第6話/通算第66話 「俺が《無職》だったのは、本当に外れだったんですか?」
第7部『勇者継承機構編』
勇者は、選ばれるものではない。
《勇者は、作られる》
第6部の最後、古代施設の石壁に刻まれていた言葉が、勇者の歴史を根底から揺るがしました。
才能も魔力も最低。職業は《無職》。
そんな神谷悠真は、百人の死んだ英雄たちに教わりながら、少しずつ強くなってきました。
けれど、もし勇者の強さが、誰かから受け継がされるものだったとしたら?
受け継ぐのは、剣の技なのか。
戦いの経験なのか。
それとも、他人の記憶や想いまでなのか。
百人の先生たちが一斉に苦しみ、百一人目の勇者ゼルが初めて本気で悠真を止めた理由。
そして、百年前の記録に残された《百二人目》の謎。
その答えを求め、悠真とセレスは《勇者継承機構》の真相へ踏み込んでいきます。
しかし、真実に近づくことが、大切な人を守ることにつながるとは限りません。
先生の答えを信じるのか。
自分自身で答えを選ぶのか。
そして、誰かの過去を受け継いだあとも、自分は自分でいられるのか。
第7部『勇者継承機構編』。
これは、最弱だった少年が、強さの秘密ではなく、**「自分自身であり続ける意味」**を問い始める物語です。
悠真とセレス、そして百一人の先生たちが迎える新たな試練。
ぜひ、最後まで見届けてください。
《無職》は、本当に外れだったのか?
《職業照合不能》
《既存分類外》
……待て。
それじゃあ、俺の《無職》って何だったんだ?
何もできないという意味じゃなかったのか?
そう考えた翌日。
俺は、剣術訓練で見事に転んだ。
「神谷! また足が止まっているぞ!」
「はい! すみません!」
……うん。
少なくとも、剣の才能が突然開花したわけではないらしい。
王立アストリア勇者学院。
訓練場には、いつものように木剣の打ち合う音が響いていた。
俺は、床に片膝をついたまま右手を見つめた。
……まだ、少し震えている。
昨日。
《勇者継承機構》の石の扉に、もう一度触れた。
流れ込んできたのは、百人の先生たちの記憶。
知らない戦場。
知らない痛み。
知らない誰かの決断。
それらが、自分の記憶と混ざり始めた。
あのまま接続していたら。
俺は、自分が誰なのかさえ分からなくなっていたかもしれない。
……怖かった。
でも。
最後に、俺は自分で接続を切った。
答えを得るために、自分で答えを選べなくなったら意味がない。
そう判断した。
そして、切断する直前。
あの二つの文字を見た。
《職業照合不能》
《既存分類外》
……どうして、あんな表示があったんだ?
俺自身のことなのか。
機構の中に残された、誰か別の記録なのか。
それさえ分からない。
だけど。
どうしても思い出してしまう。
学院に入った、あの日。
剣術は惨敗。
魔法は一発も出ない。
魔力も最低。
そして、最後の職業鑑定。
《神谷悠真》
《職業》
《無職》
教室中に笑い声が響いた。
異世界まで来て無職。
勇者になんて、なれるはずがない。
俺自身、そう思った。
……でも。
もし、あの表示に別の意味があったとしたら?
「……神谷!」
「はいっ!」
「考え事をするなら、訓練が終わってからにしろ!」
……正論。
俺は慌てて立ち上がった。
その時。
『おい、悠真』
ガルディオ先生の声が聞こえた。
『今日は踏み込みが浅いぞ』
「……すみません」
『無理に大きく動こうとするな。昨日の今日だ。身体の調子を見ろ』
……え?
