第9話/通算第69話 「百二人目は、人の名前じゃない」
第7部『勇者継承機構編』
勇者は、選ばれるものではない。
《勇者は、作られる》
第6部の最後、古代施設の石壁に刻まれていた言葉が、勇者の歴史を根底から揺るがしました。
才能も魔力も最低。職業は《無職》。
そんな神谷悠真は、百人の死んだ英雄たちに教わりながら、少しずつ強くなってきました。
けれど、もし勇者の強さが、誰かから受け継がされるものだったとしたら?
受け継ぐのは、剣の技なのか。
戦いの経験なのか。
それとも、他人の記憶や想いまでなのか。
百人の先生たちが一斉に苦しみ、百一人目の勇者ゼルが初めて本気で悠真を止めた理由。
そして、百年前の記録に残された《百二人目》の謎。
その答えを求め、悠真とセレスは《勇者継承機構》の真相へ踏み込んでいきます。
しかし、真実に近づくことが、大切な人を守ることにつながるとは限りません。
先生の答えを信じるのか。
自分自身で答えを選ぶのか。
そして、誰かの過去を受け継いだあとも、自分は自分でいられるのか。
第7部『勇者継承機構編』。
これは、最弱だった少年が、強さの秘密ではなく、**「自分自身であり続ける意味」**を問い始める物語です。
悠真とセレス、そして百一人の先生たちが迎える新たな試練。
ぜひ、最後まで見届けてください。
「悠真。私たち、存在しない誰かを探していたのかもしれないわ」
「……え?」
セレスは、机の上に並べた二枚の記録を指さした。
《勇者候補 百二名》
《継承機構 百二席》
同じ数字。
でも。
一つは人間。
もう一つは、席の数だ。
「百二人目という言葉が、必ずしも百二番目の人間を指しているとは限らないの」
「……どういうこと?」
「まだ結論は出せない。でも、私たちの考え方が、最初から間違っていた可能性があるわ」
……間違っていた?
百人の英雄。
百一人目の勇者、ゼル先生。
そして。
《百二人目》。
俺は、ずっと考えていた。
その百二人目は誰なのか。
まさか。
俺なのか。
異世界から来て。
職業鑑定では《無職》。
なのに、死んだ百人の英雄たちが見える。
《勇者継承機構》にも反応する。
だから。
俺が、百二人目に選ばれたのかもしれない。
そう思っていた。
だけど。
「……セレス」
「何?」
「百二人目って、そもそも人の名前じゃなかったってこと?」
「その可能性があるわ」
彼女は、そこで一度言葉を切った。
「でも、まだ断定しないで。証拠を探しましょう」
……そうだった。
セレスは、いつだってそうだ。
俺が答えに飛びつこうとすると、必ず立ち止まらせる。
しかも。
だいたい正しい。
『おい、馬鹿弟子』
背後から、ガルディオ先生の声がした。
『首席のお嬢ちゃんの話、ちゃんと聞いとけよ』
「……聞いてます」
「何を?」
……しまった。
セレスが顔を上げた。
『まったく。お前は百人も先生がいるのに、どうして毎回こうなんだ』
……先生。
それ。
百人も先生がいるからじゃないですか?
でも。
いつもなら、すぐに言い返していた。
今日は、違った。
机の上に並んだ数字から、目を離せなかった。
百二。
その数字の意味が変われば。
俺が今まで考えていた、自分自身の正体まで変わるかもしれない。
……いや。
違う。
数字が変わっても、俺自身は変わらない。
変わるのは。
俺が、自分について信じていた説明だ。
そして。
それが、少し怖かった。
人数と席数は、同じじゃない
「まず、確認するわね」
セレスは、資料を三つに分けた。
一つ目。
《勇者候補記録》
二つ目。
《勇者認定記録》
三つ目。
《勇者継承機構 席次管理記録》
「……席次?」
「席に付けられた番号と、その管理方法のことよ」
「なるほど」
「本当に分かった?」
「……半分くらい」
「正直でよろしい」
……褒められた。
たぶん。
セレスは、一つ目の資料を開いた。
《勇者候補 百二名》
「これは、人の数を示していると読めるわ」
「うん」
「次に、これ」
《継承機構 百二席》
「こちらは、機構に用意された席の数」
「うん」
「では、質問」
……来た。
セレス先生の授業が始まった。
「勇者候補が百二人いて、継承席が百二席あったとして。その二つは、一人につき一席だったと断定できる?」
「……普通は、そうじゃないの?」
「普通は、ね。でも、この記録にはそう書かれていないわ」
「……あ」
「同じ数字だからといって、同じものを数えているとは限らないの」
……なるほど。
人数が百二。
席数も百二。
それだけで、一人ずつ割り当てられていたと思い込んでいた。
でも。
仮に、誰かが複数の席を使っていたら?
