第1話/通算第61話 「勇者は、何を受け継ぐんですか?」
第7部『勇者継承機構編』
勇者は、選ばれるものではない。
《勇者は、作られる》
第6部の最後、古代施設の石壁に刻まれていた言葉が、勇者の歴史を根底から揺るがしました。
才能も魔力も最低。職業は《無職》。
そんな神谷悠真は、百人の死んだ英雄たちに教わりながら、少しずつ強くなってきました。
けれど、もし勇者の強さが、誰かから受け継がされるものだったとしたら?
受け継ぐのは、剣の技なのか。
戦いの経験なのか。
それとも、他人の記憶や想いまでなのか。
百人の先生たちが一斉に苦しみ、百一人目の勇者ゼルが初めて本気で悠真を止めた理由。
そして、百年前の記録に残された《百二人目》の謎。
その答えを求め、悠真とセレスは《勇者継承機構》の真相へ踏み込んでいきます。
しかし、真実に近づくことが、大切な人を守ることにつながるとは限りません。
先生の答えを信じるのか。
自分自身で答えを選ぶのか。
そして、誰かの過去を受け継いだあとも、自分は自分でいられるのか。
第7部『勇者継承機構編』。
これは、最弱だった少年が、強さの秘密ではなく、**「自分自身であり続ける意味」**を問い始める物語です。
悠真とセレス、そして百一人の先生たちが迎える新たな試練。
ぜひ、最後まで見届けてください。
先生たちが苦しんだ理由
『悠真! 今すぐ手を離せ!』
ゼル先生が、叫んだ。
百人の英雄たちが、一斉に苦しみ始めていた。
剣聖ガルディオ先生が膝をつく。
大魔導師エレノア先生が頭を押さえる。
暗殺王クロウ先生が、壁にもたれかかった。
聖女リリア先生まで、苦しそうに胸元を押さえている。
「……先生たち?」
何が起きた?
俺は、巨大な石扉に右手を触れたまま、動けなかった。
目の前には、青白く光る魔法陣。
その奥には、誰も座っていない椅子。
そして。
壁に浮かび上がった、あの言葉。
《勇者は、作られる》
勇者は、選ばれるものじゃない。
作られる。
だったら。
俺が今まで目指してきた勇者って、何だったんだ?
『悠真!』
ゼル先生の声が、もう一度響いた。
いつも穏やかな先生が。
本気で怒鳴っていた。
『その扉から離れるんだ!』
「……っ!」
俺は、慌てて手を引いた。
その瞬間。
指先から、冷たい何かが抜けていく感覚がした。
魔法陣が激しく明滅する。
青白い光が、床を走った。
そして。
膝から力が抜けた。
「……あれ?」
足が動かない。
身体が傾く。
……まずい。
倒れる。
そう思った瞬間。
「悠真!」
セレスが駆け寄ってきた。
俺の腕を掴み、倒れかけた身体を抱き止める。
「しっかりして!」
「……セレス」
「返事をして。どこか痛む?」
「……痛くはない」
「じゃあ、どうして立てないの?」
「……分からない」
情けない話だった。
学院史上最低の《無職》。
魔力も剣術も最低だった俺が。
百人の先生に教わって、少しは強くなったと思っていたのに。
今。
立つことさえできない。
「……ごめん」
「謝ることじゃないわ」
セレスは、俺の腕を自分の肩に回した。
「ゆっくり。無理に動かないで」
「……うん」
俺は、彼女に支えられながら立ち上がった。
近い。
ものすごく近い。
いつもだったら、きっと慌てていただろう。
でも。
今は、そんな余裕がなかった。
先生たちが苦しんでいる。
俺が触れたせいかもしれない。
この場所で何が起きているのかも分からない。
なのに。
セレスが、俺を支えてくれている。
それだけで。
胸の奥にあった恐怖が、少しだけ薄くなった。
「……セレスがいてよかった」
気づいた時には。
声に出していた。
「……え?」
彼女の手が、一瞬止まった。
「……今、何て?」
「……え?」
俺は、顔を上げた。
セレスが、俺を見つめている。
さっきまで真剣だった表情が。
なぜか、少しだけ変わっていた。
「……いや、その」
しまった。
俺、何か変なことを言ったか?
