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第4話/通算第64話 「勇者になると、自分じゃなくなるんですか?」

第7部『勇者継承機構編』




勇者は、選ばれるものではない。




《勇者は、作られる》




第6部の最後、古代施設の石壁に刻まれていた言葉が、勇者の歴史を根底から揺るがしました。




才能も魔力も最低。職業は《無職》。




そんな神谷悠真は、百人の死んだ英雄たちに教わりながら、少しずつ強くなってきました。




けれど、もし勇者の強さが、誰かから受け継がされるものだったとしたら?




受け継ぐのは、剣の技なのか。




戦いの経験なのか。




それとも、他人の記憶や想いまでなのか。




百人の先生たちが一斉に苦しみ、百一人目の勇者ゼルが初めて本気で悠真を止めた理由。




そして、百年前の記録に残された《百二人目》の謎。




その答えを求め、悠真とセレスは《勇者継承機構》の真相へ踏み込んでいきます。




しかし、真実に近づくことが、大切な人を守ることにつながるとは限りません。




先生の答えを信じるのか。




自分自身で答えを選ぶのか。




そして、誰かの過去を受け継いだあとも、自分は自分でいられるのか。




第7部『勇者継承機構編』。




これは、最弱だった少年が、強さの秘密ではなく、**「自分自身であり続ける意味」**を問い始める物語です。




悠真とセレス、そして百一人の先生たちが迎える新たな試練。




ぜひ、最後まで見届けてください。

勇者になった日、失ったもの

『勇者に認定された。人生で一番幸せな日だった』

その数ページ後。

同じ日記には、こう書かれていた。

『昨日まで好きだったものが、気持ち悪い。怖くなかったものが怖い。自分の言葉で話している気がしない』

そして、最後に。

『私は、本当に私なのか?』

「……セレス」

俺は、隣に座る少女を見た。

「これ、本当に同じ人が書いたのか?」

「記録上は、そうなっているわ」

「……記録上は?」

「ええ。だから、確認しているの」

セレスは、慎重にページを戻した。

俺たちは今、王立アストリア勇者学院の資料室にいる。

机の上には、古い記録が山積みになっていた。

昨日、俺たちが見つけたのは、一枚の紙だった。

《継承候補 適合確認中》

対象者の名前は、空欄。

誰が候補なのか。

何に適合するのか。

何も分からない。

そして今日。

俺たちは、その記録に関連する資料を調べていた。

そこで見つけたのが、古い勇者候補の日記だった。

「……これ、どこにあったんだ?」

俺は、革表紙を指さした。

「過去の勇者候補に関する記録の中よ。正式な報告書とは別に保管されていたみたい」

「日記まで残ってるのか」

「公的な記録だけでは分からないこともあるでしょう?」

……なるほど。

公式記録なら、勇者として認定されたことや、どんな任務を果たしたのかが書かれる。

でも、日記は違う。

そこに残るのは、一人の人間が何を感じたのかという記録だ。

「……じゃあ、続きを読むか」

「ええ」

俺は、ページへ目を戻した。

最初の部分は、ごく普通だった。

訓練が厳しい。

食事が楽しみだ。

勇者になれたら、誰かを守りたい。

そんな言葉が並んでいる。

「……意外と普通なんだな」

「何が?」

「勇者候補の日記って、もっとすごいことが書いてあると思ってた」

「例えば?」

「今日は魔王軍を百人倒しました、とか」

「そんなことを毎日していたら、日記を書く時間がないと思うけれど」

「……確かに」

セレスが、少しだけ笑った。

俺も笑った。

でも、その笑顔はすぐに消えた。

日記の途中に、一つの見出しがあった。

『勇者認定』

その下には、喜びが綴られていた。

努力が認められたこと。

家族に報告したいこと。

ようやく誰かを守れる人間になれるという決意。

……分かる。

俺だって、もし勇者として認められたら、きっと同じように喜ぶ。

異世界に来て。

剣も使えず。

魔法も出せず。

職業鑑定では、《無職》。

何度も笑われた。

でも、百人の先生たちに出会って、少しずつ変わった。

だから、努力が認められる嬉しさは、少しだけ想像できる。

「……この人、幸せだったんだろうな」

「そうね」

セレスも頷いた。

ところが。

次のページから、日記の内容が変わり始めた。


昨日まで好きだったもの

『昔から好きだった料理を食べた。なぜか、ひどく不快だった』

……え?

