第9話/通算第59話 「魔王が死ぬ前から、次の勇者を作っていた」
第6部『勇者制度編』
百一人目の勇者。
その正体は、ずっと自分を導いてきた先生、ゼルだった。
けれど、本当に恐ろしいのは、
「百一人目がいたこと」ではない。
なぜ、彼は勇者だったのに歴史から消されたのか。
なぜ、魔王を倒さなかったのか。
そして――
そもそも、誰が「勇者」を決めているのか。
これまで悠真は、百人の英雄たちから答えを教わってきました。
戦い方も。
人を守る方法も。
正しい答えを疑うことさえも。
だから今度は、
先生から答えを教えてもらわないことを選びます。
「また、先生の答えを信じるだけになるから」
ゼルの答えではなく。
王国の答えでもなく。
歴史に書かれた答えでもなく。
悠真はセレスとともに、自分たちで確かめる道を選びます。
その先で見つかるのは、
《勇者選定院》
勇者は、誰が選ぶのか。
何をすれば勇者になれるのか。
そして、なぜ勇者という存在が必要なのか。
第6部『勇者制度編』。
ここから物語は、
「消された一人の勇者」の謎から、「勇者という制度そのもの」の謎へ。
そして最後に、悠真たちは一つの言葉へたどり着きます。
勇者は、作られる。
では――
誰が、何のために?
魔王が死ぬ前の日付
魔王が死ぬ前から、王国は次の勇者を選んでいた。
その事実に気づいた瞬間、俺は、勇者になるのが少し怖くなった。
「……これ、本当に間違いじゃないんですか?」
俺は机の上の計画書を指さした。
《次代勇者選定計画》
百年前に作られたという、古びた文書。
その作成日は、初代魔王の討伐日よりも前になっている。
「神谷殿」
王国の担当官が、慎重に口を開いた。
「転記の際に日付が誤って記載された可能性はあります」
「ですよね!」
俺は思わず声を上げた。
よかった。
そういうことなら、まだ理解できる。
「ただし」
担当官が続けた。
「現時点で、誤記と判断できる根拠もありません」
「……はい」
安心した俺が馬鹿だった。
俺の安心、本当に長続きしない。
隣では、セレスが別の資料を開いていた。
王国の公式史。
初代魔王討伐の日付。
《次代勇者選定計画》の作成日。
彼女は二つを並べ、指先で確認した。
「悠真。日付が正しいとしても、考えられる理由は一つではないわ」
「……例えば?」
「魔王との戦いで勇者が敗れた場合に備えて、後継者を用意していた可能性」
「ああ!」
なるほど。
勇者だって、絶対に勝つとは限らない。
一人目が負けたら、二人目。
次の勇者を準備すること自体は、おかしくない。
「あるいは、魔王を倒した後にも別の脅威が残ると予測していた可能性ね」
「……うん」
「それから、勇者制度そのものを維持する目的も考えられるわ」
俺は腕を組んだ。
「つまり、魔王と戦うための予備か、次の敵への備えか、制度を続けるためか」
「そういうこと」
「どれが正解?」
「まだ分からないわ」
即答だった。
でも。
最近、俺はこの言葉が嫌いじゃない。
昔なら、答えが出ないことに苛立っていたと思う。
先生が百人もいるんだから、誰かが知っているはずだ。
そう考えていた。
けれど。
先生たちにも、分からないことがある。
そして。
分からないことを、分かったことにしてはいけない。
俺は、それを何度も学んできた。
「……ありがとう、セレス」
「何が?」
「俺一人だったら、王国の陰謀だって騒いでたと思う」
「あなたなら、十分あり得るわね」
「否定してくれよ!」
「否定できる根拠がないもの」
……論理的すぎる。
でも。
彼女が隣にいるから、俺は考え直せる。
それは、ありがたいことだった。
「神谷殿」
担当官が言った。
「勇者制度は、魔王討伐のためだけに存在するものではありません」
「……はい」
「魔物への対処。集落の防衛。災害時の救助。王国が人々を守るため、必要な能力を持つ者を選定することには意味があります」
俺は頷いた。
レムナ村のことを思い出す。
十年前。