いや。
変じゃないよな。
助けてもらったんだから。
感謝するのは普通だ。
でも。
「……セレス?」
「……」
「……大丈夫?」
「それは、私が聞くことよ」
彼女は、少しだけ顔を背けた。
「……ちゃんと立てるようになってから、話して」
「……はい」
耳が赤い。
……気のせいだろうか。
背後で。
『……青春だな』
ガルディオ先生が、苦しそうな声で呟いた。
「先生! 大丈夫なのか!?」
『ああ……ようやく落ち着いてきた』
『まったく、騒がしい人ですね』
エレノア先生が、額を押さえながら言った。
『今は悠真の身体を心配するところでしょう』
『してるぞ。だから、あいつが立てて安心したんだ』
『余計なことまで言う必要はありません』
……先生たち。
こんな時まで、いつもどおりなのか。
でも。
その掛け合いを聞いて。
俺は、ようやく少しだけ笑えた。
ただ。
一人だけ。
笑っていない先生がいた。
ゼル先生だ。
黒髪の青年は、開いた石扉を見つめていた。
いつもの穏やかな笑顔はない。
まるで。
そこにあるものを、誰よりも恐れているようだった。
先生の答えを、聞かないという選択
「……神谷殿」
王国の担当官が、慎重に声をかけてきた。
「お身体は大丈夫ですか?」
「……はい。何とか」
「先ほどの異変について、確認させてください」
俺は頷いた。
担当官は、古い記録用紙を取り出した。
「あなたが石扉に触れた直後、魔法陣が発光しました。そして、扉が開いた」
「はい」
「その時、あなたにしか見えないという英雄たちにも異変が起きたのですね?」
「……はい。百人の先生たちが、一斉に苦しみ始めました」
担当官は、静かに記録を取った。
否定しない。
でも、簡単に信じたとも言わない。
それが、今はありがたかった。
「……悠真」
セレスが口を開いた。
「一つ、整理しましょう」
「……うん」
「分かっているのは、あなたが扉に触れたこと。その直後に魔法陣が反応し、先生たちが苦しんだこと」
「そうだな」
「でも、どうしてそうなったのかは、まだ分からない」
俺は、先生たちを見た。
百人の英雄。
死んだはずなのに、俺にだけ見える存在。
この人たちと。
《勇者継承機構》。
もし、何か関係があるのなら。
「……先生たちは、この場所とつながっているのかな」
「可能性はあるわ。でも、今はそれ以上言えない」
「……うん」
セレスは、いつもと変わらなかった。
俺が不安になっても。
怖くなっても。
自分に都合のいい答えを欲しがっても。
証拠のないことを、正しいとは言わない。
だから。
俺は、この人と一緒に調べたいと思う。
「悠真」
学院長が、口を開いた。
「これ以上の接触は避けるべきだ」
「……はい」
「ただし、目視で確認できる記録まで調査を禁じる理由はない。危険があれば中断する。それでいいか?」
「はい」
担当官も頷いた。
「私も記録の確認に協力します。ただし、魔法陣や椅子には触れないでください」
「……分かりました」
俺は、もう一度石扉を見た。
開いたままの巨大な扉。
その奥。
誰もいない椅子。
どうしてだろう。
怖い。
なのに。
目を離せない。
『悠真』
ゼル先生が、静かに呼んだ。
俺は振り返った。
『……君は、僕に聞かないのかい?』
「……何を?」
『この場所について』
先生は、少しだけ目を伏せた。
『僕が何かを知っているかもしれないとは、思わない?』
思う。
当然だ。
百一人目の勇者。