珍しい。
いつもなら「気合いで何とかしろ!」と言いそうな人なのに。
『何だ、その顔は』
「……先生が優しいなって」
『馬鹿野郎! 弟子の状態を見て教え方を変えるのが教師だろうが!』
……怒鳴られた。
やっぱり、いつもの先生だ。
壁際から、クロウ先生も口を開いた。
『今日は相手の攻撃を避けるだけでいい。判断が遅れている』
「……そんなに分かります?」
『足運びに出ている』
……怖い。
暗殺王の観察力、こういう時だけ便利すぎる。
俺は木剣を握り直した。
相手の肩を見る。
足の向きを見る。
踏み込んでくる。
……今だ。
半歩、横へ。
木剣が俺の肩先を通り過ぎた。
その瞬間、相手の体勢が崩れる。
俺は反射的に剣を振ろうとして。
……やめた。
今は、無理に勝ちにいくところじゃない。
まず、自分の動きを確かめる。
「……よし」
小さく息を吐いた。
『今のは悪くねえ』
ガルディオ先生が笑った。
『勝てる場面じゃなくても、ちゃんと自分で選んだな』
……あ。
そうか。
俺は、少しだけ笑った。
《無職》の意味が何であっても。
今の一歩は、俺が自分で選んだ。
誰かの記憶に動かされたわけじゃない。
先生に言われた動きを、そのまま真似しただけでもない。
……俺は。
ちゃんと、ここにいる。
それだけで、少し安心した。
でも。
その安心は、長く続かなかった。
訓練場の向こう側。
一人の少女が、木剣を振っていた。
セレス。
王立アストリア勇者学院の首席級。
俺とは比べものにならないほど強い。
その剣は、今日も迷いがなかった。
……いや。
少なくとも、俺にはそう見えた。
彼女は、俺のほうを見なかった。
昨日の資料室。
あの喧嘩。
そして。
俺が一人で機構に触れたこと。
……セレスは、まだ知らない。
俺は、木剣を握る手に力を込めた。
《無職》のことは知りたい。
でも。
その前に、やらなきゃいけないことがある。
……謝らないとな。
分かっている。
分かっているのに。
俺は、彼女へ声をかけられなかった。
* * *
付き合ってない!
昼休み。
学院の食堂。
俺は、昼食を載せた盆を持ったまま立ち止まっていた。
……セレス。
いつもの席に、彼女がいた。
机の上には昼食。
そして、開いたままの資料。
向かい側には、空いている椅子が一つ。
普段なら、何も考えずに座っている。
でも。
今日は、その一歩が遠かった。
……何て声をかければいい?
昨日は、ごめん?
いや。
こんな人の多い場所で、いきなり謝るのも変だ。
普通に話す?
でも。
昨日のことをなかったことにするのも違う。
……困った。
剣術試験より難しい。
『何を突っ立っている』
ガルディオ先生が、背後から声をかけた。
『行けよ』
……分かってます。
『謝るんだろ?』
……分かってるってば!
『だったら、さっさと』
「分かってます!」
思わず声が出た。
……しまった。
近くの生徒が振り向いた。
セレスも、顔を上げる。
「……悠真?」
「……あ」
「どうしたの?」
「いや、その……」
……駄目だ。
何も思いつかない。
すると、セレスは俺の盆を見た。
そして。
向かいの椅子に置いていた資料を、静かに片づけた。
「……座れば?」
「……いいのか?」
「何が?」
「いや……ここ」
彼女は少し眉をひそめた。
「別に、あなたの指定席じゃないでしょう」
……はい。
そうですね。
でも。
資料をどけてくれたんだな。
「……ありがとう」
俺は、椅子に座った。
……沈黙。
セレスは、食事を続ける。
俺も、料理に手を伸ばす。
……沈黙。
気まずい。
ものすごく気まずい。
いつもなら。
先生たちが余計なことを言って。
俺が心の中で突っ込んで。
それをセレスに怪しまれる。
そんな、いつもの昼休みだったのに。
今日は、何を話していいか分からない。
「……悠真」
「は、はい!」
セレスが、目を丸くした。
「……どうして敬語なの?」
「いや、別に!」
……最悪だ。
俺は何をしているんだ。
その時だった。
「ねえ、二人とも」
近くの席にいたクラスメイトが、こちらを見た。
「最近、ずっと一緒だよね?」
……え?
「授業以外でも、資料室とか迷宮とか。いつも二人で何かしてるし」
「……それは」
セレスが、口を開きかけた。
「もしかしてさ」
クラスメイトが、にやっと笑った。
「二人って、付き合ってるの?」
「付き合ってない!」
「付き合ってない!」
……。
……え?
完全に、同時だった。
食堂の一角が、妙に静かになった。
セレスが俺を見る。
俺も、セレスを見る。
……何だ?