村を襲った魔物を倒すため、勇者は周囲の森を焼いた。
魔物は倒された。
けれど。
薬草を採る森も。
狩りをする場所も。
生活を支える水源も。
失われた。
王国の記録には《レムナ村救済》と残された。
勇者は表彰された。
でも。
村人たちは、その後も苦しんでいた。
「……担当官さん」
「はい」
「勇者を用意することが必要なのは、分かります」
俺は言った。
「でも、勇者を選べば人が救われるってわけじゃないですよね」
担当官は、ゆっくり頷いた。
「その通りです」
「だったら」
俺は計画書を見つめた。
「この計画が何のために作られたのか、知りたいんです」
魔王を倒すため。
次の魔王に備えるため。
人々を守るため。
そのどれも、理由としては理解できる。
でも。
計画を作った人間が、実際に何を考えていたのかは別だ。
「……一つ、気になることがあるわ」
セレスが言った。
「何?」
「この題名よ」
彼女は計画書を指さした。
《次代勇者選定計画》
「どうして『次代』なのかしら」
「次の勇者だからじゃないの?」
「ええ。でも、誰の次なの?」
俺は瞬きをした。
「……誰の?」
「当時の勇者の後継者なのか。それとも、別の役割を持つ勇者なのか」
セレスは資料を見つめた。
「この題名だけでは、そこまで分からないわ」
俺も、もう一度文字を見る。
《次代勇者選定計画》
次の勇者。
当たり前の言葉だと思っていた。
でも。
考えてみれば、おかしい。
魔王を倒すことが勇者の最終目的なら。
どうして、その先まで準備する必要があった?
もちろん、次の危険に備えるためかもしれない。
でも。
それだけなら。
なぜ、この文書は封印資料として残されていたんだ?
「……セレス」
「何?」
「俺、ちょっと嫌な予感がしてきた」
「予感だけで結論を出さないで」
「分かってる」
俺は頷いた。
そして。
背後を振り返った。
そこには、いつもの先生たちがいた。
百人の英雄。
普通の人間には見えない。
俺にだけ見える、死んだ先生たち。
百年前の戦争を知る人間がいるとしたら。
まずは、この人たちだ。
……いや。
もう、人間ではないのかもしれないけれど。
そこは、今は考えないことにした。
百人の先生が黙った理由
「ガルディオ先生」
『……何だ』
剣聖ガルディオ先生は、珍しく腕を組んだまま黙っていた。
「この計画、知ってる?」
『知らねえ』
即答だった。
「本当に?」
『少なくとも、俺の覚えている戦争に、そんな名前の計画は出てこねえ』
俺は頷いた。
ガルディオ先生は、嘘をついているようには見えない。
でも。
百英雄の記憶には、以前から不自然な空白があった。
百一人目の勇者。
存在を消されたゼル先生。
そして。
百人という人数そのものへの疑問。
先生たちは、百年前のすべてを覚えているわけじゃない。
「エレノア先生は?」
大魔導師エレノア先生が、難しい顔をした。
『その文書だけでは判断できないわ。作成者、改訂履歴、関連する命令書。少なくとも、そのあたりは確認したいわね』
「……なるほど」
『それから、当時の軍事記録と照合する必要もあるわ』
「はい」
『可能なら、別系統の文献も』
「……はい」
『できれば三百冊ほど』
「多いよ!」
「神谷殿?」
しまった。
声に出た。
担当官が、困惑した顔で俺を見ている。
「す、すみません! 独り言です!」
隣でセレスが口元を押さえた。
「……笑ってる?」
「笑ってないわ」
「絶対笑ってる!」
「今は資料に集中しなさい」
……はい。
死んだ英雄百人に教わる最大の欠点は、重要な会談中でも授業が始まることだ。
しかも。
俺以外には、先生たちの声が聞こえない。
本当に不便である。
『悠真』
クロウ先生が静かに言った。
『目録を確認しろ』
「……目録?」
『封印されていた理由と、文書の内容は別だ』
俺は頷いた。
そうだ。
封印資料だからといって、必ず悪い秘密が隠されているとは限らない。
軍事上の理由かもしれない。
個人情報を守るためかもしれない。
