第2話/通算第82話 「《無職》の前にも、異界の候補者がいた」
第9部『消せない選択編』
前書き
真実を知るために、誰かを犠牲にしてもいいのか。
《無職》と判定され、勇者学院の落ちこぼれとなった神谷悠真。
死んだ英雄百人を先生に持つ彼は、数々の戦いを経て、勇者制度の裏側に隠された謎へと近づいていた。
しかし、真実を追うほど、新たな疑問が生まれていく。
歴史から消された勇者。
名前を失った《欠損 一》。
そして、百人の先生たちさえ知らない過去。
王都の担当官は、悠真とセレスに問いかけた。
「何を守りながら調べるのか、条件を示せ」
過去を守るために、今を生きる誰かが傷ついてもいいのか。
未来を守るために、消された名前を忘れてもいいのか。
正しい答えを探していた少年は、やがて、正しさだけでは守れないものがあると知る。
そして、隣にはセレスがいる。
一人で背負わなくていい。
一人で答えを出さなくていい。
それでも最後に何を選ぶのかは、自分たちで決めなければならない。
第9部『消せない選択編』。
これは、英雄たちから答えを教わってきた少年が、大切なものを消さずに守る方法を、自分たちの手で探し始める物語。
俺より前に、《職業照合不能》と判定された異界の候補者がいた。
王都の照合索引に残されたその記録を見つけた瞬間、俺は息を止めた。そこには名前も、顔も、どこから来たのかを詳しく示す説明もない。それでも、たった二つの分類が、俺の過去を揺さぶった。
《異界出身》。そして、《職業照合不能》。
「……セレス。これ、見えてるよな」「ええ。あなたと同じ文字を見ているわ」
彼女は俺の隣で、開かれた索引に視線を落とした。声は落ち着いていたが、指先だけが紙の端で止まっている。
昨日まで、俺たちは《欠損 一》の原本を追っていた。許可を得て管理台帳を開いた結果、分かったのは《原本保管区分:外部保管》という事実だけ。隠されたのか、別の理由で移されたのかさえ、まだ判断できない。
そんな行き止まりの脇から、俺自身の《無職》につながるかもしれない記録が現れた。
「俺と同じような奴が、前にもいたってことか?」「似た分類を受けた人がいた、というところまでね」
セレスはすぐに俺の言葉を直した。
「《無職》と《職業照合不能》は、同じ意味とは限らない。それを忘れたら、調べる前から答えを決めてしまうわ」
俺は開きかけた口を閉じた。まったく、この人は俺の早とちりを止めることに関して、百人の先生たちより腕がいい。
ふたつの判定
「担当官。この記載について、確認してもいいですか」
俺が尋ねると、王都の担当官は索引の閲覧範囲を確かめ、うなずいた。
「許可した項目の説明であれば。ただし、原資料への直接閲覧を認めたわけではありません」「この《異界出身》は、俺みたいに別の世界から来た人のことですか?」「そのように分類された記録です。誰が、どの根拠で分類したかは、現在の写しからは確認できません」「来た方法も?」「分かりません」
淡々と返された言葉が、机に一つずつ積もっていく。
俺は日本で事故に遭い、気がつけばこの世界にいた。誰かに呼ばれたのか、それとも別の理由で迷い込んだのか、確かな答えはない。
以前、継承機構を調べたときにも、《異界出身》と《職業照合不能》に関する古い痕跡は見つかっていた。今回の発見は、突然現れた未知の情報ではない。公的な管理索引にも同種の分類が残っていると、改めて確認できたのだ。
それなのに、心臓はうるさいくらい鳴っていた。
「俺は最初じゃなかったのかもしれないんだな」
『最初でないことと、同じ運命を辿ることは別だ』
背後で暗殺王クロウが言った。
『だが、調べる価値はある! その者が何を成したか、知りたくはないか!』
剣聖ガルディオの声が重なる。
『まず、その者が何を成したか分かる資料があるかどうかでしょう』
大魔導師エレノアが、いつもの調子で釘を刺した。
「先生たちが、珍しく同じ方向を向いてる」「何て言っているの?」「知りたければ調べろ。でも、知らないことを知ったふりするなって」「それなら私も賛成」
セレスは紙の余白に、二つの言葉を書き並べた。
《無職》《職業照合不能》
