第7話/通算第67話 「先生たちが、死んだ英雄じゃなかったら」
第7部『勇者継承機構編』
勇者は、選ばれるものではない。
《勇者は、作られる》
第6部の最後、古代施設の石壁に刻まれていた言葉が、勇者の歴史を根底から揺るがしました。
才能も魔力も最低。職業は《無職》。
そんな神谷悠真は、百人の死んだ英雄たちに教わりながら、少しずつ強くなってきました。
けれど、もし勇者の強さが、誰かから受け継がされるものだったとしたら?
受け継ぐのは、剣の技なのか。
戦いの経験なのか。
それとも、他人の記憶や想いまでなのか。
百人の先生たちが一斉に苦しみ、百一人目の勇者ゼルが初めて本気で悠真を止めた理由。
そして、百年前の記録に残された《百二人目》の謎。
その答えを求め、悠真とセレスは《勇者継承機構》の真相へ踏み込んでいきます。
しかし、真実に近づくことが、大切な人を守ることにつながるとは限りません。
先生の答えを信じるのか。
自分自身で答えを選ぶのか。
そして、誰かの過去を受け継いだあとも、自分は自分でいられるのか。
第7部『勇者継承機構編』。
これは、最弱だった少年が、強さの秘密ではなく、**「自分自身であり続ける意味」**を問い始める物語です。
悠真とセレス、そして百一人の先生たちが迎える新たな試練。
ぜひ、最後まで見届けてください。
先生たちが、死んだ英雄本人じゃないかもしれない。
もし、俺がずっと話してきた相手が、誰かの保存した記憶だったとしたら?
「……悠真。顔色が悪いわよ」
「……セレス」
「何?」
「俺の先生たちって、本当に死んだ英雄なんだよな?」
王立アストリア勇者学院。
午後の資料室。
机の上には、古い勇者候補の記録が広がっていた。
セレスが、手を止める。
「……どうして、そんなことを聞くの?」
「昨日の記録が、気になってるんだ」
俺は、古い書類を指さした。
《異界出身》
《職業照合不能》
百年以上前。
俺と似た記録を持つ勇者候補が存在していた。
第六十六話の最後に見つけた、あの記録だ。
《無職》だったのは、俺だけじゃないかもしれない。
それだけでも十分驚きだった。
でも。
資料を調べ直していたセレスは、別の文字を見つけていた。
《英雄視》
「……これ」
俺は、その文字を見つめた。
俺だけが、百人の先生たちを見られる。
死んだ英雄たちと話せる。
ずっと、そう思っていた。
でも。
それが《勇者継承機構》と関係していたら?
先生たちは、本当に幽霊なんだろうか。
それとも。
「……調べてみましょう」
セレスが言った。
「怖くないのか?」
「怖いわよ」
……え?
彼女は、当たり前のように答えた。
「あなたにしか見えない存在のことを調べるんでしょう?」
「……うん」
「しかも、その存在は、あなたの大切な先生たち」
セレスは、少しだけ俺を見つめた。
「だから、一人で調べさせたくないの」
……あ。
俺は、思わず視線をそらした。
昨日。
俺たちは、ようやく仲直りした。
《勇者継承機構》に一人で触れようとした俺を、セレスは本気で怒った。
そして。
最後に、手を握ってくれた。
『次にやるなら、一緒に考えてから』
……そうだった。
「……ありがとう」
「お礼は、調べ終わってからでいいわ」
セレスは資料へ目を戻した。
……相変わらず、頼もしい。
いや。
ちょっと格好よすぎないか?
『おい、悠真』
背後から、ガルディオ先生の声がした。
『何をにやけてやがる』
「にやけてません!」
「……悠真?」
セレスが顔を上げた。
……しまった。
「……人生に」
「また?」
「……うん」
セレスは小さくため息をついた。
でも。
その口元は、少しだけ笑っていた。
俺は、もう一度資料へ目を落とした。
今日こそ。
先生たちのことを、確かめる。
《英雄視》が認識していたもの
「……あったわ」
セレスが、古い資料の一行を指さした。
《英雄視》
《継承対象の残響を認識する》
……残響?
