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第8話/通算第58話 「魔王を倒せば、本当に世界は救われるんですか?」

第6部『勇者制度編』




百一人目の勇者。




その正体は、ずっと自分を導いてきた先生、ゼルだった。




けれど、本当に恐ろしいのは、




「百一人目がいたこと」ではない。




なぜ、彼は勇者だったのに歴史から消されたのか。




なぜ、魔王を倒さなかったのか。




そして――




そもそも、誰が「勇者」を決めているのか。




これまで悠真は、百人の英雄たちから答えを教わってきました。




戦い方も。




人を守る方法も。




正しい答えを疑うことさえも。




だから今度は、




先生から答えを教えてもらわないことを選びます。




「また、先生の答えを信じるだけになるから」




ゼルの答えではなく。




王国の答えでもなく。




歴史に書かれた答えでもなく。




悠真はセレスとともに、自分たちで確かめる道を選びます。




その先で見つかるのは、




《勇者選定院》




勇者は、誰が選ぶのか。




何をすれば勇者になれるのか。




そして、なぜ勇者という存在が必要なのか。




第6部『勇者制度編』。




ここから物語は、




「消された一人の勇者」の謎から、「勇者という制度そのもの」の謎へ。




そして最後に、悠真たちは一つの言葉へたどり着きます。




勇者は、作られる。




では――




誰が、何のために?

敵を決めるのは、誰ですか?