俺は、眉をひそめた。

「……セレス、これってどういう意味?」

「書かれている通りなら、好きだった料理を急に嫌いになったということね」

「体調が悪かったとか?」

「その可能性もあるわ」

……そうだよな。

食べ物の好みくらい、変わることはある。

それだけなら、不思議じゃない。

でも。

次の記述を見て、俺は言葉を失った。

『以前の自分の話し方が、ひどく幼く感じられる』

『命令されるのが嫌いだったはずなのに、今日は命令を待っていた』

さらに、その先。

『暗い場所が怖かった。だが、今は何も感じない』

『代わりに、重い扉が閉まる音を聞くと、体が震える』

……扉?

俺は、顔を上げた。

昨日、クロウ先生が言っていたことを思い出した。

重い扉が閉まる音。

そして、その音を嫌っていること。

「……クロウ先生」

壁際に立っていた暗殺王が、こちらを向いた。

『何だ』

「先生、昨日言ってましたよね。扉が閉まる音を覚えてるって」

『言った』

「この日記にも、似たことが書いてあるんです」

俺は、ページを指さした。

「……先生が覚えているのも、こんな音だったんですか?」

クロウ先生は、しばらく黙っていた。

そして。

『知らん』

短く答えた。

「……でも」

『悠真』

先生の声が、少し低くなった。

『似ていることと、同じことは違う』

……あ。

『俺の記憶が、その日記の人物と関係している証拠はあるのか?』

「……ありません」

『なら、今は似ているとだけ記録しろ』

……その通りだ。

俺は、頷いた。

「ありがとうございます」

『礼はいい。続きを読め』

……相変わらず厳しい先生だ。

でも、今の言葉は覚えておこう。

俺たちは、何かを探している。

だからこそ、似ているものを見つけると、すぐにつなげたくなる。

でも、それで間違えたら意味がない。

俺は紙に書き加えた。

《日記の記述とクロウの記憶に類似点あり》

《関連性は未確認》

「……これでいい?」

セレスが、頷いた。

「ええ。それと、もう一つ」

「……何?」

「日記の文章そのものを見て」

彼女は、前半と後半を並べて指さした。

前半。

『私は、もっと強くなりたい』

『私は、仲間を守れる人間になりたい』

ところが、後半になると。

『俺は迷わない』

『命令を待つ』

『恐れる必要はない』

……あれ?

「……言葉遣いが変わってる?」

「ええ」

「一人称まで違うじゃないか」

セレスは、慎重に二つの文章を見比べた。

「筆跡や記録の経過だけでは、別人が書いたとは判断できない。でも、文章の特徴が変わっているのは確かね」

「……じゃあ、本当に」

俺は、喉が乾くのを感じた。

勇者に認定されたあと。

言葉遣いが変わった。

好きなものが変わった。

怖いものまで変わった。

……それって。

「……セレス」

「何?」

「この人、自分じゃなくなっていったんじゃないのか?」

彼女は、すぐには答えなかった。

そして、静かに首を横に振った。

「そこまでは、まだ言えないわ」

「……でも」

「悠真。変化が起きたことと、その原因が分かったことは別よ」

……そうだ。

勇者認定のあとで変化した。

それは、日記に書かれている。

でも、認定が原因だとは限らない。

まして、《勇者継承機構》が原因だったと決まったわけでもない。

俺は、ページを見つめた。

それでも。

胸の奥に、嫌な予感が残っていた。


受け継ぐのは、力だけですか?