この空気。
「……そ、そうなんだ」
クラスメイトが、笑いをこらえるように言った。
「息ぴったりだね」
「違う!」
「違うわ!」
……また重なった。
……やめてくれ。
頼むから。
もう何も言わないでくれ。
『……ほう』
ガルディオ先生が、楽しそうに腕を組んだ。
『付き合ってない、か』
……何ですか、その言い方。
『いや。別に何も言ってねえ』
……絶対、何か言いたそうですよね。
『否定が早い』
クロウ先生が、短く言った。
『しかも二回とも同時だ』
……分析しないでください。
『二人とも仲がいいですね!』
リリア先生まで。
……先生たち。
お願いです。
剣術とか魔法とか。
本来の専門分野に戻ってください。
「……悠真」
セレスが、小さく呼んだ。
「……何?」
「さっきから、誰と話しているの?」
……あ。
しまった。
俺は慌てて料理へ目を落とした。
「……人生と」
「また?」
「……うん」
セレスは、俺をじっと見た。
そして。
小さく、笑った。
……あ。
久しぶりだった。
いや。
実際には、たった一日かもしれない。
でも。
彼女が俺に笑ってくれたことが。
何だか、すごく嬉しかった。
「……ご飯、冷めるわよ」
「……そうだな」
俺は、もう一度食事を始めた。
さっきより、少しだけ話しやすくなった。
でも。
俺たちの間に残っているものは、まだ消えていない。
……謝らなきゃ。
それも。
ただ謝るだけじゃ駄目だ。
昨日、俺が何をしたのか。
何を考えていたのか。
全部、話さなきゃいけない。
……今度こそ。
* * *
最初の絶望を、もう一度
授業が終わったあと。
俺は、一人で学院の資料室へ向かった。
机の上に、古い記録を広げる。
《王立アストリア勇者学院・入学試験記録》
……あった。
俺の名前。
《神谷悠真》
剣術。
最低評価。
魔力。
最低評価。
魔法。
実技不成立。
……うん。
見事なまでに、ひどい。
そして。
最後の項目。
《職業》
《無職》
……これだ。
俺は、その二文字を見つめた。
あの日。
みんなが笑った。
俺も、笑うしかなかった。
異世界まで来て無職って何だよ。
そう言いながら。
本当は、かなり傷ついていた。
……だって。
せっかく異世界に来たんだぞ?
何か特別な力があると思うだろ。
剣を振れば強い。
魔法を使えばすごい。
そんな、物語の主人公みたいなことを。
少しくらい期待したっていいだろ。
なのに。
出てきたのは《無職》。
……最悪だった。
でも。
今、俺は知っている。
職業の表示が何であっても。
俺は、少しずつ強くなれた。
百人の先生たちに教わったから。
セレスと一緒に考えたから。
失敗しても、諦めなかったから。
……それなら。
《無職》とは、何なんだ?
「……クロウ先生」
『何だ』
壁際に、黒い影が現れた。
「職業鑑定って、何を判定しているんですか?」
『……質問が広いな』
「俺に能力があるかどうかなのか、それとも、どんな職業に当てはまるかってことなのか」
クロウ先生は、記録を見た。
『その二つは、同じではない』
……ですよね。
『だが、職業鑑定の仕組みを俺が完全に知っているわけではない。そこは区別しろ』
「……はい」
……先生は、いつもそうだ。
知らないことを、知っているふりはしない。
そこへ、エレノア先生が口を開いた。
『一つ、考え方を変えてみましょう』
「……はい?」
『ある人間が剣士と判定されたとして、それだけで優れた剣士になると思う?』
「……いや」
俺は首を振った。
『では、職業が分からなければ、剣を学べないと思う?』
……あ。
俺は、自分の右手を見た。
剣を握る。
逃げる。
相手を観察する。
自分で判断する。
全部。
《無職》だった俺が、少しずつ身につけてきたことだ。
「……そうか」
俺は、記録を見直した。
《無職》。
この表示を、俺はずっと「何もできない」と受け取っていた。
でも。
もしかしたら。
既存の職業に当てはまらなかっただけなのかもしれない。
……いや。
決めつけるな。
《勇者継承機構》で見た《職業照合不能》と、学院の《無職》。
二つが同じ意味だという証拠は、まだない。
それでも。
調べる価値はある。
「……よし」
俺は、記録の隣に紙を置いた。
そこへ、二つの言葉を書き込む。
《無職》
《職業照合不能》
……何が違う?
どうつながる?
そもそも、つながっているのか?
「……先生」
『何だ?』
「俺、セレスにも聞いてみたいです」
ガルディオ先生が、笑った。
『だったら聞きゃいいだろ』
「……それが難しいんですよ」
『何でだ?』
「喧嘩したからです!」
『喧嘩したら、一生話せねえのか?』
……え?
先生は、腕を組んだ。
『剣で一回負けたら、次は握らねえのか?』
「……いや」
『間違えたなら、直せばいいだろうが』
……。
『分かってるくせに、何を怖がってやがる』
……そうだ。
怖い。
セレスに怒られるのが。
呆れられるのが。
もう、一緒に考えてくれなくなるのが。
……でも。
だからって。
黙ったままでいいわけじゃない。
「……俺、謝ってきます」
『おう』
俺は、記録を閉じた。
その時。
資料室の扉が開いた。
「……悠真?」
……え?
