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第10話/通算第60話 「百二人目は、俺なんですか?」

第6部『勇者制度編』




百一人目の勇者。




その正体は、ずっと自分を導いてきた先生、ゼルだった。




けれど、本当に恐ろしいのは、




「百一人目がいたこと」ではない。




なぜ、彼は勇者だったのに歴史から消されたのか。




なぜ、魔王を倒さなかったのか。




そして――




そもそも、誰が「勇者」を決めているのか。




これまで悠真は、百人の英雄たちから答えを教わってきました。




戦い方も。




人を守る方法も。




正しい答えを疑うことさえも。




だから今度は、




先生から答えを教えてもらわないことを選びます。




「また、先生の答えを信じるだけになるから」




ゼルの答えではなく。




王国の答えでもなく。




歴史に書かれた答えでもなく。




悠真はセレスとともに、自分たちで確かめる道を選びます。




その先で見つかるのは、




《勇者選定院》




勇者は、誰が選ぶのか。




何をすれば勇者になれるのか。




そして、なぜ勇者という存在が必要なのか。




第6部『勇者制度編』。




ここから物語は、




「消された一人の勇者」の謎から、「勇者という制度そのもの」の謎へ。




そして最後に、悠真たちは一つの言葉へたどり着きます。




勇者は、作られる。




では――




誰が、何のために?

名前のない勇者候補

《異界より召喚された者》

百年前の勇者選定計画に、その条件が書かれていた。

俺は日本から来た。

でも、誰かに呼ばれた覚えはない。

じゃあ。

誰が、俺をこの世界へ連れてきたんだ?

「……これ、俺のことですか?」

声が震えた。

机の上には、古びた資料が広げられている。

《次代勇者候補》

《候補人数 一名》

《氏名 記載なし》

《選定条件 異界より召喚された者》

名前はない。

あるのは、条件だけ。

「神谷殿」

王国の担当官が、慎重に口を開いた。

「この記録が、あなたを指しているとは限りません」

「……ですよね」

「百年前に作成された資料です。記載された人物が、実際に存在したかどうかも確認できておりません」

俺は頷いた。

そうだ。

百年前。

俺は、まだ生まれていない。

少なくとも、日本では。

……いや。

何を考えているんだ、俺は。

百年前から俺が選ばれていた?

そんな話、あるわけないだろ。

でも。

もし。

本当にそうだったら?

日本で事故に遭ったことも。

この世界で目を覚ましたことも。

勇者学院に入ったことも。

全部、誰かが用意していたことだったら?

