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第10話/通算第80話 「勇者を守る人が、俺たちを止める」

「その名前だけは、まだ探すな」




百一人目の勇者ゼルが、初めて恐怖を見せた。




勇者継承機構に残された《欠損 一》。


百人の英雄たちの食い違う記憶。


そして、歴史から消された一人の存在。




なぜ、その名前を知ってはいけないのか。




なぜ、英雄たちは同じ過去を覚えていないのか。




そもそも、悠真の前に現れる百人の先生たちは、本当に死んだ英雄本人なのか。




答えを追うほど、信じてきた歴史が揺らぎ始める。




しかし、悠真にはもう一つ、向き合わなければならない秘密があった。




「セレス。俺には、死んだ英雄の先生が百人見えるんだ」




ずっと隠してきた真実。




それを打ち明けたとき、二人の関係もまた、変わり始める。




見えないものを、どう信じるのか。




残された記憶は、誰の真実なのか。




そして、先生たちの教えが間違っていたとしても、自分の答えを選べるのか。




消されたのは、一人の名前だけではないのかもしれない。




第8部『欠損記録編』。




百人の先生を信じてきた落ちこぼれの少年が、今度はその先生たちの記憶を疑い始める。




教わった答えを疑うことは、先生を裏切ることなのか。




悠真とセレスの新たな物語が、ここから始まる

「真実を知ることが、必ずしも人を守るとは限りません」


王都から来た担当官は、俺とセレスの閲覧申請書を閉じた。


そこには、たった一行の命令の続きを調べたいと書いてある。


《勇者を殺すな》。その原文を確かめたいだけなのに、なぜ俺たち自身を守る話になるんだ?


