第28話「百英雄が、初めて俺に嘘をついた」
第3部消された勇者編
学院対抗戦は終わった。
《無職》の落ちこぼれだった悠真は、百人の先生たちの答えに頼るのではなく、自分で考え、自分で選び、勝つことを覚えた。
そしてセレスとの距離も、ほんの少しだけ変わった。
けれど。
取り戻した《英雄遺物》には、誰かが意図的に消した痕跡が残されていた。
歴史が語るのは、世界を救った**《百英雄》**。
英雄は百人。
そのはずだった。
なのに。
古い記録に残されていたのは、
百一人分の痕跡。
先生たちは何を知っているのか。
なぜ、一人だけ歴史から消されたのか。
そして悠真はまだ知らない。
自分が毎日のように話している百人の先生たちが、決して語ろうとしない過去があることを。
第3部で悠真が学ぶのは、戦い方ではない。
「歴史に答えが書いてあっても、それが正解とは限らない」
ということ。
答えを教わってきた少年が。
今度は、答えそのものを疑い始める。
そしてもちろん。
「今、俺の目の前にいる人だ!」
などと大観衆の前で叫んでしまった以上、セレスとの関係も無事では済まない。
恋と笑い。
百英雄の隠された過去。
そして、歴史から消された一人。
第3部「消された勇者編」
ここから。
百人だったはずの英雄たちの、百一人目の物語が動き始める。
「悠真。地下が見つかった」
翌朝。
学院長にそう言われた時、俺はパンを口へ運ぶところだった。
「地下?」
「昨日の墓地の北側だ。地面が一部陥没している」
学院長は錆びた金属片を差し出した。
表面に、二文字だけ残っている。
《軍議》
パンが手から落ちた。
『食い物を粗末にすんな!』
後ろからガルディオが怒鳴る。
「今そこ?」
『そこだろ!』
百年前。
軍議。
王国軍と魔王軍。
昨日見つけた大量の人間の墓。
二つの紋章が刻まれた剣。
そして。
《勇者たちよ、安らかに眠れ》
全部が、俺の知る歴史と噛み合わない。
俺は百人の先生たちを振り返った。
ガルディオ。
クロウ。
エレノア。
ゼル。
誰も笑っていなかった。
嫌な予感がした。
最近、この予感だけはよく当たる。
できれば戦闘の勘のほうを伸ばしたい。
【百年前の会議室】
地下への入口は、墓地から少し離れた岩場にあった。
学院長と教師数名。
俺とセレス。
調査班の生徒たち。
その後ろに、百人の死者。
「……狭い」
「何が?」
隣のセレスが聞く。
「通路」
『俺たちのことだろ』
クロウ。
違う。
半分は合ってる。
人間なら四人並べる通路を、百人の幽霊が好き勝手についてくる。
人口密度がおかしい。
『死んでるから人口じゃねえ』
ガルディオが言う。
「細かいな」
「何が?」
「独り言」
セレスは俺を見た。
昨日なら誤魔化していた。
でも今は。
「……言えないこと」
そう言うと、セレスは一度だけ瞬きをした。
「そう」
それ以上、聞かなかった。
胸が少し軽くなる。
同時に、少し痛い。
いつか話す。
そう約束した相手が、すぐ隣にいる。
「止まれ」
学院長が手を上げた。
通路の先に石の扉があった。
中央の紋章だけが、刃物で削り取られている。
王国軍でもない。
魔王軍でもない。
「これは……」
教師の一人が息を呑む。
俺は先生たちを見る。
ガルディオが目を逸らした。
クロウも。
エレノアも。
ゼルだけが、削られた跡をじっと見ていた。
「先生?」
返事はない。
百人いるのに。
百人全員が黙ると、静かというより怖い。
学院長が魔力を流す。
石扉が低い音を立てて開いた。
その先にあったのは。
武器でも。
宝でも。
遺体でもない。
大きな円卓だった。
壁には古びた地図。
床には崩れた書棚。
円卓の中央には金属製の筒。
学院長が蓋を外す。
中から、薄い金属板が何枚も出てきた。
「軍議記録……」
俺の後ろで、誰かが息を呑んだ。
幽霊に呼吸が必要なのかは知らない。
でも確かに聞こえた。
【歴史にない戦い】
記録の解読は昼前までかかった。
古い文字。
軍事用の略号。
腐食した部分。
それでも、一枚の内容は読めた。
《北部戦線における共同防衛》
学院長が眉を寄せる。
「おかしい」
「何がですか?」
セレスが聞く。
学院長は次の行を指した。
《王国軍第三部隊、魔王軍第五部隊と合流》
「……は?」
声が漏れた。
さらに。
《共同指揮下に入り、東方より侵入する敵勢力を迎撃する》
王国軍と魔王軍が。
一緒に戦っている。
「学院長、偽物じゃないんですか?」
「可能性は調べる。だが腐食状態を見る限り、最近作られた物ではない」
「じゃあ、この『敵勢力』って」
「分からん」
肝心な箇所は欠けている。
まただ。
俺は先生たちを振り返った。
