第9話/通算第79話 「《勇者を殺すな》の、消えた続き」
「その名前だけは、まだ探すな」
百一人目の勇者ゼルが、初めて恐怖を見せた。
勇者継承機構に残された《欠損 一》。
百人の英雄たちの食い違う記憶。
そして、歴史から消された一人の存在。
なぜ、その名前を知ってはいけないのか。
なぜ、英雄たちは同じ過去を覚えていないのか。
そもそも、悠真の前に現れる百人の先生たちは、本当に死んだ英雄本人なのか。
答えを追うほど、信じてきた歴史が揺らぎ始める。
しかし、悠真にはもう一つ、向き合わなければならない秘密があった。
「セレス。俺には、死んだ英雄の先生が百人見えるんだ」
ずっと隠してきた真実。
それを打ち明けたとき、二人の関係もまた、変わり始める。
見えないものを、どう信じるのか。
残された記憶は、誰の真実なのか。
そして、先生たちの教えが間違っていたとしても、自分の答えを選べるのか。
消されたのは、一人の名前だけではないのかもしれない。
第8部『欠損記録編』。
百人の先生を信じてきた落ちこぼれの少年が、今度はその先生たちの記憶を疑い始める。
教わった答えを疑うことは、先生を裏切ることなのか。
悠真とセレスの新たな物語が、ここから始まる
王国側に残された写本にも、《勇者を殺すな》と書かれていた。
魔王軍の古文書と、同じ一行。
けれど、その先に何が書かれていたのか、どちらからも読めない。
「二つの陣営が、同じ命令を出したってことか?」
俺が口にすると、セレスは紙から目を離さずに首を振った。
「まだ違うわ。王国側に写しが残っていることと、王国が命令を出したことは別でしょう?」
「……そうだった」
俺たちが知りたいのは、百年前に誰が何を命じたのか。
でも今、確かに分かるのは、誰かがその言葉を書き残したということだけだった。
写本が残した空白
昨日、俺とセレスは、王国の戦場記録と魔王側の古文書に似た印章があることを確かめた。
形は似ている。でも、同じ印章とは断定できない。
さらに魔王側の写しは、《勇者を殺すな》の一行で途切れている。原本にも続きがなかったのか、写しに含まれていないだけなのかさえ不明だった。
だから今日は、学院の資料室で別の写本を調べている。
朝の光が窓枠に当たり、机の上に細い影を落としていた。指で押さえた古い紙は、縁が少し毛羽立っている。
「この写本には『回収した命令文の抄録』とあるわ」
セレスが目録の説明を指した。
「抄録って?」
「全部ではなく、必要な部分を抜き出して写したものよ」
「じゃあ、ここで文章が終わっていても、原文が終わっていたとは限らない」
「そう。まず、その違いを残しておきましょう」
俺は帳面を開いた。
《王国側に保管された写本。魔王側命令の抜粋とみられる。同じ文言がある。ただし原文の範囲は不明》
書いてみると、ずいぶん慎重な文章になった。
以前の俺なら『王国にも魔王軍と同じ命令があった』と大きく書いて、そこから裏切りだの密約だのと想像を広げていただろう。
そのほうが、謎が解けそうな気分になる。
でも、気分と証拠は違う。
「悠真、今、自分で止まれたでしょう?」
「何を?」
「勝手に結論を書こうとする手」
「手まで見張ってるのか?」
「顔も見ているわ」
「そこまで分かるなら、剣の弱点も見抜かれてるな」
「ええ。昨日も三回勝ったもの」
反論できない俺を見て、セレスは小さく笑った。
三つの写し、一つの疑問
昼までに、俺たちは関連する三つの資料を並べた。
最初は、前から持っていた魔王側古文書の写し。《勇者を殺すな》の先が、写した紙の端で切れている。
次は、いま見つけた王国側の抄録。同じ一行が載っているが、前後の文章は省かれているように見える。
最後は、その命令に言及した別の書写記録だった。命令の文言は確かめられるものの、その後の記載をどこまで写したのかは分からない。
「三つも残ってるなら、続きがあった可能性は高いんじゃないか?」
言ってから、俺は自分で首をひねった。
「いや、待てよ」
「どうしたの?」
「三つが別々の原本を写したとは限らない。同じ一枚から何度も写しただけなら、証拠が三倍になったわけじゃない」
セレスが顔を上げた。
「そうね。それは大事な点だわ」
褒められると思っていなかった俺は、思わず筆を止めた。
「……珍しく素直に褒めてくれた」
「今のは、悠真が自分で気づいたことだから」