俺は自分の手を見た。

剣を握ることさえ満足にできなかった手。

魔力は最低。

剣術も最低。

魔法なんて、一発も出なかった。

そして。

職業鑑定。

《無職》

教室中が笑った。

俺も、笑うしかなかった。

異世界へ来たんだから、何か特別な能力があると思っていた。

でも、何もなかった。

だから、努力した。

百人の先生に教わった。

セレスと一緒に戦った。

何度も失敗した。

それでも。

少しずつ、前へ進んできた。

その全部が。

誰かの計画どおりだったとしたら。

「……嫌だな」

思わず、声が漏れた。

「悠真」

隣でセレスが、俺の袖を掴んだ。

第59話で、あの文字を見つけた時から。

彼女は、ずっと俺のそばにいた。

「一つずつ整理しましょう」

「……うん」

「あなたが異世界から来たことは事実よ」

「そうだな」

「でも、召喚されたかどうかは分からない」

俺は顔を上げた。

「……そうか」

「あなたは事故に遭って、目を覚ましたらこの世界にいたのでしょう?」

「うん」

「誰かに呼び出された記憶は?」

「ない」

「なら、この記録の《召喚》と、あなたの転移が同じものだと決めることはできないわ」

俺は頷いた。

確かに。

俺は異世界から来た。

でも。

誰かに召喚されたという証拠はない。

「それから」

セレスが、もう一枚の資料を指さした。

《勇者候補 百二名》

「この人数も、まだ整理が必要よ」

「……百二人目のこと?」

「ええ」

百人の英雄。

百一人目の勇者ゼル。

そして。

正体の分からない、百二人目。

俺は、ずっと考えていた。

百二人目は、誰なのか。

何者なのか。

どうして記録が残っていないのか。

でも。

まさか。

その疑問が、自分自身に向かってくるなんて。

「……セレス」

「何?」

「百二人目って、俺なのかな」

彼女は、すぐには答えなかった。

資料を見比べる。

数字を確認する。

そして。

「まだ、そう判断する根拠はないわ」

はっきりと言った。

「百二名という記録と、この一名だけの計画が、同じ数え方をしているかも分からない」

「……うん」

「だから、まずは別々の記録として確認するべきよ」

俺は、息を吐いた。

よかった。

セレスは、いつものセレスだ。

俺が不安になっても。

怖くなっても。

自分に都合のいい答えを欲しがっても。

彼女は、証拠のないことを正しいとは言わない。

「……ありがとう」

「何が?」

「俺が勝手に結論を出す前に、止めてくれて」

「今まで何回止めたと思っているの?」

「……十回くらい?」

「もっとよ」

「百回?」

「数えていないわ」

「そこは数えてくれよ!」

セレスが、小さく笑った。

その笑顔を見て。

ようやく、少しだけ息ができた。

でも。

胸の奥の冷たさは、消えなかった。

なぜなら。

俺には、まだ聞いていない相手がいたからだ。


百一人目の先生に聞く

「……ゼル先生」

俺は背後を振り返った。

百人の英雄たちがいた。

剣聖ガルディオ先生。

大魔導師エレノア先生。

暗殺王クロウ先生。

聖女リリア先生。

そして。

百一人目の勇者。

ゼル先生。

黒髪の青年は、古い資料を見つめていた。

いつもの穏やかな笑顔はない。

「先生」

『……何だい、悠真』

「一つ、聞いてもいい?」

『もちろん』

俺は、資料を持ち上げた。

「百年前、勇者候補は百二名いた」

『……うん』

「先生は、百一人目の勇者だった」

『そうだね』

「それで、百年前の計画には、異世界から来る勇者候補が記録されていた」

先生は、黙っていた。

俺は息を吸った。

ずっと。

聞くのが怖かった。

だって。

先生が答えを知っていたら。

今までの俺の人生が、まったく違うものに見えてしまうかもしれない。

それでも。

聞かなければならない。

「……先生」

『うん』

「俺が百二人目?」

ゼル先生は、答えなかった。

一秒。

二秒。

三秒。

……先生。

その沈黙、本当に心臓に悪い。

やがて。

先生は、静かに口を開いた。

『分からない』

「……え?」

『分からないよ、悠真』

俺は瞬きをした。

「先生でも?」

『うん』

「百一人目の勇者なのに?」

『僕が知ってることと、君がここに来た理由は同じじゃない』

俺は先生を見つめた。

『僕が百年前に何を知っていたか。それと、君がこの世界へ来た理由は、別の問題なんだ』

「……じゃあ」

俺は質問を変えた。

「先生は、この計画を知っているの?」

ゼル先生は、少しだけ目を伏せた。

『知っていることはある』

「全部じゃない?」

『全部ではないよ』

「……そっか」

先生にも。

分からないことがある。

それは、今まで何度も学んできたことだった。

百人の英雄たちは、何でも知っているわけじゃない。

百年前の記憶には、不自然な空白もある。

だから。

先生が答えられないこと自体は、おかしくない。

でも。

今のゼル先生は。

知らないというより。

何かを恐れているように見えた。

『悠真』

先生が言った。

『逆に、一つ聞いてもいいかな』

「……また質問?」

『僕は先生だからね』

「先生って、質問するのが仕事なの?」

『答えを教えるだけが仕事じゃないよ』

……この人。

本当に、どこまでも先生だ。

『もし、君が百二人目だったら』

先生は言った。

『どうする?』

俺は、答えられなかった。

もし。

俺が最初から用意されていた勇者だったら。

この世界へ来たのも。

百人の先生と出会ったのも。

セレスと出会ったのも。

全部、誰かが決めたことだったら。

俺が、自分で選んできたと思っていた人生は。

何だったんだ?

「……怖いよ」

正直に言った。

『……うん』

「だって、先生」

俺は、自分の手を見た。

傷だらけの手。

何度も剣を落とした。

何度も逃げた。

何度も間違えた。

それでも。

俺は、自分で選んできたつもりだった。

「俺、最初は勇者になりたかったんだ」

『知っているよ』

「職業が《無職》でも、誰かの役に立てるって証明したかった」

『うん』

「でも、今は違う」

俺は顔を上げた。

「勇者になりたいから、人を守るんじゃない」

ゼル先生が、俺を見た。

「守りたい人がいるから、強くなりたいんだ」

『……』

「先生たちも」

俺は、背後の英雄たちを見た。

「学院の仲間も」

そして。

隣にいるセレスを見た。

「セレスも」

口にした瞬間。

彼女と目が合った。

……しまった。

今。

結構すごいことを言った気がする。

セレスは、少しだけ目を見開いていた。

俺は慌てて続けた。

「い、いや! もちろんセレスも仲間だから! 大事な仲間だから!」

「……分かっているわ」

「そ、そうだよな!」

……何だ?

