第7話/通算第57話 「王国は、俺を勇者にしたいらしい」
第6部『勇者制度編』
百一人目の勇者。
その正体は、ずっと自分を導いてきた先生、ゼルだった。
けれど、本当に恐ろしいのは、
「百一人目がいたこと」ではない。
なぜ、彼は勇者だったのに歴史から消されたのか。
なぜ、魔王を倒さなかったのか。
そして――
そもそも、誰が「勇者」を決めているのか。
これまで悠真は、百人の英雄たちから答えを教わってきました。
戦い方も。
人を守る方法も。
正しい答えを疑うことさえも。
だから今度は、
先生から答えを教えてもらわないことを選びます。
「また、先生の答えを信じるだけになるから」
ゼルの答えではなく。
王国の答えでもなく。
歴史に書かれた答えでもなく。
悠真はセレスとともに、自分たちで確かめる道を選びます。
その先で見つかるのは、
《勇者選定院》
勇者は、誰が選ぶのか。
何をすれば勇者になれるのか。
そして、なぜ勇者という存在が必要なのか。
第6部『勇者制度編』。
ここから物語は、
「消された一人の勇者」の謎から、「勇者という制度そのもの」の謎へ。
そして最後に、悠真たちは一つの言葉へたどり着きます。
勇者は、作られる。
では――
誰が、何のために?
王国は、俺を勇者にしたいらしい。
ただし。
俺は昨日から、学院の生徒ではないことになっている。
……この世界の勇者選考、順番がおかしくないか?
「というわけで、セレス」
「何?」
「俺、勇者候補なのに無学生なんだけど」
「無学生なんて言葉を作らないで」
「職業《無職》。所属。学院史上最低評価。ここまで揃ったら、逆に何かの才能じゃない?」
「自慢する才能ではないわね」
即答だった。
俺の名前は神谷悠真。
日本から異世界へ転移し、王立アストリア勇者学院へ入学した。
職業鑑定は《無職》。
魔力も剣術も最低評価。
学院史上最弱の勇者候補。
それが俺だった。
ところが昨日。
学院の公式記録から、俺の名前が消えた。
学生証は無効。
授業登録も消失。
寮生名簿にも載っていない。
退学処分の記録すらない。
最初から入学していなかったことになっている。
それなのに。
王国から届いた文書には、俺の名前が残っていた。
《勇者候補資格・再審査命令》
その命令を受けて、俺は今、セレスと学院長と一緒に王都へ向かっている。
「しかし不思議だよな」
俺は鞄の中の文書を見た。
「学院の記録からは消えたのに、王国には残ってる」
「ええ」
「これって、王国が俺の名前を消したってことなのかな」
「証拠がないわ」
セレスは即座に答えた。
「学院の記録が消えたことと、王都から再審査命令が届いたこと。その二つが関係しているかどうかも、まだ分からない」
「……だよな」
「だから、今日確かめるんでしょう?」
俺は頷いた。
以前の俺なら。
きっと、もっと簡単に答えを決めていた。
王国が怪しい。
勇者制度には秘密がある。
だから全部つながっている。
そんなふうに。
でも。
今は違う。
疑うことと、決めつけることは違う。
それを、何度も経験してきた。
『成長したじゃねえか』
背後からガルディオ先生の声がした。
振り返ると、剣聖が腕を組んで笑っていた。
その横には、暗殺王クロウ先生。
大魔導師エレノア先生。
聖女リリア先生。
そして、百人の英雄たち。
普通の人間には見えない、俺だけの先生たちだ。
『昔のお前なら、王国の陰謀だと決めつけて剣を抜いていたかもしれんな』
「俺、そこまで短絡的だった!?」
『剣を抜いても、お前の腕じゃ返り討ちだ』
「そこは否定してくれよ!」
『まず逃げ道を確認しろ』
クロウ先生が真顔で言った。
「まだ戦ってないから!」
『戦う前だから確認するんだ』
「正論なのが腹立つ!」
セレスがこちらを見る。
「また先生たち?」
「うん。王都に着く前から作戦会議が始まってる」
「今日は戦いに行くわけじゃないでしょう」
「先生たちにも言ってほしい」
「聞こえないもの」
「そうだった!」
セレスが小さく笑った。
その髪には、以前、俺が王都で選んだ髪飾りがあった。
あの時。
俺たちは装備を買いに来た。
セレスが俺に手袋を選んでくれた。
俺は彼女に髪飾りを贈った。
今思うと、少しだけデートに似ていた気がする。
……いや。
装備購入だ。