その一言が、妙にうれしかった。
俺たちは写本の作成時期や由来を比べようとした。だが、今見られる記載だけでは、それぞれが何を元に書き写されたかまでは追えない。
「それでも、一つ分かったことがある」
俺は三枚の横に新しい紙を置いた。
「俺たちが知っていた一行は、全文だと保証されたものじゃない」
「ええ。ただし、続きが本当にあったかどうかは、まだ保留ね」
「分かってる」
俺は《消された続き》と書きかけた文字を消し、代わりにこう記した。
《確認したいこと:失われたのは原文か、写しの範囲か》
答えが出ないのは、もどかしい。
でも、間違った問いを一つ直せた。
それは、昨日までの俺にはできなかったことだ。
先生が覚えていない夜
『ふむ。敵の命令が王国にも残っていた、か』
背後からガルディオ先生の声がした。
「先生。それもまだ、王国に写本が残っていたとしか言えません」
『おお、そうだったな。俺の言い方も帳面で訂正してくれ』
「先生の言葉までですか?」
『お前、もう立派な史料係だ。剣のほうはまだまだだがな!』
「そっちは三回も負けたばかりですからね!」
先生の豪快な笑い声を聞きながら、俺はふと訊いた。
「魔王討伐の前夜、こういう命令を見聞きした覚えはありますか?」
笑いが止まった。
『……分からん』
ガルディオ先生は腕を組んだ。
『あの夜は、俺たちの話がどうにも噛み合わん。見たような気がしても、それが本当の記憶なのか自信がない』
「じゃあ、そのまま記録します」
『ああ。思い出したことにして、勝手に埋めるなよ』
「はい」
百人の先生たちが語れない、魔王討伐直前の一夜。
写本の欠けた部分と、その夜に関係があるのかは分からない。けれど、分からないもの同士を結びつけるだけでは、真相には近づけない。
『悠真』
そのとき、穏やかな声がした。
ゼル先生だった。
先生は机に並ぶ写しへ目を落とし、しばらく言葉を探すように黙っていた。
『君が知らない夜がある』
俺は筆を置いた。
「……先生は、その夜を覚えているんですか?」
『君が知っている話だけでは、届かないところがある。けれど、僕の言葉だけで埋めてほしくない』
「だったら、何を確かめればいいのか教えてください」
ゼル先生は、すぐには答えなかった。
俺は返事を待った。
以前なら、沈黙の向こうに正解があると信じて、何度でも聞いただろう。
でも、ゼル先生が百一人目の勇者だと知った今も、俺は先生を何でも知っている人だとは思わない。
「分かりました。今は、先生がそう言ったことだけ残します」
『……怒らないのかい?』
「怒ってますよ。知っているなら話してほしい」
そう言うと、先生は少し驚いた顔をした。
「でも、怒っているからって、先生の言葉を証拠に変えるつもりはありません」
ゼル先生は静かに頷いた。
『それでいい。君は、君の目で確かめて』
俺は帳面に、先生の言葉をそのまま書いた。
そこに意味を足すのは、まだ早い。
憎しみを、消さなくていい
「ゼル先生の声だったのね」
セレスが、俺の手元を見て言った。
俺は聞いた言葉を省かずに伝えた。
「『君が知らない夜がある』……」
彼女は繰り返し、紙の端を指で押さえた。
「何の夜なのか、先生の発言だけでは特定できないわ」
「うん。そう書いた」
「ありがとう」
セレスは一度視線を落とした。
「私、本当はこの命令を読むのが怖いの」
いつものはっきりした声ではなかった。
「姉を殺した魔物と、百年前に命令を書いた誰かは、同じではない。それは頭では分かっている。でも……もし魔王軍が誰かを守ろうとしていたと知ったら、私はどう思えばいいんだろう」
「セレス」
「魔物を憎んでいることまで、間違いだったと言われる気がして」
机の下で、彼女の手が握りしめられた。
俺はすぐには答えられなかった。
姉を失った痛みを、俺の言葉一つで整理できるはずがない。
「許さなくてもいいと思う」
ようやくそう言うと、セレスが顔を上げた。
「命令を書いた人に事情があったとしても、セレスのお姉さんが帰ってくるわけじゃない。記録を確かめることと、許すことは別だろ?」
彼女は唇を結び、ゆっくり頷いた。
「……ええ。私、すぐに答えを出さなくてもいいのね」
「俺も出さない。一緒に調べよう」
セレスの指が、少しだけほどけた。
「それなら約束して。一人で原本を探しに行ったり、危険な機構に触れたりしないこと」
