第30話 久保田洋という人
自動ドアをくぐるとホッとするほどの温かい空気が流れ込んできて、思わず体の力がぬけてた。検温と手の消毒を済ませ、朝倉が受け付けに来訪理由を伝えると、すぐに青樹がやってきた。
「東京からお越しいただきありがとうございます。妹がお世話になっております」
丁寧にお辞儀をする白川の兄である青樹に慌てて真壁と朝倉もお辞儀をし返す。
「あ、いえいえ、こちらこそ」
「妹が『真壁さんのデータ分析は凄い!』と言っていたので、今日を楽しみにしていました」
青樹の好奇心に満ちた眼差しを受けた真壁は、白川さん、ハードル上げるなぁ、と内心照れ笑いしながら困ったように、首の後ろに手をやった。
「お役に立てるよう尽くしますので、こちらこそよろしくお願いします」
青樹から見守りセンサーの活用具合を聞くと予想以上に活用していることが分かり、メーカーの人間としては嬉しさを禁じ得ない。
「まだ夜間の巡視負担を減らすには至っていませんが、もう少し慣れたら巡視の回数を減らしていこうと思います」
有料老人ホームホームに限らず、介護施設では夜間帯の巡視は必須だ。施設によるが介護職員一人につき二十人から三十人の入居者を見る必要がある。巡視頻度は二時間から三時間に一回の 頻度が多いが、場合によっては一時間に一回のペースで巡視する場合もある。
青樹から見守りセンサーを運用するうえで大きな問題が生じていないことを確認すると、朝倉と真壁は二手に分かれて各居室でメンテナンスを行った。
事前にセンサーの動作具合はデータで確認しているので、問題無い部屋は軽く行い、不審な点がある部屋は入念に行った。三丁目二番地の居室のドアを開けると、古本屋のような匂いに気づいて真壁はハッとした。
センサー導入設置時に会話をした久保田の居室である。真壁は前回のやりとりを思い出し、聞こえるようはきはきと声量を上げて来訪の旨を伝えた。
「失礼致します。見守りセンサーのメンテナンスに伺いました」
前回同様、机の上に覆いかぶさるように本を読んでいた久保田が、顔をあげうろんげな目線を寄越してきた。この人の認知機能がどれほどのものなのか、正確にはわからない。そのため、自分のことを覚えているのか、認識しているのか判断できず、この男性の性格を考えると、ずかずかと居室に足を踏み入れてもいいものか躊躇った。
お互い無言で見つめ合う時間が流れると、「どうぞ」とぶっきらぼうに久保田洋はベッドを指さした。真壁は再び、「失礼致します」と頭を下げ、居室に入ると素早く動作確認を行う。
カメラの電源を確認すると、予想通り電源が抜かれている。事前に施設側には三丁目二番地の入居者がカメラの設置を拒んでいる旨を伝え、施設側も了承している。カメラ設置に関しては、プライバシーの問題上、必ず入居者本人か、その家族に了承を取らなければならない。仮にご家族が許可をしても、入居者本人が強い否定を示す場合の設置は難しい。とはいえ補助金を使っている以上、設置しないわけにはいかないため、とりあえず居室には設置する必要があるのだ。
各センターが問題なく稼働していることを確認し終えると、久保田が「ちょっといいか」と話しかけてきた。真壁がパソコンを片手に持ったまま、近くに寄ると久保田は見上げて聞いてきた。
「俺のデータとやらは、役に立っているのか」
一瞬、何のことかわからず真壁はきょとんとしたが、以前この居室に訪れた際に自身の仕事がデータ分析である、と話したことを思い出した。
前回の会話から彼が言っている「役に立っている」の前提は、社会的に役に立っているのか、という意味合いだと思うが、何と答えるべきか躊躇した。なぜなら一ヶ月程度のデータでは、対象者の状態を把握する程度にしか役には立たない。