今の沈黙。

ものすごく気まずい。

背後で、ガルディオ先生が笑った。

『はっはっは! もう一回言ってやれ!』

『余計なことを言わないで』

エレノア先生が叱った。

『今は二人の大切なお話です』

リリア先生まで、微笑んでいる。

……頼む。

先生たち。

今だけは、静かにしてくれ。

俺は、もう一度ゼル先生を見た。

「……だからさ」

『うん』

「俺が本当に百二人目だったとしても」

一度、息を吸った。

「何をするかまで、誰かに決めさせるつもりはない」

ゼル先生の笑顔が、消えた。

ほんの一瞬。

先生は、何かを言いかけた。

でも。

結局、何も言わなかった。

俺も、それ以上は聞かなかった。

先生が知っていることは、まだある。

たぶん。

俺が想像しているより、ずっと多い。

だけど。

その答えを聞くだけで、すべてを決めたくない。

俺は、先生の答えを信じるためだけに生きているわけじゃない。

自分で考えたい。

自分で選びたい。

それは。

ゼル先生自身が、俺に教えてくれたことだった。


勇者になる前に、知りたいこと

「……神谷殿」

担当官に呼ばれて、俺は顔を上げた。

しまった。

また先生たちと長話してしまった。

普通の人には見えない相手との会話は、本当に難しい。

「す、すみません!」

「いえ」

担当官は、机の上の資料を整えた。

「勇者制度について疑問を抱かれていることは理解しました」

「……はい」

「ただ、制度そのものが無意味だとは、私には思えません」

俺は頷いた。

「……そうですよね」

「魔物から集落を守る者。災害時に人々を救助する者。そうした人材を育て、必要な場所へ派遣することには意味があります」

当然だ。

俺も、そう思う。

勇者が必要ないなんて、言うつもりはない。

ただ。

俺は知ってしまった。

勇者が敵を倒した後も、苦しむ人がいることを。

レムナ村。

勇者が魔物を倒すため、森を焼いた村。

魔物は倒された。

でも。

村人たちの暮らしは壊れた。

王国の記録には、《レムナ村救済》と残された。

勇者は表彰された。

それでも。

村人たちは、失った暮らしを取り戻せなかった。

「……担当官さん」

「はい」

「俺も、勇者が必要ないとは思っていません」

担当官は、静かに俺を見た。

「人を守る人は、必要です」

「ええ」

「でも」

俺は、机の上の資料を見た。

「勇者に選ばれたら、何を守るのか」

「誰の命令を聞くのか」

「誰と戦うのか」

「それを知らないまま勇者になるのは、怖いんです」

担当官は、黙っていた。

俺は続けた。

「前に、聞きましたよね」

「何でしょうか」

「敵って、誰が決めるんですかって」

担当官の表情が、わずかに変わった。

「……覚えております」

「俺、まだその答えを見つけられていません」

正直に言った。

「だから、正式な勇者になるかどうか、今は決められません」

長い沈黙があった。

やがて。

担当官は、小さく頷いた。

「……承知しました」

俺は、少しだけ驚いた。

「……いいんですか?」

「勇者認定について、十分な理解を求めること自体は不当ではありません」

担当官は言った。

「ただし、私どもにも、直ちにすべてを説明できるわけではありません」

「……はい」

「王国の制度には、人々を守るための役割があります。その一方で、私自身が把握していない過去の記録もあるのでしょう」

その言葉に、俺は少しだけ安心した。

王国の人間だから、何もかも知っているわけじゃない。

制度を守る立場だからといって、疑問を持たないわけでもない。

学院長も、静かに頷いた。

「悠真。私にも、分からないことがある」

「……はい」

「だからこそ、確かめられることから確かめるべきだろう」

俺は頷いた。

そうだ。

分からないことは、分からない。

それを認めるのは、逃げることじゃない。

次に何を調べるかを決めるために、必要なことだ。

「……担当官さん」

「はい」

「もう一つ、確認したい場所があります」

俺は、資料の目録を指さした。

《勇者選定院》

百年前。

勇者を選定するために使われていた施設。

「ここに、まだ調べられるものは残っていませんか?」

担当官は、目録を確認した。

「旧施設に関する調査記録は存在します」

「本当ですか?」

「ただし、すべてが調査されているわけではありません」

「……なるほど」

「立ち入りについても、許可の範囲を確認する必要があります」

俺は頷いた。

今までの俺なら。

いても立ってもいられず、勝手に調べに行ったかもしれない。

でも。

それで何かを壊したら?