「ガルディオ。これ、知ってる?」
ほんの一瞬。
顔が変わった。
知っている。
そう思った。
なのに。
『知らねえ』
「……え?」
『俺は知らねえ』
クロウが腕を組む。
『俺も記憶にない』
エレノアも続く。
『私も知らないわ』
三人とも。
同じ答え。
知らない。
それなら、それでいいはずだった。
百年前のすべての戦いを知っているわけじゃない。
なのに。
胸に小さな棘が刺さった。
「本当に?」
『ああ』
ガルディオは、俺を見なかった。
クロウは口元を固く結んでいる。
エレノアは笑っていない。
ゼルだけが。
三人を見ていた。
【名前が残っていた】
次の記録板。
《第七回共同軍議》
参加者欄。
多くは腐食している。
それでも、いくつか読めた。
《剣聖ガルディオ》
心臓が鳴る。
《黒弓クロウ》
《聖女エレノア》
俺は顔を上げた。
「……先生」
返事がない。
「名前、あるよ」
『同じ名前の奴じゃねえか』
ガルディオが言った。
意味が分からなかった。
「同じ名前?」
『百年前だぞ。似た名前くらいいる』
「剣聖まで?」
『……』
「クロウも?」
沈黙。
「エレノアも?」
『偶然よ』
何かが、胸の中で切れた。
怒鳴りたくなったわけじゃない。
ただ。
冷えた。
昨日、自分がセレスについた嘘を思い出す。
親戚から借りた本。
百年くらい遠い親戚。
あの時、ガルディオは言った。
言えねえなら、言えねえって言え。
黙ってることと、騙すことは違う。
「……そっか」
俺は記録板を置いた。
『悠真』
「知らないんだね」
『ああ』
「本当に?」
沈黙。
それで十分だった。
「分かった」
『悠真』
もう一度呼ばれる。
俺は初めて。
先生の声を無視した。
【信じていたから痛い】
昼休憩。
俺は墓地の端に座っていた。
隣に誰かが来る。
「悠真」
セレスだった。
「何かあった?」
「……先生と喧嘩した」
言ってから気づく。
しまった。
セレスの眉が上がった。
「先生?」
「あ」
『終わったな』
クロウ。
お前が言うな。
俺が黙ると。
セレスは、それ以上聞かなかった。
「言えないこと?」
「……うん」
「じゃあ、今は聞かない」
昨日と同じ言葉だった。
「でも」
「何?」
「一人で抱え込まないで」
胸が痛んだ。
先生たちは、ずっと俺のそばにいた。
剣を教えた。
魔法を教えた。
戦い方を教えた。
負ければ笑って。
勝てば自分のことみたいに喜んだ。
歴史上の英雄じゃない。
俺にとっては。
先生だ。
「……嘘をつかれた」
セレスは黙って聞く。
「言えないなら、それでいいんだ」
自分にも言えない秘密がある。
だから、全部話せとは思わない。
「でも、知らないって言われた」
「……そう」
「俺、馬鹿だからさ」
「知ってる」
「そこは否定して」
「今は嘘をつかないほうがいいと思って」
思わずセレスを見る。
真顔だった。
「ひどくない?」
「少し元気になった?」
「ちょっと」
ずるい。
こういう時に笑わせるのは。
「俺、先生たちの言うこと、ずっと信じてた」
「うん」
「間違えることはあったよ。百人いるから意見なんて全然まとまらないし」
「百人?」
「……比喩」
「ずいぶん具体的ね」
危ない。
「でも、嘘はつかないと思ってた」
セレスが少し黙る。
「信じてる人の嘘って、内容より、嘘をつかれたことのほうが痛いよね」
それだった。
何を隠しているかより。
俺に嘘をついたことが痛かった。
「セレス」
「何?」
「昨日、ごめん」
「もう謝ったでしょ」
「今、分かった」
「何が?」
「嘘をつかれる側の気持ち」
セレスは俺を見る。
「だから、もうしない」
「何を?」
「言えない時に、適当な嘘をつくの」
「……うん」
「言えないなら、言えないって言う」
風が草を揺らす。
「いつか話せるようになったら」
言葉が止まる。
セレスは待った。
急かさない。
だから言えた。
「一番にセレスに話す」
彼女の目が少し大きくなった。
「……それ」
「何?」
「かなりずるい言い方よ」
「なんで?」
「分からないならいい」
セレスは顔を背けた。
耳が少し赤い。
後ろで。
『青春だな』
クロウが呟く。
今だけは本気で黙ってほしい。
【嘘はつかないでよ】
遺跡へ戻ると。
百英雄が入口に集まっていた。
ガルディオが俺の前へ出る。
『悠真』
「何?」
『さっきは……』
そこで止まる。
ガルディオが言葉に詰まるところなんて、ほとんど見たことがない。
『悪かった』
「何が?」
意地悪な聞き方だった。
でも聞きたかった。
ガルディオは答えない。
「知らないんだろ?」
『……』
「なら、謝ることないじゃん」
『悠真』
「言えないなら、そう言ってよ」
声が震えた。