誰にも使われなかった席があったら?
候補者と実際の利用者が違っていたら?
数字だけでは分からない。
「……じゃあ、俺たち」
「ええ」
セレスが頷いた。
「百二という数字に、意味を与えすぎていたのかもしれない」
……。
俺は、資料に目を戻した。
《勇者候補 百二名》
その一行が、急に頼りなく見えた。
『ようやく気づいたか』
クロウ先生が、静かに言った。
『同じ番号が並んでいるだけでは、同じ対象を指す証拠にはならん』
「……はい」
『思い込みは、時に相手の罠より厄介だ』
……耳が痛い。
俺は、思い込みで何度も失敗している。
迷宮でも。
戦いでも。
先生たちの過去を調べるときも。
そして。
今度は、自分の正体まで、思い込みで決めようとしていた。
「……セレス」
「何?」
「俺、百二人目が誰なのかってことばかり考えてた」
「ええ」
「でも、本当は先に、百二人目って何なのかを調べるべきだったんだな」
セレスは、少しだけ目を丸くした。
そして。
「そうね」
嬉しそうに笑った。
「今のは、いい考え方だと思うわ」
……。
……まずい。
たったそれだけなのに。
なんだか、すごく嬉しい。
『おやおや』
リリア先生の声がした。
『褒められただけで、そんな顔になるんですね』
……先生。
今は。
本当に。
勘弁してください。
「……悠真?」
「何でもない!」
「まだ何も聞いていないわよ」
……ですよね。
俺は、慌てて資料に顔を戻した。
でも。
そのとき。
セレスの指が、ある一行で止まった。
「……待って」
……え?
「これ、何かしら」
古い席次管理記録。
今まで、数字しか見ていなかった資料だ。
セレスは、何度もページをめくった。
最初の席。
次の席。
途中の席。
それぞれに、管理番号が付けられている。
そして。
最後のページ。
そこだけ、記載方法が少し違っていた。
《最終席》
《百二》
その下。
古い文字が、かすれている。
「……何だ、これ」
俺は、顔を近づけた。
セレスは、別の資料を引き寄せた。
「悠真。こっちにも、同じ部分を参照した記録があるわ」
「……本当だ」
二枚の資料。
一方には。
《最終席 百二》
もう一方には。
《百二人目》
……。
……待て。
「……セレス」
「ええ」
彼女の声が、わずかに震えた。
「ようやく、つながったわ」
百二人目という名の空席
「……つまり」
俺は、二枚の資料を見比べた。
「《百二人目》っていうのは、百二番目の勇者じゃなくて……」
「《勇者継承機構》の最後の席を指す呼び方としても使われていた、ということね」
……。
……何だよ。
それ。
俺は、椅子のことを人間だと思って探していたのか?
『ぶはっ!』
ガルディオ先生が、噴き出した。
『馬鹿弟子! お前、今まで椅子を探してたのか!』
「笑わないでください!」
「……悠真?」
「……いや、資料の文字が」
「文字に怒鳴らないで」
……すみません。
本当に。
先生たちと話していると、こうなる。
『いやあ、面白いな!』
ガルディオ先生は、まだ笑っていた。
『百二人目の勇者はどこだって、散々探し回って!』
「……だから!」
『椅子だった!』
「声が大きい!」
「あなたの声が大きいのよ!」
……。
完敗だった。
『……ガルディオ』
クロウ先生が、呆れた声を出した。
『まだ席を指す用法が見つかっただけだ。すべての記録がそういう意味とは限らない』
『……分かってるよ』
ガルディオ先生が、ようやく笑うのをやめた。
『だが、いいじゃねえか。少なくとも、弟子が百二人目だって決まったわけじゃねえんだろ?』
……。
その言葉に。
俺は、少しだけ救われた。
俺が百二人目なのかもしれない。
そう考え始めてから。
ずっと、胸のどこかが重かった。
もし、本当に俺がそうなら。
誰が決めた?
いつ決まった?
どうして俺だった?
俺の人生は、俺の知らないところで決められていたのか?
