第4話/通算第84話「百人の先生が、消える前に」 「……俺が、昨日そんなことを言ったのか?」
第9部『消せない選択編』
前書き
真実を知るために、誰かを犠牲にしてもいいのか。
《無職》と判定され、勇者学院の落ちこぼれとなった神谷悠真。
死んだ英雄百人を先生に持つ彼は、数々の戦いを経て、勇者制度の裏側に隠された謎へと近づいていた。
しかし、真実を追うほど、新たな疑問が生まれていく。
歴史から消された勇者。
名前を失った《欠損 一》。
そして、百人の先生たちさえ知らない過去。
王都の担当官は、悠真とセレスに問いかけた。
「何を守りながら調べるのか、条件を示せ」
過去を守るために、今を生きる誰かが傷ついてもいいのか。
未来を守るために、消された名前を忘れてもいいのか。
正しい答えを探していた少年は、やがて、正しさだけでは守れないものがあると知る。
そして、隣にはセレスがいる。
一人で背負わなくていい。
一人で答えを出さなくていい。
それでも最後に何を選ぶのかは、自分たちで決めなければならない。
第9部『消せない選択編』。
これは、英雄たちから答えを教わってきた少年が、大切なものを消さずに守る方法を、自分たちの手で探し始める物語。
剣聖ガルディオ先生は、自分が昨日話した言葉を覚えていなかった。
俺の帳面には、その発言が残っている。
けれど先生は、初めて聞く言葉のように俺を見た。
百人の先生たちは、もう死んでいる。
それなのに今、俺はその人たちをもう一度失うことが怖かった。
昨日の言葉がない
王都の資料室で調査を終えた翌日、俺とセレスは机を挟んで向き合っていた。
机の上には、昨日の帳面。資料で確かめたこと、俺が経験したこと、まだ分からないこと。三つに分けた記録だ。
今日はそこに、先生たち自身の証言を加える。
「本当に、一人ずつ聞くのね」
セレスが筆先を整えた。
「ああ。昨日決めただろ」
「その前に約束を確認して」
「機構には接続しない。無理に思い出させない。証言が違っても、誰かが嘘をついたとは決めない」
「よろしい」
「採点が早いな」
「あなたの場合、復習が大事だから」
ひどい。だが反論できない。
俺は《勇者継承機構》に答えを求めすぎて、自分の判断と他人の記憶の境界が曖昧になる危険を経験した。今日は机を離れず、先生たちの言葉から始める。
「では、ガルディオ先生」
『おう、何でも聞け!』
いつもの豪快な声に安心し、俺は昨日の発言を読み上げた。
「『次へ渡すな』という言葉について、先生は『戦場には命令も警告も山ほどある』って言ったんです」
『……待て。それを俺が言ったのか?』
「はい。俺に」
『言いそうなことではある。だが、言った覚えがねえ』
笑いかけた口元が止まった。
先生は冗談を言っていない。太い指が、組んだ腕に食い込んでいた。
『悠真。本当に俺の言葉か?』
「……俺は、そう聞いて記録しました」
帳面の文字は、昨日の俺が聞いたと考えた内容を示している。けれど、記録があるからといって、その言葉が確実に発せられた証拠にはならない。
「俺の聞き違いかもしれません。でも、先生が今は覚えていないことも、分けて書きます」
『……頼む』
剣聖が小さくうなずく。
百人の先生に剣を教わってきた。先生自身が言葉を忘れたとき、どうすればいいかは教わっていなかった。
揺れる記憶の輪郭
次は暗殺王クロウ先生だった。
「例の、先生たちが覚えていない一夜についてです。確かに覚えていることだけ、聞かせてください」
『……誰かを追っていた気がする』
「誰を?」
『分からん。場所も曖昧だ』
俺が書きかけると、先生は手を上げた。
『待て。前に聞かれたときは、追っていたという感覚さえなかったはずだ』
「思い出した、ということですか?」
『それも断定できん。今、そう感じているだけだ』
消えた記憶が戻ったのか。それとも、あとから生まれた連想なのか。
俺は「現在の感覚」と書き、事実の欄には移さなかった。
大魔導師エレノア先生は、さらに静かな声で言った。
『何かを記録しようとした感覚はあります。けれど、以前からあった記憶なのか、今思いついたことなのか区別できません』
「記録できたかどうかは?」
『覚えていません』
先生たちの記憶は、単に抜けているだけではなかった。
昨日と今日で、確かだと思える範囲まで揺れている。
俺が二人の返答を伝えると、セレスは筆を止めた。