「敵って、誰が決めるんですか?」

俺の質問に、王国の担当官は口を閉じた。

王都の勇者制度を扱う建物。

大きな机を挟んで、俺とセレス、学院長が座っている。

ついさっきまで、担当官は俺を正式な勇者として認定したいと言っていた。

職業《無職》。

魔力も剣術も最低評価。

学院史上最弱の勇者候補。

そんな俺を、だ。

夢みたいな話だった。

というか、昔の俺なら五秒で承諾していた。

「勇者!? 俺が!? ありがとうございます!」

間違いなく、そう言っていた。

でも、今は違う。

「神谷殿」

担当官が静かに口を開いた。

「王国が危険と判断する存在には、相応の理由があります」

「……はい」

「人々の生活を脅かす魔物。集落を襲う勢力。王国の平穏を破壊する存在。そうした脅威に対処するため、勇者制度があります」

「なるほど」

そこまでは理解できる。

魔物が村を襲えば、誰かが戦わなければならない。

人々が危険にさらされたら、助ける人間が必要だ。

それを否定する気はない。

「ですが、神谷殿」

担当官は一枚の資料を机に広げた。

「勇者が最も重要な役割を果たしたのは、百年前の初代魔王との戦いです」

魔王。

その言葉が出た瞬間。

俺の背後が静かになった。

さっきまで正式勇者認定のお祝いを計画していたガルディオ先生。

料理を作る気満々だったリリア先生。

なぜか会談室の逃走経路を確認していたクロウ先生。

そして、百人の英雄たち。

普通の人間には見えない、俺だけの先生たちだ。

その全員が、黙っていた。

「百年前、この世界は魔王によって大きな危機に直面しました」

担当官が続ける。

「人々は苦しみ、王国は勇者を選び、勇者たちは魔王へ立ち向かいました」

俺は頷いた。

学院の授業で何度も聞いた物語だ。

魔王が現れる。

勇者が選ばれる。

勇者が魔王を倒す。

そして、世界は救われる。

「それが、勇者制度の根幹にある歴史です」

担当官は言った。

「だからこそ王国は、次の脅威に備え、勇者という存在を必要としているのです」

その説明は、理解できた。

でも。

俺には、どうしても聞きたいことがあった。

「……すみません」

「何でしょう」

「魔王を倒したら、本当に世界は救われたんですか?」

担当官が目を瞬いた。

隣でセレスが顔を上げる。

学院長も俺を見た。

「それは、どういう意味でしょうか」

俺は少し考えた。

「魔王を倒したことは分かります」

「はい」

「戦争が終わったことも」

「その通りです」

「でも」

俺は顔を上げた。

「戦争に勝ったことと、人が救われたことって、同じなんですか?」

担当官は、すぐには答えなかった。

背後で。

ガルディオ先生が、小さく息を吐いた。

『……そこを聞くようになったか』

俺は振り返らなかった。

今は。

自分の言葉で、話したかった。


勝った勇者と、救われなかった村

「レムナ村の話をしてもいいですか?」

俺の質問に、担当官は頷いた。

「もちろんです」

レムナ村。

北方にある、小さな村。

初めて訪れた時、村長は俺たちに言った。

「帰ってくれ」

魔物が襲ってくるのに。

助けに来た俺たちを、村人は拒絶した。

理由は、十年前の出来事だった。

その時も、村には魔物が現れた。

王国から派遣された勇者は、魔物を討伐するため、村の周囲にある森を焼いた。

魔物は倒された。

村は守られた。

王国の記録には、こう残された。

《レムナ村救済》

勇者は表彰された。

けれど。

村人たちは、その後も苦しんでいた。

薬草を採る森。

狩りをする場所。

生活を支える水源。

そのすべてが、魔物と一緒に失われたからだ。

「……なるほど」

担当官が静かに呟いた。

「神谷殿が、従来とは異なる防衛方法を選ばれた理由ですね」

「はい」

俺たちは、もう一度村を守る時、森を焼かなかった。

村人に地形を教えてもらった。

仲間と作戦を考えた。

失敗もした。

俺の判断で、仲間が傷ついた。

それでも。

最後は村人たちと協力して、魔物を村から引き離した。

「俺の作戦だって、完璧じゃありませんでした」

担当官は黙って聞いている。

「でも、村の人たちが何を守りたいのかは、ちゃんと聞いたつもりです」

「……はい」

「十年前の勇者も、村を救おうとしたんだと思います」

その人を悪人だと決めつけるつもりはない。

森を焼かなければ、もっと多くの人が死んだ可能性だってある。

でも。

「王国の記録には、魔物を倒したことだけが残っていました」

俺は続けた。

「その後、村がどうなったのかまでは、ちゃんと伝わっていなかったんです」

担当官は、しばらく考えてから答えた。

「討伐の成否と、その後の生活の回復は、分けて考える必要があるでしょう」

……おお。

「セレス」

「何?」

「今の、俺が言いたかったことだ」

「ええ。そうでしょうね」

「王国の人って説明がうまいな!」

「悠真。感心するところが違うわ」

担当官が、少しだけ笑った。

けれど、すぐに真剣な表情へ戻った。

「ただし、神谷殿」

「はい」

「現場では、すべてを守れるとは限りません」

その言葉に、俺は黙った。

「森を残せば村人が死ぬ。森を焼けば生活が失われる。どちらを選んでも犠牲が出る状況はあります」

「……分かります」

「だからこそ、危険な局面で判断できる者を育てなければならないのです」

俺は頷いた。

この人の言うことも正しい。

勇者制度には、必要な理由がある。