そういう疑問ばかり、増えていた。
でも。
少なくとも。
今見つかった記録だけでは。
俺が百二人目の勇者だとは証明できない。
「……セレス」
「何?」
「俺、ちょっと安心した」
彼女は、俺を見た。
「自分が百二人目じゃないかもしれないから?」
「……うん」
少し考えてから、付け加えた。
「それだけじゃないけど」
「……?」
「俺が何者なのか、まだ分からなくてもいいんだって思えたから」
セレスは、しばらく黙っていた。
そして。
「それでいいと思う」
静かに言った。
「あなたが何者なのかは、記録が一行増えただけで決まるものじゃないわ」
……。
俺は、彼女を見た。
セレス。
どうして、この子は。
俺が一番欲しい言葉を、こんなに簡単に見つけられるんだろう。
『……ふむ』
エレノア先生が、資料を見つめた。
『しかし、面白い問題ですね』
「……何がですか?」
『なぜ、席を表す記録に、人を数えるような呼び名が残っているのか』
……あ。
そうだ。
《百二人目》。
ただの席なら。
《百二席目》でもいいはずだ。
なぜ、人を数える言葉になっている?
『資料の表現が統一されていないのかもしれません』
エレノア先生は、慎重に続けた。
『あるいは、利用者と席を同じ言葉で管理していた可能性もあります』
「……つまり?」
『今の資料だけでは、分かりません』
……ですよね。
また。
分からないことが増えた。
でも。
今度は、少し違う。
今まで俺たちは、百二人目の正体を探していた。
これからは。
《百二人目》という言葉が、どの記録で何を意味するのかを調べられる。
探すべきものが、変わった。
それだけでも。
大きな前進だった。
「……じゃあ」
俺は、もう一度資料を見た。
「《百二人目》って呼ばれた人間が、絶対に存在しないってわけでもないんだな」
「そうよ」
セレスは頷いた。
「席の呼び名だったという証拠が見つかった。でも、別の場面では人物を指していたかもしれない」
「……うん」
「だから、どちらも決めつけない」
……そうか。
俺は、資料の余白へ短く書いた。
《百二人目=最終席を指す用法あり》
《人物との同一性は未確定》
二行。
それだけだった。
でも。
俺の中で、何かが整理された気がした。
そのとき。
ふと。
以前の記憶が蘇った。
若いゼル先生の幻影。
あの人は、俺を見て言った。
《百二人目》。
俺は、それを。
自分が百二番目の勇者だという意味だと思っていた。
でも。
もし。
あの言葉が。
《最後の空席へ接続した者》
という意味だったとしたら?
……待て。
そう考えると。
説明できることがある。
《勇者継承機構》に近づいたとき、俺は反応を受けた。
知らない記憶が流れ込んできた。
自分が自分でなくなるような感覚。
あれは。
俺が百二番目の勇者だったからではなく。
最後の席に、何らかの形で接続しかけたからだったのかもしれない。
……ただし。
証拠は、まだない。
俺は、もう一度。
資料を見た。
《最終席 百二》
……先生。
俺を、あの名前で呼んだのは。
そういう意味だったんですか?
顔を上げる。
少し離れた場所に。
ゼル先生が立っていた。
いつもの、穏やかな表情。
……いや。
今日は、違う。
俺と目が合っても。
先生は、何も言わなかった。
先生の答えを、待たない
「……ゼル先生」
小さく呟いた。
『……何だい?』
先生の声は、いつもどおり優しかった。
でも。
その優しさだけでは。
昨日までのように安心できなくなっていた。
「《百二人目》って、最後の席のことなんですか?」
ゼル先生は、すぐには答えなかった。
『……そう考えたんだね』
……また。
質問に質問で返す。
いつもの先生なら。
ここで、俺が考え始めるのを待っていたはずだ。
だけど。
今日は。
それだけでは、終わらせたくなかった。
「先生が何を知っているのか、俺には分かりません」
『……うん』
「でも、俺があの席に近づくと危険だってことは、知っていたんですよね」
先生の表情が、少し曇った。
『……ああ』
「だったら、もう一つだけ」
俺は、先生を見つめた。
「先生が知っている危険と、知らない危険を、ちゃんと分けて教えてください」
……。
ゼル先生は、しばらく黙っていた。
やがて。
『……君が、君のまま戻れない可能性がある。それは知っている』
「……はい」
『でも、あの席が今どのような状態にあるのか、僕にもすべては分からない』
……そうか。
「……分かりました」
『悠真』
「何ですか?」