振り向く。
そこには。
セレスが立っていた。
心配してくれたのに、怒って悪かった
「……ここにいたのね」
セレスは、俺の前にある資料を見た。
「入学試験の記録?」
「……うん」
「《無職》について調べていたの?」
……やっぱり。
一瞬で分かるんだな。
「……そう」
彼女は、ゆっくり椅子を引いた。
俺の向かい側。
いつもの席。
でも。
まだ、座らない。
「……悠真」
「……何?」
「昨日のことなんだけど」
……来た。
心臓が、大きく鳴った。
……いや。
逃げるな。
今度は、俺が先に言うんだ。
「……セレス」
俺は、椅子から立ち上がった。
「……ごめん」
彼女が、目を丸くした。
「……え?」
「心配してくれたのに、怒って悪かった」
……言えた。
ずっと、言いたかったこと。
昨日。
彼女は、俺に言った。
世界を救うためなら、自分を壊してもいいなんて言わないで。
……俺は。
その言葉を拒んだ。
「セレスは、俺が自分じゃなくなるかもしれないって、本気で心配してくれたんだよな」
彼女は、黙っていた。
「なのに俺は、何も分からないままでいろって言うのか、なんて……」
……最低だ。
本当に。
「……そんなこと、セレスは言ってなかった」
俺は、頭を下げた。
「……悪かった」
……沈黙。
少しして。
セレスが、静かに口を開いた。
「……顔を上げて」
「……うん」
俺は、ゆっくり顔を上げた。
彼女は、まっすぐ俺を見ていた。
怒っている。
……いや。
それだけじゃない。
何かを、必死に考えているようにも見えた。
「……私も」
セレスが、言った。
「私も、あなたの答えを決めようとした」
……え?
「危険だからやめなさい。それが正しいから、あなたも従うべきだと思っていた」
「……でも」
「もちろん、今でも危険だと思っているわ」
彼女は、はっきりと言った。
「《勇者継承機構》の危険性は、何も変わっていない。あなたが自分じゃなくなるかもしれないという問題も、そのままよ」
……うん。
その通りだ。
「でも」
セレスは、少し声を落とした。
「あなたが、どうしてそこまで知りたいのか。私は、最後まで聞こうとしなかった」
……セレス。
「あなたは、自分の中に何があるのか分からないことが怖かったのよね」
「……うん」
「何も知らないうちに、自分が変わってしまうかもしれない。それが怖かった」
……そうだ。
俺は、頷いた。
「……だから、確かめたかった」
セレスは、目を伏せた。
「……私も、あなたの気持ちをちゃんと聞けばよかった」
……違う。
そう言いかけた。
でも。
彼女の言葉を、途中で止めたくなかった。
「だから」
セレスが、小さく息を吸った。
「……私も、ごめんなさい」
……あ。
何だよ。
本当に。
俺たちは。
何をしていたんだろう。
彼女は、俺を守りたかった。
俺は、彼女を危険に巻き込みたくなかった。
その気持ちは、同じだったのに。
俺たちは。
お互いの言葉を、最後まで聞かなかった。
……でも。
まだだ。
これで仲直りしたつもりになるわけにはいかない。
俺には、もう一つ。
話さなければいけないことがある。
「……セレス」
「……何?」
「実は、まだ謝らなきゃいけないことがある」
彼女の表情が変わった。
「……何をしたの?」
……鋭い。
本当に。
こういう時のセレスは怖い。
でも。
俺は、もう逃げない。
「……昨日、あのあと」
一度、息を吸った。
「一人で《勇者継承機構》に触れた」
……沈黙。
今度こそ。
資料室の空気が、完全に止まった気がした。
「……何ですって?」
……怖い。
「誰にも相談しないで、あの石の扉に触れた」
セレスが、机に手をついた。
「……悠真!」
「分かってる!」
俺は、慌てて言った。
「約束を破った。勝手に一人で決めないって言ったのに……」
彼女の顔から、血の気が引いていく。
「……それで?」
「……先生たちの記憶が、頭に流れ込んできた」
「……うん」
「知らない戦場。知らない人の気持ち。誰かが決めたことまで、自分の考えみたいになって……」
俺は、右手を握った。
「本当に、俺が俺じゃなくなりそうだった」
セレスは、何も言わなかった。
でも。
机についた手が、震えていた。
……そうだよな。
怒るよな。
俺だって。
彼女が同じことをしたら、きっと怒る。
「……ごめん」
もう一度、謝った。
「危ないって分かってたのに、確かめたくて……」
セレスは、ゆっくり口を開いた。
「……それで、どうやって戻ってきたの?」
……え?