それを認めることと、すべての命令に従うことは別だ。

「俺、勇者がいらないって言いたいわけじゃありません」

「はい」

「ただ、誰を倒したかだけじゃなくて、誰が救われたかも大事だと思うんです」

担当官は、ゆっくり頷いた。

「その考え方は、勇者にとって大切なものだと思います」

……認めてもらえた。

ちょっと嬉しい。

いや、かなり嬉しい。

『やったじゃねえか!』

ガルディオ先生が俺の肩を叩く真似をした。

『あとは勇者認定を受けるだけだな!』

「まだそこは決めてない!」

「神谷殿?」

しまった。

声に出た。

「す、すみません。独り言です!」

担当官が少し困った顔をする。

隣でセレスが口元を押さえていた。

「……笑ってる?」

「笑ってないわ」

「絶対笑ってる!」

「今はお話を聞きなさい」

はい。

……どうやら俺は、正式な勇者になる前に、独り言を減らす修行が必要らしい。


魔王軍の土地に、人間の墓があった

「私からも質問してよろしいでしょうか」

セレスが口を開いた。

担当官は姿勢を正す。

「どうぞ」

「百年前の戦争についてです」

彼女は、机の資料を指さした。

「公式には、魔王軍との戦争だったとされていますね」

「はい」

「では、その魔王軍とは、具体的に何だったのでしょうか?」

担当官が資料へ目を落とす。

「初代魔王に従う軍勢、と記録されています」

「その軍勢には、人間も含まれていたのでしょうか」

担当官の表情が変わった。

「……すべての構成を確認できる資料は、ここにはありません」

「では、含まれていなかったとも断定できませんね」

「はい」

セレスは頷いた。

「ありがとうございます」

俺は彼女を見る。

「旧戦場のこと?」

「ええ」

やっぱり。

俺も、同じ場所を思い出していた。

以前、俺たちは百年前の旧戦場跡を調べた。

そこで発見したのは、奇妙な墓地だった。

魔王軍側とされていた地域。

そこに、大量の人間の兵士の墓が並んでいた。

王国側の英雄たちが眠る場所とは違う。

戦場の反対側だ。

「担当官さん」

「はい」

俺は、その墓地について説明した。

担当官は最後まで聞いてから、慎重に答えた。

「敵地で亡くなった王国兵が埋葬された可能性もあります」

「……確かに」

そうだ。

魔王軍の土地に人間の墓があるからといって、その人たちが魔王軍だったとは限らない。

進軍した王国兵だったのかもしれない。

戦争中に亡くなった別の人間だったのかもしれない。

まだ分からない。

「だから、確認したいんです」

セレスが続けた。

「墓地の位置だけでは所属は決められません。けれど、なぜそこに埋葬されたのか、説明できる記録も見つかっていません」

「なるほど」

「そして、もう一つあります」

セレスが、俺を見る。

「悠真。あの石碑を覚えている?」

「ああ」

旧戦場で見つけた古い石碑。

そこに刻まれていたのは。

《魔王討伐》

ではなかった。

《戦争終結》

たった、その言葉だけだった。

「魔王を倒して世界を救ったなら、どうして《魔王討伐》じゃないんだろうって思ったんです」

担当官は考え込んだ。

「石碑の建立目的が違った可能性もあります」

「……そうですよね」

俺は頷いた。

今ある証拠だけでは、何も決められない。

セレスも、そこは分かっているはずだ。

だから彼女は、断定しなかった。

「戦争だったんじゃない?」

セレスが、ぽつりと言った。

「……戦争?」

「魔王を倒すだけではない、もっと複雑な戦争だった可能性もあるわ」

俺は頷きかけた。

でも。

そこで止まった。

「じゃあ」

俺は尋ねた。

「何と何の?」

セレスは黙った。

担当官も。

学院長も。

誰も答えなかった。

王国と魔王軍。

人間と魔物。

正義と悪。

俺が教科書で習った歴史では、きれいに分かれていた。

でも。

実際に誰が、誰と戦った?

なぜ、魔王側の地域に人間の墓があった?

人間同士も戦っていたのか。

それとも、別の事情があったのか。

分からない。

「……神谷殿」

担当官が静かに言った。

「王国の公式史は、残された記録をもとに編纂されています」

「はい」

「ですが、百年前の戦争について、すべてを説明できる資料が残っているとは限りません」

「……そうですよね」

「申し訳ありません。現時点では、ご質問に確かな回答を差し上げることができません」

担当官は頭を下げた。

俺は慌てた。

「いや、謝らないでください!」

「しかし」

「分からないなら、分からないでいいんです!」

担当官が顔を上げた。

俺は続けた。

「分からないことを、分かったことにされるほうが怖いので」

隣で、セレスが小さく頷いた。

「私も、そう思います」

その言葉が、妙に嬉しかった。

俺一人だったら。

ここまで整理して質問できなかったと思う。

「……セレス」

「何?」

「一緒に来てくれて、よかった」

彼女が少し驚いた顔をした。

「今さら何を言っているの」

「いや、今さらだけど」

俺は笑った。

「俺だけじゃ、こんな質問できなかった」

セレスは、しばらく俺を見ていた。

そして。

「……あなたが気づいたこともあるでしょう」

「え?」

「レムナ村のこと。あの墓地のこと。それから、今の質問も」

彼女は少しだけ視線を逸らした。

「私だけでは、気づかなかったかもしれないわ」

……え。

今のって。

褒められた?

