第2話/通算32話 「助けに来たのに、嫌われている」
第4部「英雄のいない村編」
英雄に教われば、正しい答えが見つかる。
悠真は、ずっとそう思っていた。
剣の振り方も。
魔物の倒し方も。
仲間を守る方法も。
百人の英雄たちは、いつだって悠真より多くの答えを知っていた。
けれど。
英雄の答えが、誰かを傷つけるとしたら?
百一人目の勇者という、新たな謎を残したまま学院へ戻った悠真。
そんな彼に与えられたのは、初めての学院外実地任務だった。
向かうのは、北方の小さな村《レムナ村》。
魔物を倒し、村を守る。
ただそれだけの、簡単な任務のはずだった。
しかし、そこで悠真を待っていたのは、
「助けてほしい人」ではなかった。
百人の英雄がいても、答えが出ない。
教科書にもない。
正解すら、あるのか分からない。
なら。
悠真は初めて、英雄たちの答えではなく、
自分と、今を生きる仲間たちの答えを探し始める。
英雄に教わる少年から。
英雄の答えを疑える少年へ。
そして、
英雄にはない答えを、仲間と作れる少年へ。
第4部。
「英雄のいない村編」
ここから始まるのは、
英雄がいれば人は救えるのか。
その「当たり前」を疑う物語です。
「勇者なんて、もう二度と来なくていい」
魔物の倒し方なら、百人の先生が教えてくれる。
けれど、助けに来た村で追い返された時の答えは、誰も持っていなかった。
悠真は、背を向けた村長を呼び止めた。
「せめて、魔物が出た場所だけでも教えてください」
「自分たちで何とかする」
「怪我をした人はいませんか」
今度はトーマが前へ出た。
「僕は治癒術を使えます。診るだけでも――」
「いない」
右足を引きずる老人が答えた。
トーマの視線が、その足へ落ちる。
老人は杖を強くついた。
「いないと言った」
薬袋へ伸びかけたトーマの手が止まった。
戸が閉まる。井戸端にいた女性も、子どもの肩を抱いて家へ入っていく。
最後に残った五人を、村の誰も見ようとしなかった。
「……宿、どうする?」
ミレナが呟いた。
初任務の最初の難関は、魔物ではなかった。
今夜、寝る場所だった。
◆ 学院章の使い道
一軒目は返事なし。
二軒目は「無理だ」の一言。
三軒目では、悠真が名乗り終わる前に扉が閉まった。
「王立勇者学院の――」
ぱたん。
悠真は、持ち上げた学院章を見下ろした。
身分を保証するものだと教わった。確かに、その通りだった。
追い返す相手を間違えずに済む。
「それ、しまったら?」
ミレナが言った。
「隠して泊めてもらうのは、まずいだろ」
「じゃあ今夜の枕にしましょう。名誉ある学院章だもの」
「首に刺さるよ」
「野営でも使い道があってよかったな」
カイルまで真顔で乗ってきた。
四軒目へ向かおうとすると、外套が引かれた。
セレスだった。
「もうやめましょう」
「まだ、向こうにも家が――」
「子ども、隠れたわ」
悠真は口を閉じた。
道の先で、小さな手が戸の隙間に消える。大人が内側から扉を押さえた。
怒鳴られるより、こたえた。
「……分かった」
悠真は荷物を背負い直した。
村を出る途中、薪を運ぶ男とすれ違った。
袖口に乾いた血がついている。トーマが気づいて声をかけた。
「その腕、見せてもらえませんか」
「転んだだけだ」
「傷が深ければ、手当てを――」
「いい」
男は薪を抱え直した。
その拍子に、顔がわずかに歪む。
悠真は思わず口を挟んだ。
「お金は取りません。治療だけですから」
男がこちらを見た。
悠真は続きを飲み込んだ。
金の話など、誰もしていない。
「……すみません」
男は何も答えず、歩いていった。
トーマの手は、薬袋を握ったままだった。
「何か、できたかもしれないのに」
誰に聞かせるでもない声だった。
悠真も男の背中を見送る。
助けが必要に見える。自分たちには、できることがある。
なのに、その二つが少しもつながらなかった。
◆ 正しい人たちの野営
村へ続く道を戻り、五人は道脇の砂利地に天幕を張った。
「野営訓練、役に立ったね」
ミレナが杭を打つ。
「俺、あれ苦手だったんだけど」
悠真が答えた瞬間、張り綱が緩んだ。
天幕の片側が沈む。
「知ってたけど、実演はいらない」