「……これを見て」

セレスが、日記の間に挟まれていた薄い紙を取り出した。

日記とは違う筆跡。

古い文字が、いくつか並んでいる。

「……何の記録?」

「確認用の資料かもしれないけれど、詳しいことは分からないわ」

彼女は、慎重に文字を追った。

「……《適合》」

……適合。

俺は、その言葉を覚えていた。

《記録》

《適合》

《継承》

《勇者継承機構》に関係するらしい、三つの段階。

「……その下は?」

「《率》と読めるわ」

「……率?」

「ええ。《適合率》」

俺は、その言葉を繰り返した。

「……何に適合するんだ?」

「まだ分からない。ただ、継承に関係する可能性はあるわ」

……継承。

昨日、ゼル先生が言ったことを思い出す。

『僕は、勇者になることを拒否したわけじゃない』

適合者名簿には、確かに書かれていた。

《第百一勇者 ゼル》

《継承拒否》

先生は、勇者になること自体を拒まなかった。

なら、何を拒んだのか。

俺は、もう一度日記を見た。

「……なあ、セレス」

「何?」

「誰かの経験を受け継ぐってさ」

俺は、言葉を探した。

「戦い方や魔法の知識だけじゃ、終わらないのかな」

「……どういう意味?」

「例えば、誰かが怖がっていたものまで、受け継いだら?」

セレスの表情が変わった。

俺は、続けた。

「剣の振り方だけじゃなくて、どういう時に戦うかとか、誰を守りたいと思うかとか」

……そうだ。

先生たちは、俺に戦い方だけを教えたわけじゃない。

誰かを守ること。

逃げること。

勝つことより大切なものがあること。

いろんな考え方を教えてくれた。

でも、もし。

その考え方そのものが、記憶と一緒に入ってくるとしたら。

「……それって、もう教わるだけじゃないよな」

セレスは、しばらく考えた。

「そうね。もし記憶と一緒に感情や判断の傾向まで受け継ぐなら、本人の考え方に影響する可能性はあるわ」

……やっぱり。

「でも、悠真」

彼女は、続けた。

「この日記を書いた人が、実際に何かを継承したかは確認できていない」

「……うん」

「それに、記憶を受け継ぐことと、人格が別のものになることも、同じとは限らない」

……そうだ。

まだ、答えは出ていない。

その時。

『……おい、悠真』

豪快な声がした。

ガルディオ先生だった。

「……何ですか?」

『お前、妙な顔してるぞ』

「元からです」

『そういう意味じゃねえ!』

先生は、俺の前に回り込んだ。

半透明の大きな身体。

いつもの豪快な剣聖。

でも、その顔は真剣だった。

『何をそんなに怖がってる?』

俺は、少し迷った。

そして。

「……先生」

「俺、先生たちからいろんなことを教わりましたよね」

『当たり前だろ』

「剣の振り方も、戦い方も」

『おう』

「……考え方も」

先生は、頷いた。

『そりゃあな』

「……じゃあ」

俺は、拳を握った。

「俺の考え方って、本当に俺のものなんですか?」

先生の表情が変わった。

『……何?』

「俺、先生たちに会う前は、何もできなかったんですよ」

剣も。

魔法も。

戦う勇気さえ、足りなかった。

でも、先生たちに会ってから変わった。

敵の動きを見るようになった。

一人で逃げずに、仲間と考えるようになった。

先生たちの意見に、反対するようにもなった。

……それが。

自分の成長なんだと思っていた。

「……でも、もし」

俺は、顔を上げた。

「先生たちの記憶まで、俺の中に入ってるとしたら」

ガルディオ先生は、黙った。

「俺が自分で考えたつもりのことまで、先生たちの考えだったら?」

……沈黙。

いつもなら。

先生は笑い飛ばすと思った。

『くだらねえこと考えるな!』

そんな言葉が返ってくると思った。

でも。

今回は違った。

先生は、自分の手を見つめた。

昨日、ガルディオ先生自身も、思い出せない記憶があると言っていた。

誰かと一緒に、同じ部屋へ入った気がする。

でも、誰と一緒だったのか分からない。

そんな先生に。

俺は、何を聞いているんだろう。

『……分からねえな』

ようやく、先生は言った。

「……え?」

『俺がお前に教えたことは覚えてる』

「……はい」

『お前が何度も失敗したことも覚えてる』

「……はい」

『俺の言う通りにしねえで、勝手に戦ったこともな』

「……それは、すみません」

先生は、少しだけ笑った。

でも、すぐに真剣な顔へ戻った。

『ただな』

「……はい」

『お前の頭の中に、今、何があるのか』

先生は、言葉を止めた。

『それを全部知ってるなんて、俺には言えねえ』

……先生。

胸の奥が、少し冷たくなった。

でも。

ガルディオ先生は、そこで終わらなかった。

『だから、調べろ』

「……はい」

『分からねえことを、分かったふりするんじゃねえぞ』

俺は、頷いた。

「……ありがとうございます」

『礼を言うほどのことじゃねえ』

先生は、そっぽを向いた。

……いつもの先生だ。

何でも知っているわけじゃない。

何でも解決できるわけでもない。

それでも。

分からないことを、分からないと言ってくれる。

今は、それが嬉しかった。


俺が選んだものまで、誰かの記憶だったら

日記の最後に近いページ。

そこには、震えるような文字が残されていた。

『私は、本当に私なのか』

俺は、その一文から目を離せなかった。

……怖い。

もし。

俺も、こうなったら。

好きなものが変わる。

怖いものが変わる。

考え方まで変わる。

それなのに、自分では気づかない。

いつの間にか。

誰かの判断を、自分の判断だと思い込んでいる。

……そんなことが、本当に起きるのか?