そもそも、俺たちは封印の理由さえ知らない。
「担当官さん」
「はい」
「この資料が封印されていた理由って、分かりますか?」
担当官は少し考えた。
「現時点では、確かなことは申し上げられません」
「……そうですか」
「ただ、関連する保存目録は確認できます」
俺は顔を上げた。
「本当ですか?」
「はい。閲覧を認められた範囲で確認しましょう」
担当官が目録を開く。
その間。
俺は、もう一度先生たちを見た。
「リリア先生」
『はい』
「先生は、どう思う?」
聖女リリア先生は、少しだけ寂しそうな顔をした。
『勇者を準備すること自体は、悪いことではないと思います』
「……うん」
『でも、勇者が増えれば、それだけ人が救われるのでしょうか』
俺は黙った。
『大切なのは、誰が勇者に選ばれるかだけではありません』
先生は言った。
『その勇者が、誰を救うのかです』
俺は、レムナ村の人たちを思い出した。
勇者が魔物を倒した。
でも、村人は苦しんだ。
俺たちは森を焼かずに村を守ろうとした。
その結果、仲間を傷つけてしまった。
俺の判断だって、完璧じゃない。
それでも。
村の人たちが何を守りたいのか、聞くことはできた。
「……そうだよな」
俺は呟いた。
『ええ』
リリア先生が微笑んだ。
『悠真さんなら、もう分かっているはずです』
俺は頷いた。
先生たちは、何でも知っているわけじゃない。
でも。
教えてもらったことが、なくなるわけじゃない。
その時。
背後で、誰かが小さく息を吐いた。
ゼル先生だった。
黒髪の青年。
穏やかな笑顔。
百一人目の勇者。
王国の公式な歴史から、存在を消された先生。
俺が振り返ると。
ゼル先生は、机の上の計画書を見つめていた。
いつもの笑顔は、なかった。
「……ゼル先生?」
『……何だい、悠真』
声は、いつもどおりだった。
優しくて。
落ち着いていて。
まるで何も起きていないような声。
でも。
俺には分かった。
この先生は。
何かを知っている。
少なくとも、そう思わせるだけの反応をしていた。
俺は担当官へ向き直った。
「すみません。少しだけ、考える時間をいただけますか?」
「もちろんです」
担当官は頷いた。
「その間に、こちらも目録を確認いたします」
学院長も、担当官と資料を確認し始めた。
俺はセレスへ視線を向けた。
彼女は、何も言わずに頷いた。
「……ゼル先生に聞くのね」
「うん」
「答えてくれると思う?」
俺は少し考えた。
「……半分くらい?」
「なぜ半分なの?」
「この先生、肝心な時ほど質問を返してくるから」
セレスは小さく笑った。
「それなら、あなたも質問を用意しておきなさい」
「分かった」
「それと」
「何?」
「先生の答えだけで、決めないでね」
俺は頷いた。
「……うん」
セレスは、再び資料へ視線を落とした。
俺は。
ゼル先生へ向き直った。
半分だけ正解
「……ゼル先生」
『うん』
「百年前、先生は魔王を殺せなかったんだよな」
ゼル先生の表情が、わずかに変わった。
『……そうだね』
「どうして?」
『それは、前にも聞かれたよ』
「うん」
俺は頷いた。
「でも、まだ答えてもらってない」
ゼル先生は黙った。
俺は続けた。
「魔王が強かったから?」
『強さだけの問題ではなかったよ』
「じゃあ、何が問題だったの?」
答えはなかった。
その沈黙が。
妙に重かった。
普段なら。
ガルディオ先生が口を挟む。
リリア先生が励ましてくれる。
エレノア先生が説明を始める。
クロウ先生が、なぜか逃走経路を確認する。
でも。
今は。
誰も、何も言わなかった。
「……先生」
『何だい?』
「前に言ってたよな」
『何を?』
「魔王を殺せば、次の戦争が始まるって」
ゼル先生の目が、わずかに細くなった。
『……覚えていたんだね』
「忘れるわけないだろ」
だって。
おかしいじゃないか。
魔王を倒す。
世界を救う。
それが勇者の物語だ。
なのに。
魔王を殺せば、次の戦争が始まる?
そんなことがあるなら。
勇者は、何のために戦っていたんだ?
