第8話/通算第78話「魔王軍の古文書に、王国と似た印章があった」
「その名前だけは、まだ探すな」
百一人目の勇者ゼルが、初めて恐怖を見せた。
勇者継承機構に残された《欠損 一》。
百人の英雄たちの食い違う記憶。
そして、歴史から消された一人の存在。
なぜ、その名前を知ってはいけないのか。
なぜ、英雄たちは同じ過去を覚えていないのか。
そもそも、悠真の前に現れる百人の先生たちは、本当に死んだ英雄本人なのか。
答えを追うほど、信じてきた歴史が揺らぎ始める。
しかし、悠真にはもう一つ、向き合わなければならない秘密があった。
「セレス。俺には、死んだ英雄の先生が百人見えるんだ」
ずっと隠してきた真実。
それを打ち明けたとき、二人の関係もまた、変わり始める。
見えないものを、どう信じるのか。
残された記憶は、誰の真実なのか。
そして、先生たちの教えが間違っていたとしても、自分の答えを選べるのか。
消されたのは、一人の名前だけではないのかもしれない。
第8部『欠損記録編』。
百人の先生を信じてきた落ちこぼれの少年が、今度はその先生たちの記憶を疑い始める。
教わった答えを疑うことは、先生を裏切ることなのか。
悠真とセレスの新たな物語が、ここから始まる
魔王軍は、勇者を殺すなと命じていた。
その命令が記された古文書の隅に、王国側の戦場記録とよく似た印章があった。
敵同士だった二つの陣営に、どうして似た印が残っている?
もし関係があるのなら、百年前の戦いは、俺たちが聞いてきた話だけでは説明できない。
けれど、昨日の俺はひとつ学んだ。
似ていることは、同じだという証拠にはならない。
似ている、というだけの証拠
翌朝、俺とセレスは学院の資料室で机を挟んでいた。
窓から差す光の中に、二枚の写しを並べる。片方は王国側の戦場記録。もう片方は、以前調べた魔王側の古文書だ。
「まず、昨日見た印をもう一度確かめましょう」
セレスは紙の端を押さえた。
「昨日は夕方だったもの。影で線がつながって見えた可能性もあるわ」
「俺には、かなり似て見えたけど」
「だから、どこが似ているのか書き出すの」
俺は帳面を開き、筆を持った。
王国側の印は、外側の輪が途中でかすれ、内側に斜めの短い線がある。魔王側の印にも似た曲線と線が見えるが、欠けた部分が多く、全部の形は追えない。
「ここ。線の傾きが似てる」
「ええ。でも、魔王側はその先が読めないわ」
「かすれただけじゃないのか?」
「元から違う形だった可能性もあるでしょう?」
俺の筆先が止まった。
同じ印だと言いたい気持ちはある。だって、そうなら長い間分からなかった謎へ一歩近づける。
でも、欲しい答えに合わせて欠けた線を描き足したら、それは調査じゃなくて落書きだ。
「……ここは『不明』にする」
「ええ。それでいいと思う」
セレスは小さく頷いた。
二枚を重ねれば分かるかもしれないと思ったが、彼女が先に言った。
「写し同士の大きさが同じとは限らないわ。重なっても、同一の印章だった証明にはならない」
「……今、俺がやろうとしたことが分かった?」
「顔に書いてあったもの」
「そんなに分かりやすいかな、俺」
「少なくとも、剣を振る前よりは」
昨日、彼女に三回負けたことを思い出す。
「そこまで見抜かれてたら、次も勝てない気がする」
「勝つつもりで来なさいって言ったでしょう」
笑ってから、俺たちはもう一度紙に目を戻した。
似ている点だけでなく、違って見える点も記録する。それから、判断できない箇所には印をつける。
結局、印章が同じものかどうかは決められなかった。
けれど、何を比べたのか、どこが欠けているのかは残せた。
以前なら物足りなかったはずの結果が、今日は少しだけ頼もしく思えた。
先生の知らない夜
『……その印、見たことがあるような気がするな』
背後からガルディオ先生の声がした。
俺は思わず振り返った。
「先生、それ本当ですか!」
『待て。見たと断言したわけじゃねえ。どこだったかも思い出せん』
先生は腕を組み、二枚の紙をじっと見つめている。
いつもなら、記憶を引っ張り出そうとして大声で騒ぎ始めるところだ。今日は違った。
『戦場か、軍議か……いや、今のは俺の想像かもしれんな』
俺は帳面に書いた。
《証言:ガルディオ先生は印章に見覚えがある気がする。ただし場所と時期は不明》
「この書き方でいいですか?」
『ああ。それ以上は足すなよ』
向かい側のセレスが顔を上げる。
「先生の声?」
「うん。印を見た気がする。でも、いつどこで見たか分からないって」
「なら、証言として残しましょう。二枚の文書から確認できることとは分けて」
俺が伝えると、先生は苦笑した。
『嬢ちゃんは俺より厳しい教師になれそうだ』
「昨日は剣でも勝てませんでしたしね」
『そこまで報告しなくていい!』
思わず笑ったが、先生はすぐに目を伏せた。
『……なあ、悠真。俺たちは確かに魔王軍と戦った。仲間を失ったことまで、作り話にはしたくねえ』
「そんなこと、思ってません」
俺は筆を置いた。
「先生たちが戦ったことも、誰かを守ろうとしたことも疑ってません。でも、何が起きたか全部覚えているとは限らない。それを一緒に調べたいんです」
百人の先生たちが思い出せない、魔王討伐直前の一夜。
そこにこの印章が関わるのかは分からない。
分からないからこそ、先生の失った記憶を俺の推測で埋めたくなかった。
『……そうだったな』
ガルディオ先生はゆっくり頷いた。