「今のは地面との相性が」
カイルが無言で杭を打ち直した。
地面は素直に協力した。
夕食は保存用のパンと干し肉だった。
悠真がパンをかじる横で、セレスは湯に浸している。
「先に教えてくれない?」
「頑張ってたから」
「応援の方向がおかしい」
少し笑いが戻った。
けれど村の方から煮炊きの煙が上がると、会話が途切れた。
食料はある。水も、持参した分が残っている。
今夜は困らない。
問題は、その先だった。
「周りを見てくる」
カイルが立ち上がった。
セレスが顔を上げる。
「どこまで?」
「森の手前。足跡くらい探せるだろ」
「もう暗くなるわ」
「だから今だ」
剣帯を締める指に力が入っていた。
「村人が教えてくれないなら、自分たちで探すしかない。群れを見つけて倒せば、少なくとも襲われなくなる」
悠真の隣で、ガルディオが腕を組んだ。
「嫌われようが助けりゃいいだろ」
腹に響く、迷いのない声だった。
「好かれるために剣を持ったんじゃねえ。目の前で食われる奴がいたら、恨まれようが引っ張り出せ」
悠真は頷きかけた。
その通りだと思った。
感謝してほしくて来たわけではない。見返りがなくても、人を助ける。
それこそ勇者ではないのか。
「助けるって、誰が決めるの?」
セレスの声に、悠真の動きが止まった。
カイルが振り返る。
「襲われても許可を待てってことか?」
「違うわ。今、襲われている人がいたら私も走る」
セレスは即答した。
「でも、これから森へ入るのは別の話でしょう」
「襲う前に倒すんだ。同じだろ」
「村の人が、どこに罠を仕掛けているか知ってる?」
カイルが黙った。
「追い払った群れが、どこへ逃げるかは? その先に人がいたら?」
悠真は森を見た。
木々の向こうは、もう暗い。
魔物を見つける。倒す。
その間に何があるのか、自分たちは知らない。
「だから聞こうとしたんだろ」
カイルの声が低くなった。
「向こうが答えてくれないんじゃないか」
「……そうね」
セレスも、それ以上は言わなかった。
火が小さく爆ぜる。
トーマは膝の上で薬袋を閉じた。ミレナは手つかずの干し肉を見ている。
誰も、村人を見捨てたいわけではなかった。
だから、決まらない。
悠真は杯を置いた。
「今日は道から見える範囲だけ確認しよう。二人で行って、日が落ちる前に戻る」
カイルがこちらを見る。
「魔物がいたら?」
「村へ向かっていたら知らせる。人が危なければ止める。でも、森へは追いかけない」
「それで解決するのか?」
「しない」
口にすると、心細かった。
作戦を出すなら、任せろと言いたかった。大丈夫だと、仲間を安心させたかった。
でも、分からない。
「今は、何が起きてるかだけでも知りたい」
カイルはしばらく悠真を見ていた。
やがて剣帯から手を離す。
「俺が行く」
「俺も」
「今度は地面と仲良くしろよ」
「歩く分には問題ないんだよ」
セレスが、小さく息を吐いた。
「二人とも、時間は守って」
ガルディオは鼻を鳴らし、道の先を顎で示した。
「なら、よく見てこい」
悠真は頷いた。
今度は、先生の答えを借りるためではなかった。
◆ 隣で迷う人
見つかったのは、道端の泥に残った狼らしい足跡だけだった。
数も、いつ通ったかも分からない。
森へ目を向けるたび、もう少し先までと思った。カイルも同じ顔をしていた。
それでも日が沈みかけると、彼は踵を返した。
「戻るぞ」
悠真も従った。
野営地では、セレスが湯の入った杯を差し出した。
「お帰り」
「ああ」
受け取って初めて、指が冷えていたことに気づく。
「足跡はあった。でも、報告書に書けるほど分からなかった」
「見たことと、分からなかったことを書けばいいわ」
「教官みたいだな」
「あなたが余計なことを書きそうだから」
「例えば?」
「『村人が冷たかったです』」
「書かないよ」
一拍置いて、悠真は聞いた。
「……書きそうな顔してた?」
「少し」
否定できなかった。
隣に座ったセレスも、杯を両手で包んでいる。
悠真は湯気を見ながら言った。
「俺、悔しかったんだと思う」
「うん」
「何もしてないのに嫌われて。何かしようとしても断られて」