ゼル先生は、百年前の勇者制度について、俺よりずっと多くのことを知っている。
そして。
さっきの先生の顔。
あれは、ただ危険を感じただけの顔じゃなかった。
何かを知っている。
あるいは。
知っていることを、思い出したくない。
そんな顔だった。
俺は、口を開きかけた。
「先生、この場所は……」
そこで。
言葉を止めた。
……違う。
今、聞きたいのは。
先生が知っている答えじゃない。
俺たちが、これから確かめるべきことだ。
「……やっぱり、聞かない」
ゼル先生が、目を見開いた。
『……どうして?』
俺は、隣のセレスを見た。
彼女は何も言わず、俺を見ている。
俺自身が答えるのを、待っていた。
「先生が知ってても、まず俺たちで調べる」
『……』
「先生のことは、信じてるよ」
俺は続けた。
「でも、先生の言うことを全部正しいと思うのと、先生を信頼するのは、違うと思うんだ」
ゼル先生は、黙っていた。
「先生だって、間違えることはあるだろ?」
『……そうだね』
「俺なんか、毎日のように間違えてるし」
『それは、よく知っているよ』
「そこは否定してくれよ!」
先生が、小さく笑った。
ようやく。
いつものゼル先生の顔が戻った。
『……悠真』
「何?」
『君は、変わったね』
「……そう?」
『昔の君だったら、真っ先に僕へ答えを求めていた』
「……うん」
確かに。
以前の俺なら。
分からないことがあれば、先生に聞いていた。
強くなる方法も。
戦う方法も。
勇者になる方法も。
全部。
でも。
今は違う。
先生たちに教わったからこそ。
自分で考えたい。
「……一人じゃないからさ」
俺は、セレスを見た。
「一緒に考えてくれる人がいる」
セレスは、少しだけ目を伏せた。
ゼル先生が、静かに頷いた。
『……それなら、君たちの答えを探すといい』
俺は頷いた。
「うん」
でも。
ゼル先生が何を知っているのか。
どうして、あんなに必死で俺を止めたのか。
その答えは。
まだ分からなかった。
百一個の紋章と、名前のない空席
「……悠真、こっちを見て」
セレスが、壁を指さした。
巨大な空間の壁。
そこには、古い紋章が並んでいた。
形は、一つずつ違う。
剣を思わせるもの。
星のようなもの。
複雑な模様を組み合わせたもの。
どれも、長い年月を経た古い刻印だった。
「……これ、何個あるんだ?」
「数えてみましょう」
俺たちは、壁に沿って視線を動かした。
もちろん、何にも触れない。
一つ。
二つ。
三つ。
……二十七。
二十八。
「あれ? 今、二十八って言った?」
「二十七よ」
「……え?」
「同じものを二回数えているわ」
「……ごめん」
「悠真」
「何?」
「数えるのは、私に任せて」
「……はい」
……情けない。
勇者候補なのに。
古い紋章の数すら満足に数えられない。
いや。
勇者に必要な能力なのか、それ。
セレスは、落ち着いて確認を続けた。
担当官も別の位置から数え直す。
そして。
二人の数字が一致した。
「……百一個」
セレスが、静かに言った。
俺は、顔を上げた。
「……百一?」
「ええ」
百一。
その数字を聞いた瞬間。
俺は、背後を振り返った。
百人の英雄。
そして。
百一人目の勇者。
ゼル先生。
……まさか。
「……セレス」
「何?」
「これって、先生たちの数と……」
「一致するわね」
彼女は頷いた。
「でも、だからといって、この紋章が先生たちを表しているとは限らない」
「……うん」
「それに、百人の英雄全員が、正式な勇者だったとも限らないでしょう?」