「先生は、その次の戦争が何なのか知ってたの?」
『……』
「それとも、次の勇者が必要になる理由を知ってた?」
ゼル先生は、計画書を見つめた。
《次代勇者選定計画》
その文字に、先生の視線が止まった。
俺は息を吸った。
ずっと聞きたかったことがある。
でも。
聞けば、何かが変わってしまう気がしていた。
この先生は、俺のことを誰より理解してくれる。
そう思っていた。
何も知らなかった俺に、自分で考えることを教えてくれた。
正しい答えを押しつけず。
何度も、問いかけてくれた。
だからこそ。
俺は聞かなければならない。
「……ゼル先生」
『うん』
俺は、まっすぐ先生を見た。
「先生は、これを知ったから魔王を殺さなかったの?」
ゼル先生は答えなかった。
一秒。
二秒。
三秒。
俺は待った。
先生が何かを言うまで。
ずっと。
待っていた。
やがて。
ゼル先生が、静かに口を開いた。
『半分だけ正解』
……半分?
「……え?」
『君の考えは、半分だけ正しい』
俺は先生を見つめた。
「じゃあ、残り半分は?」
ゼル先生は少しだけ笑った。
いつもの。
優しい笑顔だった。
でも。
その笑顔を見て、俺は安心できなかった。
『それを僕が言ったら』
先生は言った。
『君はまた、先生の答えを信じるだろ?』
……あ。
俺は、息を止めた。
覚えている。
それは。
俺が以前、先生に言った言葉だった。
先生が答えを知っているからといって。
それを聞いてしまったら、また先生の答えを信じるだけになる。
だから。
自分で考えたい。
自分で答えを見つけたい。
あの時。
俺は、そう決めた。
でも。
今の俺は。
また先生に、正解を教えてもらおうとしていた。
「……ずるいよ、先生」
『そうだね』
「俺の言葉を、そのまま返すなんて」
『君が教えてくれたことだから』
「先生のくせに」
『先生だって、生徒から教わることはあるよ』
ゼル先生は、静かに微笑んだ。
俺は、何も言えなくなった。
先生は、答えを知っているのかもしれない。
でも。
本当に知っているのか。
どこまで知っているのか。
それすら、俺には分からない。
「……先生」
『うん』
「俺を守ろうとして、黙ってるの?」
ゼル先生の笑顔が止まった。
ほんの一瞬。
それだけだった。
『……君は、どう思う?』
「また質問かよ」
俺は笑えなかった。
「先生が俺を守ろうとしてくれてるのは、分かる」
『……』
「でもさ」
俺は言った。
「知らないまま守られるのって、ちょっと怖いんだ」
ゼル先生は黙っている。
「何も知らなければ、俺は自分で選べない」
『……そうだね』
「先生が俺のために決めてくれたとしても」
俺は拳を握った。
「それが、本当に俺の望んだことなのか分からない」
ゼル先生の表情が変わった。
一瞬だけ。
苦しそうに見えた。
でも。
すぐに、いつもの顔へ戻った。
『……悠真』
「何?」
『君は、変わったね』
俺は首を振った。
「まだ全然だよ」
『そうかな』
「だって、分からないことばっかりだし」
『それでも』
先生は言った。
『以前の君なら、僕が答えないことに怒っていた』
「……うん」
『今の君は、答えない理由まで考えようとしている』
俺は黙った。
『それは、立派な成長だと思うよ』
……ずるい。
本当に、ずるい先生だ。
そんなふうに言われたら。
怒れないじゃないか。
でも。
俺は、もう一つだけ聞くことにした。
「……先生」
『うん』
「今は答えられないことがあるなら、それでもいい」
ゼル先生が俺を見る。
「でも、いつかは話してくれる?」
先生は黙った。
そして。
『……約束は、できない』
そう答えた。
胸の奥が、少し痛んだ。
でも。
嘘の約束をされるよりは、ずっとよかった。
「……分かった」
俺は頷いた。
「だったら、自分で調べる」
『……うん』
「先生の言葉だって、証拠がなければ疑う」
『そうしてほしい』
「でも」
俺は顔を上げた。
「先生のことまで、嫌いになるわけじゃないからな」
ゼル先生が、目を見開いた。
俺は続けた。
「何を隠しているのかは知らない。でも、今まで教えてくれたことが、全部嘘だったわけじゃないだろ」
短い沈黙。
ゼル先生は、静かに目を伏せた。