誰かを危険に巻き込んだら?

真実を知りたいという理由だけで、何をしてもいいわけじゃない。

「調べられる範囲だけでも、確認したいです」

担当官は、学院長と資料を照合した。

そして。

「……確認いたします」

そう答えた。


あなたが何人目でも、関係ない

許可の確認を待つ間。

俺は、廊下へ出た。

窓の外には、王都の街並みが広がっている。

いつもと変わらない景色。

道を歩く人。

荷物を運ぶ人。

商店の前で話す人。

みんな。

自分の生活を送っている。

百年前の勇者制度なんて、知らない人も多いだろう。

俺だって。

少し前までは、知らなかった。

「……怖いな」

思わず、呟いた。

「何が?」

振り返ると、セレスがいた。

「……いろいろ」

「ずいぶん曖昧ね」

「自分でも、うまく説明できないんだ」

俺は苦笑した。

「もし、俺が本当に百二人目だったら」

「……うん」

「この世界に来た理由まで、誰かに決められていたら」

そこで、言葉が止まった。

セレスは、黙って聞いていた。

俺は窓の外を見た。

「……俺が自分で選んだと思ってたことまで、全部違って見える気がして」

「……」

「俺、何なんだろうな」

その時だった。

「悠真」

セレスが、俺の名前を呼んだ。

「……うん」

「あなたが何人目でも、関係ないわ」

俺は、彼女を見た。

セレスは、まっすぐ俺を見ていた。

「私が知っているのは、神谷悠真よ」

「……」

「学院で、一番弱かった人」

「そこから!?」

「魔力も剣術も最低で」

「追い打ちがすごい!」

「先生たちに振り回されて、何度も失敗して」

「……はい」

「それでも、逃げずに考えてきた人」

俺は、黙った。

セレスは続けた。

「誰かがあなたを選んだとしても」

一度、言葉を切る。

「私が一緒に戦ってきた悠真は、あなた自身でしょう?」

……あ。

胸の奥が、熱くなった。

俺は、ずっと怖かった。

誰かに用意された勇者だったら。

自分の努力まで、最初から決められていたものになってしまうんじゃないか。

そう思っていた。

でも。

セレスは。

そんなこと、関係ないと言った。

「……それ、結構うれしい」

正直に言った。

すると。

セレスは、少しだけ顔をそらした。

「……そう」

「うん」

「でも」

「?」

彼女は、もう一度俺を見た。

「勝手に一人で調べたら怒る」

……え?