そうだった。
これまで調べてきた勇者制度。
勇者。
英雄。
その二つは、必ずしも同じ意味ではなかった。
「……数字が同じだけじゃ、証拠にならないか」
「そういうこと」
俺は、もう一度壁を見た。
百一個の紋章。
その一つ一つに。
何が記録されているのか。
そもそも、誰のための紋章なのか。
まだ分からない。
背後で、ガルディオ先生が腕を組んだ。
『百一個、ねえ……』
「先生、何か知ってる?」
『いや。だが、気味の悪い数だな』
ガルディオ先生が、自分の胸元を見た。
『俺たちの人数と同じだなんてよ』
エレノア先生も、静かに壁を見つめていた。
『偶然かもしれません』
『分かってるよ』
『なら、今はそう扱うべきです』
『……お前、セレスに似てきたな』
『何ですって?』
……先生。
今、それを言うと怒られるぞ。
俺は、慌てて視線を戻した。
その時。
セレスが、別の場所を見ていた。
「……悠真」
「何?」
「あの椅子」
彼女が指さしたのは、魔法陣の中央だった。
誰も座っていない。
一脚の椅子。
「壁には紋章があるのに、あの椅子には刻印が見当たらないわ」
俺は、目を凝らした。
確かに。
そこには、名前も紋章もなかった。
ただ。
空っぽの椅子が、一つ。
「……百一個の紋章」
俺は、呟いた。
「それに、名前のない椅子が一つ」
百一。
そして。
一。
合わせれば。
百二。
百年前の記録。
《勇者候補 百二名》
あの数字が、頭をよぎった。
「……まさか、あの椅子が百二人目の場所?」
「可能性はあるわ」
セレスが答えた。
「でも、人数を記録したものなのか、別の何かを表しているのかは、まだ分からない」
「……うん」
「それに、紋章と椅子が同じ意味のものとも限らない」
俺は頷いた。
でも。
胸の奥が、冷たくなった。
百二人目。
それは、ずっと俺たちが調べてきた謎だった。
誰なのか。
何者なのか。
どうして記録から消えているのか。
そして。
俺自身が、その百二人目なのか。
でも。
今、目の前にあるのは。
人間じゃない。
名前のない。
空っぽの椅子だった。
「……セレス」
「何?」
「百二人目ってさ」
俺は、椅子を見つめた。
「本当に、人の名前なのかな」
セレスは、すぐには答えなかった。
その代わり。
壁と椅子を、もう一度見比べた。
「……今は、そういう疑問も残しておきましょう」
俺は頷いた。
そうだ。
分からないことは、分からない。
でも。
分からないことが一つ増えたんじゃない。
調べるべき場所が、初めて具体的に見つかったんだ。
勇者は、称号だけを受け継ぐのではない
「……待って」
セレスが、壁の下部を指さした。
「ここにも文字があるわ」
百一個の紋章から、少し離れた場所。
石壁には、古い文字が刻まれていた。
俺には読めない。
でも、セレスは違った。
王立アストリア勇者学院の首席級。
魔法だけじゃない。
古い文献を読む知識も、俺とは比べものにならない。
……本当にすごい。
同じ学院の生徒なのに。
どうして、ここまで差があるんだろう。
「……読めそう?」
「全部は無理。でも、いくつか分かる言葉がある」
セレスは、慎重に文字を追った。
そして。
一つ目の言葉を口にした。
「……《継承》」
俺は頷いた。
《勇者継承機構》。
この施設の名前にもある言葉だ。
「それって、次の勇者に称号を引き継ぐって意味じゃないの?」
「そう考えるのが自然ね。でも、この古い文章では、もう少し広い意味で使われているみたい」
