第19話「最弱と最強」
勇者を育てる名門「王立勇者学院」。
そこで最低評価を受ける落ちこぼれの少年には、誰にも言えない秘密があった。
彼にだけ、死んだ英雄たちの姿が見える。
剣聖、賢者、大魔導師、聖女、軍師。歴代最強と呼ばれた百人の英雄から教えを受け、最弱だった少年は仲間との友情や恋、冒険を通して成長していく。
しかし、百人の中には一人だけ「英雄ではない者」が紛れていた。
その正体は、かつて世界を滅亡寸前まで追い込んだ初代魔王。
なぜ英雄たちは少年を選んだのか。
そして、魔王の本当の目的とは。
これは落ちこぼれの少年が、百一人目の英雄を目指す物語。
最弱だった頃のほうが、楽だった
決勝進出が決まった夜。
神谷悠真は、人生で初めて思った。
――《無職》と笑われていた頃のほうが、楽だったかもしれない。
「……最低だな、俺」
『何が?』
「うわっ!」
ベッドの横から声がして、悠真は飛び起きた。
右脚に痛みが走る。
「痛っ!」
『だから動くなと言ったでしょう!』
今度はリリア。
「分かってる! というか、急に話しかけないでよ!」
『さっきからいましたよ?』
「死者は気配がなさすぎるんだよ!」
『死者だからな』
クロウが壁際から言う。
「開き直った!」
王都の宿舎。
明日は学院対抗戦の決勝。
本来なら、身体を休めなければならない。
特に悠真は、準決勝で《零式歩法》を使いすぎた。
治療魔術を受けたとはいえ、右脚はまだ完全には回復していない。
『寝ろ』
クロウが言った。
「寝ようとしてる」
『目を閉じろ』
「閉じた」
『口も閉じろ』
「会話終わるじゃん!」
『それが目的だ』
「冷たい!」
『小僧』
ガルディオが豪快に笑った。
『決勝前日に寝不足で負けたら、百年は笑ってやるからな!』
「先生なら励ませよ!」
『なら千年にしてやる!』
「増やすな!」
いつもの声。
いつもの百英雄。
いつもなら。
これで笑って終わる。
でも今夜は。
笑ったあとに、何かが残った。
窓の外から歓声が聞こえる。
「明日はアストリアだ!」
「いや、グランヴェルだろ!」
「《無職》の奴、また何かやるんじゃないか?」
悠真は布団を頭までかぶった。
「……聞こえる」
『人気者だな』
「やめて」
『学院最弱から随分な出世だ』
「やめてって」
クロウの声に悪意はない。
だからこそ。
胸に刺さった。
今日。
試合が終わってから何人にも言われた。
「明日も頼むぞ」
「お前なら何とかしてくれる」
「絶対優勝しよう!」
少し前まで。
そんなことを言う人間は一人もいなかった。
魔力最低。
剣術最低。
魔法もまともに使えない。
職業《無職》。
学院最弱。
失敗すれば笑われた。
負ければ「やっぱり」と言われた。
悔しかった。
ずっと。
認められたかった。
強くなりたかった。
なのに。
いざ期待されてみると。
「……重いな」
胸の上に。
見えない何かが乗っている。
『悠真』
ゼルだった。
いつもの穏やかな声。
『眠れない?』
「……うん」
『散歩でもしてきたら?』
『決勝前だぞ!』
ガルディオが怒鳴る。
『寝かせろ!』
「さっきから騒いでる先生が言う!?」
それでも。
ゼルの提案は悪くなかった。
「ちょっとだけ行ってくる」
『脚に負担をかけないでくださいね』
「はいはい」
『はいは一回』
「リリア先生、急にお母さん化してない?」
『悠真』
笑顔。
「……はい」
悠真は素直に頷いた。
「怖い」
宿舎の中庭には誰もいなかった。
昼間の熱気が嘘のように静かだ。
石段に腰を下ろす。
夜風が気持ちいい。
「ゼル」
『何?』
「明日」
言いかけて。
悠真は止まった。
『勝てるか、聞かないの?』
「……先に言うなよ」
『いつも聞くから』
「聞いても答えないじゃん」
『それでも聞くでしょう?』
「今日はやめとく」
『へえ』
ゼルが少し笑った。
「何?」
『成長したなと思って』
「質問を諦めただけで!?」
『答えが外にあると思わなくなった』