「……悠真?」

セレスが、俺を呼んだ。

「……何?」

「顔色が悪いわ」

「……そうかな」

「ええ。さっきから、同じページを見ている」

俺は、無理に笑おうとした。

でも、うまく笑えなかった。

昨日。

俺は、セレスに言った。

全部知っていてほしい、と。

何を見たのか。

何を考えたのか。

何が怖かったのか。

隠したくない。

そして、彼女は答えてくれた。

『だったら、勝手に一人で決めないで』

……そうだ。

怖いなら、ちゃんと言おう。

「……セレス」

「何?」

「俺さ、ずっと自分で選んできたつもりだったんだ」

彼女は、黙って聞いていた。

「先生たちにいろんなことを教えてもらっても、最後に決めるのは俺だって」

迷宮で、先生たちにも分からない敵と戦った時。

セレスと一緒に、敵の弱点を探した。

先生たちの意見が分かれた時も、自分で考えた。

何が正しいのか。

誰を守るのか。

戦うのか、逃げるのか。

……そうやって。

少しずつ、自分の答えを出せるようになったと思っていた。

「……でも、もし」

俺は、拳を握った。

「それが全部、俺の考えじゃなかったら?」

セレスの表情が変わった。

「先生たちの記憶が、俺の中にあるとして」

俺は、続けた。

「俺が正しいと思ったことまで、誰かの記憶に引っ張られていたら?」

……例えば。

誰かを守りたいと思ったこと。

仲間を見捨てたくないと思ったこと。

先生たちの答えを拒んだこと。

それさえ。

最初から誰かの記憶によって決められていたとしたら。

……俺は。

何を選んできたんだ?

「……セレス」

俺は、とうとう口にした。

「俺が選んでると思ってたことまで、先生たちの記憶だったら?」

静かな資料室。

誰も、答えなかった。

ガルディオ先生も。

クロウ先生も。

エレノア先生も。

そして、ゼル先生も。

……そうだ。

誰にも、まだ分からないんだ。

「……俺」

声が、少し震えた。

「本当は、何も選んでなかったのかな」

セレスは、しばらく俺を見つめていた。

そして。

「……悠真」

静かに呼んだ。

「まず、事実を整理しましょう」

……え?

「……事実?」

「ええ」

彼女は、日記を閉じた。

「あなたは、《勇者継承機構》に触れたあと、知らない戦場の記憶を見た」

「……うん」

「百英雄の一部にも、思い出せない記憶がある」

「……そうだな」

「でも」

セレスは、俺をまっすぐ見た。

「あなたの選択が、誰かの記憶に支配されていたという証拠はないわ」

……あ。

「……でも、可能性は」

「あるかもしれない」

彼女は、否定しなかった。

「だから、調べるの」

……セレス。

俺は、彼女を見つめた。

慰めてほしい気持ちは、あった。

そんなことない。

悠真は悠真だ。

全部、自分で選んだことだ。

そう言ってもらえたら、きっと安心できる。

でも、セレスはそう言わなかった。

証拠がないことは、証拠がないまま。

可能性があることは、可能性のまま。

彼女は、俺を安心させるために、答えを作らなかった。

……それが。

今は、ありがたかった。

「……そっか」

俺は、頷いた。

「まだ、分からないんだな」

「ええ」

「……じゃあ、調べるしかない」

「そうね」

セレスが、小さく笑った。

俺も、少しだけ笑えた。

でも。

胸の奥の恐怖は、消えなかった。

もし、調べた結果。

本当に、自分の選択が誰かの記憶に影響されていたと分かったら。

その時。

俺は、自分を信じられるのだろうか。


あなたが、あなたじゃなくなったら

「……悠真」

セレスが、日記を机へ置いた。

そして、少しだけ俺に近づいた。

「一つだけ、言っておくわ」

「……何?」

彼女は、真剣な顔をしていた。

「私は、あなたが変わらないとは言えない」

……うん。

それは、分かっている。

「この日記に書かれたようなことが、あなたに起きないとも断言できない」

「……そうだな」

「でも」

セレスは、俺の目を見た。

そして。

「あなたがあなたじゃなくなったら、私が気づく」

……え?

俺は、息を止めた。

「……気づく?」

「ええ」

「……何で?」

「ずっと、見てきたから」

……ずっと?

セレスは、少しだけ視線を逸らした。

「あなたが学院へ来た頃から」

静かな声だった。

「剣を持つだけで転んでいたことも」

「……そこは忘れてくれない?」

「魔法を出そうとして、何も起きなかったことも」

「……忘れる気、ないんだな」

「何度失敗しても、翌日にはまた挑戦していたことも」

……あ。

俺は、言葉を止めた。

セレスは、続けた。

「あなたは、何度も変わったわ」

「……うん」

「以前より、強くなった」

「少しだけな」

「以前より、自分で考えるようになった」

「……それは、先生たちのおかげだ」

「そうね」

彼女は、頷いた。

「でも、教わって変わることと、自分を失うことは、同じではないでしょう?」

……確かに。

俺は、黙った。

「あなたが最初から、今のあなたと同じだったわけじゃない」

セレスは、続けた。

「私だって、変わったわ」

……え?