「……広い?」
「ええ」
セレスが、次の文字を指さした。
「……《経験》」
その隣。
「……《記憶》」
そして。
最後に。
「……《技》」
俺は、息を止めた。
経験。
記憶。
技。
その三つの言葉が。
《継承》という文字の近くに、並んでいた。
「……セレス」
「何?」
「これって……」
俺は、壁を見た。
「昔の勇者が経験したことを、次の勇者へ渡すってこと?」
「そういう意味を含んでいる可能性が高いわ」
セレスは、慎重に答えた。
「ただし、文章の全体が読めたわけじゃない。実際にどういう方法で受け渡すのかも、まだ分からない」
「……うん」
俺は、自分の右手を見た。
剣を握ってきた手。
最初は、木剣すらまともに振れなかった。
ガルディオ先生に怒鳴られた。
クロウ先生に、何度も逃げ方を教わった。
エレノア先生には、魔法の基礎を何度も説明してもらった。
リリア先生には。
……料理については、あまり思い出さないほうがいい。
命に関わる。
でも。
先生たちから教わったことは。
確かに、俺の中に残っている。
それは。
俺が何度も失敗して。
何度も立ち上がって。
少しずつ覚えてきたことだった。
「……もしさ」
俺は、呟いた。
「もし、この機構で、昔の英雄たちの経験を受け継げるんだったら」
セレスが、俺を見た。
「……うん」
「俺、あんなに苦労しなくても、強くなれたのかな」
言ってから。
少し笑った。
「学院史上最低の落ちこぼれにも、ならなくて済んだかもしれない」
セレスは、笑わなかった。
「……悠真」
「何?」
「誰かの経験を知ることと、自分で経験することは、同じではないわ」
俺は、顔を上げた。
「……そうかな」
「そう思う」
彼女は、はっきり言った。
「戦い方を知っていても、実際に身体を動かせるとは限らない。誰かの判断を覚えていても、その判断が今の状況で正しいとは限らないでしょう?」
俺は、黙った。
……確かに。
先生たちの教えだって、そうだった。
ガルディオ先生が正しいと言った戦い方が。
必ずしも、俺にできるとは限らなかった。
クロウ先生が逃げろと言った時に。
俺は、戦うことを選んだこともある。
先生たちが知らない敵に。
セレスと一緒に考えて、勝ったこともあった。
「……知ってるだけじゃ、駄目なのか」
「少なくとも、知っているだけで何でもできるようになるとは思えないわ」
セレスは、もう一度壁を見た。
「それに、私は《記憶》という言葉が気になる」
「……記憶?」
「ええ」
彼女は、少しだけ声を落とした。
「経験や技なら、学ぶという意味でも考えられる。でも、記憶そのものを受け継ぐというのは……」
セレスが、言葉を止めた。
俺も、考えた。
記憶。
俺には、日本にいた頃の記憶がある。
事故に遭ったこと。
この世界で目を覚ましたこと。
勇者学院へ入学したこと。
職業が《無職》だと判定されたこと。
先生たちと出会ったこと。
セレスと一緒に戦ったこと。
全部。
俺自身の記憶だ。
少なくとも、俺はそう思っている。
「……もし」
セレスが言った。
「誰かの記憶を受け継いだとしたら」
俺は、彼女を見た。
「……うん」
「その記憶と、自分の記憶は、どう区別するのかしら」
胸の奥が、冷たくなった。
誰かの記憶。
自分の記憶。
もし。
誰かが戦った時の恐怖を。
自分の恐怖として覚えていたら?
誰かが守りたかった人を。
自分も守りたいと思うようになったら?
その気持ちは。
本当に、自分のものなのか?
