが。
英雄墓廟とは違う。
数。
少ない。
朽ちている。
文字も。
ほとんど消えている。
その一番奥。
一基。
墓。
名前。
削られている。
悠真。
足を止める。
見覚えがあった。
学院地下。
英雄墓廟。
百基の墓。
その。
一番奥。
誰も近づかなかった。
名前のない墓。
あれと。
同じ。
「……これ」
ガルディオ。
顔色が変わる。
エレノア。
息を呑む。
クロウ。
短剣を抜く。
リリア。
手を口元へ。
悠真。
ゼルを見る。
男は。
墓を見つめていた。
その表情。
今までで。
一番。
静かだった。
悲しいとも。
嬉しいとも。
分からない。
「知ってるの?」
悠真が聞く。
ゼル。
答えない。
「この墓」
沈黙。
「誰の?」
ゼルは。
ゆっくり。
墓へ近づく。
ガルディオ。
動く。
『近づくな』
ゼル。
止まる。
『それ以上』
剣。
ゼルへ向ける。
『近づくな』
「ガルディオ?」
悠真。
先生を見る。
ガルディオの手。
震えていた。
怒り。
いや。
やはり。
恐怖。
ゼルは。
剣先を見て。
少し。
笑った。
「まだ怖い?」
『黙れ』
「百年以上経っても?」
『黙れ!』
洞窟へ。
怒声。
響く。
セレス。
驚く。
「悠真?」
「大丈夫」
悠真は。
言った。
でも。
大丈夫ではない。
百英雄。
一斉に。
武器。
構え始める。
ゼル。
一人。
墓の前。
立っている。
悠真だけが。
分からない。
「先生」
ガルディオを見る。
「教えてよ」
『……』
「この人は誰?」
答えない。
「どうして」
悠真。
ゼルを見る。
「みんな、この人をそんなに怖がるんだよ」
誰も。
答えない。
ゼルだけが。
悠真を見た。
そして。
また。
あの。
優しい笑顔。
「悠真」
「何?」
「今日は」
静かに。
言った。
「君に会えてよかった」
「急に何?」
「ずっと」
言葉。
止まる。
「誰かに聞いてみたかったんだ」
「何を?」
ゼル。
悠真を見る。
「人は」
少し。
笑う。
「過去と違う選択ができると思う?」
悠真。
分からない。
「どういう意味?」
「そのうち分かる」
「それ一番嫌な言い方!」
ゼル。
笑った。
ガルディオ。
剣を下ろさない。
そして。
悠真は。
まだ。
知らなかった。
この男が。
英雄墓廟の百人に。
数えられていない理由を。
名前を削られた墓が。
誰のものなのかを。
なぜ百人全員が。
彼を知っているのに。
誰一人。
その名を語ろうとしないのかを。
そして。
何より。
なぜ。
百人の英雄がこれほど恐れる男を。
自分だけは。
怖いと思えないのかを。
百一人目の死者。
ゼル。
彼は。
剣を教えなかった。
魔法も。
教えなかった。
答えさえ。
教えてくれなかった。
ただ。
一つだけ。
悠真の中へ。
問いを残した。
俺は、なぜ勇者になりたい?
その問いが。
やがて。
神谷悠真という少年の。
勇者としての生き方を。
根本から変えることになる。
そして。
悠真がその場を離れたあと。
百人の英雄は。
一人残らず。
ゼルを取り囲んだ。
剣。
槍。
杖。
短剣。
弓。
百の武器。
すべて。
一人の男へ向けられる。
ガルディオ。
前へ出る。
『……答えろ』
ゼル。
穏やかに。
「何を?」
『とぼけるな』
「相変わらず怖いな」
『なぜ』
剣聖。
剣を握る手。
強くなる。
『お前が、ここにいる』
ゼル。
その問いには。
すぐ答えなかった。
名前の削られた墓。
見つめる。
そして。
ほんの少しだけ。
寂しそうに。
笑った。
「それは」
暗闇。
彼の声。
静かに。
溶ける。
「僕が一番、知りたいよ」
第1部 第9話 完
次回 第10話
「百人目の先生」
百人の英雄が拒絶する死者。
ゼル。
剣を教えない。
魔法も教えない。
ただ。
問いを投げる。
「悠真。君は誰を守りたい?」
その答えを探すうち。
悠真は。
誰よりもゼルと話すようになる。
一番話しやすい先生。
一番自分を理解してくれる先生。
そして。
いつしか。
一番信頼する先生へ。
しかし。
悠真がいなくなった墓廟で。
剣聖ガルディオは。
再び。
ゼルへ剣を向ける。
『もう誤魔化すな』
百人の英雄。
一斉に。
武器を構える。
そして。
ついに。
百年以上。
誰も口にしなかった。
ゼルの本当の名が。
語られる。
百一人目の死者は、本当に英雄なのか。
次回。
第1部最終話。
「百人目の先生」