「……どういう意味だ?」
「残された反応や痕跡、という意味に読めるわ」
「つまり?」
「《英雄視》は、死者そのものを見る能力とは限らない、ということ」
……待て。
俺は、先生たちを振り向いた。
ガルディオ先生。
クロウ先生。
エレノア先生。
リリア先生。
みんな、いつもどおりそこにいた。
……本当に?
『何だ、その顔は』
ガルディオ先生が腕を組む。
『俺の顔に何かついてるか?』
「……先生」
『何だ』
「先生って、本当に先生ですよね?」
『はあ!?』
……あ。
聞き方を間違えた。
『俺が先生じゃなかったら何なんだ!』
「そういう意味じゃありません!」
『昨日まで散々教わっておいて、今日は教師資格の確認か!』
「資格の話じゃないです!」
『じゃあ何だ!』
……駄目だ。
いつもどおりすぎる。
でも。
そのいつもどおりが。
今日は、少しだけ怖かった。
「……ガルディオ先生」
俺は、資料を見せた。
「これ、どう思います?」
先生は文字を見つめた。
『……《継承対象の残響》?』
「はい」
『……残響、ねえ』
さっきまで大声だった先生が、黙った。
クロウ先生が、静かに口を開く。
『続きがあるなら読め』
「……はい」
『途中で結論を出すな。お前は、まだ何も確かめていない』
……そうだ。
先生は、いつもそう教えてくれた。
敵を観察しろ。
分かったつもりになるな。
自分に都合のいい答えを選ぶな。
……でも。
その教えを使って。
今、俺は先生たち自身を調べようとしている。
「……セレス」
「何?」
「この《残響》って、記憶のことなのか?」
「可能性はあるわ。でも、それだけでは分からない」
彼女は、次の資料を開いた。
《継承対象記録》
《生前経験》
《戦闘判断》
《記憶保存》
そして。
最後の文字は、欠けていた。
《人格……》
「……人格?」
俺は呟いた。
「この続きは?」
「読めないわ」
セレスが首を振る。
「ただ、生前の経験や判断を残す仕組みがあったことは読み取れる」
……経験。
判断。
記憶。
俺が先生たちに教わってきたものだ。
ガルディオ先生の剣術。
クロウ先生の足運び。
エレノア先生の魔法の考え方。
リリア先生の命を守る教え。
それらが。
誰かに保存されたものだったとしたら?
死んだ英雄の記憶を使って。
俺に教える存在が作られていたとしたら?
……いや。
決めつけるな。
先生たちが何なのか。
まだ、分からない。
でも。
一度浮かんでしまった疑問は、消えてくれなかった。
俺たちは、お前の先生だったのか
『……なるほどな』
ガルディオ先生が、低い声を出した。
『つまり、俺たちは死んだ英雄本人じゃねえかもしれねえってことか』
……先生。
『生きていた頃の記憶だけを残された、何かかもしれねえ』
誰も笑わなかった。
いつもなら。
ガルディオ先生が大声で怒鳴って。
クロウ先生が冷静に否定して。
エレノア先生が難しい説明を始めて。
リリア先生が全部まとめようとして、なぜか料理の話になる。
……そんな、いつもの先生たちなのに。
今日は、誰も冗談を言わなかった。
『……私』
リリア先生が、小さく口を開いた。
『覚えているんです』
「……何をですか?」
『助けられなかった人たちのことです』
先生は、胸の前で両手を握った。
『治療が間に合わなかった人も、最後まで手を握ってあげられなかった人も……』
その声が、震えた。
『今でも、思い出すんです』
……リリア先生。
『でも、その記憶が保存されたものだったら……』
先生は、俺を見た。
『私が悲しいと思っていることも、誰かに残された記録なんでしょうか』
……答えられなかった。
クロウ先生が、壁際から言った。
『俺にも分からない』
……え?