正式な用事だった。
『誰に言い訳している』
クロウ先生が呟いた。
「自分に!」
「悠真?」
「何でもない!」
セレスは不思議そうに俺を見る。
その顔を見ていると。
昨日の言葉を思い出した。
《私が覚えている》
学院から俺の記録が消えた時。
セレスは、そう言ってくれた。
俺が入学したことも。
無職と笑われたことも。
初めて勝ったことも。
一緒に迷宮から帰ってきたことも。
全部、覚えていると。
あの言葉に、どれほど救われたか。
たぶん。
まだ本人には、十分伝えられていない。
「セレス」
「何?」
「昨日は、ありがとう」
「昨日も聞いたわ」
「でも、もう一回言いたかった」
セレスは、少しだけ目を見開いた。
そして。
視線を前へ戻した。
「……別に」
「それ、久しぶりに聞いた」
「何が?」
「別に」
「もう。前を見て歩きなさい」
声は、少しだけ柔らかかった。
背後でガルディオ先生が口を開こうとする。
だが、その前に。
『黙れ』
クロウ先生が制止した。
珍しく、いい仕事をしてくれたと思う。
その時。
少し離れて歩いていたゼル先生と目が合った。
黒髪の青年。
穏やかな笑顔。
百一人目の勇者。
公式の歴史から存在を消された先生。
今度は、俺の記録が消された。
同じ仕組みなのか。
それとも、まったく別の問題なのか。
分からない。
ゼル先生は何も言わなかった。
俺も、答えを求めなかった。
まずは。
自分の目で確かめる。
そのために、王都まで来たんだから。
* * *
王都に残っていた名前
王都へ到着した俺たちは、学院長の案内で王国の勇者制度を扱う建物へ向かった。
整えられた廊下。
王国の紋章。
静かに行き交う職員たち。
いかにも国家の重要な仕事をしていそうな場所だ。
俺は鞄から文書を取り出した。
《対象者 神谷悠真》
そこには、確かに自分の名前があった。
だが。
《現所属》
空欄。
《職業》
空欄。
「……これ、何度見ても変な感じだな」
「何が?」
「俺、学院で無職って言われ続けてきたんだ」
「知っているわ」
「でも、今は無職ですらない」
「記録が空欄なだけでしょう」
「無職という個性まで奪われた気分だ」
「個性にしないで」
俺は文書を閉じた。
笑ってみせたけれど。
本当は、少し怖かった。
今まで。
学院の落ちこぼれだと思っていた。
《無職》と笑われても。
そこには。
俺が学院の生徒であるという前提があった。
でも今は。
その前提すら消えている。
自分がここにいたことを示す記録が。
一枚ずつ剥がされていく。
そんな感覚だった。
「悠真」
セレスが呼んだ。
「何?」
「あなたは、学院へ戻りたいんでしょう?」
「……うん」
迷わず答えられた。
「戻りたい」
「なら、それも確かめないとね」
「え?」
「王国の再審査が、あなたの学院生登録とどう関係しているのか」
セレスは文書を指さした。
「ここには、まだ説明がない」
「そうだな」
「勇者認定の話と、学院から名前が消えた問題は、分けて確認しましょう」
俺は頷いた。
セレスは。
俺よりずっと頭がいい。
でも。
その賢さに甘えて、全部任せるつもりはない。
「分かった。俺もちゃんと質問する」
「ええ」
「ただし、難しい言葉が出たら通訳頼む」
「あなたも学院で勉強してきたでしょう」
「学院の記録上は勉強してないことになってる!」
「便利に使わないで」
そんな会話をしていると。
学院長が振り返った。
「二人とも、そろそろだ」
俺たちは足を止めた。
「悠真」
「はい」
「もう一度確認しておく」
学院長は、まっすぐ俺を見た。
「再審査命令が届いたからといって、正式な勇者認定が決まったわけではない」
「分かっています」
「向こうが何を求めているのか、よく聞け」
「はい」
「それから」
学院長は一拍置いた。
「分からないまま、答えを出すな」
俺は少し驚いた。
学院長は続けた。
「勇者になることと、勇者として何をするかは別の問題だ」
その言葉が。
妙に心に残った。
勇者になること。
勇者として何をするか。
昔の俺なら。
同じことだと思っていただろう。
でも。
本当にそうだろうか。
「……分かりました」
俺は頷いた。
隣でセレスも、静かに頷いた。
そして。
俺たちは扉を開けた。
* * *
《無職》の俺に、勇者認定?
