第4話/通算第74話 「百人が忘れた、たった一晩」
その名前だけは、まだ探すな」
百一人目の勇者ゼルが、初めて恐怖を見せた。
勇者継承機構に残された《欠損 一》。
百人の英雄たちの食い違う記憶。
そして、歴史から消された一人の存在。
なぜ、その名前を知ってはいけないのか。
なぜ、英雄たちは同じ過去を覚えていないのか。
そもそも、悠真の前に現れる百人の先生たちは、本当に死んだ英雄本人なのか。
答えを追うほど、信じてきた歴史が揺らぎ始める。
しかし、悠真にはもう一つ、向き合わなければならない秘密があった。
「セレス。俺には、死んだ英雄の先生が百人見えるんだ」
ずっと隠してきた真実。
それを打ち明けたとき、二人の関係もまた、変わり始める。
見えないものを、どう信じるのか。
残された記憶は、誰の真実なのか。
そして、先生たちの教えが間違っていたとしても、自分の答えを選べるのか。
消されたのは、一人の名前だけではないのかもしれない。
第8部『欠損記録編』。
百人の先生を信じてきた落ちこぼれの少年が、今度はその先生たちの記憶を疑い始める。
教わった答えを疑うことは、先生を裏切ることなのか。
悠真とセレスの新たな物語が、ここから始まる
百人の英雄が、たった一晩の出来事を説明できなかった。
剣聖ガルディオは、南の斜面を先に越えたという。
暗殺王クロウは、川沿いを進んでから南の斜面へ向かったという。
二人とも、同じ夜の出来事だと信じていた。
なのに、順番が違う。
「先生。あの夜、何があったんですか?」
俺の問いに、ガルディオ先生は答えなかった。
第73話で、あれほど自分の記憶に自信を持っていた人が。
今は、自分の手を見つめている。
『……忘れるはずがねえんだよ』
その声は、まだ震えていた。
俺は先生の記憶を確かめたかった。
けれど、そのために先生自身を傷つけることになるなんて、考えていなかった。
二人の英雄は、同じ道を逆に覚えていた
「まず、クロウ先生の撤退経路を詳しく聞きましょう」
セレスが新しい紙を広げた。
施設の休憩場所。
机には、王立史料院で入手した戦場記録の写しと古い地形図が並んでいる。
「クロウ先生。お願いします」
『……川沿いを進み、そこから離れて南の斜面へ向かった』
暗殺王クロウは、いつもどおり冷静だった。
『周囲を確認しながら撤退した。そこは覚えている』
俺は証言をセレスへ伝えた。
彼女は地形図に二本の線を引く。
ガルディオ先生の進軍経路。
クロウ先生の撤退経路。
二本の線は、同じ川と斜面を通っていた。
ただし、進む方向が逆だった。
「これ、両方とも正しい可能性はないかな?」
「あるわ」
セレスは頷いた。
「進軍と撤退なら、逆向きでも不思議ではないもの」
「じゃあ!」
「でも、まだ確認できていないことがある」
彼女は二本の線を指した。
「二人は、本当に同じ夜を覚えているの?」
俺は先生たちへ質問した。
『間違いねえ』
ガルディオ先生が即答する。
『俺も同じ夜だと覚えている』
クロウ先生も答えた。
「時刻は?」
ガルディオ先生は、日が落ちて間もないころ。
クロウ先生は、夜が深まってから。
「なら、時間が違うだけかもしれない!」
俺は思わず声を上げた。
『そうだ! それで説明がつくだろうが!』
ガルディオ先生も勢いを取り戻す。
しかし。
『……待て、ガルディオ』
クロウ先生が口を開いた。
『俺が覚えているのは、自分の撤退だ。お前の部隊がその前にどこを通ったのかまでは覚えていない』
『だから何だ!』
『二つの記憶を、勝手に一つの行動へつなげるなということだ』
ガルディオ先生が黙った。
俺も、言葉を失った。
二人の記憶は矛盾しているように見える。
けれど、別々の行動だった可能性も残っている。
それなのに。
なぜ二人とも、同じ夜だったと確信しているのだろう。
「……まだ、分からないね」
俺が呟くと、セレスは頷いた。
「ええ。でも、確かめる方法はまだあるわ」
大魔導師と聖女が覚えていた、もう一つの順番
『それなら、私にも聞いてちょうだい』
声を上げたのは、大魔導師エレノア先生だった。
『あの戦場なら、私にも覚えがあるわ』
「本当ですか!」
『川の近くで、防護の術式を使ったの』
俺はセレスへ伝える。
「場所は?」
『川が曲がるところよ。大きな岩場があったわ』
地形図と一致している。
「いつ使ったんですか?」
『……夜明けが近かったはずよ』
俺は帳面を見下ろした。
日没直後。
深夜。
夜明け前。
「ほら! 三人の記憶を並べれば、一晩の出来事になる!」
『当然だ!』
ガルディオ先生が胸を張った。
だが、エレノア先生の表情は晴れなかった。
『……悠真。負傷者が運ばれてきたことも覚えているの』
「負傷者?」
『ええ。私が術式を使った後だったと思うわ』
セレスがすぐに質問した。
「治療したのは誰ですか?」
俺が尋ねると、エレノア先生はリリア先生を指した。
『リリアよ』
聖女リリア。
俺の健康管理を何より大切にしてくれる先生だ。
料理の腕だけは、どうしても信用できないけれど。
『……私ね』
リリア先生が静かに頷く。