『褒められたぞ!』

ガルディオ先生が叫んだ。

『今だ悠真! 手を握れ!』

「何の今だよ!」

「悠真?」

しまった。

また声に出た。

セレスが不思議そうに見ている。

その横で。

クロウ先生がガルディオ先生の肩を掴んだ。

『黙れ』

……本当に。

今日のクロウ先生、仕事ができる。


百一人目の勇者は、何を知っているのか

その時。

背後で、誰かが小さく息を吐いた。

ゼル先生だった。

黒髪の青年。

穏やかな笑顔。

百一人目の勇者。

王国の公式な歴史から存在を消された先生。

俺が振り返ると、ゼル先生は机の資料を見つめていた。

「ゼル先生」

『何だい?』

いつもの声だった。

でも。

少しだけ、違う。

「百年前の戦争って、本当に魔王を倒すためだけの戦争だったの?」

ゼル先生は答えなかった。

「……先生?」

『悠真』

「何?」

『君は、どう思う?』

まただ。

この先生は、答えが欲しい時ほど質問を返してくる。

昔の俺なら。

「先生なんだから教えてよ!」

そう言っていただろう。

でも、今は違う。

ゼル先生は。

俺に答えを押しつけない。

それが、先生なりの教え方だ。

ただし。

答えを知っていて、隠している可能性もある。

そのことも。

俺は知っている。

「俺は、魔王が人々を殺そうとしていたなら、止めなきゃいけなかったと思う」

『そうだね』

「でも、魔王を倒せば全部解決するとは思えない」

ゼル先生が、静かに俺を見る。

「旧戦場の墓も、消された歴史も、先生たちの記憶も。説明できないことが多すぎる」

その時。

頭の奥に、一つの言葉が蘇った。

『魔王を殺せば、次の戦争が始まる』

ゼル先生の言葉。

「……先生」

『うん』

「前に言ってたよな」

『何を?』

「魔王を殺せば、次の戦争が始まるって」

ゼル先生の笑顔が消えた。

ほんの一瞬。

でも。

俺は見逃さなかった。

『……覚えていたんだね』

「そりゃ覚えてるよ」

だって。

おかしいじゃないか。

魔王を倒せば、戦争は終わる。

それが勇者の物語だ。

なのに。

なぜ、次の戦争が始まる?