『……僕を、信じられなくなったかい?』
……。
難しい質問だった。
昨日。
俺は先生に怒った。
本気で怒った。
守るためだったと言われても。
嘘をつかれたことは、簡単には許せなかった。
今も。
完全に許したわけじゃない。
だけど。
「……先生」
『……うん』
「今は、先生の答えだけで決めるのをやめようと思います」
ゼル先生の目が、わずかに動いた。
「先生が教えてくれたことは、俺の中に残っています」
……剣も。
魔法も。
逃げ方も。
命を守る方法も。
そして。
自分で考えることも。
「でも、先生が正しいかどうかは、自分でも確かめたい」
……。
ゼル先生は、静かに目を閉じた。
『……そうだね』
「それと」
『……何だい?』
「俺、まだ怒ってますから」
先生は、一瞬だけ驚いた顔をした。
そして。
小さく笑った。
『……分かっているよ』
……そう。
それでいい。
今すぐ、仲直りしなくても。
先生の言葉を、全部信じなくても。
調べることはできる。
考えることもできる。
いつか。
先生が、もう一度きちんと話してくれるなら。
そのときに。
俺は、どうするか決めればいい。
「……悠真?」
セレスの声がした。
……しまった。
また、声に出していた。
「……何?」
「さっきから、随分考え込んでいるみたいだけど」
「……うん」
「何か分かった?」
俺は、少し考えた。
そして。
「まだ、全部は分からない」
正直に答えた。
「でも、決めつけないほうがいいってことは分かった」
セレスは、俺を見つめた。
そして。
少しだけ笑った。
「それなら、上出来ね」
……。
……本当に。
この子は。
俺にとって、何なんだろう。
仲間。
相棒。
大切な人。
どれも、間違っていない。
でも。
その言葉だけでは。
足りない気がした。
『……悠真くん』
リリア先生が、楽しそうに近づいてきた。
『今こそ、その気持ちを伝えるときでは?』
「……違います!」
「何が?」
……。
……だから!
お願いです!
先生たち!
今は、静かにしてください!
魔王側に残された命令
それから、しばらく。
俺たちは、残っていた古い資料を調べた。
《百二人目》の意味については、一つの手掛かりが得られた。
でも。
それだけでは、終わらなかった。
「……悠真」
セレスが、別の資料を取り上げた。
「これ、見て」
「……何?」
薄い紙だった。
表面の文字は、ところどころ失われている。
保管記録には、古い戦争の資料として分類されていた。
「……戦争の記録?」
「ええ。ただし、王国側の記録とは少し違うわ」
「……どうして?」
「保管されていた資料群の分類が違うの」
セレスは、資料の端を指さした。
そこには、かすれた文字が残っていた。
《魔王側》
……。
……え?
「魔王側?」
「そう記されているわ」
俺は、思わず身を乗り出した。
「魔王軍の記録ってことか!?」
「その可能性は高いわ。ただし、この紙そのものが、いつ、誰によって書かれたものかまでは分からない」
……そうか。
百年前。
王国と魔王軍は戦った。
俺たちは、そう教わってきた。
魔王は人類の敵。
勇者は、人類を守る存在。
だから。
勇者が魔王を倒す。
そういう話だった。
でも。
調べれば調べるほど。
その歴史は、単純ではなくなっていった。
魔王側と呼ばれていた地域に、人間の墓があった。
王国の歴史書から、ある時期の記録が消えていた。
百一人目の勇者、ゼル先生は。
魔王を殺さなかった。
いや。
殺せなかった。
その理由は、今も分からない。
そして。
今。
俺たちの前には。
魔王側に残された古い命令書がある。
「……読めるの?」
俺が聞くと。
セレスは、慎重に紙を広げた。
「全部は無理ね」
文字の大半は、欠けている。
日付も不完全。
命令者の名前も読めない。
何についての命令なのか。
その前後も失われている。
……でも。
一か所だけ。
はっきり残っていた。
《勇者を殺すな》
……。
……え?
「……セレス」
「……ええ」
「これ、どういう意味?」
彼女は、答えなかった。
俺は、もう一度読んだ。
《勇者を殺すな》
……勇者を。
殺すな?
魔王側の命令書に?
「……おかしくないか?」
思わず、声が出た。
「魔王軍って、勇者と戦ってたんだよな?」
「少なくとも、王国の記録ではそうなっているわ」
「勇者は魔王を倒すために戦ってたんだよな?」
「……ええ」
「なのに、魔王側が勇者を殺すなって?」
……何だよ。
それ。
魔王軍にとって。
勇者は敵じゃなかったのか?