部屋には、大きな机が置かれていた。
向こう側には、王国の担当官らしい男性が立っている。
整った服装。
落ち着いた表情。
こちらを見ると、丁寧に頭を下げた。
「お待ちしておりました」
学院長が挨拶を返す。
俺とセレスも頭を下げた。
「神谷悠真殿ですね」
「はい」
「王立アストリア勇者学院に在籍されていた方と伺っております」
……在籍されていた。
過去形。
「すみません」
「何でしょう」
「俺、退学したことになってます?」
担当官は、少しだけ表情を変えた。
「退学処分の記録は、こちらでも確認しておりません」
「ですよね!」
思わず身を乗り出した。
「俺も退学した覚えがないんです!」
「ですが、現在の学院生登録については、不整合があると報告を受けています」
「不整合!」
俺はセレスを見た。
「聞いたか? 俺、不整合なんだって!」
「喜ぶところじゃないでしょう」
「でも、退学じゃなかった!」
「それと解決したかどうかは別よ」
正論だった。
担当官は、穏やかに続けた。
「学院の記録についてご不安なのは理解しております。ただ、本日お呼びしたのは、それだけが理由ではありません」
俺は姿勢を正した。
担当官が、一枚の文書を机に置く。
「神谷悠真殿」
「はい」
「王国は、あなたのこれまでの実績を高く評価しております」
「……実績?」
「はい」
担当官は、俺をまっすぐ見た。
「あなたを、正式な勇者として認定したいと考えております」
沈黙。
俺は担当官を見た。
セレスを見た。
学院長を見た。
そして、もう一度担当官を見た。
「……は?」
情けない声が出た。
「勇者、ですか?」
「はい」
「俺を?」
「はい」
「正式な?」
「そのための審査を進めたいと考えております」
「……俺を?」
「神谷悠真殿を、です」
背後で。
『おおおおお!』
ガルディオ先生が両手を上げた。
『やったじゃねえか、悠真!』
『まだ認定が確定したわけではない』
クロウ先生が冷静に訂正する。
『ですが、大きな転機ですね!』
リリア先生が嬉しそうに手を合わせた。
『今夜はお祝いの料理を作りましょう!』
「料理だけはやめて!」
「神谷殿?」
しまった。
声に出た。
「す、すみません。独り言です!」
担当官は、少しだけ困った顔をした。
「……承知しました」
絶対に承知していない。
セレスが口元を押さえていた。
「笑ってる?」
「笑ってないわ」
「目が笑ってる!」
「今はお話を聞きましょう」
俺は大人しく座り直した。
それにしても。
勇者。
正式な勇者。
あの《無職》だった俺が。
王国から勇者にならないかと言われている。
ずっと夢見ていたはずの言葉だった。
それなのに。
胸の中に生まれたのは。
喜びだけではなかった。
なぜ。
今なんだ?
なぜ。
学院の記録から名前が消えた直後に。
王国が俺を勇者にしようとする?