「機構の接続が切れたの?」
「……いや」
俺は、首を振った。
「自分で切った」
彼女の目が、大きくなった。
「……自分で?」
「……うん」
俺は、あの時のことを思い出した。
頭の中に流れ込んでくる、無数の記憶。
自分の考えなのか。
先生たちの考えなのか。
分からなくなる恐怖。
そして。
あの瞬間。
俺は、思った。
……これは違う。
答えを知るために。
自分で答えを選べなくなるなんて。
そんなのは、違う。
「……あのまま続けても、意味がないって思ったんだ」
セレスは、黙って聞いていた。
「知らないことを知りたかった。でも、そのために自分を失うのは違うって……」
俺は、彼女を見た。
「だから、自分で手を離した」
「……そう」
「先生たちが止めたからじゃない。セレスが正しいって思い出したからでもない」
……そう。
俺は、あそこで。
自分で決めた。
「俺が、これは違うって思ったから」
長い沈黙があった。
セレスは、椅子に腰を下ろした。
そして。
「……怖かった?」
小さく聞いた。
「……うん」
俺は、頷いた。
「すごく、怖かった」
……やっと。
ちゃんと、言えた。
「知らない誰かの記憶が、自分の中に入ってくる。自分で考えてるつもりなのに、それが本当に自分の考えなのか分からなくなる」
俺は、右手を見つめた。
「……もし、あのまま続けていたら」
言葉が止まった。
……怖い。
思い出すだけで。
まだ、怖い。
「……俺、セレスのことまで分からなくなってたかもしれない」
……あ。
言ってから、気づいた。
何だ。
今の言い方。
セレスが、俺を見た。
「……私のこと?」
「……いや、その」
……しまった。
でも。
嘘じゃない。
俺は、ゆっくり頷いた。
「……うん」
セレスは、しばらく黙っていた。
そして。
「……馬鹿」
小さく言った。
……はい。
その通りです。
「本当に……馬鹿なんだから」
……うん。
返す言葉もありません。
でも。
その声は、怒っているというより。
……泣きそうだった。
「……セレス」
「……何?」
「俺、まだ知りたいんだ」
彼女が、顔を上げた。
「勇者制度のことも、先生たちのことも、自分のことも」
……そうだ。
何も解決していない。
《百二人目》。
ゼル先生の《継承拒否》。
百英雄たちの記憶。
そして。
《無職》。
分からないことは、山ほどある。
「でも……もう、一人で無茶をするのは違うって思った」
俺は、彼女を見た。
「……だから」
少しだけ、声が震えた。
「また、一緒に調べてくれないか?」
……セレス。
彼女は、すぐには答えなかった。
俺を見つめたまま。
長く。
静かに。
そして。
「……本当に、もう一人で決めない?」
「……うん」
「危険だと思ったら、ちゃんと話してくれる?」
「……うん」
「私が反対しても、最後まで理由を聞いてくれる?」
……それは。
ちょっと自信がない。
いや。
ここは、ちゃんと答えろ。
「……努力する」
セレスが、目を丸くした。
「……そこは約束するって言うところじゃないの?」
「だって、また喧嘩するかもしれないだろ?」
「……それは」
彼女が、言葉に詰まった。
「俺、たぶん……これからも間違えると思う」
……そうだ。
俺は、完璧じゃない。
先生たちみたいに強くない。
セレスみたいに賢くもない。
これからも。
きっと、何度も間違える。
「でも、間違えたら、ちゃんと話す」
俺は、言った。
「自分が何を考えてるのか、何が怖いのか。今度は隠さない」
……そして。
「もう、自分一人の問題だからって、勝手に決めない」
セレスは、俺を見つめていた。
やがて。
「……もう」
小さく息を吐いた。
「本当に、あなたって……」
……怒られる。
そう思った。
でも。
彼女は、少しだけ笑った。
「……分かったわ」
……え?
「一緒に調べましょう」
……セレス。
胸の奥が、温かくなった。
「……ありがとう」
俺が言うと。
彼女は、少しだけ視線をそらした。
「……ただし」
「……はい」
「次にやるなら、一緒に考えてから」
そう言って。
セレスが、手を伸ばした。
……え?
俺の右手。
あの石の扉に触れた手。
自分自身を失いかけた手。
その手を。
彼女が、そっと握った。
……あ。
温かい。
ちゃんと、分かる。
これは、俺の手だ。
そして。
その手に触れているのは。
今、目の前にいるセレスだ。
先生たちの記憶じゃない。
誰かが残した感情でもない。
……俺が。
自分で感じている温かさだ。
「……悠真」
「……何?」
「もう、勝手にいなくならないで」
……セレス。
俺は、ゆっくり頷いた。
「……うん」
彼女は、まだ。
手を離さなかった。
……あれ?
いつまで?
……いや。
別に。
嫌じゃないけど。
『……おい』
ガルディオ先生の声がした。
……来た。
『これは、どういう状況だ?』
……俺が聞きたいです。
『握手だろう』
クロウ先生が、冷静に答えた。
……いや。
握手にしては、長すぎませんか?