「……怖いな」
思わず、呟いた。
「……ええ」
セレスも頷いた。
「だから、今は文字を確認するだけにしましょう」
「……うん」
俺は、再び壁を見た。
《経験》
《記憶》
《技》
そして。
《継承》
これまで。
俺は、勇者になることを考えてきた。
どうすれば、強くなれるのか。
どうすれば、人を守れるのか。
どうすれば、正式な勇者として認められるのか。
でも。
今、知りたいことは違う。
勇者になった人間は。
何を引き継がされるのか。
そして。
引き継いだあとも。
自分自身でいられるのか。
「……勇者は」
俺は、小さく呟いた。
「何を受け継ぐんですか?」
誰に聞いたわけでもなかった。
先生たちも、答えなかった。
ゼル先生も。
沈黙したままだった。
ただ。
セレスだけが。
俺の隣で、静かに言った。
「それを、これから確かめるのよ」
まだ、答えを出さなくていい
調査は、そこで一度中断することになった。
理由は、はっきりしていた。
危険だからだ。
百人の先生たちに起きた異変。
俺の身体から力が抜けたこと。
石扉が開いた理由。
そして。
《勇者継承機構》が、本当は何をする施設なのか。
分からないことが、多すぎた。
「今日は、ここまでにしましょう」
担当官が言った。
「記録を整理し、改めて調査の方法を検討する必要があります」
学院長も頷いた。
「悠真。無理に進むことはない」
「……はい」
俺は、中央の椅子を見た。
誰も座っていない。
名前のない空席。
……気になる。
ものすごく気になる。
あそこに座れば、何か分かるのだろうか。
いや。
駄目だ。
また、同じことをしようとしている。
分からないから、触れる。
知りたいから、近づく。
それで先生たちが苦しんだばかりなのに。
俺は、右手を握りしめた。
「……悠真」
セレスが、俺の手を見た。
「まだ震えているわ」
「……うん」
「無理をしていない?」
俺は、少し迷った。
今までだったら。
きっと、大丈夫だと言っていた。
でも。
今日は。
「……怖かった」
そう答えた。
セレスは、黙って俺を見た。
「先生たちが、一斉に苦しんで」
俺は、背後を振り返った。
百人の英雄。
今はもう、落ち着いている。
でも。
さっきの姿が、頭から離れなかった。
「俺が何かしたせいで、先生たちが消えるんじゃないかって」
言葉にした瞬間。
胸が苦しくなった。
百人の先生たちは。
もう、死んでいる。
少なくとも、俺たちはそう考えてきた。
でも。
俺にとっては。
毎日、会っている先生だ。
怒られて。
笑われて。
無茶な修行をさせられて。
何度も、助けてもらった。
「……先生たちがいなくなるのは、嫌だ」
正直に言った。
セレスが、静かに頷いた。
「……そうね」
彼女は、俺の背後を見た。
セレスには、先生たちの姿が見えない。
声も聞こえない。
それでも。
俺が何を恐れているのか。
理解しようとしてくれている。
「でも、悠真」
彼女は、はっきり言った。
「今、ここで全部を知る必要はないでしょう?」
「……え?」
「先生たちは、今もあなたのそばにいるのでしょう?」
俺は、振り返った。
ガルディオ先生。
エレノア先生。
クロウ先生。
リリア先生。
そして。
ゼル先生。
みんな。
そこにいた。
「……うん」
「だったら、今日は帰りましょう」
セレスは、俺を見た。
「また、みんなで考えればいい」
俺は、息を吐いた。
……そうだな。
何でも。
すぐに答えを出さなくていい。
分からないことを、分からないまま持ち帰ってもいい。
真実を知るために。
今、すべてを危険にさらす必要はない。
「……分かった」
俺は頷いた。
「今日は、帰ろう」
セレスが、小さく笑った。
「ええ」
その笑顔を見て。
俺は、ようやく肩の力を抜いた。
背後で、ガルディオ先生が笑った。
『よし! じゃあ帰ったら修行だな!』
「休ませてくれよ!」
『何言ってんだ。勇者は体力が命だぞ!』
『今日の悠真には休息が必要です』
リリア先生が、きっぱり言った。
『栄養のある料理も用意しなくては』
「料理はやめて!」
思わず叫んだ。
セレスが、不思議そうに俺を見る。
「……誰と話しているの?」
「……命の危険と」
「……?」
「いや、何でもない」
先生たちが笑った。
セレスも、小さく笑った。
いつもの俺たちだった。
少なくとも。
その時までは。
知らないはずの戦場
俺たちは、《勇者継承機構》から離れた。
巨大な石扉。
百一個の紋章。
刻印のない椅子。
それらを、背後に残して。
古い石造りの通路へ戻る。
もう、魔法陣の青白い光は見えない。
足元には、硬い石の床。
壁には、古い傷。
遠くで、担当官と学院長が調査記録について話している。
何も変わらない。
いつもの世界だ。
「……疲れた」
俺は、小さく呟いた。
「当然でしょう」
セレスが、隣で言った。
「……だよな」
「今日は、戻ったら休むこと」
「……はい」
「資料を読み直すのも、明日以降にしましょう」
「……はい」
「それから」
「……まだあるの?」
セレスが、俺を見た。
「一人で勝手に調べないこと」
俺は、苦笑した。
「……分かってるよ」
「本当に?」
「本当に」
「約束よ」
俺は頷いた。
「……約束する」
セレスが、少しだけ安心したように息を吐いた。
俺も、ようやく普通に歩けるようになっていた。
あと少しで。
この場所から出られる。
そう思った。
その瞬間だった。
……え?