考えれば考えるほど。
疑問が増えていく。
でも。
まだ、答えを決めてはいけない。
俺は担当官へ向き直った。
「一つ、質問してもいいですか?」
「もちろんです」
「……人違いでは?」
「人違い、ですか?」
「同姓同名の天才剣士とか」
「確認しておりません」
「ものすごい魔力を持った神谷悠真とか」
「確認しておりません」
「じゃあ、本当に俺か……」
隣でセレスがため息をついた。
「本人が一番疑ってどうするの」
「だって、俺だぞ?」
「知っているわ」
「学院史上最低評価だぞ?」
「それも知っているわ」
担当官は、怒ることもなく書類を開いた。
「神谷殿が驚かれるのも当然でしょう」
そして、穏やかに続けた。
「入学時の評価が、極めて低いものだったことは承知しております」
「極めて……」
「職業《無職》。魔力測定最低。剣術試験、魔法試験も最低評価」
「そんなに正確に言わなくても!」
だが。
次の言葉で。
俺は黙った。
「しかし、入学時の評価だけで、人の可能性が決まるわけではありません」
俺は顔を上げた。
担当官は、一枚の書類を机に広げた。
「あなたには、その後の実績があります」
王国が、俺を評価した理由
「迷宮での行動」
担当官は書類を指さした。
「未知の魔物と遭遇した際、神谷殿は仲間と協力し、状況を観察して対処されています」
あの迷宮。
先生たちですら、知らない敵だった。
剣も効かない。
魔法も通じない。
最初は、どうすればいいのか分からなかった。
だから。
セレスと一緒に考えた。
敵の動きを観察した。
何度も失敗した。
それでも、諦めなかった。
あの時。
初めて思ったんだ。
先生たちが答えを知らなくても。
自分たちで考えれば、道が見つかるかもしれないと。
「学院対抗戦での実績も確認しています」
担当官は次の書類をめくった。
「能力で勝る相手に対し、複数の技術を組み合わせ、自分なりの戦術を作り上げた」
俺は、自分の手を見た。
あの大会。
俺は何度も負けそうになった。
強い相手ばかりだった。
ガルディオ先生の剣。
クロウ先生の足運び。
ほかの先生たちから教わった呼吸や判断。
全部を組み合わせた。
でも。
先生たちの技を使えるだけでは、勝てなかった。
自分で選んで。
自分で動かなければならなかった。
「そして、レムナ村での行動」
その言葉に。
胸の奥が、少し重くなった。
レムナ村。
あの村で俺は、英雄たちが示した答えと違う選択をした。
敵を倒すことと、人を救うことは同じではない。
それを知った。
あの時の判断が、完全に正しかったのか。
今でも簡単には言えない。
でも。
目の前にいる人を助けたかった。
ただ、それだけだった。
「さらに、百一人目の勇者に関する事件と、その後の調査への関与」
その瞬間。
背後の空気が変わった。
ガルディオ先生が黙る。
クロウ先生も、担当官を見た。
ゼル先生は。
いつもの穏やかな表情を崩さなかった。
だが。
何も言わなかった。
俺は担当官を見る。
王国は、百一人目の勇者についてどこまで知っているんだろう。
ゼル先生が歴史から消されたこと。
百二人目の存在。
勇者認定を取り消された人間。
そして。
俺の名前が学院から消えたこと。
全部つながっているのか。
それとも。
別々の出来事なのか。
まだ、分からない。
「以上の実績から、王国は神谷殿の再評価が必要と判断しました」
担当官は書類を閉じた。
「あなたには、勇者としての適性がある可能性を認めています」
俺は、少し考えた。
そして。
正直に言った。
「でも、俺はまだ強くありません」
「その点も承知しております」
「即答!?」
担当官は、わずかに微笑んだ。
「神谷殿より剣術に優れた者も、魔法に優れた者もおります」
「……ですよね」
「ですが、戦闘能力だけが勇者の条件ではありません」
俺は黙った。
「困難な状況で判断する力。仲間と協力する力。そして、守るべきものを見失わないこと」
担当官は俺を見た。
「王国は、あなたのそうした行動を評価しています」
予想していなかった。
剣の強さでもない。
魔力でもない。
特別な職業でもない。
迷って。
失敗して。
考えて。
自分で選んできたこと。
それを、評価された。
『……悪くねえな』
ガルディオ先生が呟いた。