「……セレスも?」

「ええ」

彼女は、少しだけ笑った。

「以前の私なら、こんなに誰かのことを気にしていなかったと思う」

……誰か?

俺は、彼女を見た。

セレスも、俺を見た。

そして。

なぜか、二人とも黙ってしまった。

……待て。

今のって。

もしかして。

俺のこと?

いや、落ち着け。

勝手に決めつけるな。

さっき、クロウ先生にも言われただろ。

似ていることと、同じことは違う。

……いや。

恋愛にまで、その理屈を持ち込むなよ、俺。

セレスは、軽く咳払いをした。

「……とにかく」

「……うん」

「変化を恐れること自体は、間違っていないわ。でも、すべての変化を悪いものだと決める必要もない」

……そうか。

俺は、ゆっくりと頷いた。

「ただし」

彼女は、言葉を続けた。

「もし、あなたが自分の意思で選べなくなっているなら、それは見過ごせない」

「……うん」

「だから、私は気づこうとする」

セレスは、俺を見つめた。

「あなたが何を考えるのか」

「……うん」

「何を怖がるのか」

「……うん」

「何を選ぼうとするのか」

彼女は、少しだけ頬を赤くした。

「……ちゃんと、見ているから」

胸の奥が、熱くなった。

昨日、俺は彼女に言った。

全部知っていてほしい、と。

でも。

今は、それだけじゃ足りない気がした。

自分が変わるかもしれない。

その恐怖を、一人で抱えるのは嫌だった。

……だから。

俺は、思わず聞いてしまった。

「……ずっと見ててくれる?」

沈黙。

……え?

俺は、瞬きをした。

セレスも、動かなかった。

……待て。

今、俺、何を言った?

ずっと?

見ててくれる?

……それって。

もしかして。

とんでもないことを言ってないか?

「……あ!」

俺は、慌てた。

「いや、その! 変な意味じゃなくて!」

セレスの頬が、さらに赤くなった。

「……変な意味?」

「いや、だから!」

……最悪だ。

昨日も、似たようなことを言った気がする。

俺は、必死に言葉を探した。

「ほら! 俺が何かおかしくなったら、ちゃんと教えてほしいって意味で!」

「……そう」

「……うん」

「……それだけ?」

……え?

今。

何て?

俺は、セレスを見た。

彼女は、少しだけ視線を落としていた。

「……いや」

俺は、言葉に詰まった。

「……それだけ、っていうか」

……どう答えればいいんだ?