「どういう意味なんだ?」

ゼル先生は、しばらく黙っていた。

やがて。

『それは、僕の答えだよ』

そう言った。

「……え?」

『君は、君自身が納得できる答えを探しているんだろう?』

「……うん」

『なら、僕の言葉も疑っていい』

俺は黙った。

『魔王を殺せば、本当に次の戦争が始まるのか。それとも、僕がそう考えていただけなのか』

「先生……」

『確かめてごらん』

また。

答えはくれなかった。

だけど。

今回は、少しだけ分かった。

ゼル先生の言葉が正しいとは限らない。

先生は百年前の勇者だ。

その時代を知っている。

でも、すべてを知っているわけじゃない。

そして。

何かを隠している。

「……分かった」

俺は頷いた。

「ちゃんと調べる」

ゼル先生は、少しだけ笑った。

『うん。それがいい』

その時。

『おい、悠真』

ガルディオ先生が低い声で言った。

『あいつの言葉だけを信じるなよ』

「……分かってる」

『俺たちの言葉もだ』

俺は驚いた。

「先生?」

剣聖は腕を組んだ。

『百年前の戦争について、俺たちにも分からねえことがある』

「……うん」

『思い出せねえこともな』

その声は。

いつもの豪快な声ではなかった。

少しだけ。

悔しそうだった。

『だから、お前が調べろ』

俺は頷いた。

「分かった」

先生たちは、俺にとって大切な人たちだ。

強くしてくれた。

守ってくれた。

何度も助けてくれた。

でも。

先生たちが英雄だったからといって。

先生たちの選択が、すべて正しかったとは限らない。

それを認めても。

俺に剣を教えてくれた時間も。

助けてくれた事実も。

消えるわけじゃない。

「悠真」

セレスの声がした。

俺は顔を上げる。

「何?」

「何か、分かった?」

俺は、ゼル先生の言葉を伝えた。

魔王を殺せば、次の戦争が始まる。

セレスは少し考えた。

「それは、先生が実際に見たことなの?」

「分からない」

「予測だった可能性は?」

「それもある」

「なら、確かめないとね」

「……うん」

俺は頷いた。

昔なら。

先生の言葉を聞いただけで、信じていたかもしれない。

でも今は。

セレスと一緒に、証拠を探せる。

それが、嬉しかった。


勇者になれる。でも、今は決めない

「担当官殿」

それまで黙っていた学院長が口を開いた。

「一つお願いがある」

「何でしょう」

「百年前の戦争について、閲覧できる記録を確認させていただけないだろうか」

担当官が少し驚いた。

「戦争の記録を、ですか」

「そうだ」

学院長は俺たちを見た。

「彼らは旧戦場で不自然な記録を発見している。学院の古い記録にも、説明できない欠落がある」

担当官の表情が真剣になった。

「学院生登録の不整合についても、まだ調査中です」

「承知している」

「それらが同じ原因によるものとは、現時点では断定できません」

「もちろんだ」

学院長は頷いた。

「だからこそ、確認する必要がある」

担当官は、しばらく考えた。

やがて。

「公開可能な資料と、照会できる封印資料の目録を確認してみましょう」

そう答えた。

俺は思わず身を乗り出した。

「本当ですか!?」

「ただし、すべてをご覧いただけるとは限りません」

「それでも十分です!」

担当官が席を立ち、部屋を出ていった。

俺は息を吐いた。

「……すごいな」

「何が?」

セレスが尋ねた。

「王国の人と、ちゃんと話ができた」

「当たり前でしょう」

「いや、もっとこう……勇者になりたいなら黙って従え、とか言われるかと思ってた」

セレスは呆れた顔をした。

「それは、あなたの想像でしょう」

「……はい」

「王国の制度に問題があったとしても、そこで働く人が全員悪い人とは限らないわ」

その通りだった。

王国の担当官は、俺の実績を認めてくれた。

質問にも答えてくれた。

分からないことは、分からないと言ってくれた。

その人を。

最初から敵だと決めつけるのは違う。

俺は、ゆっくり頷いた。

「セレス」

「何?」

「俺、まだ勇者認定を受けるか決められない」

「ええ」

「でも、それでいいかな」

セレスは俺を見た。

「あなたは、どうしたいの?」

俺は少し考えた。

「勇者には、なりたい」

それは変わらない。

異世界に来たばかりの頃から。

ずっと憧れていた。

「でも、何をする勇者なのか分からないまま、認定を受けたくない」

「……そう」

「俺が守りたい人まで、いつか王国から敵だと言われたら困るから」

セレスは、すぐには答えなかった。

そして。

「それなら、今は決めなくていいと思う」

そう言った。

「……いいのかな」

「私に聞くの?」

「いや、つい」

彼女は小さく笑った。

「自分で決めなさい」

「……はい」

でも。

そのあと。

セレスは少しだけ声を柔らかくした。

「一緒に考えることなら、できるわ」

俺は、彼女を見る。

「……ありがとう」

「何度も言わなくていいわよ」

「でも、言いたいんだ」

セレスは視線を逸らした。

「……勝手にしなさい」

その耳が。

少しだけ赤かった。

俺は。

何となく、それ以上何も言えなくなった。