「そこ!?」

「そこよ」

セレスは、真剣な顔だった。

「あなた、何かあると一人で全部背負おうとするでしょう」

「……そうかな」

「するわ」

即答だった。

「自分が危険な目に遭えば、ほかの人を守れると思っているところがある」

俺は、反論しようとした。

でも。

できなかった。

心当たりが、多すぎる。

「……ごめん」

「謝ってほしいわけじゃないの」

セレスは、少しだけ声を落とした。

「相談してほしいの」

俺は彼女を見た。

その言葉が。

何だか、胸に刺さった。

先生たちは、俺にたくさんのことを教えてくれた。

強くなる方法。

逃げる方法。

戦う方法。

誰かを守る方法。

でも。

自分一人で、何でもできるわけじゃない。

俺には。

一緒に考えてくれる人がいる。

「……セレス」

「何?」

「じゃあ、一緒に来てくれる?」

彼女は、少しだけ目を丸くした。

そして。

「今さら聞くの?」

そう言った。

……あ。

その一言が。

思っていた以上に、嬉しかった。

「……ありがとう」

「お礼は、帰ってからにして」

「……うん」

「必ず、一緒に帰るのよ」

俺は頷いた。

「約束する」

セレスは、ようやく微笑んだ。

その時。

彼女の指が、俺の袖を掴んだ。

ほんの少しだけ。

さっき、資料を見た時と同じように。

俺は、その手を見た。

離さないでいてくれる。

そう思った。

だから。

俺も。

一人で勝手に進まない。

そう決めた。


最深部の石扉

旧《勇者選定院》。

立ち入りが認められた範囲を、担当官の案内で進む。

学院長とセレスも同行していた。

古い石壁。

消えかけた紋章。

長い年月を感じさせる廊下。

そして。

俺の背後には、百人の英雄たちがいる。

……冷静に考えると。

百人以上で遺跡調査って、ものすごい大人数だ。

もっとも。

見えているのは俺だけだから、周囲からは四人で歩いているようにしか見えない。

『悠真』

ガルディオ先生が言った。

『何か出たら斬れ』

「まだ何も出てないよ!」

『出てからでは遅い』

『不用意に進むな』

クロウ先生が、低い声で言った。

『足元と退路を確認しろ』

「……はい」

『壁面の術式も興味深いわね』

エレノア先生が、石壁を見つめていた。

『記録が残っているかもしれない』

「……先生」

『何?』

「頼むから、壁を壊さないでね」

『壊すわけないでしょう』

……よかった。

『解析に必要なら、別だけれど』

「壊す気じゃん!」

「……悠真?」

セレスが振り返った。

しまった。

また声に出た。

「い、いや! 壁が丈夫そうだなって!」

彼女は俺を見つめた。

そして。

「先生たち?」

「……うん」

「そう」

……慣れてきたな、セレス。

いや。

慣れさせてしまったのは、俺か。

そんなことを考えていた時だった。

廊下の奥に、大きな空間が現れた。

その先に。

扉があった。

巨大な石扉。

俺たちの何倍もの高さがある。

表面には、古い文字と紋章が刻まれていた。

俺は、足を止めた。

「……何だ、これ」

担当官も、扉を見上げた。

「旧施設の最深部に残された設備です」

「何のためのものなんですか?」

「確認できる記録が限られており、詳細は不明です」

俺は、扉を見つめた。

そこには、いくつかの文字があった。

《勇者》

そして。

《継承》

セレスが、文字を一つずつ確認する。

「……勇者継承機構」

「……え?」

彼女は、刻まれた文字を指さした。

「この設備の名称だと思うわ」

俺は、もう一度見た。

《勇者継承機構》

勇者を。

継承する?

「……継承って、何を?」

俺は、尋ねた。

「称号かもしれないわ」

セレスが答えた。

「次の勇者へ、役割を引き継ぐための仕組みという可能性もある」

「……なるほど」

でも。

それなら、どうして。

こんな巨大な設備が必要なんだ?

勇者の称号を引き継ぐだけなら。

紙に名前を書けば済むんじゃないのか?

……いや。

この世界には魔法がある。

俺の常識だけで、判断するべきじゃない。

俺は、扉をもう一度見た。

その時だった。

『……何だ、これは』

背後から、かすれた声がした。

ガルディオ先生だった。

俺は振り返った。

「……先生?」

剣聖は、扉を見つめていた。

いつもの豪快な笑顔がない。

『……知らねえ』

「え?」

『こんな場所、俺は知らねえ』

その声には、戸惑いがあった。

エレノア先生も、顔をしかめていた。

『……妙ね』

「何が?」

『分からないわ』

「……先生まで?」

『でも、この紋章を見ていると……』

彼女は、言葉を止めた。

『何かを思い出しそうになるの』

俺は息をのんだ。

『でも、思い出せない』

クロウ先生も黙っていた。

リリア先生は、胸元に手を当てていた。

百人の英雄。

百人の先生たち。

それぞれ違う人生を生きてきた人たち。

なのに。

同じ扉を前にして。

同じように、戸惑っている。

「……ゼル先生」

俺は、最後の先生を見た。

百一人目の勇者。

ゼル先生。

黒髪の青年は、扉を見ていなかった。

俺を見ていた。

「……先生?」

返事はない。

「この扉、知ってる?」

ゼル先生の表情が、わずかに変わった。

でも。

すぐに、いつもの穏やかな顔に戻った。

『……悠真』

「うん」

『君は、その先に何があると思う?』

……また質問だ。

いつもなら。

俺は、苦笑したと思う。

でも。

今は。

笑えなかった。

先生の声が。

少しだけ、震えていたから。


俺にだけ見える光

「……セレス」

俺は、彼女を呼んだ。

「何?」

「先生たちの様子がおかしい」

セレスの表情が変わった。

「……どういうこと?」

「この扉を見て、何かを思い出しかけてるらしい」

「……先生たちが?」

「うん。でも、思い出せないんだって」

セレスは、もう一度扉を見た。

「それなら、この設備と百年前の英雄たちに、何か関係がある可能性はあるわね」

「……うん」

「でも、それだけで仕組みまでは分からない」

俺は頷いた。

先生たちは、何かを知っているのかもしれない。

でも。

それを教えてもらうだけじゃ、もう足りない。

自分で確かめなければ。

そう思った時だった。

視界の端に、何かが揺れた。

……え?