「それ、もう何回目?」
「守ってくれるまで何回でも言うわ」
「分かった。次は二人で決める」
彼女はようやく笑った。
「次は、じゃなくて、これからもよ」
俺は、その訂正には素直に頷いた。
原本へ、手を伸ばさない
夕方、俺たちは調査結果を三つに分けた。
《証拠》魔王側の古文書と王国側に残された写本に、《勇者を殺すな》という文言がある。ただし、それぞれの写しに残る文章の範囲は限られている。
《証言》ガルディオ先生は命令に関する記憶を特定できない。ゼル先生は「君が知らない夜がある」と述べたが、何を指すかは確認できない。
《仮説》命令には続きがあった可能性がある。複数の写しが同じ原本に由来する可能性もある。発令者、対象、目的、類似印章の同一性は不明。
三つに分けた紙を見て、俺は息を吐いた。
「……結局、命令の続きは読めなかったな」
「でも、次に何を確かめるかは決まったわ」
「原本がどこにあるか。それと、写本がどう作られたか」
「ええ」
俺は立ち上がりかけ、座り直した。
「どうしたの?」
「昔の俺なら、今すぐ探しに行こうとしてた」
「今の悠真は?」
「正式に照会する。勝手に原本へ触れないし、機構にも接続しない」
セレスは、安心したように肩の力を抜いた。
二人で、学院を通じて資料の保存先と閲覧手続きを問い合わせる文面を整えた。
書き終えるまで、何度も筆を止めた。
『真実を明らかにしたい』とだけ書けば簡単だった。
でも、それでは何を調べたいのか、相手に伝わらない。
俺たちは、確認済みの文言、写本の限界、原本で確かめたい事項を、一つずつ書いた。
「これなら、少なくとも何を求めているかは伝わるわね」
「断られるかもしれないけど」
「そのときは、断る理由を聞きましょう」
セレスは書類を重ねて、俺に差し出した。
「調べることは、戦うことじゃないもの」
俺は受け取り、頷いた。
止めようとする人の理由
翌日、学院の職員から王都の連絡文書が届いた。
宛先には、俺とセレスの名前が並んでいる。
《戦時史料および勇者継承関連記録の閲覧申請について、担当官より説明を行う》
さらに、下の一文で目が止まった。
《記録の保存と継承対象者の保護に関わるため、閲覧範囲は協議を要する》
「保護……?」
俺は声に出した。
《勇者を殺すな》と書かれた命令の続きを知りたい。
それだけのはずだった。
なのに、王都は記録を守るだけでなく、俺たちを守ることまで理由にしている。
「調査を止めるつもりなのかな」
「まだ分からないわ」
セレスは通知を畳まずに、最後まで読み直した。
「保存する理由があるのかもしれない。危険があるなら、私たちにも知る必要がある」
「でも、理由を聞くだけで帰るつもりはないよ」
「私もよ。話を聞いて、それから一緒に決めましょう」
彼女は隣に立った。
俺は、机の上に残した三つの記録を見た。
百年前の誰かは、勇者を殺すなと命じた。
今、王都の誰かは、勇者を守るために記録を制限しようとしている。
同じ『守る』でも、同じ意味とは限らない。
俺たちは、ただ百年前の命令を知りたいだけだった。けれど、その記録を守ろうとする人間が、俺たちの前に立とうとしていた。
第79話 完
次回予告
第10話/通算第80話
「勇者を守る人が、俺たちを止める」
王都の担当官は、調査を制限する理由を説明する。過去の経験を未来へ残す勇者継承機構には、人を守る価値がある。一方で、継承には人格の境界を失う危険もある。悠真とセレスは、対立する相手の言葉を聞き、自分たちの調査をどう続けるか考える。
この作品を第1話から読む
『勇者学院の落ちこぼれ、死んだ英雄たちにだけ教えてもらえる』第1話:
https://note.com/momokun1/n/n89f9dc02f838?magazine_key=m56c03e194176
あなたなら、真実を知るための調査を『保護』を理由に制限されたとき、まず何を確かめますか?
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524
Momokun Official https://momokun.jp/
Tales https://tales.note.com/momokun1
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