第6話/通算第76話 「名前を消すな、と言った誰か」
「その名前だけは、まだ探すな」
百一人目の勇者ゼルが、初めて恐怖を見せた。
勇者継承機構に残された《欠損 一》。
百人の英雄たちの食い違う記憶。
そして、歴史から消された一人の存在。
なぜ、その名前を知ってはいけないのか。
なぜ、英雄たちは同じ過去を覚えていないのか。
そもそも、悠真の前に現れる百人の先生たちは、本当に死んだ英雄本人なのか。
答えを追うほど、信じてきた歴史が揺らぎ始める。
しかし、悠真にはもう一つ、向き合わなければならない秘密があった。
「セレス。俺には、死んだ英雄の先生が百人見えるんだ」
ずっと隠してきた真実。
それを打ち明けたとき、二人の関係もまた、変わり始める。
見えないものを、どう信じるのか。
残された記憶は、誰の真実なのか。
そして、先生たちの教えが間違っていたとしても、自分の答えを選べるのか。
消されたのは、一人の名前だけではないのかもしれない。
第8部『欠損記録編』。
百人の先生を信じてきた落ちこぼれの少年が、今度はその先生たちの記憶を疑い始める。
教わった答えを疑うことは、先生を裏切ることなのか。
悠真とセレスの新たな物語が、ここから始まる
名前を消すな。
百年前、誰かがそう訴えたのかもしれない。
なのに、その声を上げた人物の名前さえ、今は分からない。
「……セレス。これ、本当に差し止めの記録なんだよね?」
俺は古い管理台帳の写しを指さした。
《勇者認定取消 第二号》。
一度は継承を完了しながら、勇者認定を取り消され、公式記録から名前を消された人物。
その削除処理に関係する欄には、短い文字が残っていた。
《差し止め》。
「記載があるのは事実よ。でも、何を止めようとしたのかは確定していないわ」
セレスは慎重に答えた。
「認定取消なのか、名前の削除なのか。それとも、別の処理なのか」
「……せっかく見つけたのに」
思わず声が漏れた。
名前を消された人物。
そして、その名前を守ろうとしたかもしれない人物。
どちらも分からない。
けれど、セレスは台帳から目を離さなかった。
「悠真。誰かが異議を唱えたなら、その手続きを記録した書類があるかもしれない」
「じゃあ、探そう」
「ええ。ただし、ここから先は非公開の管理記録よ」
彼女は別の書類を取り出した。
「王都の担当官に閲覧を申請する必要があるわ」
俺は顔をしかめた。
以前、俺に勇者認定を提案した人物だ。
勇者制度を守る立場にいるあの人が、消された勇者の記録を見せてくれるのだろうか。
それでも、聞かなければ始まらない。
「……行こう、セレス」
俺は写しを丁寧に重ねた。
今度こそ、答えを決めつけずに。
名前を守りたかったのは、誰だ
王都の担当官を訪ねる前に、俺たちは残された取消書類を整理した。
第二号だけは、ほかと明らかに違っていた。
認定を取り消された人物の名前が読めない。
処理担当者の署名も消されている。
「これじゃ、誰が処理したのかも分からないよ」
「そうね。でも、名前が消えていることと、その人物が存在しなかったことは違うわ」
セレスの言葉に、俺は手を止めた。
存在しなかったこと。
それは、今の俺にとって一番怖い言葉だった。
百人の先生たちは、魔王討伐直前の一夜を思い出せない。
記憶が失われたのか、別の形で残されているのかさえ分からない。
もし、いつか先生たちの名前まで消えたら。
俺が一緒に過ごした時間を、誰が証明してくれるのだろう。
『馬鹿弟子。さっきから紙を睨みすぎだ』
ガルディオ先生の声がした。
「……先生。自分の名前を消されたら、どう思いますか?」
『そりゃ、腹が立つだろうな』
いつもの豪快な答えだった。
でも、先生はすぐに笑わなかった。
『ただな。何があったかも分からねえうちに、俺の代わりに怒られても困る』
「……そうですよね」
『忘れるな。お前が守りたいのは、勝手に作った俺たちの物語じゃねえだろ』
胸に、その言葉が残った。
俺はセレスに先生との会話を伝えた。
彼女は少し考えてから、帳面を開く。
「それなら、こう書きましょう」
《差し止めの記載あり。対象となる処理、申出人、理由は未確認》
「……短いね」
「事実は、短くてもいいの」
セレスが微笑んだ。
俺も、少しだけ笑えた。
勇者を守る人が、俺たちを止めた
「閲覧は許可できません」
王都の担当官は、申請書を読み終えるなり告げた。
あまりに早い答えだった。
「どうしてですか?」
「勇者認定取消に関係する非公開記録だからです」
「でも、百年前の書類ですよ?」