いつもの大声ではなかった。
『お前、ずいぶん遠くまで来たじゃねえか』
俺は先生を見た。
初めて剣を握った頃。
十秒間逃げることすら、簡単ではなかった。
あの頃の俺に。
今の話をしたら、どう思うだろう。
きっと。
信じない。
無職の落ちこぼれが。
王国から勇者にならないかと言われている。
そんな話。
誰が信じるんだ。
でも。
ここまで来た。
百人の先生に教わって。
セレスや仲間たちと戦って。
負けて。
逃げて。
何度も選び直して。
ここまで来た。
「……ありがとうございます」
俺は、担当官へ頭を下げた。
初めて。
素直に言えた。
「評価してもらえたことは、嬉しいです」
担当官が頷いた。
「そう言っていただけて、何よりです」
その時。
隣のセレスが口を開いた。
「一つ、私からも確認させてください」
* * *
首席少女は、落ちこぼれを信じている
担当官がセレスへ向き直った。
「どうぞ」
「悠真の学院記録は、現在、確認できない状態です」
「はい」
「ですが、王国には彼の実績が残っている」
「その通りです」
「では、今回の評価は、消失した学院記録だけに基づくものではないということですね?」
担当官は少し考えた。
「少なくとも、王国側で現在確認できる情報に基づいて判断しています」
「その記録が残っている理由は?」
「申し訳ありません。その点については、私から確かな説明ができません」
「分かりました」
セレスは頷いた。
ただし。
そこで質問を終えなかった。
「もう一つ」
「はい」
「今回の勇者認定の提案と、学院の記録消失は関係しているのでしょうか?」
担当官は、今度はすぐに答えなかった。
手元の書類を確認する。
そして。
「現時点で、私から両者の関係を断定することはできません」
そう答えた。
俺は、担当官を見た。
無理に関係がないと言い切るわけでもない。
王国が関与していると認めるわけでもない。
分からないことは、分からない。
そういう答えだった。
「ありがとうございます」
セレスは礼を言った。
その横顔を見て。
俺は改めて思った。
やっぱり、セレスはすごい。
俺が勇者認定の話に驚いている間に。
確認すべきことを整理していた。
でも。
それだけじゃない。
「悠真」
セレスが俺を見る。
「何?」
「あなたの記録が消えても、実際に起きたことまで消えたわけじゃないわ」
「……うん」
「迷宮で、あなたが私と一緒に戦ったことも」
「うん」
「学院対抗戦で、何度も立ち上がったことも」
「……うん」
「レムナ村で、自分の判断を選んだことも」
セレスは。
まっすぐ俺を見た。
「全部、本当にあったことでしょう?」
俺は頷いた。
「だったら」
彼女は、はっきり言った。
「あなたが評価されるのは、当然だと思う」
何も。
言えなかった。
王国から評価された。
正式な勇者にならないかと言われた。
それは確かに嬉しかった。
でも。
セレスにそう言ってもらえたことのほうが。
ずっと嬉しかった。
「……ありがとう」
やっと、それだけ言った。
「何度も言わなくていいわ」
「でも」
「何?」
俺は、少し迷った。
今までなら。
冗談で誤魔化していたかもしれない。
でも。
今日は。
ちゃんと伝えたかった。
「セレスがそう言ってくれて、本当に嬉しかった」
セレスが、目を見開いた。
ほんの一瞬。
言葉を失う。
それから。
視線を逸らした。
「……事実を言っただけよ」
「うん」
「特別なことじゃないわ」
「それでも嬉しいんだよ」
「……もう」
耳が。
少しだけ赤かった。
背後で。
『おおおおお!』
ガルディオ先生が口を開いた。
『今だ! 手を握れ!』
『黙れ』
クロウ先生が即座に制止する。
『ここは王国の会談室だ』
『だから何だ!』
『時と場所を考えろ』
『お前、恋愛に詳しいのか!?』
『少なくとも、お前よりは慎重だ』
「先生たち!」
思わず小声で叫んだ。
『何だ!』
「静かにして!」
セレスが、不思議そうに俺を見る。
「また騒いでいるの?」
「先生たちが……」
「何を?」
「今は知らないほうがいい」
「……そう」
セレスは、少しだけ笑った。
そして。
机の下で。
俺の袖を軽く引いた。
「悠真」
「何?」
「まだ、あなたの返事は決まっていないでしょう?」
