第1話/通算第71話 「百人の先生が、俺にだけ見えるんだ」
「その名前だけは、まだ探すな」
百一人目の勇者ゼルが、初めて恐怖を見せた。
勇者継承機構に残された《欠損 一》。
百人の英雄たちの食い違う記憶。
そして、歴史から消された一人の存在。
なぜ、その名前を知ってはいけないのか。
なぜ、英雄たちは同じ過去を覚えていないのか。
そもそも、悠真の前に現れる百人の先生たちは、本当に死んだ英雄本人なのか。
答えを追うほど、信じてきた歴史が揺らぎ始める。
しかし、悠真にはもう一つ、向き合わなければならない秘密があった。
「セレス。俺には、死んだ英雄の先生が百人見えるんだ」
ずっと隠してきた真実。
それを打ち明けたとき、二人の関係もまた、変わり始める。
見えないものを、どう信じるのか。
残された記憶は、誰の真実なのか。
そして、先生たちの教えが間違っていたとしても、自分の答えを選べるのか。
消されたのは、一人の名前だけではないのかもしれない。
第8部『欠損記録編』。
百人の先生を信じてきた落ちこぼれの少年が、今度はその先生たちの記憶を疑い始める。
教わった答えを疑うことは、先生を裏切ることなのか。
悠真とセレスの新たな物語が、ここから始まる
名前を探すな
『僕が魔王を殺せなかった理由と、同じだからだよ』
その言葉を聞いた瞬間、ゼル先生が何を恐れているのか、ますます分からなくなった。
記録板では《欠損 一》の文字が明滅している。
すぐ下には《人物記録 封印》。
名前の欄だけが、何かを訴えるように光っていた。
「……先生。それって、どういう意味ですか」
『今は、これ以上聞かないでほしい』
「また、教えてくれないんですか」
言いながら、俺は記録板へ半歩近づいた。
『悠真!』
いつも穏やかな先生の声が鋭くなる。
その瞬間、手首をつかまれた。
「行かないで」
セレスだった。
「何も確かめずに触れたら、また機構が反応するかもしれない。約束したでしょう?」
危険なら引き返す。
一人で決めない。
俺たちが交わした約束だ。
「……ごめん。もう近づかない」
『そうしろ、馬鹿弟子』
ガルディオ先生が珍しく低い声で言った。
クロウ先生も腕を組んでいる。
ゼル先生は、俺を止めたときの表情のまま黙っていた。
《欠損 一》は誰なのか。
百一人目の勇者であるゼル先生が、なぜ魔王を殺せなかったのか。
その二つがどうつながるのか。
答えは、まだない。
俺は記録板から目をそらした。
今ここで、無理に答えを奪い取るわけにはいかない。
だけど、もっと前から俺には、答えずに逃げてきたことがあった。
言えなかったのは、誰のためだ
施設の通路を戻る間、セレスは俺の隣を歩いた。
「さっき、何を聞いたの?」
「……ゼル先生の声」
「また、私には聞こえない声なのね」
「うん」
そう答えてから、俺は自分の言葉に引っかかった。
また、だ。
セレスはずっと、俺が誰かと会話していることに気づいていた。
それでも、俺が相手をはっきり説明しないまま、調査を手伝い、危険なときは止めてくれた。
俺は『全部知っていてほしい』なんて言った。
なのに、何を隠しているのかさえ伝えていない。
通路の先には、施設の静かな休憩場所がある。
俺はそこで足を止めた。
「セレス。少し、二人で話せる?」
彼女が振り向く。
「ええ。でも、あの記録のことなら……」
「それだけじゃない。もっと前から、話しておくべきだったこと」
セレスの頬が、ほんの少し赤くなった。
俺にも分かった。
さっき俺が言いかけた言葉を、彼女は覚えている。
あの続きだと思わせてしまったかもしれない。
胸が痛む。
「……さっきのことも、なかったことにはしない。でも、その前に聞いてほしいんだ」
「……分かったわ」
俺たちは向かい合った。
ところが、俺の背後には、百人の先生たちが並んでいる。
『おう、今度こそ言うんだな』
ガルディオ先生が親指を立てた。
『黙って見守るという選択肢はないのか』
クロウ先生が呆れている。
『相手の話を遮らないこと。いいですね、皆さん』
エレノア先生が注意すると、リリア先生が目を輝かせた。
『悠真、応援しています!』
「先生たち。お願いです。少しだけ向こうに行っててください」
「……悠真?」
セレスが首をかしげる。
まずい。
まただ。
俺は誰もいないように見える場所に向かって、普通に話してしまった。
ガルディオ先生が口を開きかけ、ゼル先生がそっと手で制した。
『これは、君が自分で話さなきゃいけないことだね』
俺は頷いた。
先生たちは距離を取る。
セレスの視線が、その動きを追う俺の目についてきた。
「……そこに、誰かいるの?」
「……うん」
もう、ごまかさない。
俺の先生は、百人いる
「俺には、死んだ英雄の先生が百人見えるんだ。声も聞こえる」
言葉にした途端、通路の静けさが変わった気がした。
セレスは何も言わない。
「最初に会ったのは、学院の地下にある英雄墓廟だった。俺が《無職》だって笑われて、どうしたらいいか分からなかった夜だよ」
あの日、俺の目の前に半透明の英雄たちが現れた。
「ガルディオ先生は剣を教えてくれた。クロウ先生は逃げ方を。エレノア先生は魔法や物の見方を。リリア先生は、無茶をするなって何度も怒ってくれた」
「……あの、ガルディオ?」