いや。
待て。
戦うことと、殺すことは違う。
捕らえるためかもしれない。
何かを聞き出すためかもしれない。
あるいは。
別の理由があったのかもしれない。
……分からない。
何も。
「……セレス」
「何?」
「これって、魔王が勇者を守ろうとしてたってこと?」
セレスは、首を横に振った。
「まだ、そうは言えないわ」
……あ。
「誰が命じたのかも分からない。どの勇者を対象にしているのかも分からない」
「……うん」
「それに、殺すなという命令が、必ずしも守れという意味とは限らないでしょう?」
……。
……そうだった。
俺は、また。
一つの答えに飛びつこうとしていた。
《勇者を殺すな》。
その命令には、何か理由があった。
でも。
理由は残っていない。
だったら。
今は、分からないと認めるしかない。
『……妙だな』
ガルディオ先生が、低い声で言った。
……先生?
さっきまで、あんなに笑っていたのに。
今は、真剣な顔をしている。
『戦場で、敵を殺すなって命令が出ることはある』
「……あるんですか?」
『ああ。捕虜にするためとかな』
……そうか。
『だが、理由も対象も分からねえなら、何とも言えねえな』
……先生。
『俺の覚えている戦争にも、知らねえことは山ほどある』
その言葉に。
俺は、少し驚いた。
剣聖ガルディオ。
百年前の戦争を生きた英雄。
その先生が。
知らないことがあると、認めている。
『……何だ、その顔』
「……いえ」
『俺が何でも知ってると思ってたのか?』
「……少しだけ」
『馬鹿弟子』
先生は、苦笑した。
『俺が見てたのは、戦場のほんの一部だ』
……。
『戦争の全部を知ってる奴なんざ、そう簡単にはいねえよ』
……そうだ。
当たり前のことだった。
先生たちは英雄だ。
でも。
歴史のすべてを見たわけじゃない。
しかも。
その記憶が、本当に本人のものなのかさえ分からなくなっている。
俺は、魔王側の命令書を見つめた。
《勇者を殺すな》
……誰が。
誰に向けて。
何のために。
この命令を出したんだ?
その答えが分かれば。
ゼル先生が魔王を殺せなかった理由にも、近づけるのだろうか。
そう考えて。
俺は、先生を振り向いた。
ゼル先生は、資料を見つめていた。
穏やかな顔。
でも。
いつもの笑顔はなかった。
「……先生」
俺は、声をかけかけて。
やめた。
今、聞いたところで。
答えてくれるとは限らない。
それに。
昨日、俺は決めた。
先生が教えてくれるのを待つだけには戻らない。
だったら。
自分たちで調べよう。
セレスと。
生きている仲間たちと。
そして。
先生たちの言葉も、一つの手掛かりとして。
『……悠真』
クロウ先生が、静かに言った。
『いい目になったな』
「……え?」
『答えを欲しがっているだけの目じゃない』
……。
『自分で確かめようとしている目だ』
……先生。
何だか。
少し、照れくさい。
でも。
嬉しかった。
正しい歴史より、大切なもの
「……悠真」
セレスが、資料を閉じた。
「今日は、ここまでにしましょう」
「……もう?」
「あなたの腕も、まだ痛むでしょう?」
……あ。
そうだった。
昨日、彼女を助け出したときに痛めた腕。
今日は、資料を読むだけだった。
それでも。
長い時間、同じ姿勢でいたせいか。
少し痛みが強くなっている。
「……平気だよ」
「その顔で言われても、信用できないわ」
……。
……ですよね。
セレスは、机の上の記録を丁寧に整理した。
《勇者候補 百二名》
《継承機構 百二席》
《最終席 百二》
《百二人目》
そして。
《勇者を殺すな》
たった数枚の資料。
だけど。
その中には、今まで知らなかったことが詰まっていた。
「……セレス」
「何?」
「俺たち、少しは真実に近づいたのかな」
彼女は、しばらく考えた。
「一つは、確かめられたわ」
「……一つ?」
「《百二人目》には、最後の継承席を指す用法があった」
……うん。
「でも、あなたがその番号とどう関係するのかは、まだ分からない」
「……うん」
「魔王側の命令書も、理由は分からない」
……そうだ。
分からないことは、相変わらず多い。
それでも。
「……何だか、前より怖くなくなった」
思わず、呟いた。
セレスが、顔を上げた。
「どうして?」
「分からないことが、ちゃんと分かるようになったからかな」
……うまく言えない。
でも。
今までは。
百二人目が誰なのか。
ゼル先生が何を隠しているのか。
先生たちは本当に死んだ英雄なのか。
分からないもの全部が、一つの大きな恐怖だった。
だけど。
今は。
少しずつ分けて考えられる。
分かっていること。
まだ分からないこと。
確かめられること。
今は確かめられないこと。
そうやって整理すると。
次に何をするべきかが、少し見えてくる。
「……そうね」
セレスは、微笑んだ。
「私も、同じことを考えていたわ」
……。
同じこと。
その言葉が。
妙に嬉しかった。
「……悠真」
「何?」
「でも、忘れないでね」
セレスは、俺の腕へ視線を落とした。
「私たちが調べているのは、ただの歴史じゃない」
……うん。
「あなた自身にも関係しているかもしれないことよ」
……そうだ。
《勇者継承機構》。
一度、接続しかけた。
そのとき。
俺は、自分が自分でなくなりそうになった。
あの恐怖は。
まだ消えていない。
「……分かってる」
俺が答えると。
セレスは、首を横に振った。
「本当に?」
……え?