『……ありがとう、悠真』
その声は。
いつもより、少しだけ小さかった。
背後でガルディオ先生が、ふっと笑った。
『……生意気になりやがって』
俺は振り返った。
「先生」
『何だ』
「褒めてる?」
『さあな』
……絶対に褒めてる。
たぶん。
いや。
そういうことにしておこう。
俺は机へ向き直った。
答えは、まだ分からない。
でも。
今までとは違う。
先生が教えてくれるのを、待つだけじゃない。
自分で調べて。
自分で考えて。
自分で選ぶ。
それが。
今の俺にできることだった。
勇者に選ばれるということ
「悠真」
セレスに呼ばれ、俺は顔を上げた。
「……終わった?」
「うん」
「何か分かった?」
俺は少し考えた。
「ゼル先生は、この計画と魔王を殺せなかった理由が、無関係だとは言わなかった」
「……そう」
「でも、全部は教えてくれなかった」
セレスは頷いた。
「それなら、今までより少し進んだわね」
「そうかな」
「ええ。ただし、先生の答えだけで事実が確定したわけではないわ」
「……だよな」
俺は苦笑した。
「やっぱり、資料を調べるしかないか」
「ええ」
セレスは俺を見た。
「それに、あなたは先生に答えてもらえなかったからといって、諦めなかったでしょう」
「……うん」
「前のあなたなら、そこで止まっていたかもしれない」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「ちゃんと変わっていると思うわ」
……え。
今のって。
褒められた?
いや。
確実に褒められた。
俺は思わず、セレスを見つめた。
「……何?」
「いや」
「何よ」
「ちょっと、嬉しかった」
彼女が目を瞬いた。
「……そう」
「ありがとう」
「何度も言わなくていいわ」
そう言いながら。
彼女は視線を逸らした。
その耳が、少しだけ赤い。
……あれ?
もしかして。
今の、結構いい雰囲気なんじゃないか?
背後でガルディオ先生が、何かを言おうとした。
だが。
『黙れ』
クロウ先生が先に制止した。
……ありがとう。
今日だけは。
暗殺王が世界で一番頼りになる先生に見えた。
その時。
「神谷殿」
担当官が、目録から顔を上げた。
俺たちは姿勢を正した。
「確認できたことがあります」
「……何でしょう?」
「《次代勇者選定計画》は、保存目録でも魔王討伐以前の文書群に分類されています」
俺は息をのんだ。
「じゃあ……」
「作成時期が討伐以前だった可能性は、さらに高くなりました」
担当官は慎重に続けた。
「ただし、後から内容が改訂された可能性や、当時の記録方法による誤差までは、この場で否定できません」
「……はい」
俺は頷いた。
やっぱり、この人は信用できると思う。
断定できないことを、断定しない。
王国の人間だからといって、何もかも隠そうとしているわけじゃない。
それに。
この人が説明する勇者制度にも、必要な理由がある。
「神谷殿」
担当官は言った。
「あなたは、正式な勇者として認定されることを、まだ迷っておられますね」
「……はい」
「理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
俺は少し考えた。
昔の俺なら。
勇者になれると言われた瞬間、飛びついていた。
職業《無職》。
魔力最低。
剣術最低。
学院史上最弱。
そんな俺が、正式な勇者になる。
夢みたいな話だ。
でも。
今は、違う。
「……俺、勇者にはなりたいです」
担当官が頷く。
「はい」
「でも、勇者になったら何をしなければいけないのか、ちゃんと知りたいんです」
「……なるほど」
「王国が敵と決めた相手を倒す。それだけが勇者の仕事なら」
俺は言葉を選んだ。
「俺には、できないかもしれません」
担当官は、黙って聞いている。
「相手が本当に人を傷つけているなら、止めたいです」
「……はい」
「でも、敵だと言われたからって、何も考えずに剣を向けるのは嫌なんです」
短い沈黙。
学院長が、静かに俺を見ていた。
俺は続けた。
「勇者を選ぶことに意味があるのは分かります」
レムナ村を守る時だって。
俺一人では何もできなかった。
仲間が必要だった。
力が必要だった。