『負傷者を治療したことは覚えているわ』
「じゃあ、そのときのことを教えてください」
『ええ。治療が終わってから、エレノアに防護の術式をお願いしたの』
「……え?」
俺は顔を上げた。
「エレノア先生。術式を使った後に負傷者が運ばれてきたんですよね?」
『そうよ』
「リリア先生は、治療した後に術式をお願いしたって……」
『そんなはずはないわ』
エレノア先生の声が鋭くなった。
『私は術式を使ってから、負傷者を見たの!』
『でも、私は先に治療したのよ』
リリア先生も譲らない。
二人とも、自分の経験を鮮明に覚えている。
それなのに、出来事の順番が逆だった。
「……別々の術式だった可能性はあるわ」
セレスが言った。
「負傷者が複数いた可能性もある。今の証言だけでは決められない」
「でも、四人とも……」
俺は言葉を飲み込んだ。
場所は似ている。
出来事も覚えている。
なのに、時刻と順番がつながらない。
魔王討伐直前の、たった一晩だけが。
最強の先生たちが、初めて怖いと言った
『おい、エレノア! お前が時刻を間違えてるんじゃねえのか!』
ガルディオ先生が叫んだ。
『私だけが間違っていると決めつけないで!』
『だったら、どう説明する!』
『それを調べているんでしょう!』
ほかの先生たちも口を開き始めた。
『俺は谷にいたはずだ』
『私は斜面にいた』
『それは別の日ではないのか?』
『いや、魔王討伐の直前だった』
『……その前後が思い出せん』
声が重なっていく。
いつもの百人の大騒ぎとは違っていた。
誰も冗談を言わない。
誰も自慢話をしない。
みんな、自分の記憶を必死に探していた。
『……怖いわね』
リリア先生が呟いた。
声が止まった。
『私、治療した人の顔は覚えているの』
先生は自分の手を見つめた。
『苦しそうな声も、手を握り返してくれたことも』
「……はい」
『なのに、どこで治療したのか、自信がなくなってきたの』
その表情を見て、胸が締めつけられた。
『もし、私の記憶が間違っていたら……』
リリア先生は、言葉を続けられなかった。
『俺もだ』
ガルディオ先生が低く言った。
『斜面を登った足の感覚も、川沿いを歩いたことも覚えてる』
先生は拳を握る。
『だが、何が先だったのか分からなくなってきやがった』
「先生……」
『俺は弟子に、敵から目を逸らすなって教えてきた』
その拳が、わずかに震えた。
『なのに、自分の記憶を確かめるのが……怖え』
剣聖ガルディオ。
どんな強敵にも笑って立ち向かった先生。
その人が今、自分自身を信じられなくなっている。
俺は何とかしたかった。
先生たちを安心させたかった。
だから。
一番してはいけないことを、また考えてしまった。
俺は、正しい先生を一人だけ選びたかった
「セレス。クロウ先生の証言を基準にしない?」
「どうして?」
「史料には、川沿いの移動が先って書いてある。クロウ先生の記憶なら、それと合う」
俺は帳面を指した。
「それを中心にすれば、ほかの記憶も整理できるかもしれない」
クロウ先生を正しいことにする。
ガルディオ先生は、別の進軍を覚えていたことにする。
エレノア先生とリリア先生は、時刻を取り違えたことにする。
そうすれば。
先生たちの誰かが、自分の記憶を疑い続けなくても済む。
「悠真」
セレスは静かに俺を見た。
「クロウ先生の証言が正しいと確認できたの?」
「……まだ」
「史料自体が正しいかも、確かめられていないわよね」
「うん」
彼女は少しだけ声を柔らかくした。
「あなたは今、答えを見つけたいの? それとも、先生たちを安心させたいの?」
胸が痛んだ。
「……安心させたい」
ようやく本音が出た。
「先生たちが、あんな顔をするのを見たくないんだ」
セレスは黙って聞いていた。
「俺が《無職》だって笑われていたとき、先生たちは誰も見捨てなかった」
俺は帳面を握りしめた。
「その先生たちが、今度は自分自身を信じられなくなってる」
怖かった。
もし、先生たちの記憶が信用できなくなったら。
俺が教わったことまで、消えてしまうような気がした。
「……悠真」
セレスは、俺の手元にある帳面をそっと押さえた。
「第73話で、あなたはガルディオ先生の証言を消さなかったでしょう?」
「……うん」
「先生を信じているからこそ、書き換えなかった」
俺は顔を上げた。
「今回も同じよ」
彼女は言った。
「一致しない証言も削らない。誰か一人を、無理に正解にしない」
「でも、それじゃ答えが出ない」
「今は、出なくてもいいの」
セレスは俺の隣に立った。
「先生たちが自分の記憶を怖がっているなら、私たちまで勝手に書き換えてはいけないわ」
俺はしばらく彼女を見つめていた。
セレスには、先生たちの姿が見えない。
声も聞こえない。
それなのに。
俺が大切にしているものを、俺と同じくらい真剣に守ろうとしてくれている。
「……ありがとう、セレス」
「お礼は、調べ終わってからにして」
彼女は少しだけ笑った。
「私も、途中で投げ出すつもりはないもの」
その言葉が、嬉しかった。
先生の記憶を、間違ったまま残してもいいですか?
