第31話 空振りの熱意
「まだ一ヶ月分のデータしかありませんので、対象者の状況を把握する事しかできません。事例として活用するとしたら三ヶ月程のデータが必要です」
正直に答えると久保田は慇懃に頷きながら、興味を目に宿しながら見上げてくる。
「そうか。ちなみに俺のデータとやらはどのようなものなんだ?見せてくれ」
この質問にも真壁は何と答えるべきか躊躇った。施設側からご家族の方に睡眠や心拍、呼吸データを提示して状況を説明することはあるが、入居者本人にデータを見せる機会はまずないと思われる。それに、ここの施設が入居者本人に対して見守りセンサーのことをどのように説明しているのかもわかりかねた。
真壁の躊躇いをどのように捉えたのか、久保田は短く鼻を鳴らした。
「見せてもらったからと言って、怒ったりしない。都合が悪いことなら施設の人間には黙っとく。自分があと、どのくらい生きられるのか知りたいんだ」
「……残念ながら、設置している見守りセンサーは医療機器ではありませんし、私は医者ではありません。あくまでも現状把握のためにしか、現段階ではデータを分析することしかできません」
「それでも構わない」
一歩も譲らなさそうな雰囲気に、これ以上断ると逆にめんどうくさそうだと思った真壁は、久保田の睡眠データを表示した。グラフの見方を簡単に説明すると、彼は鷹揚に頷いた。
「つまり?」
「熟睡できている日と、そうではない日の差が明確にあります。なので、熟睡できている日の行動を意識して繰り返すことで、良い状態が保てるかと存じます」
「他の高齢者はどうなんだ。どのように変化するんだ?」
「そうですね……。人によりますが、熟睡できる日の減少に応じて認知機能の低下が見受けられます」
「睡眠不足が前頭前野に影響を及ぼすからか?」
その質問を受けて真壁は目を丸くした。前頭前野とは前頭葉の一部の名称だ。前頭葉という単語を聞いたことがある人は多いかもしれないが、前頭前野という単語だけでなく、その個所が睡眠不足の影響をもろに受けることを知っているのは専門知識を必要とする職業だけだろう。
「おっしゃる通りです。もしかしてお医者様ですか?」
感嘆の意を込めてそう尋ねると久保田は面白くなさそうに立派な鷲鼻をふん、と鳴らした。
「小児科だけどな」
意外だった。少なくとも真壁がイメージとして抱いてきた小児科の医師と、この男性はかけ離れている。
「ちなみに熟睡できる日にしていることなどありますか?例えば運動とか、日光をあびるとか。そういった特徴が把握できれば、睡眠の質を改善できるかもしれません」
俄然、興味が湧いた。今まで睡眠、心拍、呼吸データを対象者に見せながらヒアリングをする機会は一度たりとも無かったが、本人にヒアリングすることで、現状に対する自認とデータの結果にどれほど誤差が生じているのかが分かる。そういった意見を多く聞ければ、今までとは違った視点からデータ分析ができるかもしれない。
しかし、男性は真壁の期待とは裏腹に「知らん」と興味なさげに短く言い放った。
「そもそも加齢が進めば睡眠の質は低下する。若い頃のような睡眠リズムではなくなるのは当然だ。それに長生きしようとは思わないから、睡眠の質を改善するために生活を変える気はない」
前半の発言は全くもってその通りだ。流石、元医師なだけあるな、と感心しつつも、身もふたもない後半の言葉に真壁はがっくり肩を落とした。
高齢者の健康状態を向上させるために、自分の仕事は役に立っていると自負していただけに、そもそも本人がそれを望んでいないのなら、意味がないように思える。
真壁は思わずその気持ちがしぼんだ声となって、久保田に尋ねた。
「あの、どうして長生きしたくないと思うのでしょうか?」
「君は何をするにも他人の手助けを借りてまで、長生きしたいと思うくちか?」
正気か?という言葉が聞こえてきそうな顔で久保田は眉をひそめた。
「いや、どうでしょう。そもそも日本じゃ尊厳死は認められていませんから」
「そういう話をしているのではない。人間の尊厳の話だ」
その言葉を聞いて妻である恵子との会話を真壁は思い出した。妻も久保田と同じようなことを言っていた。しかし、日本の法律に従って生きていかなければならない以上、自分が年老いた時に介護されることは受け入れざるを得ない。もちろん、好き好んで下の世話を他人にしてもらいたいとは思わない。しかし、実際は受け入れるしかないのだ。長く生きすぎるということは、そういうことだと真壁は考えていた。
「そんなに一生懸命生かそうとしなくていい。人間、死ぬときゃ死ぬ」
身も蓋もない言葉である。真壁は見守りセンサーを取り扱う自分の存在意義が問われている気持ちになった。高齢者により良いケアを提供できるよう奮闘しているが、もしかして熱量の高い空振りをしているだけなのだろうか。
「……あの、どうして老人ホームに入ろうと思ったんですか?」
真壁の質問に久保田は当たり前過ぎることを聞くな、と言わんばかりの尊大な態度で目を細めた。
「子供たちに世話をかけないためだ。昔は嫁が高齢になった親の世話をするのが当たり前だった。しかし、今はそういう価値観を若い人は嫌うだろう。時代は変わる。老害にはなりたくない。だから、長く生きようとも思わん」
なんと言えば良いのか言葉が見つからず黙っている真壁に、愛想をつかしたように男性は鼻を鳴らしながら「それに退屈だからだ」と言って、ベッドサイドに立てかけている女性の写真を見つめた。