足元が。
消えた。
いや。
違う。
石の床が。
ぬかるんだ土に変わった。
「……何だ?」
顔を上げる。
そこには。
戦場があった。
……は?
目の前を、誰かが走っていく。
叫び声。
金属がぶつかる音。
遠くで、何かが燃えていた。
煙が、空を覆っている。
熱い。
息が苦しい。
鼻を突く、焦げた匂い。
そして。
血の匂い。
……待て。
俺は、通路にいたはずだ。
セレスと一緒に。
学院長も、担当官もいた。
なのに。
今。
目の前には。
知らない戦場が広がっている。
「……セレス?」
呼ぼうとした。
でも。
声が出ない。
いや。
声を出そうとしても。
口が、動かない。
代わりに。
荒い息遣いが聞こえた。
誰かが、呼吸している。
速く。
苦しそうに。
その呼吸に合わせて。
視界が、上下していた。
……何だ?
俺は、視線を落とした。
そこに。
一本の剣があった。
血に濡れた剣。
誰かの手が、それを握っている。
……俺の手?
違う。
少なくとも。
今の俺の手じゃない。
でも。
握っている感覚がある。
剣の重さ。
柄の硬さ。
指先に伝わる、細かな震え。
そのすべてが。
まるで、自分の身体のように感じられる。
……待て。
俺は、こんな剣を握ったことがない。
こんな戦場へ来たこともない。
誰かを斬った覚えなんて。
ない。
なのに。
身体が。
次に何をするべきか、知っているようだった。
足が、勝手に前へ出る。
剣先が、持ち上がる。
視界の端で。
誰かが倒れた。
何かを叫んでいる。
でも。
聞き取れない。
俺は、必死に口を動かそうとした。
やめろ。
待て。
誰だ?
お前は、誰なんだ?
その時。
目の前に、一人の人影が立った。
顔は見えない。
煙の向こう。
剣を構えた人影。
その人が。
こちらへ、何かを叫んでいた。
聞こえない。
いや。
音は聞こえている。
なのに。
言葉として、理解できない。
そして。
突然。
胸の奥に、感情が流れ込んできた。
恐怖。
後悔。
怒り。
それから。
誰かを守らなければならないという。
強い焦り。
……何だよ。
この気持ちは。
俺は。
何を守ろうとしている?
誰と戦っている?
どうして、こんなに怖いんだ?