「悠真。忘れたことと、思い出したように感じることを、一つの現象にまとめないで」
「……うん」
「原因が同じという証拠はないわ。質問、返答、本人の確信の程度を別々に残しましょう」
さすが首席。答えを作るより先に、問いを整えてくれる。
『私たち自身にも、何を確かめられるのか分からないのです』
エレノア先生の言葉を、俺はセレスに伝えた。
これまで俺は、先生たちが何を知っているかばかり尋ねてきた。
先生たちが、自分自身の記憶を信じられるかどうか。そこに目を向けたことはなかった。
聖女が怖れたもの
「リリア先生にも、聞いていいですか?」
『もちろんよ、悠真くん』
聖女リリア先生は微笑んだ。でも、いつもの笑顔より少し硬い。
『思い出せないことが、これから増えたらと思うと……怖いわ』
俺は筆を持つ指を緩めた。
『私たちは、死んだあとの自分たちが何なのかさえ、ちゃんと分からないでしょう? もし記憶によって今ここにいるのなら……』
先生はそこで言葉を切った。視線が俺の帳面へ落ちる。
『その記憶がなくなったら、私はどうなるのかしら』
大丈夫だと言いたかった。
絶対に消えない、と。
でも、俺に見えている先生たちが死者本人の魂なのか、残された記憶と関わる存在なのか、結論は出ていない。安心させるための嘘を、真実にしてはいけない。
「……分かりません」
リリア先生は黙って待った。
「でも、俺が先生に教えてもらったことは覚えています。人を助けるときは、勝つことだけ考えるなって」
『……うん』
「あと、先生の料理には気をつけろって」
『えっ、そこも覚えているの?』
「忘れようにも忘れられません」
『もう、悠真くん!』
先生が頬を膨らませ、俺もつられて笑った。
でも、その笑いが落ち着くと、先生はまっすぐ俺を見た。
『ありがとう。ただ、あなたが覚えていてくれることと、私自身が覚えていられることは、別なのよね』
胸が詰まった。
そうだ。俺の記憶は、先生の不安を消してくれない。
「……それも、記録していいですか」
『ええ。怖いと思ったことも、残してちょうだい』
俺はセレスに伝えた。
彼女は、リリア先生の言葉を「推測」ではなく「本人が語った不安」として記した。
危険な答えを選ばない
「一つ、考えてしまったことがある」
俺が言うと、セレスは顔を上げた。
「機構には、経験や記憶の一部を残し、次へ継承する機能がある。もしそこを調べられたら、先生たちの記憶について何か分かるかもしれない」
「悠真」
「分かってる。接続するって決めたわけじゃない」
先生たちの記憶を守りたい。
その願いに、今すぐ何かしろと背中を押される。
でも、機構と先生たちの存在がどう関わるかすら未確定だ。機構が今の先生たちの記憶を安全に保存できる根拠もない。
「もしまた、あなたの《人格境界》が薄れたら?」
セレスの声は鋭くなかった。だから余計に、逃げられなかった。
「先生たちを助けられるか分からないまま、あなたまで失うかもしれない。私は、それを安全な調査とは呼べないわ」
窓辺のゼル先生が口を開いた。
『悠真。君は先生たちを守りたいんだね』
「はい」
『何を守るのか、もう一度考えてみようか』
記憶。俺の判断。セレスとの約束。
それだけじゃない。先生たち自身がどうしたいのかも、聞いていない。
「……俺だけで決めることじゃありませんね」
『うん』
俺は顔を上げた。
「先生たち。機構には接続しません。今は、ここで話せることを記録します。嫌な質問なら答えなくていい。俺が勝手に答えを作ることもしません」
ガルディオ先生が腕を組む。
『生意気になったな、弟子よ』
「先生たちの教育のおかげです」
『なら仕方ねえ!』
笑いが起きた。でも、俺は先生の目がまだ笑いきれていないことに気づいた。
「記録の方法を変えましょう」とセレスが言う。
彼女は帳面に欄を足した。発言者、質問、返答、前の記録との違い、そして本人の確信の程度。
「百人全員を一度に調べる必要はないわ。答えたくないことは空欄でいい。忘れたことを責める記録にはしない」
先生たちが順にうなずく。
『証言の違いは、そのまま残せ』とクロウ先生。
『観測と推測を分けてください』とエレノア先生。
『怖がったことも、忘れないでね』とリリア先生。
セレスには先生たちが見えない。だから俺が伝え、彼女が聞き返し、二人で確かめた範囲だけを書き残す。