「年月が経てば、すべて安全になるわけではありません」
担当官は俺をまっすぐ見た。
「神谷悠真殿。あなたは以前、勇者継承機構へ接続しましたね」
心臓が嫌な音を立てた。
あのとき、知らない戦場の記憶が流れ込んできた。
他人の恐怖が、自分の恐怖になった。
自分で決めたはずの判断さえ、誰のものなのか分からなくなりかけた。
「……はい」
「継承機構は、過去の経験や判断を次の世代へ残すためのものです。しかし、扱いを誤れば人格の境界を損ないます」
「それは分かっています」
「ならば、これ以上の調査は控えてください」
思わず拳を握った。
「消された人がいるんです。理由も分からないまま、調べることまで止めるんですか?」
「あなたを危険から遠ざけたいのです」
その言葉に、ゼル先生の顔が浮かんだ。
危ないから教えない。
守りたいから隠す。
善意だと分かっていても、俺は何度も傷ついた。
「俺は……一度、間違えました」
担当官の前で、ゆっくり拳を開いた。
「答えが欲しくて、危険な接続を選びました。セレスにも心配をかけました」
隣の彼女が、かすかに息を吸った。
「もう、同じことはしません」
「では、調査を断念していただけますか」
「いいえ」
今度は迷わなかった。
「危険だから調べるな、じゃなくて、安全に調べる方法を一緒に決めたいんです」
担当官の眉が、わずかに動いた。
「二人で守ります」
「具体的な方法があります」
セレスが一歩前に出た。
「機構には接続しません。原本の持ち出しも、装置への干渉もしません。まずは書類の所在と処理経緯だけを照合させてください」
「それで真相が分かる保証はありませんよ」
「承知しています」
彼女は即答した。
「私たちは、証拠のない推測で誰かを犯人にするつもりもありません」
担当官は長いあいだ黙っていた。
やがて、机の上の申請書へ視線を落とした。
「……我々にも、守るべき人々がいます」
その声は、意外なほど静かだった。
「過去の勇者の経験が、次に訪れる災厄から人々を救うかもしれない。継承制度を維持することには、理由があるのです」
俺は返す言葉を探した。
この人は、秘密を守ることだけが目的ではない。
過去の経験が失われれば、救えなくなる人がいるかもしれない。
そう考えているのだ。
「……俺も、機構を壊したいわけじゃありません」
ようやく答えた。
「でも、誰かを守る制度なら、そのために名前を消された人のことも、調べていいはずです」
担当官は俺とセレスを交互に見た。
「限定的な閲覧だけ、認めましょう」
俺は思わず顔を上げた。
「本当ですか?」
「ただし、継承機構への接続は禁止です。閲覧範囲はこちらが指定します」
「守ります」
俺が答えると、セレスも頷いた。
「二人で守ります」
その言葉に、胸が少し熱くなった。
一人で危険を背負おうとして、彼女を怖がらせたことがある。
今は違う。
俺の隣には、一緒に選んでくれる人がいる。
「……ありがとう、セレス」
小声で言うと、彼女はわずかに視線を逸らした。
「お礼は、ちゃんと約束を守ってからにして」
「うん」
俺は笑った。
セレスも、ほんの少しだけ笑った。
百年前の、小さな異議
閲覧室に運ばれてきた管理記録は、驚くほど薄かった。
担当官が指定したページを開く。
「第二号の取消処理に関連する部分です」
俺たちは慎重に文字を追った。
認定番号。
処理区分。
確認欄。
ほとんどが、すでに知っている情報だった。
また何も見つからないのか。
そう思いかけたとき。
「悠真。ここ」
セレスの指が止まった。
《差止申出》
その下に、さらに短い文字がある。
《氏名抹消に異議》
「……あった」
声が震えた。
「セレス。名前を消すことに、反対する人がいたんだ」
「氏名抹消への異議が記録されている。それは確認できるわ」
「じゃあ、その人は第二号を守ろうと……」
「悠真」
彼女が俺を見た。
俺は口を閉じた。
また、答えを先に決めるところだった。
「……理由は、まだ分からないんだよね」
「ええ。手続き上の問題を指摘したのかもしれないし、別の理由があったのかもしれない」
俺は頷いた。
それでも、胸の奥が熱かった。
勇者として認められなくなっても、名前まで消していいのか。
そう問いかけた人が、確かにいたのかもしれない。
「……その人の言葉は、残ってないのかな」
担当官が記録を確認した。
「申出の内容は、このページにはありません」
「別の書類には?」
「申出書の原本が存在した可能性はあります。所在を確認しましょう」
俺は帳面に記した。