俺は瞬きをした。

もう一度、石扉を見る。

何もない。

古い石。

刻まれた紋章。

それだけだ。

……いや。

違う。

紋章の周囲に。

淡い光が浮かんでいる。

「……何だ、これ」

俺は目をこすった。

光は消えなかった。

青白い線が、紋章に沿って伸びている。

「……セレス」

「何?」

「この扉、光ってる?」

彼女は扉を見た。

そして。

「……いいえ」

「え?」

「私には、そう見えないわ」

俺は息をのんだ。

……俺だけ?

その言葉が、胸の奥に引っかかった。

百人の先生たち。

俺にしか見えない英雄。

《英雄視》。

その能力と。

この扉。

何かが、つながっているのか?

……いや。

まだ分からない。

俺は、半歩下がった。

光が、わずかに薄くなったように見えた。

もう一度、近づく。

光が、強くなった気がした。

偶然なのか。

本当に俺の動きに反応しているのか。

それすら、分からない。

「……セレス」

「何?」

「俺にだけ見えている光が、この扉と関係しているかもしれない」

彼女は俺を見た。

「……どうしてそう思うの?」

俺は、今見えたことを説明した。

近づいた時。

離れた時。

光の見え方が、変わったこと。

セレスは、黙って聞いていた。

そして。

「……なるほど」

小さく頷いた。

「でも、関係があると確認できたわけじゃない」

「うん」

「それに、何が起きるか分からないわ」

「……分かってる」

俺は、扉の表面を見た。

紋章の中央。

そこには、手を置くようなくぼみがあった。

その形が。

妙に気になった。

「……ここ」

俺は、くぼみを指さした。

「手を置く場所みたいだな」

セレスが、顔を近づけた。

「そう見えるわね」

「でも、どう使うのかは分からない」

「ええ」

担当官にも確認した。

記録には、この設備を作動させたという確かな記載はない。

安全かどうかも不明だった。

俺は、手を伸ばしかけた。

その瞬間。

セレスが、俺の腕を掴んだ。

「悠真」

「……はい」

「今、何をしようとしたの?」

「……触ろうかと」

「どうして?」

「何か分かるかなって」

「分からないものに、いきなり触らない」

「……はい」

正論である。

この世界に来てから。

俺は何度、セレスに正論で止められただろう。

でも。

今回は、いつもと違う。

俺は、自分から手を下ろした。

「……ごめん」

セレスは、少しだけ驚いた顔をした。

「……どうしたの?」

「勝手に一人で決めないって、約束したから」

俺は言った。

「ちゃんと、みんなで考えたい」

彼女は、俺を見た。

そして。

少しだけ微笑んだ。

「……そうね」

俺たちは、もう一度扉を調べた。

記録を確認する。

紋章を見比べる。

扉の周囲を確かめる。

でも。

仕組みは分からなかった。

それでも。

俺にだけ見える光は、消えない。

むしろ。

くぼみの周囲に集まっているように見える。

「……セレス」

俺は、もう一度彼女に話した。

「この場所、光が強いんだ」

彼女は、くぼみを見つめた。

「……そう」

「もしかしたら、何か反応があるかもしれない」

「危険もあるわ」

「うん」

俺は頷いた。

「だから、触れる前に確認したい」

担当官と学院長にも、状況を説明した。

俺にだけ見える光。

先生たちの異変。

そして、くぼみの存在。

誰も、安全だとは言わなかった。

それは、当然だった。

仕組みが分からないのだから。

「……神谷殿」

担当官が言った。

「接触によって何が起こるかは分かりません」

「……はい」

「異変が生じた場合は、直ちに離れてください」

俺は頷いた。

そして。

セレスを見た。

彼女は、俺の目を見返した。

「……約束して」

「何を?」

「危険だと思ったら、すぐにやめること」

「うん」

「自分一人で何とかしようとしないこと」

「……分かった」

「それから」

セレスは、少しだけ声を落とした。

「必ず、戻ってくること」

俺は、息を止めた。

戻ってくる。

たった、それだけの言葉。

でも。

今まで聞いた、どんな勇者の称号より。

大切な言葉に思えた。

「……約束する」

俺は、そう答えた。

その時。

背後から、静かな声がした。

『……悠真』

ゼル先生だった。

俺は振り返った。

先生は、俺の右手を見ていた。

「……先生?」

『……』

「何か、知ってる?」

ゼル先生は、すぐには答えなかった。

そして。

『そこから先は、慎重に進むんだ』

そう言った。

俺は頷いた。

「……うん」

先生は、それ以上何も言わなかった。

でも。

その顔は。

いつものゼル先生とは、違っていた。


百人の先生が苦しんだ日

俺は、石扉へ向き直った。

手の形に似たくぼみ。

その周囲に浮かぶ、淡い光。

右手を伸ばす。

ほんの少し。

指先だけを近づける。

その時だった。

青白い光が、急に強くなった。

……え?