『仲直りの握手って、素敵ですね!』
リリア先生まで。
……お願いです。
静かにしていてください。
『ほう。握手ねえ』
ガルディオ先生が、にやりと笑った。
『剣を握る時より緊張してるんじゃねえか?』
……。
否定できない。
「……悠真?」
セレスが、不思議そうに俺を見た。
「……どうしたの?」
「……何でもない」
「顔、赤いけれど」
「気のせいだ!」
……その時。
彼女も、気づいたらしい。
自分が、まだ俺の手を握っていることに。
……。
……。
セレスの頬が、ほんの少し赤くなった。
……あ。
離す。
そう思った。
でも。
彼女は、すぐには離さなかった。
「……ほら」
「……何?」
「まだ、調べることがあるでしょう」
「……うん」
「だったら、始めるわよ」
……はい。
分かりました。
でも。
セレス。
その。
手は。
……いつ離すんですか?
『黙ってろ』
クロウ先生が言った。
……まだ何も言ってません!
『顔に出ている』
……最悪だ。
本当に。
先生たちは。
何でもお見通しだ。
ただし。
恋愛のことだけは。
百人そろって、あまり信用できない気がする。
* * *
《無職》と《照合不能》
「……まず、事実を整理しましょう」
セレスは、机の上に資料を並べた。
俺の入学試験記録。
《勇者継承機構》に関する記録。
そして。
職業分類についての古い資料。
「今、確認できているのは三つよ」
……うん。
俺は、姿勢を正した。
「一つ目。あなたは入学時の職業鑑定で《無職》と判定された」
「……うん」
「二つ目。機構への接続中に、《職業照合不能》《既存分類外》という表示を見た」
「……うん」
「三つ目。この二つの判定が同じ意味だという証拠は、まだない」
……そうだな。
セレスは、紙に二つの可能性を書いた。
《可能性一》
《無職》は、既存の職業に属していない状態。
《可能性二》
《無職》は、既存の職業分類では判定できなかった結果。
……なるほど。
「……でも、それって同じじゃないのか?」
「違うわ」
即答だった。
……出た。
いつものセレスだ。
「職業がないことと、職業を判定できないことは違うでしょう?」
……確かに。
「例えば、職業鑑定が既存の職業分類に当てはめる仕組みだったとして」
セレスは、資料を指さした。
「分類にないものを判定できるとは限らないわ」
「……つまり」
「仮に、あなたの《無職》が分類できなかった結果だとしても、不思議ではないということ」
……そうか。
俺は、自分の入学試験記録を見た。
《無職》。
ずっと、外れだと思っていた。
何もできない証拠だと。
……でも。
もしかしたら。
そうじゃなかったのかもしれない。
「……じゃあ、俺って本当はすごい職業だったり?」
「それは違うわ」
……早い!
即答するにも限度があるだろ!
「まだ何も証明されていないでしょう?」
「……はい」
「《無職》が特殊な職業だという証拠もないし、あなたに未知の能力があるという証拠もない」
……そうですね。
おっしゃる通りです。
『ははは!』
ガルディオ先生が笑った。
『夢が広がったと思ったら、一瞬で現実に戻されたな!』
……先生。
笑わないでください。
でも。
セレスの言う通りだった。
俺は、何もできない人間じゃなかった。
……それと同じくらい。
特別な人間だと決めつける理由もない。
「……なあ、セレス」
「……何?」
「俺、ずっと《無職》じゃなかったらいいのにって思ってた」
彼女は、黙って聞いていた。
「すごい職業だったら、あの日笑われなかったかもしれないって」
……そうだ。
剣士。
魔導師。
勇者。
何でもいい。
何か一つ。
ちゃんとした名前が欲しかった。
「でも……」
俺は、入学試験記録を見つめた。
「《無職》だったからって、俺が今までやってきたことまで、なくなるわけじゃないよな」
セレスが、顔を上げた。
「……ええ」
「先生たちに教わったことも、セレスと一緒に考えたことも」
……そう。
俺が迷宮で戦ったこと。
仲間を助けようとしたこと。
先生の答えを疑ったこと。
自分で選んだこと。
その全部が。
たった二文字で消えるわけじゃない。
「……俺が《無職》でも」
俺は、言った。
「俺が何をするかは、俺が決めていいんだよな」
セレスは、少しだけ目を細めた。
そして。
「……当たり前でしょう」
静かに答えた。
……あ。
胸の奥が。
少しだけ、軽くなった。
「あなたが努力してきたことは、職業欄の二文字では決まらないわ」
……セレス。
何だよ。
そんなこと。
もっと早く言ってくれればよかったのに。
……いや。
違うか。
きっと。
今だから、分かるんだ。
先生たちに教わって。
何度も失敗して。
自分で選ぶことの大切さを知った。
……だから。
今なら。
この言葉を受け取れる。
「……ありがとう」
「……別に」
セレスは、少しだけ視線をそらした。
「事実を言っただけよ」
……うん。
知ってる。
でも。
その事実が。
今の俺には、とても嬉しかった。
* * *
百年前より古い記録
「……ただ」
セレスが、資料をめくりながら言った。
「《職業照合不能》という表現が、機構の中でしか使われていないとは限らないわね」
……え?