責任を引き受ける人間が必要だった。
「でも」
俺は担当官を見た。
「選ばれた人間が、自分で何を守るか考えることも、大事だと思うんです」
担当官は、しばらく黙っていた。
やがて。
「……神谷殿」
「はい」
「そのお考えは、勇者に必要な資質の一つだと思います」
俺は目を見開いた。
「……本当ですか?」
「はい。ただし」
担当官は続けた。
「王国が勇者に責任を求めることにも、理由があります」
「……はい」
「危険が迫った時、誰も判断せず、誰も責任を引き受けなければ、多くの人が犠牲になります」
俺は頷いた。
「それも、分かります」
「だからこそ、勇者という制度には、本人の意思と、公的な責任の両方が必要なのでしょう」
……難しい。
本当に難しい。
勇者になる。
たったそれだけのことなのに。
考えなければいけないことが、山ほどある。
俺は、少し笑った。
「……俺、昔は勇者って、もっと簡単なものだと思ってました」
担当官も、小さく笑った。
「そうかもしれませんね」
学院長が、静かに口を開いた。
「神谷」
「はい」
「お前は、以前とは違う問いをするようになったな」
「……そうですか?」
「ああ」
学院長は頷いた。
「昔のお前なら、どうすれば勇者になれるかを聞いていただろう」
俺は黙った。
その通りだ。
「今のお前は、勇者になって何をするべきかを聞いている」
「……はい」
「その問いは、簡単には答えが出ない」
学院長は言った。
「だが、問い続ける価値はある」
俺は、ゆっくり頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その時。
セレスが、俺の袖を軽く引いた。
「悠真」
「何?」
「答えが出るまで、一緒に考えることならできるわ」
俺は彼女を見る。
セレスは、まっすぐ俺を見ていた。
「……うん」
俺は頷いた。
「頼りにしてる」
「今さらでしょう」
その一言が。
何だか、すごく嬉しかった。
俺は一人じゃない。
先生たちがいる。
学院長がいる。
そして。
セレスがいる。
だから。
答えが分からなくても、前へ進める。
……そう思っていた。
その時までは。
たった一人の条件
「……ところで」
セレスが、計画書の末尾を指さした。
「この文書には、関連資料があるのではありませんか?」
担当官が目録を確認した。
「ああ……確かに」
「見せていただけますか?」
「閲覧許可の範囲を確認します」
担当官は目録と資料番号を照合した。
しばらくして。
「今回の照会対象に含まれています」
そう答えた。
俺は思わず身を乗り出した。
「本当ですか!」
「はい」
担当官が、別の薄い資料を取り出した。
古い紙だった。
端が傷んでいる。
文字の一部も、読みにくくなっている。
でも。
上部の題名だけは、はっきりと残っていた。
《次代勇者候補》
俺は息をのんだ。
「……これって」
「先ほどの選定計画に関連する記録です」
担当官が答えた。
セレスが、資料へ顔を近づける。
「……候補者についての記録ですね」
「はい」
俺は胸が高鳴るのを感じた。
ついに。
誰を次の勇者にしようとしていたのか、分かるかもしれない。
百年前。
魔王が死ぬ前から。
王国が準備していた、次の勇者。
その人は。
どんな人間だったんだ?
ガルディオ先生のような剣士?
エレノア先生のような魔導師?
それとも。
ゼル先生のように、特別な秘密を抱えた勇者?
俺は資料を見つめた。
「……セレス」
「何?」
「何人くらいいたんだろうな」
「まだ分からないわ」
「十人くらい?」
「根拠は?」
「……何となく」
「却下」
早い。
「じゃあ百人!」
「どうして増えるの」
「先生が百人いるから!」
「それは、もっと根拠にならないわ」
「……ですよね」
俺は肩を落とした。
でも。
背後から、静かな声がした。
『……人数の問題じゃないかもしれないよ』
ゼル先生だった。
俺は振り返る。
「……どういう意味?」
先生は答えなかった。
ただ。
資料を見つめていた。
俺は、その視線を追った。
そして。
気づいた。
セレスの指が、一つの項目で止まっている。
《候補人数》
その横に、数字があった。
俺は目を細めた。
……一?