「うん。口が悪くて、稽古も容赦がない。俺のことをずっと馬鹿弟子って呼ぶんだ」
思わず笑いかけたけれど、セレスはまだ真剣だった。
「迷宮で、あなたが誰も知らない敵の動きに対応できたのも?」
「先生たちに教わったことは役に立った。でも、あのとき先生たちにも分からない敵がいた。セレスと一緒に考えなきゃ、勝てなかった」
「学院対抗戦で、急に戦い方を変えたのは?」
「先生たちの教えを組み合わせたんだ。最後にどうするかは、自分で決めた」
セレスはゆっくり頷いた。
ただ驚くだけじゃない。
これまで見てきた俺の行動と、今の話を一つずつ結び直している。
「私が、あなたの隣で聞こえない声に話しかけていると思ったのは……」
「うん。先生たちと話していた」
「……そう」
その一言に、責める響きはなかった。
だから、俺は逃げずに続けた。
「それと、ゼル先生も見える。でも百人の先生たちとは別だ。先生は、記録から消された百一人目の勇者なんだ」
「百一人目……。それで、あなたはあの名前にこだわっていたのね」
「うん。ただ、ゼル先生と初代魔王の間に何があったのか、俺も分からない。《欠損 一》が誰なのかも、決めつけられない」
俺は息を整えた。
「それに……百人の先生たちが、本当に亡くなった英雄本人なのかも、まだ分からないんだ。俺が見ているのは魂なのか、残された記憶なのか。それすら確かめられていない」
セレスは顔を上げた。
「だったら、あなたは何を信じているの?」
「教わった時間だよ」
迷わず答えられた。
「剣で何度も転ばされたことも、逃げ方を教わったことも、俺が一人で答えを出すまで待ってくれたことも。本当にあった。先生たちの正体がまだ分からなくても、それは消えない」
セレスの目が少しだけ揺れた。
俺は初めて、自分の一番大切な部分を、彼女に言葉で渡せた気がした。
見えない相手に、見られていたこと
「……一つ、聞いていい?」
セレスが言った。
「あなたは、私といる間も、先生たちの声を聞いていたの?」
「……うん。聞こえるときは」
「私が迷宮で泣いたときも?」
あの夜を思い出した。
姉を失ったことを打ち明けてくれた、焚き火の前のセレス。
「先生たちが何をどこまで聞いていたかは、今ここでは言い切れない。でも、俺はあの話を誰かに面白おかしく話したりしてない。それだけは約束する」
セレスは膝の上で指を組んだ。
「……そう」
短い沈黙が落ちる。
俺は初めて気づいた。
秘密を打ち明ければ、俺は楽になれる。
でもセレスには、これまで二人きりだと思っていた時間を、考え直させてしまう。
「ごめん。ずっと言わなくて」
「……あなたが普通じゃないことは、最初から分かっていたわ」
「それ、慰めになってる?」
「少しは」
かすかに口元が緩んだ。
でも、すぐに彼女は真剣な顔に戻った。
「私は、その先生たちを見たことがない。今の話を全部確かめたわけでもない。それでも、あなたが迷宮で何を選んだか、私を助けるために何を捨てたかは、私自身が見てきた」
俺は、喉の奥が熱くなるのを感じた。
「だから、少なくとも今、あなたが勇気を出して話していることは分かる」
セレスはそう言って、俺をまっすぐ見た。
「でも……」
その一言に、肩がこわばった。
「今も、ここにいるの?」
俺は振り返った。
通路の少し向こうで、ガルディオ先生が腕を組んでいた。
クロウ先生も、エレノア先生も、リリア先生もいる。
ゼル先生は一歩離れた場所から、俺たちを見守っていた。
セレスには見えない。
彼女の目に映るのは、俺が何もない通路を見つめている姿だけだ。
「……うん。いるよ。ガルディオ先生も、ほかの先生たちも。ゼル先生も」
「私には、何も見えないわ」
「……そうだね」
「でも、あなたには見えるのね」
「うん」
セレスはその場所をもう一度見たあと、俺に視線を戻した。
「……悠真。私、あなたのそばにいたつもりだった」
胸が締めつけられる。
「ずっと一緒に調べて、一緒に考えて。あなたが一人で危険なことをしないようにって、何度も言ってきた」
「……うん」
「でも、あなたが見ている人たちのことを、私は知らなかった」
声を荒らげてはいない。
涙も見せない。
それでも、彼女の指先がわずかに震えている。
俺は、その手を取っていいのか分からなかった。
秘密を知られて嫌われるのが怖かった。
信じてもらえず、離れていかれるのが怖かった。
だから話せなかった。
だけど今、ようやく気づく。
俺が守っていたのは、セレスじゃない。
自分が傷つかないための沈黙だった。
セレスは静かに口を開いた。
「それを、どうして今まで私に言えなかったの?」
第71話 完
次回予告
第8部『欠損記録編』
第2話/通算第72話
「見えない先生を、私にも教えて」
「気味悪がられるのが、怖かったんだ」
初めて明かされる、悠真の本音。
しかしセレスは、秘密を知っただけでは納得しなかった。
「見えないことと、信じないことは別でしょう?」
百人の先生が見える少年。
百人の先生が見えない少女。
二人は、見えない英雄たちの言葉を、一緒に確かめる方法を探し始める。
次回、第72話へ。
悠真は、百人の先生の秘密をもっと早くセレスに打ち明けるべきだったのでしょうか?
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