「どういうこと?」
「昔の勇者候補の記録にも、同じ言葉が残っているかもしれない」
……なるほど。
俺は、机の上に積まれた資料を見た。
《勇者候補》
《勇者認定》
《職業分類》
《適合》
……ここまで。
何度も見てきた言葉。
でも。
見落としているものが、あるかもしれない。
「……探してみよう」
俺が言うと。
セレスは、頷いた。
「ええ。ただし、最初から答えがあると思わないこと」
「……はい」
……先生より厳しいな。
『当然だ』
クロウ先生が言った。
『今のお前には、それくらいがちょうどいい』
……ひどい。
でも。
否定できない。
俺たちは、古い記録を調べ始めた。
勇者として認定された者。
認定を取り消された者。
名前だけが残る者。
記録が欠けている者。
……多い。
思っていたより、ずっと多い。
「……これ、全部読むのか?」
「必要なら」
……セレス。
その即答が、一番怖いです。
『ほら、頑張って!』
リリア先生が、明るく言った。
『疲れたら、私が栄養たっぷりの料理を……』
「遠慮します!」
思わず叫んだ。
……しまった。
セレスが、顔を上げた。
「……何?」
「……何でもない」
「……また人生?」
「……はい」
彼女は、少しだけ笑った。
……よかった。
本当に。
また、こうして一緒に調べられる。
それだけで。
俺は、嬉しかった。
……でも。
俺たちには。
まだ知らなければならないことがある。
* * *
どれくらい資料をめくっただろう。
窓から差し込む光が、少しずつ傾いていた。
俺は、何枚目かも分からない記録を閉じた。
「……駄目だ」
思わず、机に突っ伏す。
「《職業照合不能》なんて、どこにも……」
「……待って」
……え?
セレスの声が変わった。
いつもの落ち着いた声。
でも。
何かを見つけた時の声だった。
「……悠真」
「……何?」
「こっちに来て」
俺は、顔を上げた。
セレスが見つめていたのは。
古い勇者候補の記録だった。
百年前の候補者名簿よりも、さらに古い資料。
紙の端は傷み。
文字の一部は、読めなくなっている。
「……これ、何?」
「昔の候補者について残された記録よ」
……候補者。
俺は、資料をのぞき込んだ。
そこには。
複数の人物についての記載が並んでいた。
名前。
職業。
出身。
認定に関する記録。
……そして。
セレスが、その一か所を指さした。
「……ここ」
俺は、目を凝らした。
そこには。
短い言葉が書かれていた。
《異界出身》
……え?
異界?
……待て。
その言葉。
俺には、覚えがある。
日本から。
この世界へ来た。
俺自身のことを調べていた時にも。
見た言葉だ。
「……セレス」
「ええ」
彼女は、頷いた。
「あなたと同じ世界から来たとは限らない。でも、記録上は《異界出身》と書かれている」
……異界出身。
俺以外にも。
別の世界から来た人間がいた。
……いや。
それだけなら、まだ分かる。
この世界には、俺の知らないことが山ほどある。
でも。
どうして。
その人物が。
勇者候補の記録に?
「……名前は?」
セレスは、文字を確認した。
「……読めないわ」
「……何をした人なのかは?」
「それも、ここだけでは分からない」
……そうか。
俺は、続きを読もうとした。
その時だった。
セレスの指が、別の欄で止まった。
「……悠真」
「……何?」
「これ……」
彼女の声が、わずかに震えた。
俺は、資料へ顔を近づけた。
……え?
職業に関する記述。
そこに。
見覚えのある文字が並んでいた。
《職業照合不能》
……。
……待て。
何だ?