俺は、反射的に手を引こうとした。

でも。

指先が、石に触れた。

その瞬間。

ぞくり、とした。

冷たい。

ただの石とは思えない冷たさが、指先から伝わってくる。

そして。

紋章が光った。

「……え?」

一つ。

また一つ。

扉に刻まれた紋章が、青白い光を帯びていく。

「……悠真!」

セレスの声が聞こえた。

「手を離して!」

俺は、頷こうとした。

その時だった。

『……ぐっ!』

背後から、苦しそうな声がした。

俺は振り返った。

ガルディオ先生だった。

「……先生?」

剣聖が、膝をついていた。

『……何だ、これは……!』

「ガルディオ先生!?」

その隣で。

エレノア先生も、頭を押さえていた。

『……待って……何かが……!』

『くそっ……!』

クロウ先生が、壁に手をつこうとする。

リリア先生は、胸元を押さえていた。

『……皆さん……!』

俺は、言葉を失った。

一人。

二人。

三人。

違う。

もっと多い。

先生たちが。

一斉に、苦しみ始めていた。

「……何で?」

声が、震えた。

「先生たち!?」

百人の英雄。

死んだはずの先生たち。

俺に剣を教えてくれた人。

魔法を教えてくれた人。

逃げ方を教えてくれた人。

人を守ることを教えてくれた人。

その全員が。

苦しんでいる。

しかも。

みんな、同じ瞬間に。

何かが起きた。

俺が触れたことで。

何かが。

先生たちに起きている。

「……やめろ」

俺は、石扉に向かって言った。

「やめろよ!」

もちろん。

扉が答えるはずはなかった。

でも。

光は、どんどん強くなっていく。

『……悠真……!』

ガルディオ先生が、苦しそうに俺を見た。

『……離れろ……!』

「……先生!」

俺は、手を引こうとした。

その瞬間。

『悠真!』

叫び声がした。

ゼル先生だった。

俺は振り返った。

初めてだった。

この先生が。

こんな声を出すのは。

穏やかで。

いつも笑っていて。

何を聞いても、質問を返してくる。

百一人目の勇者。

ゼル先生。

その先生が。

今。

必死に俺を見ていた。

笑っていなかった。

いつもの優しい顔ではなかった。

まるで。

何かを恐れているような。

「……ゼル先生?」

『そこから離れるんだ!』

先生が叫んだ。

俺は、息をのんだ。

「……何で?」

『いいから!』

ゼル先生の声が、震えていた。

『悠真! 今すぐ手を離せ!』

どうして。

先生は。

そんな顔をしているんだ?

何を知っているんだ?

何が起きると分かっているんだ?

質問したかった。

でも。

その時だった。

石扉の奥から。

低い音が響いた。

ゴゴゴゴゴ……。

「……え?」

俺は、顔を上げた。

巨大な石扉。

その中央に。

細い隙間が生まれていた。

……動いている。

扉が。

ゆっくりと。

開き始めている。

「……そんな」

セレスが、呟いた。

担当官も、学院長も。

声を失っていた。

百人の先生たちは、まだ苦しんでいる。

ゼル先生だけが。

必死に、俺を見ていた。

『悠真!』

先生の声が、もう一度響いた。

でも。

遅かった。

扉が。

開いた。


勇者は、選ばれるものではない

扉の向こうに。

巨大な空間が広がっていた。

俺は、言葉を失った。

床一面に刻まれた魔法陣。

壁を埋め尽くす、古い文字。

その中心に。

一つだけ。

椅子があった。

……椅子?

巨大な魔法陣の中央。

そこに置かれているのは。

誰も座っていない、空の椅子だった。

「……何だ、これ」

俺は、呟いた。

勇者を選ぶための施設。

百年前から存在した、《次代勇者選定計画》。

異界から来る、たった一人の候補者。

そして。

まだ正体の分からない、百二人目。

そのすべてが。

この場所に、つながっているのか?

……いや。

まだ分からない。

何も。

分かっていない。

俺は、指先に残る冷たさを感じていた。

扉に触れたまま。

動けなかった。

百人の先生たちが苦しんでいる。

ゼル先生が、俺を止めようとしている。

なのに。

目の前の光景から、目を離せなかった。

「……悠真」

セレスが、俺の名前を呼んだ。

「……何?」

「壁を見て」

俺は、顔を上げた。

巨大な魔法陣の向こう。

壁に刻まれていた文字。

その一部が、青白く光っていた。

「……何が書いてあるんだ?」

セレスが、文字を追った。

そして。

息をのんだ。

「……勇者は」

「……うん」

「選ばれるものではない」

俺は、目を見開いた。

《勇者は選ばれるものではない》

……え?