《第二号の氏名抹消について、異議申出の記録がある》
今度は、余計な推測を書かなかった。
名前を消された人。
名前を消そうとした人。
そして、消すことに異議を唱えた人。
百年前の出来事が、少しだけ近くなった気がした。
先生の沈黙は、答えじゃない
『悠真』
振り向くと、ゼル先生が立っていた。
『君は、その異議を唱えた人が誰なのか、知りたいんだね』
「はい」
『もし、その人が君の知っている誰かだったら?』
一瞬、息が止まった。
ゼル先生。
百人の先生たち。
消された記録。
そのすべてを、一つの答えでつなげたくなった。
でも。
「……それも、まだ分かりません」
先生の笑みが、少し薄くなった。
「俺は、先生の言葉だけで誰かを決めつけません」
『……そうか』
「知っていることがあるなら、いつか教えてください。でも、それまでは証拠を探します」
ゼル先生は何も答えなかった。
以前なら、その沈黙を怖がったと思う。
何かを隠しているのかもしれない。
俺が知ってはいけないことがあるのかもしれない。
けれど今は、そのどちらも確かなことではなかった。
「ゼル先生との会話?」
セレスが尋ねた。
俺は頷き、言われたことをそのまま伝えた。
「先生の問いも、証拠にはならないわね」
「うん。分かってる」
セレスは少しだけ微笑んだ。
「悠真。あなた、変わったわね」
「……そうかな」
「前なら、先生の言葉から答えを探していたもの」
胸の奥がくすぐったくなった。
百人の先生に教わった俺が、今はセレスにも教えられている。
一人で決めることと、一人で背負うことは違う。
その意味が、ようやく分かってきた気がした。
原本は、ここにはなかった
「……該当する記録がありました」
担当官の声に、俺たちは顔を上げた。
机の上には、別の古い目録が開かれていた。
《第二号認定取消 関連文書》
その下に、小さな文字が並ぶ。
《氏名抹消差止申出書》
「……申出書が、あったんですね」
「少なくとも、この名称で登録された記録があります」
「それなら、申出人の名前も……」
「原本を確認するまでは分かりません」
セレスが静かに尋ねた。
「その原本は、どこに保管されていますか?」
担当官の指が、次の欄で止まった。
そこに残っていたのは、たった四文字だった。
《外部保管》
俺は目を疑った。
「……史料院には、ないんですか?」
「この目録では、外部保管とされています」
「どこへ移されたんですか?」
担当官は慎重に記載を読み返した。
「この写しには、保管先が示されていません」
俺は、言葉を失った。
やっと見つかった。
氏名抹消に異議を唱えた記録。
その理由や申出人を確かめられるかもしれない書類。
なのに、原本はここにない。
「悠真」
セレスが、俺の手元の帳面を指した。
「分かったことを残しましょう」
俺は頷き、ゆっくり書き込んだ。
《氏名抹消差止申出書は、目録上、外部保管とされている》
《申出人、理由、保管先は未確認》
書き終えても、胸のざわめきは消えなかった。
名前を消された人がいる。
その削除に異議を唱えた人がいる。
そして、その異議を記した書類まで、別の場所へ移されている。
誰が、何のために。
「……セレス」
「なに?」
「俺、二つの名前を探したい」
彼女が顔を上げた。
「消された人の名前と、消すなと言った人の名前」
セレスは少しだけ驚いたあと、頷いた。
「ええ。一緒に探しましょう」
その言葉を聞いて、俺は目録へ視線を戻した。
百年前の誰かが、名前を消すことに異議を唱えた。
その声がどんな理由から生まれたのかは、まだ分からない。
ただ、その記録を残した書類は、ここから移されていた。
誰が、その書類を持ち出したのか。
第76話 完
次回予告
第8部『欠損記録編』
第7話/通算第77話
「《無職》の俺に、誰の記憶が流れた?」
外部保管された記録の謎を追う悠真とセレス。
その調査の中で、悠真は自分に流れ込んだ、見知らぬ戦場の記憶を思い返す。
《無職》という鑑定結果。
そして、誰のものとも分からない記憶。
二つは、本当に関係しているのだろうか。
答えを求める悠真は、再び自分自身の意思を試される。
あなたなら、大切な人の名前が歴史から消されようとしていたら、何をしますか?
悠真とセレスの選択について、ぜひコメントで聞かせてください
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524
Momokun Official https://momokun.jp/