「……一名?」
思わず声に出た。
セレスは頷いた。
「そう読めるわ」
担当官も確認する。
「……確かに、この記録に記載されている候補人数は一名です」
俺は言葉を失った。
一人。
たった一人。
魔王が死ぬ前から、王国が準備していた次の勇者。
その候補者は。
一名だった。
「……おかしくないか?」
俺は呟いた。
「何が?」
セレスが尋ねる。
「だって、次の勇者を準備するなら、何人か候補がいたほうがいいだろ」
「必ずしもそうとは限らないわ」
「……そうなの?」
「計画全体で一名なのか、特定の条件に当てはまる候補が一名なのか。それによって意味が違うもの」
俺は頷いた。
そうだ。
数字だけ見ても、まだ分からない。
でも。
気になる。
ものすごく気になる。
「……名前は?」
セレスが尋ねた。
担当官は資料を確認した。
そして。
「……記載がありません」
そう答えた。
「……え?」
俺は顔を上げた。
「名前が、ないんですか?」
「はい」
「消されてるとか?」
担当官は慎重に首を振った。
「現時点では、削除されたのか、最初から記載されていなかったのか判断できません」
俺は黙った。
名前のない勇者。
その言葉に。
嫌な記憶が蘇った。
ゼル先生。
百一人目の勇者。
王国の公式な歴史から、存在を消された先生。
あの時も。
記録には、不自然な空白があった。
「……セレス」
「何?」
「また、誰かが消されてるのかな」
彼女は、すぐには答えなかった。
「可能性はあるわ」
「……うん」
「でも、名前が書かれていないことと、名前が消されたことは違う」
俺は頷いた。
「……そうだよな」
「証拠がないうちは、決めつけないで」
「分かった」
でも。
胸の奥が、落ち着かなかった。
百年前の勇者候補。
一名。
名前はない。
その人は。
誰だったんだ?
そして。
どうして、名前が残っていないんだ?
「……担当官さん」
俺は口を開いた。
「この資料、ほかに何か書いてありますか?」
担当官は頷いた。
「候補者について、いくつかの項目が残っています」
「例えば?」
「選定条件です」
……条件。
俺は、その言葉を繰り返した。
勇者になるための条件。
剣術。
魔力。
職業。
そういうものだろうか。
俺は、自分の手を見た。
学院の入学試験。
魔力測定。
最低。
剣術。
惨敗。
魔法。
一発も出ない。
そして。
職業鑑定。
《無職》
教室中が笑った。
俺も、笑うしかなかった。
異世界に来たんだから、何か特別な能力があると思っていた。
でも。
何もなかった。
そんな俺が。
今は、正式な勇者にならないかと誘われている。
変な話だ。
本当に。
変な話だ。
「……悠真」
セレスが、俺を見た。
「どうしたの?」
「……いや」
俺は苦笑した。
「何だか、昔のことを思い出して」
「職業鑑定?」
「……うん」
彼女は、少しだけ表情を柔らかくした。
「あなたは、あの時とは違うわ」
「……そうかな」
「ええ」
彼女は言った。
「少なくとも、今のあなたを《無職》という言葉だけで判断する人は、以前よりずっと少ないと思う」
俺は、何も言えなくなった。
昔なら。
それだけで、十分だった。
誰かに認めてもらいたかった。
勇者になりたかった。
職業《無職》でも。
才能がなくても。
役に立つ人間だと、証明したかった。
でも。
今は。
それだけじゃない。
「……セレス」
「何?」
「俺、やっぱり知りたい」
「何を?」
「勇者って、何なのか」
彼女は静かに頷いた。
「ええ」
「誰が選ぶのかじゃなくて」
俺は続けた。
「何のために選ぶのか。選ばれたら、何をしなきゃいけないのか」
セレスは俺を見た。
「それを知ってから、自分で決めたいんだね」
「……うん」
彼女は、少しだけ微笑んだ。
「だったら、最後まで調べましょう」
俺は頷いた。
「……ありがとう」
そう答えた時だった。
担当官が、資料を読み進める手を止めた。
「……これは」
声が変わった。
俺は顔を上げた。
「どうしたんですか?」
担当官は、すぐには答えなかった。
学院長も資料をのぞき込む。
「……何が書いてある?」
担当官は眉を寄せた。
「一般的な勇者の能力条件とは、異なる記載です」
……え?