「……」
悠真は言い返せなかった。
代わりに。
夜空を見上げる。
「ゼル」
『うん』
「俺さ」
喉が。
少しだけ詰まった。
「怖い」
口に出した瞬間。
胸の奥が。
ほんの少し軽くなった。
ゼルは何も言わない。
「明日の相手が強いからじゃない」
『うん』
「負けるのも怖い。でも」
違う。
もっと。
嫌なもの。
「期待されるのが怖い」
やっと言えた。
「今までさ」
悠真は自分の手を見る。
「誰も俺に期待してなかった」
《無職》。
落ちこぼれ。
役立たず。
「失敗しても、『やっぱり』で終わった」
笑われるのは。
嫌だった。
でも。
期待されない人間は。
期待を裏切ることもない。
「今は違う」
お前なら。
勝てる。
頼む。
優勝しよう。
「みんなが俺を見るんだ」
悠真は拳を握った。
「俺なら何とかするって」
怖かった。
もし。
できなかったら。
「……また《無職》って笑われてるほうが」
自分でも。
情けないと思う。
それでも。
言った。
「楽だったのかもしれない」
「そう」
「…………え?」
聞き覚えのある声だった。
悠真は。
ぎぎぎ、と首を回した。
銀髪。
青い瞳。
セレス・アルヴェイン。
「…………いつから?」
「《無職》って笑われてるほうが楽だった、くらい」
「一番聞かれたくないところ!」
「盗み聞きするつもりはなかったわ」
「じゃあ声かけてよ!」
「話しかけづらかったの」
「それはそうだけど!」
セレスは悠真の隣まで来る。
そして。
右脚を見た。
「座ってて」
「はい」
「素直ね」
「昨日怒られたから」
「学習できて偉いわ」
「子供扱いされてる?」
「少し」
「否定して!」
セレスが。
悠真の隣に腰を下ろした。
近い。
肩が触れそうで。
触れない。
ゼルは。
いつの間にか少し離れた場所へ移動していた。
こういう時だけ。
妙に空気を読む。
怖いなら、一緒に
「……幻滅した?」
悠真が聞いた。
「何に?」
「俺」
「だから何に?」
「怖いって言ってる」
セレスが瞬きをした。
「それの何が悪いの?」
「だって」
悠真は隣を見る。
「セレスは怖いものなんてなさそうだから」
「あるわよ」
「あるの?」
「失うこと」
その一言で。
悠真は黙った。
思い出す。
ダンジョン実習の夜。
焚き火。
セレスが初めて話した姉のこと。
失った人。
後悔。
涙。
あの夜は。
セレスが弱さを見せた。
今夜は。
自分だった。
「それに」
セレスが続ける。
「期待されるのが怖いというのも、分かる」
「セレスが?」
「何、その顔」
「いや」
「首席だから?」
「……うん」
「だからよ」
セレスは夜空を見上げた。
「勝って当然」
ぽつり。
「強くて当然」
もう一つ。
「間違えないのが当然」
悠真は。
何も言えなかった。
「私が負けたら」
セレスは続ける。
「私だけが負けたことにはならない」
「学院首席だから」
「そう」
「……重いな」
「重いわよ」
セレスは。
少し笑った。
その笑顔を見て。
悠真は初めて気づいた。
自分は。
期待されないことに苦しんできた。
セレスは。
期待され続けることに苦しんできた。
正反対だ。
なのに。
今夜だけは。
同じ場所にいる。
「じゃあ」
悠真が言う。
「セレスも怖い?」
「怖いわ」
「明日も?」
「もちろん」
「そっか」
「何?」
「安心した」
「失礼ね」
「違う」
悠真は首を振る。
「俺だけじゃないんだなって」
セレスは。
しばらく悠真を見た。
それから。
前を向く。
「怖くていいんじゃない?」
「え?」
「怖いんでしょう」
「……うん」
「でも、明日は戦う」
「うん」
「なら」
セレスは。
励まさなかった。
大丈夫とも。
あなたなら勝てるとも。
言わなかった。
ただ。
隣に座ったまま。
「怖いなら、私も一緒に怖がってあげる」
そう言った。
「…………」
「何?」
「いや」
悠真は。
何も返せなかった。
胸の奥にあった重いものが。