「俺、全部話せなんて言ってない」
百人が黙る。
「先生たちにだって、言いたくないことくらいあるだろ」
ガルディオが拳を握る。
「百年前に何があったのか。何をしたのか。俺に話せないなら、それでもいい」
喉が痛い。
「でも」
昨日、自分で先生たちから教わった。
「嘘はつかないでよ」
ガルディオが顔を上げる。
「俺、先生たちのこと信じてるんだから」
何か言おうとして。
言えない。
クロウも。
エレノアも。
誰も。
その時。
『悠真の言うとおりだよ』
ゼルだった。
全員が振り返る。
『ゼル』
ガルディオの声が低くなる。
『お前は黙ってろ』
『どうして?』
ゼルは穏やかだった。
『言えないことがあるのは仕方ない。でも、知らないふりをする必要はない』
『てめえ……』
『悠真は真実を教えろって言ってるんじゃない』
ゼルが俺を見る。
『信じさせるために、嘘をつくなって言ってるだけだよ』
胸に刺さる。
昨日の俺と同じだ。
『それは先生たちが悪い』
誰も言い返せなかった。
一番先に俺の側に立ったのは。
ゼルだった。
「……ありがとう」
『どういたしまして』
いつもの笑顔。
なのに。
ガルディオだけが、ひどく苦しそうな顔をした。
【消された一人】
午後。
遺跡最深部で、小さな部屋が見つかった。
壁に文字が刻まれている。
《共同軍議 第七回》
さっきの記録と同じ。
その下に、参加者の名。
ガルディオ。
クロウ。
エレノア。
そして。
一行だけ。
名前そのものが、深く削り取られていた。
まるで。
最初から存在しなかったことにするみたいに。
「誰の名前だ?」
俺は壁へ手を伸ばす。
『触るな!』
怒声が響いた。
手が止まる。
ガルディオだった。
全員が彼を見る。
ガルディオ自身も。
しまった。
そんな顔をしていた。
「……ガルディオ?」
『……』
「これ、知らないんじゃなかったの?」
返事はない。
胸の奥が冷える。
やっぱり。
知っている。
この場所を。
この記録を。
この削られた名前を。
俺は壁へ視線を戻した。
名前の横に、小さな文字が残っている。
半分以上が欠けている。
読めるのは。
《勇……》
「勇者……?」
誰も答えない。
振り返る。
百人の英雄。
そして。
一番後ろのゼル。
ゼルは、削られた場所を見ていた。
笑っていなかった。
ほんの一瞬。
悲しそうに見えた。
「ゼル?」
呼ぶと。
いつもの笑顔に戻る。
『何?』
聞こうとして。
やめた。
今日、俺は知った。
言えないことはある。
でも。
答えを無理やり奪うのと、嘘を許すのは違う。
「……いや。何でもない」
『そっか』
俺はもう一度、削られた名前を見る。
王国軍と魔王軍が共に戦った記録。
そこにいた先生たち。
そして。
消された一人。
何があった?
なぜ先生たちは嘘をついた?
その一人は誰なんだ?
答えはまだない。
でも、一つだけ分かった。
歴史だけが嘘をついているんじゃない。
俺が一番信じていた人たちも。
何かを守るために。
嘘をついた。
【一番大きな嘘】
その夜。
ガルディオは、一度も俺に話しかけなかった。
百英雄と出会ってから初めてだった。
少し離れた丘の上。
ガルディオが一人で座っている。
そこへゼルが来た。
『随分なことしてくれたな』
ゼルは隣に立つ。
『僕、何かした?』
『悠真の前で、俺たちが悪いなんて言いやがって』
『悪かったでしょ』
『お前な』
ガルディオが立ち上がる。
けれど拳は振り上げない。
『お前がそれを言うのか』
ゼルの笑顔が消えた。
『……うん』
『一番でかい嘘を抱えてるお前が』
夜の風が吹く。
ゼルは黙った。
『あいつが真実を知ったら』
ガルディオの声が低くなる。
『一番傷つくのは、お前だぞ』
ゼルは地下遺跡の方を見る。
削り取られた名前が眠る場所。
そして、小さく笑った。
『それでも』
いつもの笑顔とは違った。
『悠真には、自分で選んでほしいから』
ガルディオは何も言わなかった。
百年前。
歴史から消された名前。
先生たちがついた、初めての嘘。
そして。
俺が今、一番信じている男が抱えている。
もっと大きな秘密。
俺はまだ。
何も知らない。
第28話 完
次回 第29話
「先生たちが守っている秘密」
嘘をついた百英雄。
翌朝、ガルディオは悠真に告げる。
「知られたくないんじゃねえ。お前に背負わせたくねえんだ」
真実を話さないことと、信じられないことは同じなのか。
そしてセレスは、悠真の隣で言う。
「誰にだって、言えないことくらいあるわよ」
秘密ごと誰かを信じることを。
悠真は初めて考える。
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