「ああ」
「なら、ちゃんと考えましょう」
「……うん」
「せっかくここまで来たんだから」
その声は。
いつもと変わらなかった。
でも。
袖を引く指が離れるまで。
俺は少しだけ。
動けなかった。
* * *
勇者になれるのに、喜べない
「神谷殿」
担当官が俺へ向き直った。
「今回の申し出について、どのようにお考えでしょうか?」
俺は、すぐには答えられなかった。
勇者。
ずっと、なりたかったもの。
もし。
入学試験の直後に、こんな話をされたら。
きっと俺は飛びついただろう。
《無職》と笑われた。
魔法も使えなかった。
剣でも勝てなかった。
自分には何もないと思っていた。
そんな俺を。
王国が勇者として認めてくれる。
それだけで。
どれほど嬉しかっただろう。
たぶん。
条件なんて聞かなかった。
「なります!」
そう答えていたと思う。
でも。
今は違う。
強くなったからといって。
必ず誰かを守れるわけじゃない。
敵を倒したからといって。
必ず人が救われるわけでもない。
それを。
何度も経験してきた。
「……少し考えさせてください」
担当官は、静かに頷いた。
「もちろんです」
その返事に。
少しだけ安心した。
無理に答えを迫られるわけではない。
少なくとも。
目の前の担当官は、俺の考えを聞こうとしている。
「一つ、聞いてもいいですか?」
俺がそう言うと。
担当官は姿勢を正した。
「何でしょう」
「王国が俺を評価してくれた理由は、分かりました」
「はい」
「でも」
俺は、机の上の書類を見た。
「勇者になるって、具体的には何なんでしょう?」
担当官は、少し考えた。
「どういう意味でしょうか?」
「俺は、ずっと勇者になりたかったんです」
自然と、言葉が出てきた。
「強くなって、誰かを守れる人間になりたかった」
「立派なお考えだと思います」
「でも、最近は」
俺は一度、言葉を切った。
「勇者という名前がつけば、それだけで正しいことができるのか、分からなくなってきたんです」
担当官は黙って聞いていた。
「俺には百人の先生がいます」
それは、俺にとって本当のことだった。
ただし。
今、担当官に彼らの存在を説明するつもりはなかった。
「たくさんの人から、戦い方を教わりました」
俺は言い直した。
「でも、教わった答えが、いつも正しいとは限らなかった」
担当官は頷いた。
「それは、あり得ることでしょう」
「……え?」
少し驚いた。
もっと否定されると思っていた。
「戦う相手や状況によって、必要な判断は変わります」
担当官は、落ち着いた声で続けた。
「だからこそ、勇者には力だけではなく判断力が求められるのです」
筋は通っている。
俺だって、そう思う。
勇者制度そのものが。
すべて間違っているとは限らない。
誰かを守るために、必要な仕組みなのかもしれない。
でも。
それなら。
なおさら。
確認しなければならないことがある。
「すみません」
「はい」
「勇者になったら、何をしなきゃいけないんですか?」
担当官は、書類を一枚めくった。
「勇者としての役割についてですね」
「はい」
「王国は、勇者を単なる戦士として認定するわけではありません」
俺は頷いた。
「勇者は、王国と人々を守るために力を尽くす存在です」
それは理解できる。
魔物が現れれば。
人々が危険にさらされる。
誰かが立ち向かわなければ。
誰かが傷つく。
勇者が必要だという考えまで。
否定するつもりはなかった。
「では」
俺は、もう一つ質問した。
「具体的には、どんな仕事をするんですか?」
「王国の安全を脅かす存在への対処です」
「……対処」
「はい」
「魔物を倒す、とか?」
「それも含まれます」
俺は小さく頷いた。
魔物を倒す。
誰かを守る。
それなら。
今までやってきたことと、そう変わらないようにも思える。
でも。
気になる言葉があった。
《王国の安全を脅かす存在》。
それは。
どこまでを指すんだろう。
「その相手は、どうやって決まるんですか?」
「王国が危険と判断した存在が対象になります」
「……王国が?」
「はい」
「魔物だけですか?」
担当官は少し考えた。
「勇者の役割は、魔物への対処だけに限られません」
俺は黙った。
魔物だけではない。
では。
ほかには?