消えたわけじゃない。
明日が怖い。
期待を裏切るのが怖い。
負けるのも怖い。
でも。
一人で怖がらなくていい。
それだけで。
ずいぶん違った。
「セレス」
「何?」
「それ、結構すごいこと言ってない?」
「普通よ」
「普通かな」
「普通」
「昨日も『あなたが傷つくのが嫌なの』って」
「忘れなさい」
「やっぱりそこは忘れさせるんだ!?」
「今すぐ」
「無理だよ!」
「努力しなさい」
「忘却って努力制なの!?」
『悠真』
ガルディオ。
『今だ』
「何が?」
『手を握れ』
「先生は黙ってて!」
『なぜだ!?』
『成功率の低い助言は控えろ』
クロウ。
『俺の何を知ってる!』
『全部』
『貴様!』
セレスが額を押さえた。
「本当に騒がしいわね」
「百人いるからね」
「あなた」
「何?」
「よく耐えてるわね」
「そこ褒められたの初めて!」
笑った。
セレスも。
少しだけ笑った。
その横顔を見ながら。
悠真は思う。
怖さは。
なくならなくてもいいのかもしれない。
「セレス」
「何?」
「ありがとう」
今度は。
ふざけなかった。
「止めてくれて。昨日も」
「……うん」
「今夜も」
セレスは。
少しだけ目を細めた。
「どういたしまして」
静かな風が。
二人の間を抜けていく。
「明日」
セレスが言った。
「勝ちましょう」
悠真は。
答えようとして。
少し考えた。
「いや」
「?」
「一緒に戦おう」
一瞬。
セレスの目が大きくなる。
それから。
「当然よ」
笑った。
最弱と最強
宿舎へ戻る道。
悠真は。
明日の相手を思い浮かべていた。
決勝。
相手は今大会屈指の強豪。
ここまで。
圧倒的な強さで勝ち上がってきた。
「最強か」
「何?」
「明日の相手」
「強いわよ」
「即答」
「事実だから」
悠真は苦笑する。
「俺と真逆だな」
「そう?」
「そうだろ。俺なんて少し前まで学院最弱だぞ」
《無職》。
魔力最低。
剣術最低。
魔法も使えない。
それが。
明日は。
最強と戦う。
「変な感じだ」
「何が?」
「最弱でも」
悠真は。
前を見る。
「最強と戦えるところまで来るんだなって」
「違うわ」
「え?」
セレスが。
足を止めた。
「あなたはもう」
青い瞳が。
悠真を見る。
「学院最弱じゃない」
「……」
「少なくとも」
一拍。
「私はそう思ってる」
悠真は。
また。
言葉を失った。
「……セレス」
「何?」
「今日、攻撃力高すぎない?」
「何の話?」
「俺の心臓への」
「知らない」
セレスが歩き出す。
「ちょっと待って!」
「走らない」
「はい」
「脚を痛めてるんだから」
「はい」
追いかける代わりに。
ゆっくり歩く。
セレスも。
それ以上は速くならなかった。
二人の歩幅が。
自然に揃った。
最後の授業
翌朝。
決勝戦。
王都大闘技場。
観客席は。
開始前から満員だった。
「アストリア!」
「グランヴェル!」
歓声がぶつかる。
悠真は。
選手通路で木剣を握った。
右脚。
少し違和感は残る。
でも。
動ける。
「緊張してる?」
隣にセレス。
「してる」
「正直ね」
「昨日、怖くていいって言われたから」
「……そう」
「セレスは?」
「怖いわ」
「そっか」
「何?」
「一緒だ」
セレスが。
少しだけ笑った。
その時。
『悠真』
ゼル。
「何?」
『少しいい?』
「うん」
悠真は。
百英雄を見る。
ガルディオ。
クロウ。
エレノア。
リリア。
いつもの先生たち。
『小僧!』
ガルディオが拳を突き出す。
『正面から叩き潰せ!』
『無視しろ』
クロウ。
『まず相手の出方を見なさい』
エレノア。
『右脚は絶対に無理をしないでください』
リリア。
「はいはい」
いつも通り。
百人。
百通りの答え。
ずっと。
この声に助けられてきた。
迷った時。
怖い時。
分からない時。
誰かが。
教えてくれた。
でも。
ゼルだけは。
黙っていた。
「ゼル?」
『悠真』
「何?」
『今日は』
ゼルが。
穏やかに言った。