分からない。

剣の間合いなら、少しは分かる。

魔物の攻撃だって、以前より見えるようになった。

でも。

目の前の少女が、何を考えているのか。

今だけは、まったく分からない。

その時。

『……悠真』

クロウ先生が、静かに言った。

『黙れ』

……先生。

今は、本当にそうしたほうがよさそうです。

俺は、口を閉じた。

セレスも、何も言わなかった。

窓から差し込む光。

机の上の古い日記。

そして、妙に近く感じる彼女との距離。

さっきまで。

自分が自分でなくなることが、怖かった。

でも、今は。

セレスがどう思っているのか。

そればかりが、気になっていた。

……これも。

誰かの記憶なのだろうか。

俺は、すぐに首を振った。

違う。

……いや。

違うと証明できるわけじゃない。

それでも。

今、この瞬間。

彼女の顔を見て、胸が苦しくなること。

その感覚だけは。

自分のものだと、信じたかった。

セレスが、ようやく口を開いた。

「……悠真」

「……何?」

「私が何かに気づいたら、ちゃんと伝えるわ」

「……うん」

「だから」

彼女は、まっすぐ俺を見た。

「あなたも、一人で答えを出さないで」

……あ。

昨日と、同じ言葉。

でも。

今は、その意味が少し違って聞こえた。

俺は、ゆっくりと頷いた。

「……分かった」

彼女は、小さく笑った。

その笑顔を見て。

俺も、ようやく笑えた。


百二人と、百二の席

「……さて」

セレスが、咳払いをした。

「調査に戻りましょう」

「……はい」

……何で敬語になったんだ、俺。

彼女は、日記に挟まれていた紙をもう一度広げた。

「《適合率》について、ほかの記録と照らし合わせたいの」

「……分かった」

俺は、資料の山から古い名簿を取り出した。

以前、俺たちが見つけた記録だ。

《勇者候補 百二名》

百年前の勇者候補。

その人数を示す文字。

「……これでいい?」

「ええ。ありがとう」

セレスは、名簿と日記の記録を並べた。

そして。

机の上に、二つの数字を書いた。

《百二》

《百二》

「……同じ数字だな」

「そうね」

「……何を比べてるんだ?」

「勇者候補の人数と、《勇者継承機構》の席の数よ」

……機構の席。

俺は、あの部屋を思い出した。

古い石壁。

並んだ紋章。

百一個の古い紋章。

そして、何も刻まれていない空席が一つ。

「……百一個と、一つ」

「合わせれば、百二ね」

……確かに。

候補者は、百二名。

機構にも、百二の場所がある。

「じゃあ!」

俺は、身を乗り出した。

「一人につき一つの席があったってことじゃないのか?」

セレスは、すぐに首を横に振った。

「そう考えたくなるわね。でも、そこが問題なの」

「……問題?」

彼女は、二つの数字に、それぞれ言葉を書き足した。

《勇者候補 百二名》

《機構内の紋章・席 合計百二》

「……同じ数だろ?」

「数は同じ。でも、数えているものが違うわ」

……え?

セレスは、二つの記録を指さした。

「一方は、人間の人数よ」

「……うん」

「もう一方は、機構に存在する紋章と席の数」

「……うん」

「それが、必ず一対一で対応しているという証拠はない」

……あ。

俺は、もう一度紙を見た。

確かに。

同じ数字だから、同じ意味だと思っていた。

でも。

候補者が百二人いたことと。

百二の席があることは、別の話だ。

「……じゃあ」

俺は、考えた。

「候補者の人数に合わせて、席が作られたとは限らない?」

「ええ」

セレスは、頷いた。

「最初から百二の席があって、そこへ候補者を割り当てた可能性もあるわ」

「……逆だったってことか」

「そう。あるいは、席が人数ではなく、何かの役割を示している可能性もある」

……役割?

俺は、顔を上げた。

「……席そのものに、意味があるってこと?」

「それも、まだ仮説よ」

……そうか。

百二人の候補者。

百二の席。

同じ数字なのに、意味が違うかもしれない。

……だったら。

「……セレス」

「何?」

「最後の空席だけ、名前がなかったよな」

「ええ」

「それって、やっぱり……」

俺は、昨日見つけた記録を思い出した。

《継承候補 適合確認中》

対象者の名前は、空欄。

そして。

《勇者継承機構》の中にも、名前のない席が一つ。

……似ている。

あまりにも。

「……この二つ、つながってるんじゃないか?」

セレスは、少し考えた。

「調べる価値はあるわ」

「……だよな」

「でも、空欄の理由が同じとは限らない」

……うん。

もう、分かっている。

似ていることと。

同じであることは、違う。

俺は、図を見つめた。

百二人。

百二の席。

そして。

名前のない一つ。

……そういえば。

以前。

若い姿のゼル先生が、俺を《百二人目》と呼んだことがあった。

あの言葉も。

もしかしたら。

俺が考えていた意味とは、違うのかもしれない。

「……なあ、セレス」

「何?」

「《百二人目》ってさ」

俺は、慎重に言葉を選んだ。

「本当に、人間を数えた番号なのかな」

彼女の表情が変わった。

「……どういうこと?」

「いや、まだうまく言えないんだけど」

俺は、空席の図を指さした。

「もし、この席が誰か一人を指すものじゃなくて、何かの役割を表しているなら」

俺は、続けた。

「《百二人目》っていう言葉も、単純に百二番目の人間を意味してるとは限らないよな」

セレスは、黙った。

しばらく考えて。

そして。

「……そうね」

小さく答えた。

……え?