『生きていた記憶はある。死の記憶もある。だが、それだけで本人だと証明できるわけではない』
エレノア先生も頷く。
『同じ記憶を持っていることと、同じ存在であることは、別の問題です』
……難しい。
でも。
言いたいことは分かる。
自分が自分だと思っている。
それだけでは、本当に同じ存在なのか分からない。
ガルディオ先生が、俺を見た。
その目は、いつものように強かった。
でも。
何かを言おうとして。
一度、口を閉じた。
……先生?
『……なあ、悠真』
「……はい」
『俺たちは……』
そこで、先生は言葉を止めた。
そして。
いつもより、ずっと小さな声で言った。
『俺たちは、お前の先生だったのか』
……え?
『それとも、そういう記録なのか』
胸が。
痛くなった。
この人は。
俺がどれだけ弱くても、諦めなかった。
何度転んでも、立ち上がるまで待ってくれた。
剣術の才能がなくても。
《無職》でも。
俺を、弟子として扱ってくれた。
その人が。
今。
自分が先生だったのかさえ、分からなくなっている。
……そんなの。
そんなの、嫌だ。
何でできてるかじゃない
「……先生」
俺は、立ち上がった。
ガルディオ先生を見る。
「俺、最初は木剣もまともに握れませんでしたよね」
『……ああ』
「魔法も使えないし、剣術も弱いし、職業は《無職》だし」
『全部ひでえな』
「先生が言うな!」
……思わず突っ込んでしまった。
ガルディオ先生が、少しだけ笑う。
でも。
俺は、真面目に続けた。
「最初の模擬戦、覚えてます?」
『……ああ』
「先生、言いましたよね」
俺は、あの日の言葉を思い出した。
『勝とうとするな』
『十秒生きろ』
……あの時。
俺は、勝つことしか考えていなかった。
でも。
先生は、まず生き残れと教えてくれた。
「俺、あれがなかったら、きっと負けてました」
『……そうかもな』
「クロウ先生」
壁際を見る。
「逃げることを、恥ずかしいと思わなくなりました」
『……当然だ。生きていなければ、次の判断はできない』
「エレノア先生」
『はい』
「魔法は、まだ全然得意じゃありません」
『知っています』
……即答。
少しくらい否定してほしかった。
でも。
「分からないことを、分かったふりしなくなりました」
先生は、静かに微笑んだ。
「リリア先生」
『……はい』
「俺、命を守るって、敵を倒すことだけじゃないって知りました」
『……悠真くん』
先生の目に、涙が浮かんだ。
俺は、息を吸った。
「先生たちが何なのか、俺には分かりません」
死んだ英雄本人なのか。
保存された記憶なのか。
それとも。
別の何かなのか。
……分からない。
でも。
「何でできてるかじゃない」
先生たちを、一人ずつ見た。
「俺に教えてくれた時間は、消えない」
ガルディオ先生が、目を見開いた。
「俺が弱かった時に、諦めずに教えてくれた」
「間違えた時に、怒ってくれた」
「自分で答えを出せた時に、喜んでくれた」
全部。
覚えている。
全部。
俺が、ここまで来られた理由だ。
「だから」
俺は、頭を下げた。
「俺が先生だと思ってるんです」
沈黙。
誰も、何も言わなかった。
……あれ?
ちょっと。
恥ずかしくなってきた。
顔を上げようとした、その時。
『……馬鹿野郎』
ガルディオ先生の声。
……え?
『弟子にそんなこと言われたら、教師はどうすりゃいいんだ』
先生は、大きく笑った。
『……教えるしかねえだろうが!』
いつもの声だった。
大きくて。
乱暴で。
でも。
どうしようもなく、温かい声だった。
リリア先生が、涙を拭う仕草をした。
エレノア先生は、静かに微笑んだ。
クロウ先生だけは、いつもの無表情だった。
でも。
『……悪くない答えだ』
そう言った。
……うん。
俺は、笑った。
「……悠真」
セレスが、俺を呼ぶ。
「……何?」
「私も、そう思う」
……え?