「あなたが学院に来たときの鑑定結果は《無職》。でも、機構の調査では《職業照合不能》や《既存分類外》という表現も現れた」「既存の職業に当てはまらない、って可能性もあったな」「そう。だから、能力がないことと、制度が能力を分類できないことは分けて考えたいの」
落ちこぼれ。最弱。何もできない奴。
そう呼ばれて、悔しかった日を覚えている。でも、百人の先生に教わり、セレスや仲間と戦った時間まで、あの判定が消してしまうわけじゃない。
「《無職》って文字だけで、俺が何者か決まるわけじゃないんだな」「今さら気づいたの?」「もうちょっと優しく言ってくれてもいいだろ」「十分優しいつもりよ」
彼女の口元が、ほんの少し緩んだ。俺も笑った。ここが王都の資料室でなければ、もう少し大きな声で笑っていたと思う。
名前のない欄
担当官は、許可範囲に含まれる関連の照合項目を示した。そこには過去の候補者を扱ったことが分かる分類がある。だが、人物について読めるのは、ほとんどそれだけだった。
「名前が、ない……」
思わず漏れた声に、担当官は首を横に振った。
「この写しに記載されていない、という意味です。削除されたと判断する根拠にはなりません」
《欠損 一》を調べ続けている俺は、名前が見えないだけで身構えてしまう。消されたのかもしれない。誰かが隠したのかもしれない。
でも、それは今の俺が抱いている疑いであって、資料が示した事実じゃない。
「記録を取ってもいいですか」「許可した事項に限り、管理下の調査メモとして残してください。写しそのものを持ち出すことはできません」
俺はうなずき、セレスと一緒に帳面を開いた。
《証拠》過去の候補者について、《異界出身》《職業照合不能》の分類を公的な照合索引で確認した。《不明》氏名、出身世界の詳細、来訪の経緯、判定不能の理由、その後の行方。《仮説》悠真の判定と関連する可能性。ただし、同じ原因・同じ仕組みとは断定できない。
書き終えてから、俺は気づいた。以前の俺なら、こんな記録を前にしたら、すぐに継承機構へ接続していたかもしれない。危険を引き受ければ、答えに触れられると思っていたから。
けれど、今日は机の前に座ったままだ。
「……俺、ちゃんと止まれてる?」「ええ」
セレスは俺の書いた《不明》の文字を見つめた。
「分からないまま残すのは、逃げることじゃないわ。次に確かめられるようにすることよ」
窓辺にいたゼル先生が、静かに笑った。
『いい答えだね』「先生、まさかセレスの弟子になったんですか?」『僕も教わることはあるよ』
そう言って笑う黒髪の青年に、俺は小声で尋ねた。
「先生は、この候補者を知っていますか」
ゼル先生は、すぐには答えなかった。
『……僕の記憶にある誰かと、この記録の人物が同じかどうかは、確かめなくちゃいけないね』
否定でも、肯定でもない。それでも俺は、その沈黙に勝手な意味をつけるのをやめた。
記録と夢の距離
「悠真、ここも見て」
セレスが指したのは、照合資料に添えられた古い地形の写しだった。詳しい地名も、施設の用途も、読み取れる範囲にはない。
ただ、斜面に沿った細い通路と、段差のような線が見えた。
俺の手が止まった。
どこかで、見た。石の冷たさ。遠くで何かが擦れる音。道が続いているはずなのに、その先だけが見えない感じ。
夢の中だったかもしれない。あるいは、継承機構に触れたときに混ざり込んだ、誰かの記憶の断片だったのかもしれない。
「……この景色、知ってる気がする」「実際に行ったことがあるの?」「ない。少なくとも、俺の覚えている限りは」
セレスの表情が変わる。
「いつ見た景色?」「分からない。夢だったのか、機構の中で見たのかも、はっきりしない」「図を見る前に、その景色を書き残したことは?」「……ない」
彼女は少し考え、筆を置いた。
「なら、ここから先は慎重にしましょう」
夢の記憶はあやふやだ。今見た図面の線に引っぱられて、曖昧だった景色を作り直している可能性もある。
「俺、またつなげようとしてたのか」「似ていると感じたこと自体は、消さなくていいの。ただし、同じ場所だとは書かない」
セレスは調査メモに加えた。
《本人が過去の夢または記憶の断片との類似を感じた。事前の記録がないため、同一地点かは検証不能。》