「つまり、見せてもらえないんですか」


「現段階では、許可できません」


その声は穏やかだった。だからこそ、決定が簡単には覆らないことが伝わってきた。


止める側の理由


学院の会議室は、窓から差す光だけが明るかった。担当官の前には王都からの通知。俺たちの前には、昨日までに整理した三つの写本の記録がある。


魔王側の古文書と、王国側に残された抄録。どちらにも《勇者を殺すな》という文言があった。


ただし、原文に本当に続きがあるかどうかさえ、まだ分からない。王国がその命令を発したと決まったわけでもない。


「だから原本を確かめたいんです。何も決めつけないために」


「その姿勢は理解しています」


担当官は申請書の一節を指で押さえた。


「ですが、戦時史料と勇者継承関連記録は、単なる古文書として扱えない場合があります」


「《勇者継承機構》に関わるから、ですか?」


セレスの問いに、担当官は頷いた。


「先人の経験や戦闘判断、記憶の一部を次の世代へ残す。それが、あの仕組みの役割です。災厄が再び訪れたとき、同じ過ちを繰り返さないために」


俺の中で、百人の先生たちの声が重なった気がした。


剣を教わった。逃げ方を教わった。守るためには戦わない選択もあると教わった。


先生たちがいなければ、俺は何度も判断を間違えていただろう。


「残すこと自体が悪いとは、俺も思いません」


「では、なぜ調査を続けるのです?」


「残す方法に、危険があるからです」


担当官の指が止まった。


「人格の境界が薄れる危険ですね」


「ご存じなんですね」


「承知しています。ですから、不用意な接触を認められないのです」


聞き慣れた言葉だった。人格の境界。受け取った記憶と、自分の判断との境目。


その危険が、説明書の文字だけではないことを俺は知っている。


俺が消えかけた日


機構に接続したあの日のことを、俺は忘れていない。


あのとき俺は、勇者継承機構への接続を続ければ何かが分かると思った。自分だけが危険を負えば済むとまで考えた。


けれど、他人の経験や判断へ近づくほど、どこまでが俺自身なのか分からなくなる危うさがあった。


最後に接続を切ったのは、俺だ。


それが正しかったと今は思う。でも、そこへ至るまでの選び方は、正しくなかった。


「俺、一度、自分を失いかけました」


担当官は何も言わなかった。


「分かっていて接続しました。自分が危なくなっても、真相に近づければいいと思っていた。……あれは間違いでした」


隣でセレスが息を止めた気配がした。


彼女とは、そのことで本気でぶつかった。俺が戻らなくてもいいと思っていたことを、彼女は許さなかった。


「悠真。間違いだったと認めるなら、もう一度同じことをしないで」


「分かってる」


即答したあと、彼女の顔を見た。


「今度は、勝手に決めない」


セレスは小さく頷いた。それだけで、胸の奥の力が少し抜けた。


担当官が静かに言った。


「その経験があるなら、私が止める理由も理解できるでしょう」


「はい。でも、理解することと、調査を諦めることは違います」


守られる側の声


「一つ、質問してもよろしいですか」


セレスが前に身を寄せた。


「継承機構が残す経験は、次の勇者を救うためのものですよね?」


「そうです」


「では、受け取る人の人格を損なう危険があるなら、その人を誰が守るんですか」


担当官は、すぐには答えなかった。


「危険を避けるために、利用や閲覧を制限しています」


「制限が必要なのは分かります。でも、危険を調べることまで止めたら、安全かどうかも判断できません」


「資料を読むことと、機構へ接続することは別です。しかし関連記録の扱いは、慎重でなければなりません」


「私たちは機構への接続を求めていません」


セレスは、机に置いた帳面を開いた。


《証拠》《証言》《仮説》。俺たちが分けて書いた三つの項目だ。


「《勇者を殺すな》という文言は確認しました。でも、発令者も対象も分かりません。類似した印章も同一だとは断定していません。その不明点を確認したいんです」


「それでも、記録の保存や管理には責任が伴います」


「ええ。だから、責任を無視して見せてほしいとは言っていません」


彼女は落ち着いていた。けれど帳面を押さえる指先だけは、白くなっている。


俺は思い出した。セレスは、姉を奪った魔物への憎しみを今も抱えている。


それでも、魔王側の古文書に都合の悪いことが書かれていたとしても、確かめると決めた。


「……私、知ることと許すことは別だと思っています」


彼女は担当官を見た。


「過去に何があったかを調べたからって、被害をなかったことにはできません。だからこそ、思い込みで歴史を決めたくないんです」


担当官は視線を下げた。手元の通知をめくる音だけが響いた。


「あなた方が真剣なのは分かります」


そのあとに、短い沈黙があった。


「ですが、それだけで許可は出せません」


正しさが、ぶつかる


「もし、次の災厄に備える経験が失われたら」


担当官は俺たちへ問いを返した。


「その経験があれば救えたはずの人々を、誰が守るのでしょう」


答えが喉で止まった。


百人の先生たちから教わった時間は、俺の中にある。先生が何者なのか、まだ分からない部分があっても、助けられたことまで消えはしない。


それを未来へ残そうとする人を、間違っていると決めつけることはできない。


「……機構を壊せば、全部解決するとは思いません」


俺は言った。