彼女には、先生たちの姿は見えない。
それでも。
「あなたが教わってきたことは、私も見てきたわ」
セレスは、ゆっくり言った。
「あなたがどう変わったのかも」
……あ。
「だから、その人たちがあなたの先生だったことまで、疑わなくていいと思う」
……セレス。
「……ありがとう」
彼女は、少し顔を赤くした。
「別に、当たり前のことを言っただけよ」
……うん。
でも。
嬉しかった。
先生たちが何なのか。
まだ、分からない。
それでも。
俺にとって大切な存在だということまで、分からなくなる必要はない。
……そう思えた。
その時だった。
ゴゴゴゴゴ……。
床が。
震えた。
最適解は、セレスを置いていくことだった
「……何?」
セレスが立ち上がった。
資料室の奥。
古い魔法陣が、青白く光り始める。
「……悠真!」
彼女が叫んだ。
「この紋章、《勇者継承機構》のものよ!」
……え?
どうして。
こんなところに?
考える暇はなかった。
ガンッ!
重い音が響く。
床に、青白い線が走った。
《適合確認》
《記録領域起動》
《接続対象検索》
……待て。
何が起きている?
「セレス! こっちへ!」
俺は、手を伸ばした。
でも。
一歩、遅かった。
彼女の足元だけ。
魔法陣が、強く光った。
「……っ!」
セレスの身体が、見えない力に押し戻される。
資料室の奥。
魔法陣を挟むように、石の隔壁が下り始めた。
「セレス!」
ガンッ!
隔壁が閉じた。
……嘘だろ。
俺は、扉へ駆け寄った。
押す。
動かない。
叩く。
びくともしない。
「セレス! 聞こえるか!」
『……悠真!』
向こう側から、声がした。
……よかった。
生きている。
でも。
ゴゴゴゴ……。
隔壁の向こうで、重い音が響いている。
床が動いている。
……まずい。
『悠真!』
ガルディオ先生が叫んだ。
『下がれ! そこも崩れるぞ!』
クロウ先生が、床を見た。
『閉鎖順序を確認しろ。こちらも隔離される可能性がある』
エレノア先生が、魔法陣を観察する。
『連動式の封鎖術式です。無理に破壊すると危険かもしれません』
……待ってください。
先生たちの声が、重なる。
逃げろ。
下がれ。
無理に壊すな。
でも。
セレスは、向こう側にいる。
俺は、どうすればいい?
『悠真』
クロウ先生が、低い声で言った。
『今の情報では、退避が最も生存可能性の高い選択だ』
……え?
『お前まで閉じ込められれば、救助手段がなくなる』
……それは。
正しい。
たぶん。
先生たちが生きてきた戦場なら。
一人を救うために、全員を失ってはいけない。
それは、何度も教わった。
だけど。
「……まだ、セレスの状況が分かってません」
『悠真!』
「だから、聞きます!」
俺は、隔壁へ顔を近づけた。
「セレス! 向こうはどうなってる!」
『……床が動いている!』
「どっちへ!」
『奥から手前! でも、全部じゃない!』
……全部じゃない?
「何が見える!」
『右側の床は動いていない! 中央に紋章がある!』
……そうか。
先生たちには、向こう側が見えない。
俺にも見えない。
でも。
セレスには見えている。
今。
向こう側の状況を知っているのは。
先生たちじゃない。
セレスだ。
「セレス! 右の床へ移動できるか!」
『できる!』
「そこから中央の紋章は見える?」
『見える! でも、近づくと光が強くなる!』
……反応している?
俺は、自分の足元を見た。
こちら側にも、似た紋章がある。
光が、交互に点滅していた。
「……セレス!」
『何!?』
「中央の紋章に文字はあるか!」
『……ある!』
「何て書いてある!」
少しの沈黙。
そして。
『《同期確認》!』
……同期?