「……なんだか、夢まで試験を受けてるみたいだ」「答案に、分からないことを分からないと書けたなら、今日は合格ね」「首席の採点は厳しいな」「甘くすると、あなたはすぐ無茶をするもの」
言い返そうとして、やめた。第81話で、俺たちは三つの約束をした。機構に接続しない。原本を傷つけず、許可された範囲で調べる。そして、一人で判断しない。
どれも、俺が自分で言い出すべきことだった。でも実際には、セレスが隣で紙に書いてくれた。
「……ありがとう」「何が?」「俺が自分の答えに飛びつく前に、止めてくれて」
セレスは、しばらく俺を見ていた。
「止めるだけじゃないわ。私はあなたと一緒に調べたいの」
その声は、思ったより近かった。
「あなたが先に行ってしまったら、私が見つけた違いを、誰に話せばいいの?」「……それは困るな」「でしょう?」
俺は頷いた。彼女に答えを預けるんじゃない。彼女と別々に見たものを持ち寄って、そこから選ぶ。
それが、今の俺たちのやり方だった。
聞き取れない声
閲覧終了を告げられ、俺たちは資料を担当官に返した。
「本日確認できたのは、ここまでです」「ありがとうございました」
原本の保管先は、依然として分からない。異界出身の候補者についても、名前すら確認できなかった。
それでも、手ぶらではない。過去に似た分類を受けた人物の記録が、公的な資料に残っていた。俺たちはそれを、推測と混ぜずに記録できた。
「悠真。今日はもう戻りましょう」「うん」
席を立とうとしたとき、ゼル先生が口を開いた。
『悠真。君は、その図の何を覚えていたんだろうね』
何を。
俺はさっきの地形を頭に浮かべた。斜面。段差。途切れて見える道。
その奥に、薄暗い空があった。人影が立っている。誰かが、声を張り上げている。
一瞬、指先が冷えた。
「……悠真?」
セレスが呼んだ。俺は机の縁を握っていた手をほどく。
「今、誰かが叫んでる場面を思い浮かべた」「何を叫んでいたの?」「聞き取れない。でも、何かを必死に伝えようとしていた気がする」
セレスは俺の顔を見つめた。追及する代わりに、静かに言った。
「今ここで、無理に思い出そうとしないで」「分かってる。機構にも接続しない」
そう言えた自分に、少し驚いた。以前の俺なら、先生の誰かに答えを求め、危険でも前へ進もうとしたはずだ。
『それでいいよ』
ゼル先生は言った。けれど、何かを知っているのかと尋ねる前に、俺は自分で首を振った。
記憶は証拠じゃない。先生の沈黙も、答えじゃない。
まず、忘れないうちに、今感じたことだけをメモしておこう。
俺が帳面を開くと、セレスは隣に椅子を寄せた。
「二人で残しましょう」「うん。俺だけの正解にしないために」
俺は最後の一行を書きかけて、止めた。
通路の形なら、もう思い出せる。人影がいたことも、声がした気がすることも。
けれど、その人が何を伝えようとしていたのかだけが、どうしても出てこない。
俺が思い出せないのは、知らない景色ではなかった。
その景色の中で、誰かが必死に伝えようとした、たった一言だった。
第82話 完
次回予告
第9部『消せない選択編』第3話/通算第83話「知らない記憶が、「次へ渡すな」と言った」
過去の異界出身者と、自分の夢に残る景色。悠真は、聞き取れなかった言葉をあらためて確かめようとする。だが、誰の記憶なのかも、声の主が誰なのかも分からない。守るための警告だったのか。それとも、何かを拒む声だったのか。
この作品を第1話から読む
『勇者学院の落ちこぼれ、死んだ英雄たちにだけ教えてもらえる』第1話:https://note.com/momokun1/n/n89f9dc02f838?magazine_key=m56c03e194176
あなたなら、自分の過去と似た記録を見つけたとき、すぐに答えを出しますか。それとも、誰かと一緒に確かめますか?
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524
Momokun Official https://momokun.jp/
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