「あなたは、分かっているつもりでも、自分のことになると無茶をするでしょう?」
……。
反論できない。
「昨日も、一昨日も、その前も」
「……そんなに?」
「数える?」
「……やめてください」
……怖い。
首席令嬢。
本当に怖い。
でも。
セレスは、そこで少しだけ笑った。
そして。
声を落とした。
「……私はね」
「……うん」
「歴史の真実を知りたい」
……。
「でも、それより大切なことがある」
彼女は、俺を見つめた。
「あなたが、ちゃんと帰ってくること」
……。
心臓が。
大きく鳴った。
昨日。
彼女は言ってくれた。
『あなたがいなくなるほうが怖い』
あの言葉が。
まだ、胸に残っている。
「……セレス」
「だから、約束して」
彼女は、まっすぐ俺を見た。
「次に継承機構を調べるときも、一人で勝手に決めない」
……。
「分かった」
「危険だと分かったら、引き返す」
「……うん」
「私の意見も、ちゃんと聞く」
「……はい」
「それから」
「……まだある?」
「無理をしているのに、平気だと言わない」
……。
……セレス。
それ。
最後が一番難しいかもしれません。
「……努力します」
「努力じゃなくて、約束」
……。
「……約束します」
セレスは、ようやく満足そうに頷いた。
『……ふむ』
ガルディオ先生が、腕を組んだ。
『完全に尻に敷かれてるな』
……先生!
『まあ、いいじゃねえか。お前にはそれくらいがちょうどいい』
……反論できない。
本当に。
反論できない。
「……悠真?」
セレスが、首を傾げた。
「何で、そんなに複雑そうな顔をしているの?」
「……人生について」
「また人生?」
……。
……すみません。
もう。
この言い訳。
通用しないみたいです。
戻ったら、話したいことがある
翌日。
俺たちは、再び《勇者継承機構》のある地下施設へ向かった。
昨日まで調べていた資料を整理し、危険な設備には触れないことを確認したうえでの調査だった。
資料室の立ち入り制限は、まだ続いている。
だから、そこには近づかない。
以前通った経路から、機構の構造を確かめる。
それが、今日の目的だった。
「……本当に、行くの?」
階段の途中で、セレスが聞いた。
「……うん」
「怖くない?」
……。
……怖い。
正直に言えば。
今すぐ引き返したいくらいだ。
あの記憶が流れ込んできた感覚。
頭の中に、知らない誰かの声や恐怖が入り込んできた感覚。
自分の考えと。
誰かの考えの境目が。
分からなくなっていく感覚。
あれは。
二度と経験したくない。
でも。
「……怖いよ」
俺は、正直に答えた。
セレスが、少し驚いた顔をした。
「……そう」
「すごく怖い」
……うん。
本当に。
「でも、何も知らないままにも、戻りたくない」
セレスは、黙っていた。
俺は、続けた。
「先生たちが何者なのか」
「……ええ」
「ゼル先生が、どうしてあんなに機構を恐れていたのか」
「……ええ」
「俺が、どうしてあの席に反応したのか」
……。
「一つずつ、確かめたい」
セレスは、俺の目を見た。
そして。
「私もよ」
静かに答えた。
……。
その言葉を聞いて。
少しだけ。
怖さが薄れた気がした。
「……セレス」
「何?」
「ありがとう」
「……急に何?」
「一緒に来てくれて」
セレスは、一瞬だけ言葉を失った。
そして。
「……当たり前でしょう」
少しだけ顔を赤くした。
「私だって、自分で調べたいんだから」
……うん。
そうだよな。
セレスは、俺を助けるためだけに来ているわけじゃない。
彼女自身が。
真実を知りたいと思っている。
だから。
俺たちは。
一緒にいる。
……でも。
それだけじゃない。
俺は、彼女の横顔を見た。
昨日から。
何度も考えていた。
この子に、何を伝えたいんだろう。
仲間として感謝している。
相棒として信頼している。
それは、本当だ。
でも。
俺が言いたいことは。
たぶん。
それだけじゃない。
セレスが危険な場所に閉じ込められたとき。
俺は、本当に怖かった。
もう二度と会えないかもしれない。
そう思った瞬間。
勝つことも。
勇者になることも。
何もかもが、どうでもよくなった。
ただ。
彼女に生きていてほしかった。
一緒に帰りたかった。
そして。
その理由を。
もう、誤魔化せなくなっている。
……好きなんだ。
たぶん。
いや。
たぶん、なんかじゃない。
俺は。
セレスのことが。
……。
「……悠真?」
彼女が、こちらを見た。
「どうしたの?」
……。
……今、言う?