『僕たちの声を聞かないで戦ってみない?』
「…………え?」
悠真だけではない。
百英雄まで。
固まった。
『はあ!?』
ガルディオの声が響く。
『お前、何言ってやがる!』
『決勝だぞ』
クロウも。
珍しく驚いている。
「そうだよ!」
悠真も叫ぶ。
「なんで決勝でそんな縛りプレイするの!?」
『縛りじゃないよ』
「どう考えても縛りだよ!」
『悠真』
ゼルは。
笑っていなかった。
『君は今まで』
静かな声。
『僕たちから教わった』
剣。
回避。
観察。
治療。
戦術。
生き残り方。
『そして』
ゼルは続ける。
『百人の答えから、自分で選ぶようになった』
悠真は。
準決勝を思い出す。
先生たちの意見を聞いた。
全部には従わなかった。
自分で選んだ。
仲間へ伝えた。
最後は。
仲間を信じて任せた。
『だから』
ゼルは。
悠真の胸を指した。
『もう、ここにある』
「何が?」
『僕たちの教えが』
悠真は。
自分の胸を見る。
『先生を捨てろと言ってるんじゃない』
ゼルが言う。
『忘れろとも言ってない』
「じゃあ」
『今日は』
ゼルの目が。
まっすぐ。
悠真を見る。
『百人の答えから選ぶんじゃない』
歓声が。
遠くなる。
『君自身の答えを選んでみて』
「俺の……」
怖かった。
百人の声がない。
それは。
今まで一度もなかった。
「失敗したら?」
『失敗すればいい』
「負けたら?」
『負ければいい』
「簡単に言うなよ」
『簡単じゃない』
ゼルは。
静かに答えた。
『だから君が決めるんだ』
悠真は。
先生たちを見る。
ガルディオ。
クロウ。
エレノア。
リリア。
百人の英雄。
誰も。
何も言わなかった。
昨日なら。
この沈黙が怖かったかもしれない。
でも。
今は。
少し違う。
怖いなら。
怖いままでいい。
昨夜。
そう教えてくれた人がいる。
悠真は。
セレスを見る。
「何?」
「いや」
笑う。
「何でもない」
木剣を握る。
先生たちから。
たくさん教わった。
まだ。
弱い。
できないことも多い。
でも。
教わったものは。
もう。
自分の中にある。
「分かった」
『悠真?』
ガルディオが見る。
「やってみる」
百英雄の空気が変わった。
ゼルだけが。
静かに笑う。
『うん』
「ただし」
『?』
「本当に死にそうになったら助けて」
一秒。
沈黙。
『そこは格好よく決めようよ』
「命大事!」
『正しいです!』
リリアが即答する。
「ほら!」
『そこだけな』
クロウ。
「そこだけ!?」
『小僧!』
ガルディオが笑う。
『負けたら千本素振りだ!』
「勝ってもやらされそう!」
『当然だ!』
「理不尽!」
笑い声。
百人の。
いつもの声。
悠真は。
その全部を聞いた。
最後に。
もう一度だけ。
しっかりと。
そして。
試合場へ続く扉の前に立つ。
向こうには。
最強がいる。
背後には。
百人の先生がいる。
隣には。
セレスがいる。
それでも。
最後に選ぶのは。
自分だ。
悠真は。
百英雄を振り返った。
「先生たち」
『何だ、小僧』
ガルディオが笑う。
悠真は。
目を閉じた。
百人の声。
百人の答え。
百人から教わったもの。
全部。
自分の中へ。
そして。
目を開く。
扉の向こうから。
決勝開始を告げる歓声が爆発した。
学院最弱と笑われた少年は。
少しだけ笑った。
「今日は、黙って見てて」
第19話 完
次回 第20話
「先生がいなくても、俺は戦える」
百人の先生は、答えてくれない。
いや。
今日は。
悠真が答えを求めない。
ガルディオの剣。
クロウの回避。
エレノアの観察。
リリアの教え。
そして。
ゼルが問い続けてきたこと。
全部。
もう悠真の中にある。
学院最弱だった少年が。
自分だけの答えで、最強へ挑む。
だが。
勝利を目前にした悠真の前に。
一つの選択が待っている。
勝つか。
守るか。
今度こそ。
誰にも聞けない。
誰にも決めてもらえない。
答えるのは。
悠真自身だ。