背後でガルディオ先生が口を開こうとする。

だが。

『黙れ』

クロウ先生が先に制止した。

……今日だけは。

暗殺王が世界で一番頼りになる先生に見えた。


百年前に残された計画書

しばらくして。

担当官が戻ってきた。

手には、古い資料と目録があった。

「お待たせしました」

机に資料が置かれる。

俺は思わず身を乗り出した。

「おお……!」

「悠真」

「何?」

「少し落ち着いて」

「だって、王国の古い資料だぞ!」

「図書塔でも、あなたは同じことを言っていたわね」

「知的好奇心ってやつだ!」

「その言葉を覚えたのね」

「俺だって勉強するんです!」

……学院の公式記録では、勉強したことになっていないけど。

悲しい現実は、今は忘れよう。

担当官が最初の資料を開いた。

それは、百年前の勇者制度についての記録だった。

魔王の出現。

各地の被害。

勇者の選定。

討伐作戦。

そして、魔王討伐後の平和。

「ここまでは、学院の授業と大きく変わりませんね」

セレスが言った。

「はい」

担当官は頷いた。

「王国は、過去の大きな災厄を教訓として、勇者制度を維持してきました」

「災厄?」

俺が聞き返す。

「魔王との戦争のように、多くの人々の命を脅かす出来事です」

なるほど。

次の魔王が現れた時のため。

その考え方なら理解できる。

「では、勇者という制度は、魔王討伐のためだけではないのですね」

セレスが確認する。

「はい。魔物による被害や、その他の危険に備える役割もあります」

俺は頷いた。

それなら。

一つ、分かったことがある。

勇者制度は。

魔王がいなくなれば、必ず不要になる仕組みではない。

人々を守るために、力を持つ人間を選ぶ。

そのこと自体には、意味がある。

「……なるほど」

俺は呟いた。

「勇者って、魔王を倒すためだけの職業じゃないんですね」

「その通りです」

担当官が答えた。

「……でも」

俺は続けた。

「勇者じゃない人でも、人は救えますよね」

担当官は頷いた。

「もちろんです」

「だったら、勇者に認定されることが、人を救うための絶対条件じゃない」

「はい」

「……そうか」

少しだけ。

胸の中が軽くなった。

勇者になれなければ、何もできない。

昔は、そう思っていた。

でも。

レムナ村で俺たちは、正式な勇者じゃなくても人を守れた。

百人の先生たちも。

それぞれ違う方法で、人を守ってきた。

それなら。

勇者という名前だけが、俺の目標じゃない。

「担当官さん」

「はい」

「俺、勇者にはなりたいです」

担当官は、まっすぐ俺を見た。

「ですが?」

「まだ、返事はできません」

俺は言った。

「勇者になったあと、何をするのか。それをもう少し知ってから決めたいんです」

短い沈黙。

やがて。

担当官は頷いた。

「承知しました。では、認定についてのご意思は、引き続き確認させていただきます」

「ありがとうございます」

俺は頭を下げた。

これが。

今の俺の答えだった。

勇者になりたい気持ちは、変わらない。

でも。

分からないことを、分からないままにしておきたくない。

少なくとも。

正式な勇者になるかどうかを決める前に。

自分が何を守るのか。

何を敵とするのか。

それを知りたい。

セレスが、隣で小さく頷いた。

それだけで。

少しだけ、安心できた。

「それから」

担当官が言った。

「もう一つ、確認していただきたい資料があります」

俺は顔を上げた。

「……何ですか?」

担当官は、目録の後ろに置かれていた薄い文書を手に取った。

「百年前の戦争に関する封印資料です」

封印資料。

その言葉に。

セレスの表情が変わった。

「閲覧してもよろしいのですか?」

「確認を認められた範囲に限られますが」

担当官は頷いた。

「ただし、資料が不完全である可能性があります。記載内容の意味まで、確定できるものではありません」

「分かりました」

セレスが答えた。

担当官は、古い文書を机に置いた。

百年前の戦争。

魔王討伐後に整理された資料。

その中に、一枚の計画書が残っていたという。

「こちらです」

俺は身を乗り出した。

古い紙。

王国の封印を示す印。

そして。

表紙の題名。

《次代勇者選定計画》

……次代。

次の勇者。

「次の勇者を選ぶ計画……?」

「そのように記されています」

担当官は答えた。

俺は首を傾げた。

魔王が倒された後。

次の危険に備えるため、勇者を選ぶ計画が作られた。

それなら。

さっきの説明と同じだ。

別に、おかしくない。

でも。

セレスが、ある場所を指さした。

「……待って」

その声が、少し硬かった。

「どうした?」

「この日付」

俺は彼女の指先を見る。

計画書の上部。

そこには、作成日が記されていた。

「……日付?」

「ええ」

セレスは、机に広がっていた別の資料を引き寄せた。

初代魔王の討伐について記された、王国の公式記録。

彼女は二つを並べた。

「悠真。これを見て」

俺は目を凝らした。

片方は。

魔王討伐の日付。

もう片方は。

《次代勇者選定計画》の作成日。

……あれ?