俺は新しい紙を取り出した。
『確認できた事実』
『先生たちの証言』
『まだ確かめられていない仮説』
第73話で決めた三つの区分だ。
確認できたのは、史料に川沿いの移動が先だと記されていること。
ただし、その記録自体の正しさは未確認。
先生たちの証言には、それぞれの記憶をそのまま書いた。
ガルディオ先生の進軍。
クロウ先生の撤退。
エレノア先生の防護術式。
リリア先生の負傷者の治療。
順番が違うところには、違うと記した。
「……先生」
俺は顔を上げた。
「どの記憶が正しいのか、まだ分かりません」
ガルディオ先生は黙っている。
「でも、勝手に一つを選ぶのはやめます」
『……そうか』
「先生たちが覚えていることを、全部残したいんです」
しばらく沈黙が続いた。
やがて。
『……お前、変わったな』
ガルディオ先生が笑った。
「え?」
『昔のお前なら、俺が正しいって言えば、それで終わりだった』
「……そうですね」
『今は、俺が間違ってるかもしれねえって書けるんだな』
俺は頷いた。
「でも、先生を信じていないわけじゃありません」
『分かってるよ、馬鹿弟子』
先生は、いつものように俺の頭を軽く小突く仕草をした。
『だったら、最後まで確かめろ』
「はい!」
『……それと』
「何ですか?」
『俺が間違ってたら、遠慮なく言え』
少し間を置いて。
『もっとも、まだ負けたつもりはねえけどな!』
思わず笑ってしまった。
セレスが首をかしげる。
「何か面白いことを言われたの?」
「ガルディオ先生が、まだ負けてないって」
「……本当に負けず嫌いね」
『聞こえてるぞ!』
「先生、セレスには聞こえてません!」
久しぶりに、先生たちの間に笑いが戻った。
記憶の矛盾は、一つも解決していない。
でも。
正解が分からなくても、証言を消さずに残すことはできる。
俺たちは、ようやくそれを選べた。
あの一夜だけ、歴史が黙っていた
「悠真。最後に一つ確認しましょう」
セレスが古い資料を取り出した。
「先生たちの証言は、魔王討伐直前の一夜に集中しているのよね?」
「うん。少なくとも、みんなそう考えてる」
「なら、その時期の記録を探してみましょう」
彼女が開いたのは、王立史料院で入手していた古い目録だった。
戦場記録の所在と時期を整理したものだ。
「これまで、戦場の地形や部隊の移動ばかり見ていたわ」
セレスは指を動かした。
「でも、どんな記録が残っていたのかも確かめないと……」
俺も隣からのぞき込む。
前後には、記録を示す文字が並んでいた。
ところが。
彼女の指が、ある場所で止まった。
「……悠真」
「どうしたの?」
セレスは、もう一度目録を確かめた。
そして。
「ここだけ、おかしいわ」
指先が示したのは、魔王討伐直前の一夜に当たる欄だった。
前後には記載がある。
なのに。
その夜の欄には、何も書かれていなかった。
「……何で?」
俺は呟いた。
最初から記録が存在しなかったのか。
それとも、何らかの理由で記載されていないのか。
今ある資料だけでは判断できない。
「セレス……」
彼女は顔を上げた。
「悠真……この夜の記録だけ、空白になっているわ」
百人の英雄が、同じ一夜を思い出せない。
そして、歴史の記録にも、その一夜は残されていない。
俺は、その空白から目を離せなかった。
第74話 完
次回予告
第8部『欠損記録編』
第5話/通算第75話
「《欠損 一》と《第二号》は、同じ人ですか?」
百人の英雄が、思い出せない一夜。
その夜の記録まで、歴史から抜け落ちていた。
調査を続ける悠真とセレスは、今度は二つの番号に注目する。
《勇者認定取消 第二号》。
そして、《欠損 一》。
数字が似ている。
名前は残されていない。
けれど、二つの記録は本当に同じ人物を指しているのだろうか。
悠真が答えを急ごうとしたとき、セレスは一つの問いを突きつける。
「その番号は、人を表しているの? それとも……」
次回、第75話へ。
あなたなら、尊敬する先生の記憶が歴史の記録と食い違ったとき、どちらを信じますか?
そして、大切な人を守るためなら、その人の間違いを見過ごしてもいいと思いますか?
悠真とセレスの選択について、ぜひコメントで感想を聞かせてください。
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
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