俺たちは今日、失われた記憶を取り戻せなかった。
その代わり、先生たちの今の言葉を、勝手な結論に変えず残す方法を選べた。
先生が忘れても、俺は
聞き取りを終えかけたとき、ガルディオ先生が俺を呼んだ。
『悠真。もし俺が、お前に剣を教えたことまで忘れたら、どうする?』
そして、続けた。
『お前が誰なのか、分からなくなったら?』
喉の奥が冷たくなった。
先生が俺の名前を忘れる。十秒生き残れと言ったことも、一緒に戦い方を考えたことも。そんな未来は想像したくない。
起こると決まったわけじゃない。だが、絶対に起こらないとも言えない。
「……もう一度、自己紹介します」
『何?』
「神谷悠真です。職業は《無職》。剣も魔法も下手です。でも先生たちに教わって、少しは戦えるようになりました、って」
ガルディオ先生は、黙って俺を見た。
「それで、また教えてくださいって頼みます」
『最初からか?』
「はい」
『また十秒生き残るところから?』
「そこは、できれば免除してほしいです」
先生が笑った。俺も笑った。
でも、すぐに声が途切れた。
もう一度教えてもらえる保証は、どこにもない。
「……それでも、先生に教わった時間を、なかったことにはしません」
ガルディオ先生は、ゆっくりうなずいた。
『そうか』
それは、いつもの大声よりずっと深く胸に残った。
「何を話していたの?」
セレスに尋ねられ、俺は先生の質問と返事を伝えた。
「それなら、私も覚えておくわ」
「え?」
「あなたが何を教わって、どう変わったのか。私が見てきた分は、私の記憶として残せるでしょう」
「……ありがとう」
「ただし、私の記憶も間違えるかもしれないわよ」
「厳しいな」
「一人で覚えているよりは、いいでしょう?」
俺はうなずいた。
百人の死んだ英雄と、一人の生きた少女。
どちらかだけでは、今の俺はいない。
最後に、俺は先生たちに尋ねた。
「例の一夜に、何か声があったという話です。今、確かに覚えていることはありますか?」
長い沈黙が落ちた。
『出来事の順序は分からん』とクロウ先生。
『断片が同じ夜のものかも判断できません』とエレノア先生。
『無理に思い出そうとすると、かえって分からなくなるわ』とリリア先生。
セレスは一つずつ記した。誰の答えも、別の先生の答えで埋めなかった。
「今日はここまでにしましょう」
彼女が筆を置いた、そのとき。
『……待ってくれ』
ゼル先生だった。
『何かを言おうとした声が、あった気がするんだ』
俺の指が帳面の端をつかむ。
「『次へ渡すな』ですか?」
『分からない。その言葉だったとは決められないよ』
直後、ガルディオ先生が低くつぶやいた。
『声、か……俺も、声があったような気がする』
エレノア先生が顔を上げた。
『私にも、何かを聞こうとしていた感覚があります』
クロウ先生は答えなかった。否定もしなかった。
同じ声なのか。別々の声なのか。
誰も確かめられない。
「その声は、何を言っていたんですか?」
先生たちは、誰も答えなかった。
声があったことさえ、確かな証言とは言えない。
それなのに、俺はその続きを知りたくてたまらなかった。
セレスは何も書き足さず、俺の返事を待っている。
俺は彼女に、先生たちの沈黙まで伝えた。
そして帳面の最後の欄を、空白のまま残した。
そこに、まだ誰のものとも分からない言葉が眠っている気がした。
第4話/通算第84話 完
次回予告
第9部 第5話/通算第85話
「『最後の席を空けろ』と、誰かが叫んだ」
忘れられた一夜をめぐり、先生たちの証言は食い違ったまま。だが悠真とセレスが個別の記録を照らし合わせるうちに、別々の記憶に浮かぶ言葉の共通点が見え始める。その叫びの主は誰なのか。そして、「最後の席」とは何を指すのか。
この作品を第1話から読む
『勇者学院の落ちこぼれ、死んだ英雄たちにだけ教えてもらえる』第1話:
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作品のご案内
もし大切な人が、あなたと過ごした時間を忘れてしまったら。あなたは、その人に何を伝えますか?
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
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