俺は、レムナ村での出来事を思い出した。
あの村で。
敵を倒すだけでは、人を救えないと知った。
正しいと思った選択が。
誰かにとっては、間違いになることもある。
だから。
簡単には決められない。
「悠真」
セレスが小さく呼んだ。
「何?」
「何が気になっているの?」
俺は、少し考えた。
そして答えた。
「俺が勇者になるかどうかじゃない」
「ええ」
「勇者になったあと、何をすることになるのか」
セレスは頷いた。
「そうね」
「それを、自分で選べるのか」
彼女は、すぐには答えなかった。
代わりに、担当官へ向き直った。
「私からも確認させてください」
「どうぞ」
「勇者には、王国の命令に従う義務があるのでしょうか?」
担当官は、書類に視線を落とした。
「王国の認定に基づき、役割を果たしていただくことになります」
セレスが、わずかに眉を寄せる。
「では、その認定内容を本人がどう判断するかについても、確認する必要がありますね」
「おっしゃる通りです」
担当官は頷いた。
「勇者認定は、単に名誉を与えるものではありません。責任も伴います」
俺は、担当官を見る。
この人は。
王国の制度を信じているんだろう。
それが人々を守るために必要だと。
本気で考えている。
そのことまで、疑う理由はない。
でも。
理解できることと。
従えることは。
同じじゃない。
* * *
俺が本当に、聞きたかったこと
「神谷殿」
担当官は、改めて俺を見た。
「王国には、守るべき人々がいます」
「……はい」
「平穏に暮らしている人々が、ある日突然、命を脅かされることもあります」
知っている。
それは、何度も見てきた。
「その時、立ち向かう者が必要です」
「はい」
「勇者は、その役割を担う存在です」
正しい言葉だった。
少なくとも。
それだけ聞けば、間違っているとは思えない。
「ですが」
担当官は続けた。
「勇者には、王国の認定に基づいて行動していただくことになります」
俺は。
その言葉を頭の中で繰り返した。
王国の認定。
それは。
つまり。
「……すみません」
「何でしょう」
「もう少し、具体的にお願いします」
担当官は、静かに頷いた。
そして。
はっきりと言った。
「王国が敵と認定した存在を倒していただきます」
その瞬間。
部屋が静かになった。
俺は、担当官を見た。
王国が。
敵と認定した存在。
倒していただきます。
言葉の意味は分かる。
難しい言葉じゃない。
でも。
胸の奥に。
何かが引っかかった。
敵。
俺は今まで。
何を敵と呼んできたんだろう。
迷宮で襲ってきた魔物。
村を脅かした存在。
仲間を傷つけようとした相手。
目の前で誰かが殺されそうになっているなら。
戦う理由は分かる。
でも。
もし。
相手がまだ何もしていなかったら?
王国が敵だと言っただけだったら?
その相手にも。
守りたい人がいたら?
戦わずに済む方法が。
残っていたら?