俺は、こちら側の文字を見た。
《同期待機》
……つながっている。
でも。
何と何が?
その時。
床に、新しい表示が現れた。
《継承対象認識》
《残響応答》
……先生たち?
俺の背後で、ガルディオ先生が息をのんだ。
『……俺たちに反応しているのか?』
……分からない。
まだ、決めつけられない。
でも。
今は。
先生たちが何者なのかを考えている場合じゃない。
俺は、隔壁へ向き直った。
「セレス! 光が変わったら教えてくれ!」
『分かった!』
先生たちの知識。
目の前の現象。
向こう側にいるセレスの声。
全部を使う。
誰か一人の答えだけで決めない。
……今度は。
俺が選ぶ。
先生の答えより、彼女の声を
『悠真!』
セレスの声が響いた。
『中央の紋章が消えかけてる!』
俺は、床を見た。
こちら側の《同期待機》も、弱く点滅している。
……今だ。
「セレス! もう一回光が戻ったら、教えて!」
『……分かった!』
『悠真』
クロウ先生が口を開いた。
『その方法は、確実ではない』
「……はい」
『失敗すれば、お前まで危険になる』
「……分かってます」
『なら、なぜやる』
俺は、一度だけ先生を見た。
「さっきより、分かっている情報が増えたからです」
先生は、黙った。
「退避が一番安全だったのは、さっきまでです」
……そうだ。
状況が、変わった。
セレスは、生きている。
安全な床へ移動できた。
隔壁の両側には、連動しているように見える紋章がある。
なら。
まだ、救える可能性がある。
俺は、剣を抜いた。
……いや。
剣で、魔法陣を壊すつもりじゃない。
紋章の外縁にある、細い溝。
光が弱まるたびに、そこだけ刻印が見えていた。
「エレノア先生!」
『はい!』
「この部分に、剣先を差し込んだらどうなりますか!」
『術式に干渉する可能性はあります。ただし、停止する保証はありません』
……そうか。
壊すのは危険。
でも。
今の光の変化を利用すれば。
何かが起こるかもしれない。
「……セレス!」
俺は叫んだ。
「光が弱まった瞬間を教えて!」
『……分かった!』
俺は、剣を構えた。
……頼む。
『……悠真!』
来た!
『今!』
俺は、剣先を溝へ差し込んだ。
青白い光が、弾けた。
……っ!
腕が痺れる。
昨日の機構接続の影響。
まだ、右手に残っていた。
……最悪だ。
ここでかよ。
でも。
床の文字が、一瞬だけ消えた。
《同期待機》
その表示が、途切れる。
直後。
ガコンッ!
隔壁が、わずかに開いた。
「……開いた!」
だが。
人が通れる幅じゃない。
しかも。
青白い光が、再び強くなる。
『悠真! もう一度!』
セレスが叫ぶ。
俺は、剣を握り直した。
その時。
『待て!』
ガルディオ先生の声。
『腕が震えてるぞ!』
……え?
右手を見る。
指先が、震えていた。
……くそ。
『無理に押し込むな!』
先生が叫ぶ。
『剣は、腕だけで振るもんじゃねえ!』
……そうだ。
足。
腰。
呼吸。
俺は、姿勢を立て直した。
そして。
もう一度、隔壁を見る。
「セレス! もう一回頼む!」
『分かった!』
光が、弱まる。
彼女の声。
『今!』
俺は、剣先を動かした。
金属が石を擦る音。
紋章の光が、乱れる。
ガコンッ!
隔壁が、途中まで開いた。
「セレス!」
向こう側に。
彼女がいた。
顔色は悪い。
でも。
立っている。
……よかった。
「悠真!」
「こっちへ!」
セレスが走る。
俺も、手を伸ばす。
だが。
その瞬間。
彼女の背後で、床が大きく傾いた。
……っ!
「セレス!」
セレスは、崩れかけた床を蹴った。
跳ぶ。
俺も、腕を伸ばした。
その手を。
つかむ。
……重い!