俺は、顔を上げた。

「……今の、間違ってない?」

「間違いだと決める理由はないわ」

彼女は、新しい紙を取り出した。

《百二名=候補者の人数》

《百二席=機構内の紋章・席の合計》

《両者の対応関係は未確認》

《百二人目の意味は未確定》

……すごい。

俺が気づいたのは、同じ数字があることだけだった。

でも、セレスは。

何を数えているのか。

その違いに気づいた。

同じ数字が、別の意味を持つ可能性を見つけた。

「……やっぱり、セレスはすごいな」

「何が?」

「俺だったら、百二って数字を見ただけで、同じものだと思ってた」

彼女は、首を横に振った。

「あなたが疑問を出してくれたから、ここまで考えられたのよ」

……そうか。

俺は、紙を見つめた。

自分で疑問を持つ。

誰かが、その疑問を別の角度から考える。

一緒に、答えを探す。

……先生たちに教わってきたこととも、少し似ている。

でも。

今、隣で考えているのは。

死んだ英雄ではない。

生きている、セレスだ。

そのことが。

なぜか、とても嬉しかった。


強くなるほど、失われるもの

「……最後に、もう一つ」

セレスが、古い日記へ目を戻した。

「……何?」

「この紙、まだ全部読めていないの」

日記に挟まれていた、薄い記録。

《適合率》

その言葉が残されていた紙だ。

「……ほかにも書いてあるのか?」

「ええ。文字がかすれているけれど」

彼女は、紙を光にかざした。

「……ここ」

俺は、身を乗り出した。

「……読める?」

「《人格》とあるわ」

……人格。

さっきから、何度も考えていた言葉。

「……その下は?」

「《境界》」

「……境界?」

セレスが、頷いた。

「《人格境界》」

俺は、その言葉を繰り返した。

「……人格境界」

聞き慣れない。

でも。

何となく、意味は想像できる。

「……自分と、ほかの誰かを区別する境目?」

「言葉としては、そう考えられるわ」

……境目。

俺と。

俺ではない誰か。

その境界。

「……それって」

俺は、喉が乾くのを感じた。

「誰かの記憶が入ってきたら、その境目が分からなくなるってことなのかな」

セレスは、少し考えた。

「そういう可能性はあるわ。でも、まだ用語の意味を確認できていない」

……そうだ。

答えは出ていない。

ただ。

見つかる言葉が増えるたびに。

一つの疑問が、大きくなっていく。

《適合率》

《人格境界》

そして。

勇者認定後に変わっていった、一人の候補者。

「……勇者ってさ」

俺は、呟いた。

「強くなれば、それでいいんだと思ってた」

セレスが、顔を上げた。

「……うん?」

「誰かを守れる力があれば、勇者になれるんだって」

魔物を倒す。

仲間を守る。

危険な場所へ向かう。

先生たちに教えてもらったことを使って。

自分で考えて。

自分で選ぶ。

そうやって。

いつか、本物の勇者になる。

……でも。

もし。

その力を得る代わりに。

自分自身を失うとしたら。

「……そんなの」

俺は、拳を握った。

「本当に、勇者って言えるのかな」

セレスは、すぐには答えなかった。

俺も、答えを求めなかった。

……いや。

本当は。

誰かに教えてほしかった。

何を選べばいいのか。

どうすればいいのか。

でも。

今は、分かっている。

それを、先生たちに決めてもらうわけにはいかない。

俺自身が、考えなければいけない。

その時。

『……悠真』

静かな声がした。

ゼル先生だった。

俺は、振り返った。

黒髪の青年。

穏やかな顔。

いつも俺に問いかけてくれる、一番優しい先生。

でも。

昨日から。

先生の笑顔を見るたびに、胸が痛くなる。

《第百一勇者 ゼル》

《継承拒否》

先生は、何かを拒んだ。

勇者になることではない。

勇者になった、その先にある何かを。

……もしかして。

先生は、この《人格境界》という言葉を知っているのだろうか。

「……ゼル先生」

俺は、静かに呼んだ。

『何だい?』

「先生は……」

言葉が止まった。

……聞けば。

何かを教えてくれるかもしれない。

でも。

昨日、俺は決めた。

先生が答えを知っていたとしても。

まず、自分たちで調べる、と。

俺は、深く息を吸った。

「……いえ」

そして、首を横に振った。

「今は、まだ聞きません」

ゼル先生は、俺を見つめていた。

しばらく、何も言わなかった。

それから。

『……そうか』

小さく答えた。

その声は、少しだけ寂しそうだった。

……先生。

俺は、目を逸らした。

信じていないわけじゃない。

ただ。

今は、先生の答えではなく。

自分たちの答えを探したかった。


最後の警告

「……悠真」

セレスが、再び俺を呼んだ。

「……何?」

彼女は、薄い記録を裏返していた。

「ここにも文字があるわ」

……え?

俺は、急いで近づいた。

古びた紙。

かすれた線。

ほとんど消えかけた文字。

でも、確かに何かが書かれている。

「……読める?」

「少し待って」

セレスは、慎重に文字を追った。

一文字。

また一文字。

そして。

彼女の指が止まった。

「……セレス?」

返事がない。

彼女は、もう一度文字を確認した。

その表情が、ゆっくりと変わっていく。

……どうした?

「……何て書いてあるんだ?」

セレスは、顔を上げた。

「……悠真」

「……うん」

「これは、注意書きだと思う」

……注意書き?

「……何に対する?」

彼女は、紙を俺の前に置いた。

「適合率が高い人に対する警告よ」

……適合率が高い人?