俺は息をのんだ。
「……どういうことですか?」
「剣術や魔力、職業の適性について書かれているわけではありません」
担当官が答えた。
「では、何を条件にしているんですか?」
俺が尋ねると。
担当官は、資料をこちらへ向けた。
「ご自身で確認してください」
俺は、ゆっくりと目を落とした。
その時。
背後の空気が変わった。
ガルディオ先生が黙った。
エレノア先生も。
クロウ先生も。
リリア先生も。
誰も、何も言わなかった。
そして。
ゼル先生。
百一人目の勇者。
いつもなら、穏やかに笑っている先生が。
俺を見ていた。
笑っていなかった。
「……ゼル先生?」
俺は、小さく呼んだ。
返事はない。
先生は、ただ俺を見ている。
その表情に。
俺は、初めて怖いものを感じた。
この先生は。
何かを知っているのかもしれない。
でも。
今は、聞かない。
聞いても、答えてくれないかもしれない。
それなら。
自分の目で確かめる。
俺は、もう一度資料へ視線を戻した。
《次代勇者候補》
《候補人数 一名》
《氏名 記載なし》
そして。
その下に。
最後の項目があった。
《選定条件》
俺は、息を止めた。
最初の一文字を読む。
次の文字を読む。
何かを思い出しかけた。
日本。
事故。
気がついたら、知らない世界にいた。
王国に保護された。
勇者学院に入った。
職業《無職》。
誰にも期待されなかった。
それでも。
百人の先生に出会った。
セレスに出会った。
少しずつ。
少しずつ。
前へ進んできた。
俺は、ずっと思っていた。
この世界に来たのは、偶然だ。
事故に遭って。
目を覚ましたら、異世界だった。
ただ、それだけだと。
でも。
もし。
この世界が、百年前から何かを準備していたのだとしたら。
……いや。
違う。
まだ、何も分かっていない。
俺がこの世界に来たことと、百年前の計画に関係があるかどうかなんて、分からない。
そもそも、俺は召喚されたのか?
誰かに呼ばれた覚えなんてない。
それなのに。
なぜだろう。
胸の奥が、冷たくなっていく。
隣で。
セレスが、俺の袖を掴んだ。
「……悠真」
小さな声だった。
俺は、彼女を見る。
セレスは、何も言わなかった。
ただ。
俺の袖を掴んだまま、資料を見ていた。
いつもなら。
「まだ分からないわ」
そう言ってくれる。
「証拠がないでしょう」
そう止めてくれる。
でも。
今は。
何も言わなかった。
俺は、もう一度資料を見た。
百年前。
魔王が死ぬ前から。
王国は、次の勇者を準備していた。
候補者は、一名。
名前はない。
そして。
その人間を選ぶ条件は。
《異界より召喚された者》
第59話 完
次回予告
第6部『勇者制度編』最終話
次回 第10話/通算第60話
「百二人目は、俺なんですか?」
魔王が死ぬ前から存在した《次代勇者選定計画》。
候補者は、たった一名。
その条件は《異界より召喚された者》。
日本から異世界へ来た神谷悠真。
百一人目の勇者ゼル。
そして、百年前の記録に残る百二名の勇者候補。
偶然なのか。
それとも、すべてが何かにつながっているのか。
悠真は、ついに問いかける。
「俺が百二人目なんですか?」
しかし。
ゼルの答えは、悠真が期待していたものではなかった。
さらに。
王国の勇者選定施設の最深部で、百年間隠されてきた仕組みに近づく。
勇者とは、何なのか。
選ばれる存在なのか。
それとも。
別の何かなのか。
次回、第6部最終話。
勇者制度の常識が、根底から揺らぐ。
作者より
第59話では、《次代勇者選定計画》に隠されていた新たな事実へ踏み込みました。
魔王が死ぬ前から、王国は次の勇者を必要としていた。
しかし、その理由はまだ明らかになっていません。
そして、ゼルの言葉。
「半分だけ正解」
彼が魔王を殺せなかった本当の理由は、依然として謎のままです。
今回、最も重要なのは、計画書の最後に記されていた条件です。
《異界より召喚された者》
この条件と、悠真が異世界へ来た理由には、何か関係があるのでしょうか。
次回、第60話では、第6部『勇者制度編』が完結します。
あなたは、百年前の王国が、なぜ異界から来る人間を勇者候補として記録していたと思いますか?
ぜひ、感想や予想をコメント・メッセージで教えてください
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524
Momokun Official https://momokun.jp/