「保存された記録を消せば、知らずに済む問題もあるかもしれない。でも、そのせいで失う教えもある」


「では、制度を維持する必要性も認めますか」


「認めます。ただ、維持することが目的になって、傷つく人を見なくなったら、それも違うと思います」


担当官の目が、初めてまっすぐ俺を捉えた。


「理想を語るのは簡単です」


「そうですね」


「私は、残された経験が未来の命を守る可能性を軽く扱えません」


「俺もです」


「それでも調査を求めるのですね」


「はい。危険だから考えるな、では納得できません」


声が少し震えた。でも、言い直さなかった。


「俺は《無職》で、何が正しいかすぐに分かるわけじゃない。百人の先生に聞いても、答えが一つにならないことだってあります」


セレスがこちらを見た。


「だから、証拠を調べたいんです。誰かの言葉を、そのまま正解にしないために」


担当官は考え込むように口を閉ざした。


俺も、追い打ちをかけなかった。


この人は、俺たちを困らせたくて座っているわけじゃない。記録を残し、次に戦う誰かを守る。その役割を引き受けている。


だからこそ、簡単には譲れないのだ。


でも、俺たちだって譲れない。


名前を失った誰かの記録を、確かめもしないまま終わらせたくない。


残していいもの、消してはいけないもの


「《欠損 一》と《勇者認定取消 第二号》についても調べたい、とありますね」


担当官は申請書の別の箇所を示した。


「同一人物だとお考えですか」


「いいえ」


答えたのはセレスだった。


「名前が分からない記録が二つある。それだけでは、同じ人とは言えません」


俺も頷いた。


「百二という数字が出てきても、それだけで俺が誰かの代わりだと決まるわけじゃない。分からないことを、分かったことにしたくないんです」


「慎重な姿勢ですね」


「セレスに何度も止められましたから」


「何度も、では足りないわ」


「そこは否定してくれよ」


ほんの一瞬、会議室の空気が緩んだ。


でも、担当官が書類を揃えると、また静けさが戻った。


「あなた方の考えは聞きました。しかし、調査の継続と原本の閲覧を、この場で認めることはできません」


「……分かりました」


俺は言った。納得した、とは言わなかった。


隣でセレスが俺の袖をそっとつまんだ。


「悠真、ここで勝手に動かないでね」


「動かない。二人で考えるって約束しただろ」


「ええ。覚えていてくれてよかった」


少しだけ笑う彼女を見て、胸が温かくなった。


この先も、正解はすぐには見つからないだろう。


それでも、隣にいる人の声を聞くことならできる。


条件を示せ


席を立つ前に、俺は担当官へ尋ねた。


「俺たちは、何をすればいいんでしょうか」


「調査をやめるという選択もあります」


「それは選びません」


自分でも驚くほど、はっきり答えた。


担当官の顔は変わらなかった。


「危険な接続をしないと約束するだけでは、不十分ですか」


「約束は大切です。しかし、資料と人の両方を守る方法を示さなければ、管理する側は判断できません」


俺は言葉を探した。


危険を避けたい。真実も知りたい。


どちらも本気なのに、俺にはまだ、その二つを両立させる方法がない。


セレスが何か言いかけ、口を閉じた。今、ここで思いつきの答えを差し出してはいけないと、彼女も考えたのだろう。


担当官は立ち上がらず、俺たちの返事を待っていた。


反対する理由は聞いた。


俺たちの願いも伝えた。


それでも、方法については一歩も合意できていない。


「……まだ、答えはありません」


俺がそう言うと、担当官は初めて申請書をこちらへ押し戻した。


「ならば、次はその答えを持ってきてください」


白い紙が、机の上を滑って止まる。


俺はそれを受け取り、セレスと目を合わせた。


守られるだけでも、突き破るだけでも駄目なんだ。


担当官は静かに、最後の問いを突きつけた。


「では、何を守りながら調べるのか、条件を示せ」


第80話 完


次回予告


第9部『消せない選択編』


第1話/通算第81話「壊さずに調べるという、第三の約束」


機構に直接触れず、危険な接続もしない。それでも記録を調べる道はあるのか。セレスは閲覧範囲と保存方法を定める案を考え、悠真も一人で危険を引き受けないと約束する。王都の担当官との交渉が進むなか、二人は思いがけない記録にたどり着く。


この作品を第1話から読む


『勇者学院の落ちこぼれ、死んだ英雄たちにだけ教えてもらえる』第1話:


https://note.com/momokun1/n/n89f9dc02f838?magazine_key=m56c03e194176




あなたなら、大切な記録と目の前の人を両方守らなければならないとき、どんな条件を考えますか?

この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。

Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524

Momokun Official https://momokun.jp/

Tales https://tales.note.com/momokun1

なろう https://mypage.syosetu.com/3115683/

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