これ。
俺は、もう一度読んだ。
間違いない。
《職業照合不能》
……同じだ。
昨日。
《勇者継承機構》の中で見た文字。
あの石の扉から手を離す直前。
自分を失いかけた時に見えた言葉。
それが。
百年前よりも古い記録に残っていた。
「……セレス」
自分でも分かる。
声が、震えていた。
「……これって」
「ええ」
彼女は、静かに答えた。
「少なくとも、昔にも《職業照合不能》と記録された異界出身者がいた、ということね」
……昔にも。
俺より前に。
この世界へ来た人間。
既存の職業に照合できなかった人間。
……その記録が。
ここにある。
「……でも」
俺は、資料を見つめた。
「これ、百年前よりも古いんだよな?」
「ええ。少なくとも、百年前の勇者候補名簿よりも前の記録として残されているわ」
……待て。
それなら。
勇者制度と異界出身者には。
俺が思っていたよりも、ずっと古い関係があるのかもしれない。
……いや。
まだ、そこまでは言えない。
偶然、候補者になっただけかもしれない。
この記録と《勇者継承機構》が直接つながっている証拠もない。
でも。
「……先生たち」
俺は、小さく呼んだ。
『……何だ?』
ガルディオ先生が、資料をのぞき込んだ。
「これ……どう思います?」
先生は、すぐには答えなかった。
クロウ先生も。
エレノア先生も。
黙っている。
……そうだよな。
先生たちだって。
すべてを知っているわけじゃない。
自分たちの記憶さえ、完全とは限らない。
『……悠真』
ゼル先生の声がした。
俺は、顔を上げた。
「……はい」
先生は、いつもの穏やかな表情をしていた。
『君は、その記録を見てどう思った?』
……質問。
まただ。
この先生は。
いつも、答えをくれない。
……でも。
今は。
それでいいと思った。
「……俺が、最初じゃなかったのかもしれないって」
ゼル先生は、黙っていた。
「でも、俺と同じ人間だったかどうかは、まだ分かりません」
……そう。
ちゃんと区別しなければいけない。
「俺の《無職》と、その人の《職業照合不能》が、同じ意味なのかも分からない」
セレスが、頷いた。
「そうね」
俺は、資料を見つめた。
「……でも」
どうしても。
気になることがある。
百年前よりも昔。
この世界へ来た人間。
職業を照合できなかった人間。
その人は。
何をしたんだろう。
勇者になったのか。
勇者になれなかったのか。
それとも。
俺と同じように。
笑われたんだろうか。
……分からない。
でも。
今回は、一つ違う。
新しい事実が見つかった。
俺だけじゃなかった。
少なくとも。
《職業照合不能》という記録が残された異界出身者は。
俺より昔にもいた。
「……セレス」
俺は、彼女を見た。
「この人のこと、もっと調べたい」
セレスは、静かに頷いた。
「ええ。まず、この記録と関連する資料を探しましょう」
……うん。
今度は、急がない。
一人で危険を引き受けて。
無理やり答えを手に入れようとはしない。
ちゃんと調べる。
確かめる。
そして。
一緒に考える。
俺は、もう一度古い記録へ目を向けた。
《異界出身》
《職業照合不能》
……あの日。
俺は《無職》と判定された。
学院中に笑われた。
何もできない人間だと思った。
勇者になんて、なれるはずがない。
……そう信じていた。
でも。
もし。
あの二文字が。
俺という人間のすべてを表していたわけではなかったとしたら。
俺は、少しだけ息を吸った。
「……なあ、セレス」
「……何?」
「俺が《無職》だったのって……本当に外れだったのかな?」
彼女は、すぐには答えなかった。
資料へ視線を戻す。
そして。
「……まだ、分からないわ」
静かに答えた。
……うん。
そうだよな。
「でも」
セレスが、続けた。
「少なくとも、調べる理由は見つかったわね」
……あ。
俺は、笑った。
「……そうだな」
答えは、まだない。
でも。
今度は。
俺一人じゃない。
百人の先生たちがいる。
セレスがいる。
そして。
俺自身も。
ちゃんと、ここにいる。
……だから。
もう一度。
自分の答えを探せる。
俺は、古い候補者記録を見つめた。
名前の読めない異界出身者。
職業を照合できなかった人間。
勇者候補として記録された、過去の誰か。
《異界出身》
《職業照合不能》
百年前よりも昔。
俺と同じように、職業を判定できなかった人間がいた。
……俺だけじゃなかった。
だったら、その人はなぜ、勇者候補になっていたんだ?
第66話 完
次回予告
第7部『勇者継承機構編』
次回 第7話/通算第67話
「先生たちは、本当に先生なんですか?」
《無職》の謎を追う悠真とセレス。
調査の矛先は、やがて百英雄の存在そのものへ向かう。
《英雄視》。
《勇者継承機構》。
そして、死んだ英雄たちの記憶。
「俺たちは、お前の先生だったのか。それとも、そういう記録なのか」
百人の先生たちが、初めて自分たちの存在を疑い始める。
それでも、悠真にとって先生たちは本物だった。
だが、その答えを出す間もなく、セレスに新たな危険が迫る。
悠真は、百英雄の答えを信じるのか。それとも、自分で選ぶのか。
この物語の続きはこちら
『勇者学院の落ちこぼれ、死んだ英雄たちにだけ教えてもらえる』の続きや、ほかの異世界ファンタジー作品も公開しています。
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そして、悠真とセレスの仲直りをどう感じましたか?
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この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
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