身体が、前へ引っ張られる。
足が滑る。
……まずい!
『腰を落とせ!』
ガルディオ先生。
『左足を引け!』
クロウ先生。
俺は、身体を沈めた。
そして。
「……絶対、離すな!」
セレスへ叫んだ。
「離さない!」
彼女が答える。
……そうだ。
俺一人じゃない。
彼女も、自分で動いている。
俺は、最後の力で腕を引いた。
セレスの足が、こちら側の床へ届く。
二人で、倒れ込んだ。
直後。
ガンッ!
隔壁が、完全に閉じた。
……。
……助かった?
俺は、息を切らしながら横を見た。
セレスがいる。
ちゃんと。
ここにいる。
「……セレス」
「……何?」
「……無事か?」
「……あなたこそ」
……あ。
そうだな。
俺たちは、顔を見合わせた。
そして。
同時に。
小さく笑った。
あなたがいなくなるほうが怖い
笑ったのは、一瞬だった。
「……悠真」
セレスの声が、変わった。
……え?
「……何?」
彼女は、俺の右手を見た。
震えている指先。
赤くなった腕。
「……また、無理をしたのね」
「……いや」
言いかけて。
俺は、口を閉じた。
無理をしていない。
とは、言えない。
でも。
「……今回は、一人で決めたわけじゃない」
俺は答えた。
「先生たちにも聞いたし、セレスの声も聞いた」
「……ええ」
「だから、前とは違うと思う」
セレスは、頷いた。
「……そうね」
……よかった。
分かってくれた。
そう思った。
でも。
次の瞬間。
「でも!」
彼女の声が、資料室に響いた。
……え?
「あなたが危険になったことまで、消えるわけじゃないでしょう!」
……セレス。
「私を助けようとしてくれたことは、嬉しい」
声が、震えていた。
「でも、あなたが倒れたら、どうするつもりだったの?」
……それは。
俺は、答えられなかった。
成功する保証なんて、なかった。
でも。
見捨てることも、できなかった。
セレスは、唇を噛んだ。
「……怖かった」
……え?
「閉じ込められた時も、怖かった」
彼女は、俺を見た。
「でも……」
そこで、言葉が止まった。
長い沈黙。
セレスは、何かを言おうとして。
一度、視線を落とした。
そして。
もう一度、俺を見る。
その目には、涙が浮かんでいた。
「あなたがいなくなるほうが怖い」
……。
……え?
心臓が、大きく鳴った。
「私が助かっても、あなたが戻ってこなかったら……」
そこで、彼女の声が止まった。
俺は、何も言えなかった。
……何だよ。
それ。
そんなこと言われたら。
俺は。
どうすればいいんだ?
セレスが、俺の袖をつかんだ。
「……お願いだから」
小さな声。
「次も、一緒に帰ってきて」
……あ。
俺は、彼女を見る。
いつも強いセレス。
首席級で。
誰よりも冷静で。
俺なんかより、ずっと優秀で。
でも。
今、目の前にいるのは。
ただ。
大切な誰かを失いたくない、一人の女の子だった。
「……分かった」
俺は答えた。
「約束する」
セレスは、少しだけ首を振った。
「……簡単に約束しないで」
……え?
「守れない約束は、嫌だから」
……そうか。
俺は、息を吸った。
「……じゃあ」
少し考えた。
「次も、一緒に帰る方法を考える」
彼女は、俺を見た。
「……うん」
「勝手に決めない」
「……うん」
「危なくなったら、ちゃんと相談する」
「……本当に?」
「……できるだけ」
「そこは言い切りなさい!」
……怒られた。
でも。
セレスは、ようやく笑った。
俺も、笑った。
彼女は、袖をつかんだ手をすぐには離さなかった。
……いや。
これ。
どういう状況?