分からない。
分からないのに。
剣を握る手だけが。
強く、強く。
力を込めていた。
そして。
目の前の人影が。
剣を振り下ろした。
「……っ!」
俺は、反射的に身体を引いた。
その瞬間。
視界が、弾けた。
石の床。
古い壁。
薄暗い通路。
そして。
「……悠真!」
セレスの声がした。
俺は、壁に手をついていた。
息が荒い。
心臓が、激しく鳴っている。
身体が震えていた。
「……悠真、どうしたの?」
セレスが、俺の顔を覗き込んだ。
「急に立ち止まって……」
俺は、彼女を見た。
……セレス。
本物の。
今、ここにいるセレスだ。
「……今」
声が、かすれた。
「……何か、見えた」
「……何が?」
俺は、震える右手を見た。
何も握っていない。
剣なんてない。
血もついていない。
でも。
指先には。
まだ、あの剣の重さが残っていた。
「……戦場が」
セレスの表情が変わった。
「戦場?」
「……うん」
「どんな戦場?」
「……分からない」
俺は、息を整えようとした。
でも。
うまくいかなかった。
「……知らない場所だった」
「……」
「知らない人がいて」
俺は、自分の手を握った。
「……俺、剣を握ってた」
セレスが、静かに聞いていた。
「……でも、俺じゃなかった」
「……どういうこと?」
「……分からない」
本当に。
分からなかった。
夢だったのか。
幻覚だったのか。
それとも。
《勇者継承機構》に触れたことと、何か関係があるのか。
証拠はない。
何も確かめられていない。
ただ。
一つだけ。
忘れられない感覚があった。
剣を握っていた手。
あの恐怖。
あの後悔。
あの怒り。
全部。
俺が経験したことのないものだった。
なのに。
あの瞬間。
俺は確かに、それを自分のものとして感じていた。
「……悠真」
セレスが、俺の腕を支えた。
「今は、無理に思い出さなくていいわ」
俺は、頷こうとした。
でも。
できなかった。
だって。
さっきまで。
勇者は、何を受け継ぐのかと考えていた。
経験。
記憶。
技。
壁に刻まれた、その三つの言葉。
もし。
今の光景が。
ただの幻覚ではなかったとしたら。
もし。
誰かが経験した戦場を。
俺が見ていたのだとしたら。
俺は。
何を受け取ってしまったんだ?
背後で、ゼル先生が立ち止まっていた。
先生は、俺を見つめていた。
いつもの笑顔はない。
何かを言いかける。
でも。
結局、何も言わなかった。
俺も。
先生には聞かなかった。
まず、自分で考える。
セレスと一緒に調べる。
そう決めたばかりだから。
だけど。
今は。
どうしても、答えが欲しかった。
あの戦場に。
俺は行ったことがない。
あの剣を。
俺は握ったことがない。
それなのに。
あの恐怖だけは。
まだ、俺の中に残っている。
俺は、セレスを見た。
そして。
震える声で呟いた。
「……今の、誰の記憶だ?」
第61話 完
次回予告
第7部『勇者継承機構編』
次回 第2話/通算第62話
「知らない戦場を、俺は知っている」
知らない戦場。
握ったことのない剣。
経験したことのない恐怖。
それなのに。
神谷悠真の頭には、その光景が残っていた。
眠っても消えない、誰かの記憶。
そして。
百一人目の勇者ゼルが、なぜ《勇者継承機構》を恐れるのか。
悠真は、セレスとともに、記憶の正体を調べ始める。
しかし。
勇者たちが残した過去は、まだ新たな謎を隠していた。
もし、自分の記憶だと信じているものが、誰かから受け継いだものだったら?
悠真は、自分自身であり続けられるのか。
次回、勇者の記憶をめぐる新たな謎へ。
作者より
第61話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回から、第7部『勇者継承機構編』が始まりました。
これまで悠真は、百人の先生たちから、戦い方や人を守ることの意味を教わってきました。
しかし今回、新たに浮かび上がったのは、勇者が受け継ぐものは「教え」だけではないかもしれないという謎です。
《経験》
《記憶》
《技》
もし、歴代の勇者が経験したことを、そのまま受け継げるとしたら。
それは、強くなるための近道なのでしょうか。
それとも、自分自身を失う危険を伴うものなのでしょうか。
そして今回、もう一つ大きな変化がありました。
悠真は、ゼル先生に答えを求めず、セレスとともに自分たちで調べることを選びました。
先生を信頼することと、先生の答えを無条件に信じることは違う。
その選択は、最弱だった少年の大きな成長でもあります。
そして最後に現れた、知らない戦場の記憶。
あれは、誰のものなのか。
《勇者継承機構》には、何が残されているのか。
第7部では、勇者制度の謎とともに、悠真とセレス、そして百人の先生たちの関係も、さらに深く描いていきます。
あなたなら、歴代最強の勇者の記憶を受け継げるとしたら、受け継ぎたいと思いますか?
ぜひ、感想や予想をコメントで教えてください。
次回もよろしくお願いいたします
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
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