俺は、もう一度見た。

最初は、見間違いだと思った。

数字を間違えたのかもしれない。

だから。

ゆっくり確認した。

でも。

変わらなかった。

「……セレス」

「ええ」

「これ、順番がおかしくないか?」

彼女は頷いた。

「そうね」

「だって、次の勇者って……」

俺は言いかけて、止まった。

分かったつもりになってはいけない。

まだ、資料の意味までは分からない。

でも。

ここに書かれている日付が正しいなら。

一つだけ。

動かせない事実がある。

「担当官さん」

「はい」

「この日付、確認してもらえますか?」

担当官は計画書を手に取った。

公式史の資料と並べる。

その表情が、少しずつ変わった。

「……確かに」

学院長も身を乗り出した。

「どういうことだ?」

誰も答えなかった。

俺は。

ゆっくりと背後を振り返った。

百人の英雄たち。

いつもなら、誰かが何かを言っている。

ガルディオ先生が怒鳴る。

エレノア先生が説明する。

クロウ先生が冷静に整理する。

リリア先生が、なぜか料理を作ろうとする。

でも。

今は。

誰も喋らない。

ゼル先生だけが。

計画書を見つめていた。

いつもの笑顔は、なかった。

「……ゼル先生?」

返事はない。

俺は、もう一度文書へ目を戻した。

《次代勇者選定計画》

魔王を倒した後に、次の危険に備える。

そういう計画だと思っていた。

けれど。

もし。

この日付が正しいなら。

王国は、魔王を倒す前から、次の勇者を選ぼうとしていたことになる。

何のために?

魔王が死んだあと。

何が起こると考えていた?

その時。

頭の奥で。

ゼル先生の言葉が蘇った。

『魔王を殺せば、次の戦争が始まる』

俺は息をのんだ。

「……なあ、セレス」

「何?」

「これって……」

俺の声が、自分でも分かるほど低くなった。

「魔王を倒しても、終わらないことを知ってたってことなのか?」

セレスは、すぐには答えなかった。

彼女はもう一度、二つの資料を見比べる。

それから。

静かに言った。

「まだ、そこまでは分からないわ」

「……うん」

「でも、一つだけ確かめられたことがある」

セレスは、計画書の作成日を指さした。

俺は頷いた。

勇者は、魔王を倒すために選ばれた。

魔王を倒したから、次の勇者が必要になった。

ずっと、そう思っていた。

だけど。

百年前の王国は。

俺の知らない何かを、すでに考えていたのかもしれない。

俺は計画書を見つめた。

その題名を。

もう一度、心の中で読み上げた。

《次代勇者選定計画》

そして。

ようやく理解した。

その計画書が作られたのは、魔王が死ぬ前だった。


第58話 完

次回予告

第6部『勇者制度編』

次回 第9話/通算第59話

「魔王が死ぬ前から、次の勇者を作っていた」

魔王を倒せば、世界は救われる。

それが、百年間語られてきた勇者の歴史だった。

しかし。

《次代勇者選定計画》

その計画は、魔王討伐前から存在していた。

なぜ王国は、次の勇者を必要としていたのか。

そして。

百一人目の勇者ゼルは、その計画について何を知っているのか。

悠真は、ついにゼルへ問いかける。

「先生は、これを知ったから魔王を殺さなかったの?」

長い沈黙。

やがて、ゼルが口を開く。

「半分だけ正解」

では。

残りの半分は、何なのか。

次回、勇者制度の秘密がさらに深まる。



作者より

第58話では、「魔王を倒せば世界は救われる」という、勇者物語では当たり前の前提に疑問を投げかけました。

敵を倒すことと、人を救うことは同じなのか。

魔王を倒せば、本当に戦争は終わるのか。

そして、今回発見された《次代勇者選定計画》。

魔王が死ぬ前から、王国は次の勇者を選ぼうとしていました。

その理由は、まだ分かっていません。

第59話では、ゼルの過去と勇者制度の秘密にさらに迫ります。

あなたは、王国が魔王討伐前から次の勇者を必要としていた理由を、どう考えますか?

ぜひ、感想や予想をコメント・メッセージで教えてください。

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