『俺が教えることばかり考えていたが、お前に教わる日も来るんだな』
「まだ三回負ける弟子ですけど」
『四回目は勝てよ。俺の名誉のためにも!』
「それ、先生の都合ですよね?」
笑い声が収まると、先生はもう印章について何も言わなかった。
その沈黙を、俺は無理に破らなかった。
敵の命令を、どう読むか
「悠真。印章だけじゃなく、文書の言葉も確認しましょう」
セレスが魔王側の写しをこちらへ寄せる。
そこには、以前から気になっていた命令が残っている。
《勇者を殺すな》。
「敵の勇者を殺すなって、どういうつもりだったんだろう」
「誰に向けた命令かも、どの勇者を指すかも分からないわ」
「生け捕りにしようとした、とか?」
「可能性はある。でも、今は仮説よ」
俺はその言葉を帳面の別の欄に書きかけ、止めた。
昨日までなら、思いついた順にもっともらしい物語を作っていたかもしれない。
セレスの視線が、命令文の上で止まる。
「私ね。魔物が人を殺すところを知っている」
姉を魔物に奪われた彼女が、その言葉を口にするまでにどれほどの時間が必要だったか。俺には測れない。
「だから、魔王軍が勇者を殺すなと言ったからって、優しかったんだとは思えない」
「……うん」
「でも、私が憎んできた魔物と、百年前の命令を書いた誰かを、同じだと決めつけるのも違うわよね」
彼女は机の下で手を握った。
普段なら、答えを出すときに迷わない声が、最後だけ少し揺れた。
俺は安易に慰める言葉を探すのをやめた。
「じゃあ、分かったことだけを並べよう。二人で」
「……ええ」
「もし嫌なことが書いてあっても、俺だけで答えを決めない」
セレスが顔を上げる。
「約束よ。一人で危険なことも決めないで」
「分かってる。昨日も言ったから」
「昨日言ったから、今日も聞いているの」
その言い方が少しおかしくて笑うと、彼女もようやく口元を緩めた。
触れそうな距離に置かれた二人の帳面は、まだ別々の字で埋まっている。
同じ答えを出さなくても、一緒に確かめることはできる。
空白を、勝手に埋めない
午後、俺たちは調査の結果を三つに分けて整理した。
《証拠》二枚の写しに、形の似た印章が見える。魔王側の断片には《勇者を殺すな》と記されている。
《証言》ガルディオ先生は印章に見覚えがある気がするが、場所も時期も特定できない。
《仮説》二つの印章が同じ由来を持つ可能性はある。だが、同一性、用途、命令の発令者と理由は不明。
俺は最後の行を読み返した。
「これじゃ、答えはまだひとつも出てないな」
「いいえ。少なくとも『王国の印章が魔王軍に使われた』とは、まだ言えないと分かったわ」
「……それって進歩?」
「思い込みを一つ減らせたでしょう」
確かに、昨夜の俺はよく似た印を見た瞬間、二つの陣営が裏でつながっていたのかと考えた。
でも、同じ形とは限らない。同じ形でも、同じ人が押したとは限らない。
「ほかの印章の例と、写しが作られた経緯を調べる必要があるな」
「ええ。それから、文書そのものの範囲も」
「範囲?」
セレスは《勇者を殺すな》の行を指さした。
「私たちが持っているのは断片よ。この言葉の前後に何があったのか、まだ知らない」
俺は紙の端を見つめた。
文字の先は写しの端で途切れている。それが原本も同じだったのか、写しに残っていないだけなのかさえ分からない。
「命令は、この一行で終わっていたのかな」
「それも、確かめるべきことね」
胸の奥で、ばらばらだった疑問が一つの方向へ向いた。
もし続きがあるなら、印章の用途を考える手がかりになるかもしれない。
なかったとしても、そう確かめた結果は残せる。
まだ読んでいない言葉
資料室を出る頃、窓の外は夕暮れになっていた。
セレスが写しを丁寧に重ねる。その手が止まるのを、俺は待った。
「明日も、一緒に調べてくれる?」
「もちろん。ただし、都合のいい答えを見つけても、すぐに信じないこと」
「信用ないなあ」
「あるから、一緒に調べているのよ」
不意にそう言われて、返す言葉をなくした。
彼女は俺の反応を待たずに鞄を閉じる。けれど、耳がわずかに赤く見えたのは、夕日のせいだろうか。
俺は最後にもう一度、魔王側の古文書を見た。
《勇者を殺すな》。
俺たちが読んだのは、その一行だけだった。
もし、その後ろに言葉が続いていたとしたら。
俺たちは、百年前の命令を、まったく違う意味で受け取っていたのかもしれない。
第78話 完
次回予告
第9話/通算第79話
「《勇者を殺すな》の、消えた続き」
魔王側に残された命令の断片。その前後には、どんな言葉があったのか。悠真とセレスは写しを手がかりに、欠けた部分を調べ始める。けれど、命令の発令者も理由も、まだ分からない。
この作品を第1話から読む
『勇者学院の落ちこぼれ、死んだ英雄たちにだけ教えてもらえる』 第1話:
https://note.com/momokun1/n/n89f9dc02f838?magazine_key=m56c03e194176
作品のご案内
あなたなら、敵同士の記録に同じような印章を見つけたとき、まず何を確かめますか?
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524
Momokun Official https://momokun.jp/
Tales https://tales.note.com/momokun1
なろう https://mypage.syosetu.com/3115683/