俺は。
どうするんだろう。
『悠真』
ガルディオ先生の声がした。
いつもの陽気な声ではなかった。
『考えすぎるな、と言いたいところだが』
先生は、少しだけ笑った。
『お前はもう、考えずに剣を振る弟子じゃねえからな』
俺は、振り返らなかった。
ただ。
小さく頷いた。
百人の先生に。
戦い方を教わった。
剣の振り方。
魔法の使い方。
逃げる方法。
生き残る方法。
でも。
いつ。
誰と。
何のために戦うのか。
それを。
先生たちに決めてもらうわけにはいかない。
『悠真』
今度は、ゼル先生の声だった。
穏やかな声。
俺が一番信頼してきた先生。
『君は、どうしたい?』
俺は。
少しだけ振り返った。
「まだ、分からない」
『そう』
「でも」
俺は、担当官を見る。
「分からないことを、分かったことにはしたくない」
ゼル先生は。
何も言わなかった。
ただ。
静かに微笑んだ。
昔。
先生は俺に聞いた。
《なぜ勇者になりたい?》
あの時。
俺は、強くなりたいと答えた。
人を守りたいと答えた。
でも。
誰を守りたいのかと聞かれて。
答えられなかった。
今なら。
答えられる。
セレスがいる。
仲間がいる。
学院のみんながいる。
レムナ村で出会った人たちもいる。
守りたい人は、たくさんいる。
だからこそ。
俺は、簡単に頷けなかった。
「悠真」
セレスが小さく呼んだ。
俺は彼女を見る。
セレスは。
まっすぐ俺を見返していた。
その目は。
俺に正解を教えようとしていなかった。
俺が何を選ぶのか。
待ってくれている。
「……ありがとう」
俺は小さく呟いた。
「何が?」
「一緒に来てくれて」
セレスは、少しだけ驚いた顔をした。
そして。
「当然でしょう」
そう答えた。
俺は頷いた。
もう。
昔の俺とは違う。
勇者という肩書きが欲しいだけじゃない。
自分が正しいと思うことを。
自分で選びたい。
そのためには。
まず、知らなければならない。
俺は担当官へ向き直った。
礼儀正しい人だった。
俺の実績を評価してくれた。
《無職》だった俺を。
正式な勇者として認定したいと言ってくれた。
嬉しかった。
本当に。
嬉しかった。
だからこそ。
聞かなければならない。
この人を責めたいわけじゃない。
王国を最初から疑いたいわけでもない。
ただ。
確かめたい。
勇者という名前の下で。
誰が。
何を決めているのか。
俺は。
ずっと勇者になりたかった。
でも。
勇者になれば。
それだけで正しい人間になれるわけじゃない。
王国に認められたからといって。
俺の選択が、必ず正しくなるわけでもない。
だったら。
聞こう。
今の俺が。
本当に知りたいことを。
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「敵って」
一拍。
「誰が決めるんですか?」
第57話 完
次回予告
第6部『勇者制度編』
次回 第8話/通算第58話
「魔王を倒せば、本当に世界は救われるんですか?」
魔王が現れる。
勇者が選ばれる。
勇者が魔王を倒す。
そして、世界は救われる。
それが。
百年間、語られてきた正しい物語だった。
だが。
悠真は知っている。
敵を倒すことと。
人を救うことは。
必ずしも同じではない。
そして。
百年前の戦争には、まだ語られていない歴史がある。
勇者は。
本当に。
魔王を倒すためだけの存在なのか。
その問いは。
やがて、王国が守ってきた歴史そのものへ向かっていく。
第57話では、学院史上最低評価だった悠真が、王国から正式な勇者認定を打診されました。
かつて勇者になることだけを夢見ていた少年が、今は勇者の役割そのものを問い直しています。
「敵って、誰が決めるんですか?」
あなたなら、勇者になれるという申し出を受けますか?
それとも、悠真と同じ疑問を持ちますか?
ぜひ、感想や予想をコメント・メッセージで教えてください。
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
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