口にすると、子どもじみて聞こえた。
「役に立つって、証明したかったのかもしれない」
セレスは少し考えた。
「それだけじゃないでしょう」
悠真が顔を上げる。
「あの人を見送る時、あなた、ずっと腕を見てたもの」
薪を抱えた男。
痛みを隠した顔が浮かんだ。
「断られた自分のことだけなら、あんな顔にはならないと思う」
「……よく見てるな」
「見えるところにいるから」
さらりと言われて、返事を逃した。
杯が急に熱く感じられた。
セレスは村の灯りへ目を向ける。
「私も怖いのよ。このまま帰って、誰かが死んだらと思うと」
「セレスも?」
「私を何だと思ってるの」
「だいたい正しい人」
「ずいぶん疲れそうね、その人」
悠真は笑った。
彼女も笑ったあと、杯へ視線を落とした。
「さっきだって、答えがあって止めたわけじゃないから」
「……うん」
悠真は、もう一度村を見た。
セレスも同じ方を向いていた。
答えが出たわけではない。
それでも、さっきより少し息がしやすかった。
◆ 半分のパン
最初の見張りは悠真だった。
焚き火を小さく整える。村の灯りは、ほとんど消えていた。
森の奥で狼が鳴く。
間を置いて、別の方角から声が返った。
悠真は耳を澄ませた。
近づいているのか。山に響いているだけなのか。
そこへ、砂利を踏む音が重なった。
村の方だ。
悠真は立ち上がり、剣の柄へ手を置いた。
小さな影が止まる。
「……抜かないで」
子どもの声だった。
悠真はすぐに手を離した。
「ごめん。誰かと思って」
少女が立っていた。
薄い肩掛けを握り、もう片方の手で布包みを抱えている。
「村の子?」
少女は頷いた。
「一人で来たの?」
また、頷く。
悠真は膝を折った。
「危ないから送るよ。家は――」
少女が一歩下がった。
悠真は口を閉じた。
追いかけず、その場で待つ。
やがて少女が、布包みを差し出した。
「これ」
中にはパンが入っていた。
小さな、半分のパン。
「お夕飯、買えなかったでしょう」
「……ありがとう。でも、君の分じゃないの?」
「残しておいたの」
ちぎった跡が見えた。
悠真はすぐに受け取れなかった。
少女の手が、少し下がる。
「いらない?」
「いる」
慌てて答えた。
「ありがとう。大事に食べる」
両手で受け取る。
少女が、ほっとしたように笑った。
村へ来てから初めて向けられた、怯えのない顔だった。
悠真も笑い返した。
その時、少女の視線が胸元で止まった。
学院章。
笑顔が薄れる。
「お兄ちゃんたち、本当に勇者なの?」
背後で衣擦れがした。
天幕の入口にセレスが立っていた。彼女は何も言わず、こちらを見ている。
悠真は少女へ向き直った。
「俺はまだ学生だけど」
「学生?」
「勇者になるために、勉強してる」
少女は腰の剣を見た。
それから、悠真の顔を確かめる。
「じゃあ、まだ違うの?」
「うん」
いつもなら、続けていた。
いつか絶対になる。
胸を張って、言えた。
けれど少女は、悠真が続きを口にする前に肩の力を抜いた。
「よかった」
心から、安心した声だった。
「勇者じゃなくて」
悠真の指が、布包みを握り締めた。
なりたいものだった。
誰かにそう呼ばれたら、きっと嬉しいと思っていた。
手の中で、パンが潰れそうになる。
悠真はゆっくり力を緩めた。
ガルディオも、ほかの英雄たちも何も言わない。
少女が不安そうに覗き込んだ。
「……怒った?」
悠真は首を振った。
受け取ったパンを、そっと膝に置く。
自分がどんな勇者になりたいか。何のためにここへ来たのか。
それを説明するのは、あとでよかった。
「何があったの?」
少女は村を振り返った。
それから一歩近づいて、声を落とした。
「昔ね。この村に、勇者が来たの」
第2話(通算32話) 完
次回 第3話(通算33話)
「昔、この村を勇者が救った」
魔物を倒し、村を救った。
王都に残されたのは、そんな美談だった。
けれど少女が語るのは、その続き。勇者が帰ったあと、この村に残されたもの。
「先生なら、どうした?」
悠真の問いに、百英雄は答えなかった。
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