俺は、思わず右手を見た。

《勇者継承機構》の扉。

あの時。

俺が触れると、機構が反応した。

百人の先生たちが苦しんだ。

そして、俺の頭には、知らない戦場の記憶が流れ込んできた。

……でも。

だからといって、俺の適合率が高いとは限らない。

そんな証拠は、どこにもない。

分かっている。

それでも。

どうしても、考えてしまう。

……もし。

俺が、その警告の対象だったら?

「……セレス」

俺は、声を絞り出した。

「何て、書いてあるんだ?」

彼女は、もう一度紙へ目を落とした。

そして。

ゆっくりと、読み上げた。

《高適合者は人格境界の希薄化に注意》

……え?

俺は、息を止めた。

希薄化。

境目が、薄くなること。

自分と。

自分ではない誰かの。

境界が。

薄くなる。

……そんなことが、本当に起きるのか?

俺は、古い日記を見た。

勇者に認められて喜んでいた人間。

そのあとで変わっていった言葉遣い。

好み。

恐怖。

そして。

最後に残された問い。

『私は、本当に私なのか』

……この人も。

自分が自分でなくなることを、怖がっていたのだろうか。

いや。

まだ、そうとは決まっていない。

日記の変化と、この警告が同じ原因で起きたとは限らない。

でも。

少なくとも。

この警告を書いた誰かは、人格の境界が薄くなる危険を考えていた。

……それだけは。

目の前の文字が示している。

「……悠真」

セレスが、俺を呼んだ。

「今、分かったのは、危険を示す記述があるということだけよ」

「……うん」

「あなたに、その危険が起きるかどうかは、まだ分からない」

「……分かってる」

俺は、頷いた。

でも。

視線は、机の上の警告文から離れなかった。

……怖い。

自分が、自分でなくなるかもしれない。

それは、怖い。

でも。

同じくらい。

……知りたい。

本当のことを。

あの機構が、何をするものなのか。

先生たちの記憶に、何が起きたのか。

そして。

俺自身が、何者なのか。

俺は、昨日見つけた記録を思い出した。

《継承候補 適合確認中》

対象者の名前は、空欄。

もし。

あの空欄と、俺に起きた現象が関係しているなら。

……もう一度、あの扉に触れたら。

何かが分かるかもしれない。

知らない戦場の記憶。

百英雄たちの断片的な記憶。

そして、《適合率》。

……確かめたい。

あの扉の向こうに。

答えがあるのではないか。

そんな考えが、頭から離れなかった。

その時。

「……悠真?」

セレスが、俺を見た。

「……何?」

「今、何を考えているの?」

俺は、すぐには答えられなかった。

……昨日。

約束した。

勝手に一人で決めない、と。

彼女は、俺を見ていてくれると言った。

俺も、一人で答えを出さないと決めた。

……分かっている。

それでも。

あの扉のことを考えてしまう。

「……まだ、何も決めてない」

俺は、ようやく答えた。

セレスは、しばらく俺を見つめていた。

そして。

「……そう」

静かに頷いた。

俺は、もう一度紙を見た。

自分を失うかもしれない。

そんな危険がある。

それでも。

真相を知るために、何かを確かめなければいけない。

……その二つが。

頭の中で、何度もぶつかっていた。

俺は、まだ何も決めていない。

あの扉に、もう一度触れるのか。

それとも、別の方法を探すのか。

ただ。

自分が自分であるうちに、確かめたい。

そんな気持ちだけが、消えなかった。

俺は、その警告から目を離せなかった。

《高適合者は人格境界の希薄化に注意》

第64話 完


次回予告

第7部『勇者継承機構編』

次回 第5話/通算第65話

「世界を救うためなら、自分を壊してもいいんですか?」

勇者になると、自分自身を失うかもしれない。

そんな警告を見つけた悠真。

それでも、知りたい。

《勇者継承機構》の真実を。

先生たちの記憶の正体を。

そして、自分が何者なのかを。

「……俺なら見える」

その思いは、やがて危険な選択へと変わっていく。

しかし。

「世界を救うためなら、自分を壊してもいいなんて言わないで」

セレスは、初めて本気で悠真に反対する。

真相を知りたい悠真。

悠真自身を失いたくないセレス。

二人が初めて、本気でぶつかる。

そして。

《勇者継承機構》が、悠真に見せるものとは。

次回、自分を犠牲にしてでも答えを得ようとする少年が、重大な選択を迫られる。



悠真の選択は、本当に悠真自身のものなのでしょうか?

今回のセレスの言葉や、《人格境界》の謎について、ぜひ感想を聞かせてください。コメントもお待ちしています。

この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。

Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524

Momokun Official https://momokun.jp/

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