いや。
駄目だ。
ここは、危険な地下施設だ。
何が起きるか分からない。
こんな場所で。
こんな状況で。
勢いだけで伝えたくない。
昨日。
自分で、そう決めたばかりじゃないか。
でも。
何も言わないまま進むのも。
何だか、違う気がした。
「……セレス」
「何?」
俺は、少しだけ息を吸った。
「戻ったら、話したいことがある」
……。
セレスの足が、止まった。
「……戻ったら?」
「……うん」
「今じゃなくて?」
……。
……今じゃなくて。
ちゃんと。
二人で帰ってから。
落ち着いて。
彼女の顔を見て。
話したかった。
「……大事なことなんだ」
俺がそう言うと。
セレスは、しばらく黙っていた。
その顔が。
少しずつ赤くなっていく。
……え?
もしかして。
何となく。
分かってる?
『……おい』
ガルディオ先生が、小さく言った。
『今のは、なかなかやるじゃねえか』
……先生。
やめてください。
今。
ものすごく緊張してるんです。
『返事を待ちなさい』
リリア先生まで。
……いや。
まだ。
何も言ってないですから!
セレスは、目を伏せた。
そして。
ゆっくりと顔を上げた。
「……分かったわ」
「……うん」
彼女は、俺をまっすぐ見た。
「逃げないから」
……。
……え?
「あなたが話したいことがあるなら、ちゃんと聞く」
……。
胸の奥が。
急に熱くなった。
セレスは、少しだけ笑った。
「だから、あなたも逃げないでね」
……。
……ずるい。
本当に。
この子は、ずるい。
そんなことを言われたら。
絶対に。
帰ってこなきゃいけないじゃないか。
「……うん」
俺は、頷いた。
「約束する」
セレスも、頷いた。
……。
たった、それだけ。
でも。
俺たちの間にあった何かが。
少しだけ。
変わった気がした。
昨日まで。
言葉にできなかった気持ち。
今も。
まだ、言えていない。
だけど。
いつか話す。
そう約束できた。
それが。
今は、嬉しかった。
『……若いですねえ』
リリア先生が、しみじみと言った。
『青春だな!』
ガルディオ先生まで。
『……静かにしろ』
クロウ先生が、低い声で言った。
『ここから先は、危険な場所だ』
……。
そうだった。
俺は、顔を上げた。
目の前には。
地下へ続く通路。
そして。
その奥に。
《勇者継承機構》がある。
最後の席
古い扉の前で。
俺たちは、一度立ち止まった。
「……セレス」
「何?」
「もう一度、確認しよう」
彼女は、頷いた。
「ええ」
俺たちは、昨日整理した資料を開いた。
《継承機構 百二席》
《最終席 百二》
そして。
《百二人目》
……百二。
この数字は。
勇者の人数だけを示しているわけじゃなかった。
少なくとも。
最後の席を指す言葉としても使われていた。
「……じゃあ」
俺は、扉を見つめた。
「その席を、実際に確認できれば……」
「記録と設備が一致するかどうか、確かめられるわね」
セレスは、慎重に言った。
「でも、触れないこと。危険だと分かったら、すぐ戻るわよ」
「……うん」
「絶対よ」
「……分かってる」
『……悠真』
ゼル先生の声がした。
俺は、振り向いた。
先生は、少し離れた場所に立っていた。
穏やかな顔。
でも。
その目は、真剣だった。
『……君は、本当に進むんだね』
「……はい」
『怖くないのかい?』
……また。
さっきも聞かれた質問だ。
でも。
今度は。
ちゃんと答えられる。
「怖いです」
……。
「でも、だからこそ」
俺は、セレスを見た。
彼女は、黙って頷いた。
「一人で決めないことにしました」
ゼル先生の目が、少しだけ揺れた。
『……そうか』
「先生」
『……何だい?』
「俺、先生を許したわけじゃありません」
……。
『……うん』
「でも、先生から教わったことを、全部捨てるつもりもありません」
……。
俺は、先生を見つめた。
「自分で考えます」
『……』
「危険だと思ったら、引き返します」
……。
「それも、俺たちで決めます」
ゼル先生は、長い間黙っていた。