勇者は。

選ばれるものじゃない?

じゃあ。

今まで俺たちは。

何をしていたんだ?

勇者学院。

勇者候補。

勇者認定。

勇者選定院。

百年前の勇者たち。

そして。

王国が守ってきた制度。

それらは。

何のために存在していたんだ?

俺は、ずっと思っていた。

勇者とは。

強い人間が選ばれるものだと。

特別な才能を持った人間が。

誰かを守るために戦う存在だと。

でも。

俺は弱かった。

魔力もなかった。

職業は《無職》。

それでも。

百人の先生たちに教わり。

仲間と一緒に考え。

自分で答えを選んできた。

俺は。

勇者になりたかった。

でも。

目の前の言葉は。

その勇者という存在そのものを。

否定しているように見えた。

「……セレス」

俺は、小さく呼んだ。

でも。

彼女は答えなかった。

ただ。

壁を見つめていた。

その時だった。

最初の文章の下。

もう一つの文字列が。

ゆっくりと、光り始めた。

一文字。

また一文字。

青白い光が、古い文字を浮かび上がらせる。

俺は息を止めた。

セレスが、その文字を読んだ。

声が、震えていた。

「……勇者は」

その先を聞くのが。

怖かった。

だって。

もし。

勇者が選ばれるものではないのなら。

俺が。

今まで目指してきたものは。

何だったんだ?

百人の先生たちは、なぜ死んだんだ?

ゼル先生は、なぜ魔王を殺せなかったんだ?

そして。

百年前から。

王国は、何を準備していたんだ?

答えは、まだ分からない。

でも。

一つだけ。

はっきりしていた。

俺たちが知っている勇者の物語は。

まだ、全部ではなかった。

壁に刻まれていたのは。

その物語を、根底から覆す言葉だった。

《勇者は、作られる》

第60話 完

第6部『勇者制度編』完


次回予告

第7部『勇者継承機構編』開幕

次回 第1話/通算第61話

「勇者は、何を受け継ぐんですか?」

勇者は、選ばれるものではない。

《勇者は、作られる》

その言葉とともに開いた、巨大な石扉。

苦しみ始めた百人の先生たち。

初めて本気で悠真を止めた、百一人目の勇者ゼル。

そして。

巨大な魔法陣の中央に置かれた、空の椅子。

この場所には、何が残されているのか。

百年前の勇者たちは、何を次の世代へ残そうとしたのか。

悠真は、先生たちの答えに頼るのではなく、セレスとともに自分たちで調べることを選ぶ。

しかし。

その先で待っていたのは、勇者の称号だけでは説明できない仕組みだった。

勇者は、何を受け継ぐのか。

そして。

受け継いだあとも、自分自身でいられるのか。

次回、第7部開幕。

勇者の歴史は、さらに深い謎へ踏み込む。




作者より

第60話をお読みいただき、ありがとうございます。

今回で、第6部『勇者制度編』が完結しました。

これまで、悠真は勇者になるために努力してきました。

才能がなくても。

職業が《無職》でも。

百人の先生たちに教わり、仲間と戦い、少しずつ成長してきました。

しかし、第6部で悠真が向き合ったのは、強さではありません。

そもそも、勇者とは何なのか。

誰が勇者を決めるのか。

そして、勇者になった人間は、何をしなければならないのか。

今回、最も重要なのは、最後に現れた言葉です。

《勇者は、作られる》

この言葉は、勇者制度の何を意味しているのでしょうか。

また、悠真が異世界へ来た理由と、百年前の勇者選定計画には、本当に関係があるのでしょうか。

その答えは、まだ明らかになっていません。

そして、悠真とセレスの関係も、少しだけ変わりました。

「あなたが何人目でも、関係ないわ」

セレスのこの言葉は、悠真にとって、どんな勇者の称号より大切なものになったのかもしれません。

次回からは、第7部『勇者継承機構編』が始まります。

勇者は、何を受け継ぐのか。

その仕組みを知った時、悠真は何を選ぶのか。

百人の先生たちとゼル、そしてセレスとの関係も、新たな局面を迎えます。

あなたは、勇者は何を受け継ぐために作られると思いますか?

ぜひ、感想や予想をコメント・メッセージで教えてください。

この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。

Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524

Momokun Official https://momokun.jp/

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