『……ほう』
ガルディオ先生。
……やめてください。
『大した成長だな』
クロウ先生。
……何の話ですか。
『お二人とも、よかったですね!』
リリア先生。
……お願いです。
本当に。
今だけは、黙っていてください。
でも。
胸の奥が、ずっと熱かった。
セレスがいなくなるのは、怖い。
でも。
彼女も、同じように。
俺がいなくなることを、怖がってくれている。
……それって。
俺は、彼女にとって。
どんな存在なんだ?
その答えを。
今は、まだ口にできなかった。
死んだあとに、何が残るのか
騒ぎが収まったあと。
俺たちは、危険区域から離れた。
学院の関係者に異常を伝え、資料室への立ち入りを控えるよう頼んだ。
……本当は。
今すぐ、寮へ帰りたかった。
腕も痛いし。
疲れているし。
何より。
セレスのさっきの言葉が、頭から離れない。
『あなたがいなくなるほうが怖い』
……やめろ。
思い出すな。
顔が熱くなる。
でも。
机の上には、異変が起きる前に持ち出した古い資料が残っていた。
「……悠真」
セレスが、その一冊を開いた。
「これだけ、確認してもいい?」
「……うん」
彼女が指さしたのは、最後のページだった。
《継承対象記録》
《初期保存》
《追加記録》
《更新履歴》
……更新?
「……何か変なのか?」
「ええ」
セレスは、二つの項目を並べて見せた。
《対象死亡》
《記録更新》
……待て。
俺は、もう一度見た。
対象死亡。
そのあとに。
記録更新。
……え?
「……セレス」
「何?」
「これって……」
俺は、言葉を選んだ。
「死んだあとに、記録が更新されてるってことか?」
彼女は、すぐには頷かなかった。
「少なくとも、そう読めるわ」
……そうか。
「でも、何が更新されたのかは分からない」
「……誰が更新したのかも?」
「ええ」
……分からない。
でも。
もし、この表示が正しいなら。
死んだ英雄たちの記録は。
死んだ時点で止まっていたわけじゃない。
そのあとにも。
何かが書き加えられていた。
俺は、ゆっくり振り向いた。
先生たちがいる。
いつもの姿で。
いつものように。
俺を見ている。
ガルディオ先生が、口を開いた。
『……悠真』
「……はい」
『俺たちは、死んだあとも……何かを覚えてきたのか?』
……分からない。
記録が更新されたことと、先生たち自身の記憶が増えたことは、同じじゃない。
でも。
今までとは違う疑問が生まれた。
先生たちは、本当に死者なのか。
それとも、保存された記憶なのか。
その答えさえ分からないのに。
今度は。
死んだあとにも、何かが変わっていた可能性が出てきた。
クロウ先生が、低い声で言った。
『……誰が更新した?』
エレノア先生も、記録を見つめた。
『そして、何を更新したのでしょう』
誰も答えなかった。
俺は、もう一度文字を見る。
《記録更新》
先生たちは、死んでいる。
なのに、その記録は死後にも更新されていた。
俺は、背後にいる百人の先生たちを振り向いた。
……先生たちは、死んだあとに何を覚えたんですか?
第67話 完
次回予告
第7部『勇者継承機構編』
次回 第8話/通算第68話
「ゼル先生は、俺に嘘をついていた」
死んだ英雄たちの記録が、死後にも更新されていた。
その謎を追う悠真とセレスは、《勇者資産保存》に関わる記録へたどり着く。
だが、調査を進めるほど、ゼル先生が以前語った言葉との矛盾が浮かび上がる。
「言わなかったんじゃない。嘘をついたんだろ」
最も信頼していた先生へ、悠真が初めて本気の怒りをぶつける。
ゼルは、何を知っていたのか。
そして、なぜ悠真に嘘をついたのか。
師弟の信頼が試される、第68話へ。
先生たちが死んだ英雄本人ではなく、保存された記憶だったとしても、悠真にとっては本物の先生です。
あなたなら、先生たちをどう考えますか?
そして、セレスの「あなたがいなくなるほうが怖い」という言葉をどう感じましたか?
ぜひ、感想や考察をコメントで教えてください。
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524
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