そして。
『……分かったよ』
静かに答えた。
……先生。
その声には。
何かを諦めたような響きがあった。
でも。
それ以上は、聞かなかった。
今は。
答えをもらうために、ここへ来たんじゃない。
自分たちで確かめるために、来たんだ。
「……行こう」
俺が言うと。
セレスが頷いた。
「ええ」
扉の向こう。
古い《勇者継承機構》の設備が、静かに広がっていた。
百年前に作られた仕組み。
英雄の経験を残そうとした人々。
その仕組みによって、失われたかもしれないもの。
そして。
最後の席。
《百二》。
俺たちは、設備の状態を確かめながら、ゆっくり進んだ。
古い記録に示されていた配置と、目の前の構造を照らし合わせる。
「……ここね」
セレスが、立ち止まった。
通路の奥。
ほかの席とは少し離れた場所に。
一つの継承席があった。
……。
俺は、息を止めた。
「……これが」
「ええ」
セレスは、資料を見た。
「記録にある《最終席》と、位置が一致しているわ」
……百二。
最後の席。
誰が、ここに座ったのか。
そもそも。
誰かが座ったことがあるのか。
それさえ、分からない。
俺は、少しだけ近づいた。
その瞬間。
胸の奥に。
嫌な感覚が蘇った。
あのとき。
機構に接続しかけたときの感覚。
知らない記憶。
知らない戦場。
知らない誰かの恐怖。
……。
……違う。
今は、何も触れていない。
俺は、俺だ。
自分の足で立っている。
自分で考えている。
……大丈夫。
「……悠真?」
セレスが、すぐに気づいた。
「どうしたの?」
「……少し、思い出しただけ」
「……何を?」
「前に、機構に接続しかけたときのこと」
セレスの表情が、変わった。
「……なら、戻りましょう」
……。
俺は、席を見た。
もう少しだけ、確認したかった。
でも。
昨日。
約束した。
危険だと思ったら、引き返す。
一人で決めない。
……そうだった。
「……うん」
俺は、頷いた。
「無理はしない」
セレスが、少し安心したように息を吐いた。
……だけど。
そのとき。
俺は、気づいてしまった。
あの席。
最後の席。
《百二》。
俺は。
以前、ここへ近づいたとき。
どうして。
あれほど強く、反応したんだ?
もし。
《百二人目》が。
この席を指す呼び名だったのなら。
若いゼル先生の幻影は。
俺を見て。
なぜ、そう呼んだ?
《百二人目》。
それは。
俺という人間の番号ではなく。
この空席へ接続した者、という意味だったのか?
……。
分からない。
でも。
確かめたい。
俺は、足元を見た。
それから、セレスを見た。
彼女は、すぐ隣にいた。
一緒に帰る。
そう約束した相手が。
ここにいる。
……だから。
無茶はしない。
もう、勝手に決めない。
俺は、席から目を離そうとした。
その瞬間だった。
『座るな』
第69話 完
次回予告
第7部『勇者継承機構編』
次回 第10話/通算第70話
「先生たちは、本当に百人だったんですか?」
百二人目は、最後の継承席を指す言葉でもあった。
しかし、その空席へ近づいた悠真を、正体不明の声が止める。
《勇者継承機構》に残された記録。
百英雄の記憶。
そして、消された誰かの存在。
先生たちは、本当に百人だけだったのか。
継承機構の奥で、悠真とセレスは新たな記録に向き合う。
次回、第70話へ。
読者の皆さまへ
百二人目は、人間の名前ではなく、最後の継承席を指す言葉でもありました。
では、悠真を《百二人目》と呼んだ若いゼル先生の幻影は、いったい何を知っていたのでしょうか。
そして、最後に聞こえた『座るな』という声は、誰のものだったのでしょう。
あなたは、最後の声の正体を誰だと思いますか?
ぜひ、感想や考察をコメントで教えてください。
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
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